第一部 公現祭篇 その十一
どうして人間は
ただの血のつまった袋ではないのか。
フランツ・カフカ
11 剣鉈
「くそぅ、闇属性完全耐性のはずの我が身が、恐怖で身動きがとれんっ!」
「落ち着きなさいワキン!澪標石板から手を離したら一巻の終わりよ!」
「はぁ、はぁ、はぁ……マソラ様の夢を追うとは、これほど過酷なことなのか」
アーキア大陸中央部。シータル大森林のアルビジョワ迷宮地下22階層。
この階層に俺は流れ込んだ雨水を利用してプールをつくり、ミソビッチョにスイミングをさせている。雨に濡れるのは平気でも水の中に入るのはおろか顔面を水につけることもできない屍鬼魔王たちの弱点克服と体力強化のためだ。基本は一日二十分。準備体操も含めて三十分。彼らはそこで時間割を組んで交代交代に水慣れに取り組んでいる。思った通り、根はとってもまじめな連中だ。
「うああああっ!!!」
「見ろ!リュウキン、デメキン……澪標石板が暴れ出した……」
「重力制御不能……これもマソラ様の魔力だというのか」
水深一メートル、長さ五十メートル、幅二十五メートルのプールのいたるところでミソビッチョたちの悲鳴が上がる。彼らには名前と一緒に一人一枚、ビート板を贈った。ちなみにこれは俺の手作り。森の一角で噴き出していた重油と得意の火属性魔法で発泡スチロールをつくってみた。それで加工したビート板を澪標石板とか勝手に名付けてミソビッチョたちは各々、水との過酷な戦いを繰り広げている。ちなみに地上での星種子との交戦時よりも被害は甚大だとか。なんで?
「はおっ!」
「ワキン!?なんてこと……デメキン!ワキンの頭を拾いに行くわ!あなたはワキンの澪標石板を確保して!」
「澪標石板がワキンの頭を吹っ飛ばした……マソラ様!どうか一握りの憐れみを!!」
みんな水を怖がるあまり、しがみついたビート板を水中に沈めるものだから、あちこちでビヨヨ~ンと水面からビート板が飛び出す。ビート板を失ったドクロたちはパニックになって水をバシャバシャやって溺れていく。それを仲間のミソビッチョが救出す……ることがかなわず、ともに溺れてバラバラの散骨状態になる。普通に立てば腰の高さの水深なんだけど、なぜか立とうってことをしない。思いつかないのかな。よほど水が怖いんだね。でもまぁ、これから何があるか分からないから、水くらいには慣れておいて。特に今は〝水攻め〟されている時期なんだから。
「クマグス局長!見てください!とうとう俺!泳げました!!」
「なにっ!?よくやったトミタロー!!みんなトミタローに注目!!あれが、あれがバタ足だぁ!」
「「「「「「「「おお――っ!!」」」」」」」」
「水など怖くない!よいか!水など怖くないってそこっ!早く骨を拾ってやれ!よいか!水など怖くない!我ら警護部に怖いものなどあっていいはずがない!」
すごい気合いだね。局長とか警護部ってことはそっか、分掌がもう動き始めているんだね。ファラデーがまだ発表していないから質さないことにするけれど、誰がどの部署で何をすることになるのか、楽しみだ。あ、ビート板を捨てたクマグス局長がさっそく溺れた。……ふふ。みんな、彼を助けてあげてね。
「さてさて」
アルビジョワ迷宮内に設置している投影水晶の映像を見るのをやめる。
アルビジョワ迷宮入り口に俺はいる。
別の言い方をすれば、シギラリア要塞地上出口にいる。俺の目の前では森を出る準備が着々と進む。プールにいない時間のミソビッチョたちはとっても幸せなオーラを出している気がするのは気のせいかな。まず浮き輪から用意してあげるべきだったかも。
「じゃあ当面の資金は俺がこの迷宮で拾った宝具と、大森林でみんなが星種子を倒して得た素材で何とかしてね」
「了解いたしました!諜報部と財政部で手分けして、これらを元手に必要な資材をかき集めて参ります。どうかご安心を!」
必要事項を伝え終えた俺に対し、キングリッチーのファラデーが鼻息荒く返事をしてくれる。どさくさに紛れていま諜報部とか財政部って言ったね。大丈夫。ちゃんとその自信たっぷりの表情、気づいてるから。
「あの、我らが主マソラ様」
と、打って変わって神妙な顔つきの亜人の姿。
珍しく鹿人族の族長マサユキが声をかけてくる。いつもは亀人族タダカツなのに、なんだろう。ちなみに二人の新名も新たに俺が用意。嫌がらず喜んでくれて、経験値共有状態に。それぞれ特殊スキル「後ずさり」「ひっこめる首」を獲得したとか言ってた。どちらも人生で困った時に生かせそうな大事なスキルだ。たぶん。
「マサユキ族長?どったの?」
どんどん近づいてきたと思ったらさっそく後ずさりして間合いを確保。そして跪く鹿人族族長。スキルが生きてるね。
「こちらをお受け取りください」
「え?……ありがとう。これは驚いた」
そう言ってマサユキ族長が差し出してきたものは、刃渡り二十八センチ。刃から峰の幅が五センチ。二十度の角度がつけられた柄の長さが二十センチ。研ぎも良い。しかも皮革の鞘袋つき。
「本当にもらってもいいの?」
「もちろんでございます。シータルの森の主であるマソラ様への服従の誓いでございます」
「服従って……まあいいか。それよりもしかしてこれ、銘とかあるの?」
「はい。このひと振りの名は主が我らにお授けになられた称号をそのままに。すなわちヤツケラにございます」
「なるほどね。八鉧か」
剣をつくるためにタタラ場で砂鉄から生まれる鉄の塊。それがケラ。時に命を奪い、時に命を救う刃物はこの神聖な鉧から生まれる。
そのケラが八つ。
シノイ。キスモス。ゴタルカ。ントゥム。ザンティオ。タルパス。アレオパ。ヤクチャ。
8とはシータル大森林に暮らすこれら部族の数。憎しみを乗り越えて一つになれた貴重な部族の数。
神聖な存在と貴重な数。
八部族のこれからを考えれば悪くない総称かなと思い、少し前に俺は彼らに「ヤツケラ」の言葉を贈った。
「ナイフと鉈が一体化してる……余計な飾りが一切なくて、無骨で、切っ先が研ぎ澄まされている。味わい深くてこういうのは好みだよ」
「剣鉈は下草刈り、間伐、枝打ち、獣の解体と腑分け、漁具づくりなど、日々のあらゆることにご使用いただけます」
さすが。俺の好きナコとをよク熟知シテいるね。
「そりゃあ助かる。手の一部になるまで大事に使い込むよ」
「うれしゅうございます。では気を付けていってらっしゃいませ」
鹿人族の族長に剣鉈を渡された俺は、見送りを許可した八部族の各族長とその連れの人たちに礼を言う。念のためにチラリと各階層の様子を脳内で確認すると……仕事の手が止まってるよ。ヤツケラもミソビッチョも。大げさだから、投影水晶を祈るように見つめるのは止めてって。こっちはちょっと出かけてくるだけなんだから。レベル99の〝鬼退治〟に。
「本当に、お気を付けて。必ずやご無事でお戻りくださいませ」
ファラデーに言われて我に返る。
「もちろん。それにしてもごめんね。忙しい時に水対策くらいしかできなくて」
「なんともったいなきお言葉!なんという大慈大悲なお心づかい!まさに神!マソラ殿を差し置いて神を名乗る輩は断じて我々は認めませぬ!」
「神とか頼むからやめてって」
「その謙虚さ!それでいて我らの存じ上げぬところではボッチクッキングという神劇を挙行するお茶目ぶり!ああ何と魅力多き我らが主でございましょう!」
「「「「「ボッチ!!ボッチ!!ボッチ!!ボッチ!!ボッチ!!」」」」」
「……行ってきます」
剣鉈ヤツケラを鞘にしまい、俺は地上に出る。悪気はないんだろうけど、ボッチとか盛大に言うの、やめてよ。
「やれやれ」
相変わらずゲンナリする大雨の中、用意してある神輿の前に立つ。座席のクッションは、コマッチモがやってくれることになっている。
「ありがとう。いつも傍にいてくれて」
ポヨポヨンッ。
コマッチモに礼を言った後、既にずぶ濡れの八名の元部族民を見る。神輿の担ぎ手たち。
「さあコマッチモ様とともにお早く。濡れまする」
「うん。平気」
「何か我々に不備でもございますか?」
「いや。何もない。ただそうだね。伝え忘れたことを思い出したよ」
「?」
「ようこそ。俺の夢の中に」
「「「「「「「「「「「「「「「「!」」」」」」」」」」」」」」」」
大雨の中、八名の担ぎ手がハッとした表情を浮かべてすぐに跪く。それに続き、周囲の様子を警戒していた控えの八名が担ぎ手の傍に跳んできて跪く。
泥まみれのこの十六名はもう、部族民とは違う。〝こっち〟側。つまり魔獣。
かつての彼らに共通するのは、生まれながらに体の具合が悪く、そのためこの世を悲観していたこと。
慢性貧血をきたすサラセミア症候群。
高尿酸血症や、指を噛みちぎる自傷行為を引き起こすレッシュ-ナイハン症候群。
全身型糖尿病であるポンペ病。
ケガをすれば傷口の血が止まらない血友病。
アミノ酸のフェニルアラニンが体内に蓄積するせいで痙攣や脳障害を引き起こすフェニルケトン尿症。
脳内に瘤ができるテイ-サックス病。
筋肉を作る遺伝子が欠損しているために歩行も呼吸も困難なデュシャンヌ型筋ジストロフィー。
細胞小器官であるミトコンドリアの遺伝子が壊れているMELAS症候群……。
いずれにせよ森に棲むこの亜人族たちは老若男女を問わず、俺の魔力素注入と改造によって遺伝病を超越し、ついでに人でも魔物でもない魔獣となり果てた。
俺に改造されるか。それとも今のままでいるか――。
その結末を本人たちに選ばせ決めさせた以上、俺は俺の所業に対して罪の意識なんてもたない。俺はあくまで、自由自在に生きたいと願った彼らの代償であり希望であり魔力素であるだけ。
魔力によって生老病死を超越した存在――。
これから俺がミソビッチョとともに、シギラリア要塞で作ろうとしている兵士のプロトタイプ。
それがこの神輿部隊ニーヤカ。総勢十六名、平均レベル50に調整した魔獣たち。
「主の夢の中を駆けずり回れること、心より深謝いたします」
一名が言うと、残り十五名が頷く。
「後悔しないでね。何はともあれ楽に死ねないことを」
「無論でございます。激痛の続く肉片になり果てようとも、主たるマソラ殿に永遠の忠誠を誓います」
一名の誓いの後に、雨音を消し飛ばすほど大きな「おう!」という十五名の重なる声。
「そいつは頼もしいね。じゃあそろそろ行こうか」
鼠人族だった女タキアブがうなずく。俺は神輿に乗る。
「露払いはお任せを」
神輿を担いでいない控え八名のうちの一名、鰻人族の男ダーインがそう言って腰鉈と根伐り斧の柄を両手に強く握りしめる。神輿がいかなる時でも移動できるように、控えが八名。担ぎ手が八名。計十六名。
「よし行こう」
「「了解」」
ヴァルキリースライムが俺を飲み込む。俺の合図で、ニーヤカ十六名の肉体が活性化する。担ぎ手八人は下半身の筋肉が異常発達し、控え八人は上半身の筋肉が盛り上がる。冷たい雨の中、肉から白い湯気が上がる。
ドボッ!!
担ぎ手が地面を抉り蹴る。神輿が発進する。時速四十キロ、とりあえずバスくらいの速さになり、やがて時速八十キロ、つまりは快速電車くらいの速さに到達する。
「イザベルとクリスティナ、聞こえる?」
先発している風人族の二人に魔法暗号通信で連絡を入れてみる。
「お姉ちゃん。クロールのベスト何秒?」
「秘密よ。いい?たとえ血を分けた妹とは言え隣のレーンを泳ぐ相手には一切秘密を洩らさないわ」
「ふ~ん。別にいいもん。お姉ちゃんの背筋の広さでだいたい予想つくから」
「それより新しい水着が落ち着かないの」
「分かる分かる!ボロボロの方が体に馴染むし、気合い入る!」
「ところで傷んだ髪のトリートメントだけど……」
なんだろう。異世界にいるはずなのに、高校の水泳部の女子の会話を聞いているみたいなこの違和感は。
「もしも~し」
「あっ!こちらイザベル!マソラ。どうぞ」
「盛り上がっているところ悪いけれど、そっちはどう?」
「問題ないわ。気になることがあるとすれば平泳ぎで自己ベストが更新できないことくらいよ。蛙人族のゲロタロウとの試合に負けたことはもう気にしていないわ」
「うん。そんなことは今聞いていないから大丈夫。引き続きクリスティナと斥候をお願い」
「了解」
「マソラ様!マソラ様が新しくくださった水着、露出部が少なすぎます!これじゃおっぱいがきついし見た目がお姉ちゃんと変わらなくなります!」
「言ったわね。水の抵抗がなくなるように無駄な脂肪二つを今から切り落としてあげるわ!」
通信回線に突如現れた剣戟の音を無視して俺は通信を終え、ニーヤカに意識を戻す。
ズパンッ!シュトンッ!ドスンッ!!
雨の森の中、神輿の進行を妨げるあらゆるものを、担ぎ手八名は息を合わせて躱し、控えの八名は彼らに先立って消滅させていく。悪くない。風の塔ペニエルまで最短距離で六百キロ弱。何もなければ八時間弱で到着できるだろう。でもきっと俺たちの行く末には何かがいて、誰かがいる。世の中そんなに甘くはない。そうそう思い通りにはならないだろう。
「マソラ様。森を抜けて人がいた場合はどうなさりますか?」
「どうするかの判断は逐一俺がするよ。でも基本的に、武器を俺たちに向けてきたら壊していい」
「承知いたしました」
「要するに森の中と一緒だよ」
迷い人、狂い人、捨てられた孤児や老人や病人、強盗犯、強姦犯、殺人犯。
亜人族、人間族問わず、シータル大森林に進入したこういう人たちに対して、生きて森を出るか死んで森に飲まれるか、それとも俺に食われるか。俺はちゃんと選択の余地を与えている。なぜならシギラリア要塞のあるシータル大森林において俺は無敵だから。
でも、森の外はおそらく違うだろう。
きっと強くてろくでもない人や魔物なんかがわんさかいる。
だからこそ、きれいごとは一切なし。
刃物の切っ先がこちらを向いていたら、それだけでとりあえず殺す理由になる。刃物をもった相手を見逃せば、俺は死なないかもしれないけれど、俺を慕っている仲間たちが死ぬ可能性は出てくる。死んだらもうそれで終わりだ。たぶん俺以外は。
ならば刃を向ける者は、真っ先に排除しないといけない。
森の外では疑うこと。中以上に強く疑うこと。
憶病なくらい疑えば、殺る前に殺られる確率は減る。猜疑心は生き残る要諦ってところかな。
「ちょっと速度を落としてもらえる?」
「はい」
森の一角を魔力で見通す。
斧で頭を割られて息絶えた中年の男女が一組。その斃れた女とよく似た顔の小さな女が二人。まだ生きている。叫ぶ少女二人は生まれたばかりの姿に徐々にひん剥かれている。ひん剥いている連中七人は血と脳漿のこびりついた斧から察して、野盗の類だね。むさ苦しさと息の臭さがひしひしと伝わってくる。
「分かる?盗賊集団に両親を殺され、これから無惨に輪姦されるであろう姉妹二人の姿が」
「「「「「「「「はい」」」」」」」」
「斧と刃物を持っている連中には「武器を捨てれば見逃してあげる」と言ってあげて。選択の余地がない選択肢を贈ろう。女の子二人には食い物とこれからの選択肢を。男女の死体二つは、女の子たちに選ばせた後、要塞へ。無念の死にはもう一度、生き死にを決める選択肢を贈ろう。では出発して」
「了解」
神輿が再び動き出す。
担いでいないニーヤカ八名のうち、蛙人族の女ワートと人間族の男アングリト、蝸牛族の女ルーアムの三名が少女と野盗たちの元に向かう。コマッチモの中で俺はその一部始終に目を凝らす。
蛙人族ワートが野盗に近づいてまもなく七人の首はヘラヘラした表情のまま胴体からドスリと泥に落ち、少女二人は人間族アングリトから竹筒に入った米飯を受け取り、説明を受ける。もち米とアズキとココナツミルクの甘く香ばしい味が口に広がるころ、ようやく感情が戻ったらしく、二人の少女は激しく泣き始める。よくあるパターンで、その対処法は一つ。ずばり放っておく。選択しないという選択もありだと思う。
人間族アングリトは泣きじゃくる少女を無視してワートの所へ移動する。蛙人族ワートは首七つと野盗の死体二つ、アングリトは野盗の死体五つを担いでアルビジョワ迷宮地下1階層とつながる死体回収地点へと消える。残る蝸牛族ルーアムは少女たちの前に両親らしき死体二つを並べる。説明を始める。うふふ……ルーアムの奴。余計なことを言った。俺の所に来れば強くなれるなんて、それは選択肢をとりあげるのと一緒だよ。まあいい。魔獣の素材が増えるのなら歓迎するよ。
俺は視聴覚をシータルの森全域に広げる。
似たような光景が今この瞬間にも、森のあちこちで起きている。対処にあたるのは部族民たちで、彼らは俺の基準に従って生殺与奪をてきぱきこなしている。
彼らヤツケラが侵入者の命を奪うのにためらいはおそらくない。その根拠は、「ナガツマソラがそう決めたから」。
では俺は?
俺は命を奪うことをためらわないのか?
「………ないなぁ」
殺す――。
どんなにまっとうな理由があろうと、普通なら殺す前にためらう心とかがあるんだろう。
でも俺は自分が納得できるまっとうな理由があれば一切ためらわない。ためらえない。
たぶんそういう心の動きとか作用を、どこかで落としてきちゃったんだろうね。
どこだろう。どこでいつ、落としたんだろう?
落としたのはカマドウマになった時で、落とした場所はアルビジョワ迷宮かな?
それとももっト前ノ、別ノドコカカナ?
まあ分からないし、どうでもいいことだ。……うん。どうでもいい。
コマッチモの体表を叩く雨粒がなくなる。
「あと十キロほどで森を抜けます」
控えの一人、蝲蛄人族のハラパンがコマッチモの外から俺に報告してくる。
「ここまで来ると雨が降らないみたいだね」
「はい」
「じゃあこの辺で大休止」
「マソラ様?しかしまだ」
「お願い。いい加減座りっぱなしで腰が痛いんだ」
「申し訳ございません!ただちに止めます!」
ピョンピョン。
嘘だよコマッチモ。お前の中はたぶん世界で一番快適だよ。だからそんなに心配しないで。本当に「もうこまっちもう」になっちゃうよ?えっと実はね……
ピョン?ピョピョン。
「そういうこと」
ニーヤカが、やはりまだ不完全だと俺は知る。
初任務で張り切り過ぎてしまったのかどうか、速度調整ができず、最終的には時速百二十キロつまり新幹線に相当する速さで彼らは疾走した。限界値を知っておくのは大事だと思ったからとりあえず何も言わず俺は様子を見たけれど、やっぱり魔力の消費が著しい。控えの八名も含めて肉体のあちこちに損傷が起きている。データが取れたことはいいとしても、これじゃこの先どうなるかわかったもんじゃない。だから休憩をとることにした。
「イザベル、クリスティナ、今どこ?」
魔法暗号通信でエルフの二人に尋ねる。二人は既に森の出口付近で外の様子を監視しているらしい。
「遠くにペニエルの塔が小さく見えます!……はいお姉ちゃん、ドローカード。二枚追加ね」
「森の外に敵影はないわ。それでどうしたの?……残念ねクリスティナ。私はここで切り札のワイルドカードを使うわ。色は赤。私の勝負下着と同じ色よ」
「ちょっと疲れたから休みたいんだ。二人から西南西十キロの地点にニーヤカといる。カードゲームはおしまいにして薪を集めてきて。どうでもいいけど、湿っていない木をたくさん集められた方に忘れられない思い出を今晩贈るよ。念のために言っておくけど森の出口に近いから薪を集める際はくれぐれも静かにお願……」
ドゴオオオ――ンッ!!!!
十キロ先でもその音が轟くほど大規模な森林伐採が始まったらしい。ため息をつきながら俺は神輿部隊ニーヤカの十六名に大休止を命じ、竈の準備を頼む。その間に俺はコマッチモと二人でアナグマ探しを始める。アナグマはタヌキと姿が似ているけれど味は格段に勝る。
「コマッチモ、そっちに十四匹行った」
ピョピョピョピョン!
「マソラ様、狩りなら我々が致します!」
竈を作り終えたニーヤカたちがアナグマよりも必死の形相で俺を追いかけてくる。
「今は休んでて。休みながらさ、どうして自分たちの体にこんなにも疲労が蓄積してそんなにも結合組織や筋組織が断裂してあんなにも魔力素が減っちゃったのか、みんなで反省してほしいな」
「そ、それは……大変申し訳ございません」
嫌味っぽく怒られたニーヤカ十六名たちはすごすごと休憩地点に戻っていく。さりげなく竈を完璧に作り直したあとレベル50の魔獣たちは正座し互いに額を突き合わせ、反省会を始める。小学生たちの学級会みたいでかわいい。本当に悪いのは拙い俺の技術と魔法だけど、それは当分言わないでおこう。
「コマッチモ、あっちもお願い。たぶん九匹」
ピョンピョ……ピョンピョンピョン!!
アナグマを追いかけていると、巨大なゴーレム二体が突如目の前に現れる。
ドゴドゴドゴオオ――ンッ!!!
「「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」」
かと思ったら背中に大量の丸太を背負った汗だく白眼エルフ二人だった。丸太なのに樹皮が妙に白い……なるほどね、大樹の皮を剥き芯だけくりぬいてもってきたのか。中心付近だったら雨水はそこまで染み込んでいない。だから焚火にはちょうどいい。さすがは森の賢者たるエルフ。樹の中心部の道管に風を通して乾燥までさせてる。本当に器用だね。
「マソラ、私の採ってきた樹木はどう?」
「バッチリだ。これなら文句なく薪に使えるよ」
「マソラ様!私のも見てください!!」
「パーフェクト!でもスライムが一つばっちり見えているからしまって。よし。二人とも完璧!後は俺とコマッチモでアナグマのすき焼きを作るから、二人は水浴びをして汗を流しておいで。夜が楽しみだ」
「「………ほんと?」」
「うん。ほんとのほんと。この間はコマッチモに競争で負けて二人とも悔しがっていたけれど、今回は特別。二人同時に、いいことしてあげる」
女子高生みたいにキャッキャ喜んで水浴びに向かう二人。四百歳オーバーとは言え、どこの世界でも乙女は一緒なんだね。
「あ、コマッチモ。卵を忘れてた。アヒルか何かの卵をとってきてくれない?」
ピョンピョピョピョーンッ!
ここで急遽コマッチモと手分けする。俺はニーヤカの所に戻り、鼻歌を歌いながら調理を始める。反省会が終わり、かといって俺の手前で失礼になると考えたのかどうか武器の手入れもできず、いたたまれなさそうにしているニーヤカ十六名が少し気の毒になり、俺は調理の手伝いを彼らに頼む。
「肉を捌いてもらってもいい?さすがに俺一人じゃキツイから」
「「「「「「「「お任せください主様!!」」」」」」」」
ニーヤカの表情がパッと明るくなる。俺とコマッチモが仕留めたアナグマのところへ走っていく。
シュッシュッシュッ。ゴギン。ザクッザクッ。
森の動物を知り尽くした彼らは手際よくアナグマの解体と腑分けを始める。その誰も彼もが剣鉈を持っている。
「………」
なんだろう。あの手際の良さ。見ていて無性に……
シュッシュッシュッ。ザクッザクッ。ガバ。ゾッゾッゾッ……
嫉妬?怒り?焦り?俺が?なんで?
ザクッザクッ。メキメキンッ。ドシャッ。シュッシュッシュッ……
落ち着け。何を思い出そうとしているんだ俺は。
料理の最中だろう。マソラのボッチクッキングの時間だろう……ボッチじゃない……そう言えば、あの時までは…………
「ふう」
久しぶりに額に浮いた汗を手で拭う。俺も彼らから贈ってもらった剣鉈で硬めの肉を切り分けていく。よく切れるね。本当に。ホントウニ……。
「マソラ様?マソラ様!?」
「どうしたの?」
「目から、血が」
「……ほんとだ。なんでだろう。これじゃまるで泣いているみたいだね」
俺は剣鉈を置き、布で目元を拭く。
「お疲れのようでしたら、肉の解体は我々が行います」
「いや疲れているわけじゃないんだけどね」
俺はもう一度剣鉈を見る。
「………やっぱりお願いするよ」
剣鉈についた脂をふき取り、鞘に納める。布でもう一度目元を拭く。さらにひどい出血を確認する。……クダラナイ。今更思イ出シタトコロデ何ニナル。僕ハモウ……
「俺は割り下を作るね。ちょっと多いかもしれないけどお肉の仕込みを全部お願い」
「了解しました!」
「はい完成。それじゃあみんな、いただきます!」
「「「「「「「「いただきまーす!」」」」」」」」
コマッチモの大活躍によってアヒルの卵を百十五個も手に入れた俺たちはささやかだけど盛大なアナグマすき焼きパーティーを始める。張り詰めた感じのニーヤカたちの表情が緩んでいく。ようやく休息できそうな雰囲気になった。
「マソラ」「マソラ様」
「ん?」
既に顔面を紅潮させて何かをものすごく期待した表情のエルフの姉妹ありき。ちょっとまずいな。ものすごくエロい顔になっているんですけど。
「「まだ?」」
「みんなが寝静まるまで待って。それよりほら、二人とも口を開けて」
「「?」」
「ふー、ふー……はい。イザベルから。あ~ん」
やわらかく煮込んだアナグマ肉をアヒル溶き卵にダイブさせ、イザベルの口に箸で運ぶ。
「はふ、ほご……モニュモニュ……ほ、ほひひーは。ヘホマホハ……ホヘホヒマホハホハヘハヒホ」
目を回してよくわからないことを言う姉エルフを放っておいて、今度は妹の番。
「クリスティナ。はいあ~ん」
「はむっ!モグモグモグモグ……マホハハマ!ホッヘホホイヒイヘフ!アハヒハホッヘホヒアアヘヘフ!!」
「それは良かった。アナグマの肉はクセがなくて濃厚だからどんどん食べて。二人が脂身で唇を濡らしているのはたまらなく綺麗だよ。とってもそそられる」
「「……」」
紅い顔を見合わせるエルフ二人がこれから何をしでかすかは予想がつくので、俺は収納用の亜空間から手作り濁酒の入った土瓶と土を焼いて作った杯二つを出し、ニーヤカの一人一人をねぎらいに行く。彼らの前で長居をすると再び緊張してしまうだろうから、ちょっとの間だけ。でも十六名全員に。
「ありがとう。これからもよろしく」「体調は平気?休める時にはしっかり休んで」「森の外は初めて?俺も〝生まれて〟初めてだよ。なんてね」「切れのある動きで枝をバッサバサ!期待してるよ」。
杯を渡し、酒を注ぎ、さっと飲み干し声をかけて消える。ドブロクのアルコール度数は三十%。俺の体内でアルコール毒は瞬時に分解されても、彼らの中では一つのイベントとして束の間記憶に残る。それでいい。
体を強くはしてあげられても、心までは強くできない。せめて心が体においつけるよう、今の俺は彼らのメンテナンスくらいしかしてあげられない。
「お姉ちゃん、私、脂ヌルヌル……テカテカ……」
「そう、ね……これじゃただの脂マシマシ……ギトギト……」
唇を脂で濡らすべくアナグマ肉を食いすぎてぶっ倒れたエルフ姉妹二人をコマッチモが介抱し、夕食会はやがてお開きになる。イザベルとクリスティナほどではなくても久しぶりに腹がはちきれるほど飯を食ったニーヤカは俺の酒も手伝い、グウスカと寝ている。行軍中の満腹や熟睡はよくないけれど、気休めは必要だ。だから今日だけ特別。
夜の森で久しぶりに生き物たちの声を聴く。獣が、虫が、雨への恨み節のように盛んに鳴き連ねる。ホタルが現れて、闇を夜空の星のように焦がし始める。
「さてと」
俺はイザベルとクリスティナの所へ向かう。コマッチモのおかげで容体が回復した二人はスヤスヤと寝息を立てている。不思議。あれだけ食べたのにどうしてお腹が膨れないんだろう。きっと二人の胃袋も亜空間につながっているんだろう。どうしようもないね。
「ご苦労様。ちょっとの間、見張りを頼んでもいい?」
ピョンピョン。
「一晩中じゃなくていいよ。交代交代でやろう。俺とお前は対等なんだから」
俺はコマッチモにニーヤカたちの見張りをお願いする。
枕元に座り、目を閉じる二人の顔を手で優しく撫でる。可愛すぎて、二人のほっぺを同時につねりたくなってきた。
「黙っていれば二人とも文句なしなんだけどね」
すると二人の手が動き、俺の右手と左手をそれぞれ摑まえる。双子だから息ピッタリ。まいったなこりゃ。
「なんだ、目が覚めてたのか」
「黙っていれば文句なしって、まるで黙っていないから文句があるみたいな言い方ね」
「マソラ様!お姉ちゃんはともかく私に対してあんまりです!」
「ごめんごめん。好きな子には意地悪を言いたくなるんだよ」
「「!!!!」」
水属性魔法を使っていないのにエルフ二人が固まる。ほっぺに触れると火傷しそうなほど熱い。恥ずかしそうに目をギュッと瞑る仕草がいじらしい。
「二人は俺にとって大事な仲間だ。だから贈り物をしたくなってね」
俺は左右の掌の真ん中にそれぞれ口を作り、二人の耳元で「そのまま動かないで」と告げる。鳥肌を立たせながら二人がコクコクと頷く。そして俺は亜空間から取り出した耳飾りをイザベルに、腕輪をクリスティナにつける。
グロアの耳飾りとブラダマンテの腕輪。
ステータス画面によれば装備者の物理防御力と魔法防御力を上昇させる、とかいうオプションがあるらしい装身具だけれど、そんなのは正直どうでもいい。
「二人とも、眼を開けて」
これはもっと大事な、万一の備え。
「マソラ!?」「マソラ様!?」
二人は自分の体につけられた装身具をじっくりと確かめる。さらにそれが姉妹で違うことを互いに確認する。そして同じように涙目で嬉しそうに頬を赤らめていることを確認する。
「出会って早々俺は二人を殺そうとしたけれど、今はもう、二人に死なれてほしくないんだ。だから俺の肉片を入れた装身具を渡しておく。これで万が一魔力が枯渇しても多少は補充できる……って、うわっ!」
美女二人に引き倒される。ユリの良い匂い、じゃなくてアナグマの脂のニオイに包まれる。
「マソラ大好きよ!」「マソラ様好きすぎます!」
「俺も二人が好きだよ。だからもう一個プレゼント」
「「?」」
決してあげ忘れていたわけじゃない。二人してシータルの森にいる誰よりも働き、遊び、はしゃぐせいでなかなかあげるチャンスがなかったから今……
「二人の名前はこれから、イザベル・ブッサル・ツヴィングリとクリスティナ・ブッサル・ツヴィングリ。俺が二人に名前を与える。これで経験値共有もできる。俺のために強くなってほしい……なんて虫がいいか」
ミドルネームを、アナグマ脂ギトギト女子二人に贈る。
「「……」」
どうしよう。抱きしめて格好つけながら名前を与えたものの、二人とも何も言ってこない。
まさかだけど、バレた?
封印した方がいい言葉「ぶっさる」。
おばあちゃんとこの方言で「ぶん殴る」っていう意味だとは口が裂けても言えない。
どうしよう。とりあえず二人の頭をナデナデして様子を窺おう……ん?
「ウワアアア――ンッ!!」「マショラアア……」
うれし泣き、かな。たぶん。
二人は俺の胸の中でワンワン泣いたり鼻をかんだり好き勝手にやり始める。ところで何この髪の毛?二人して静電気ハンパないんですけど。ちゃんとトリートメントしてるの?
「生まれてからこんなに幸せだと思ったことなんてないわ」
「喜んでもらえてうれしいよ。ところで人の服で鼻をかむのはやめてほしいな」
「一生マソラ様のお傍にいます!もう絶対に離れません!お姉ちゃんとはとりあえずマソラ様半分こでいいです!」
「私もよ、股裂きの刑でマソラが半分になってもその半分で満足だわ」
「動物の解体を思い出すから、半分ことか股裂きとかいうのはここではよそうね」
「それよりマソラ様!ブッサルってどういう意味ですか?」
「世界で一番強く美しい戦乙女っていう意味なんだ。二人のためにあるような言葉でしょ」
「ああマソラっ!音の響き的に「ぶん殴る」っていう意味じゃないかと思ったけど違うのね。大好きよ!!」
「そんなはずないってホントホントホント」
「マソラ様お姉ちゃんにだけ頬ずりするのずるいです!!やっぱり半分こナシ!!!」
こうして俺は、シータルの森で旗揚げした仲間全員と経験値共有できる状態になった。
「あっ!お姉ちゃんお姉ちゃん!」
「どうしたのクリスティナ?」
「マソラ様と経験値共有したから特殊スキルが手に入ったみたい!」
「ほんと?…………ほんとね」
「どれどれ見せて」
俺はステータス画面で二人の特殊スキルを確認する。
特殊スキル:「その名のごとく最後までぶん殴る」
効果:残存体力が全量の1%を切った時点で攻撃力が通常の10倍になる。
「「……」」
「コマッチモ!見張りを交代しよう!」
lUNAE LUMEN
corruptio mundus
vivere incassum




