番外編:そうして世界は廻りだす。
郷愁を抱えた星の姫が空へと帰った時、確かに世界が音を立てて――大きく回った。鈍い音を立て、錆び付いた音色を奏でる世界に眠る五つの『入れ物』とも言うべきワールドボスが共鳴した。
ライチが開かなかった追加の通知の中で、それぞれが騒がしい胎動を始めている。
【世界はまた一つの区切りを迎えた】
【故に】
【『破滅』はゆらりと一歩、世界に踏み出した】
【『不滅』は静かに席を立った】
【『郷愁』は朗らかに空で泣き、笑った】
【『堕落』が重い瞼を薄く開いた】
【『厭世』は小さく呟いた】
【僕を、止められるかな?】
――――――――
北の、北の果て。一人の少女が、白い砂漠の上を歩いていた。その歩みは緩やかで、淀み無い。けれども少女の顔には、何度も繰り返してきた考え込むような表情が、染み込んでしまったかのように現れていた。
彼女の名前はレグル・レトリック。『破滅』のレグル・レトリックだ。果てしない砂漠を行く彼女の胸中には、幾つもの疑問が渦巻いていた。何百年も前から背負ってきた、答えの見えない問い。
――世界は、本当に終わるべきなのだろうか?
レグルは深紅の瞳を細める。もう、何度も何度も考えてきた。これまでだって、今だって……ずっと考えている。けれど、分からないのだ。少し前に出会った騎士は、自分の好きなようにと言うが、その『好き』がレグルにはどうしても不定形だったのだ。
自分の行動が、誰かを傷つけはしないか。
本当に、この行動と情動は正しいのか。
いっそそれら全部を振り切ってしまえれば、きっと楽になれるだろうに……それでも、彼女はそうしない。レグルは、かつて『不滅』であったから。明るく、美しかった世界を知ってしまったから。
例え、それが無意味だとしても……そこで生きてきたすべては確かに自分の心の中に在って、確かに自分を迷わせている。レグルの思考は錆び付いていた。同じことを何度も繰り返し考えては、答えを出して否定する。歪んだ二律背反が、二重の螺旋を彼女の心に描いていた。
「アタシは……」
続く言葉は出なかった。破滅だと、世界を滅ぼす者だと……少し前ならば、軽く言ってのけたのに。その事に苛立って、憤りが募る。美しい顔を怒りに歪めて、レグルは唇を噛み締めた。
レグル・レトリックは優しすぎた。そして、幼すぎた。世界を背負うには、どうにも弱すぎたのだ。きっと姉のテラロッサが破滅に落ちていれば、世界など何巡も前に終わっている。それと同じだけの力が、レグルにはあるはずなのだ。
なのに、そうなっていないのは……どういうことなんだ?
レグルの素足がまたもや砂漠に白い足跡を生む。伏せた顔にありありと不快感を滲ませながら、それでもレグルは前に進んだ。
目指すのは――西の大宴会……世界樹の根本だ。
レグルは自分がどれだけ馬鹿で、滑稽な行動を取っているか位知っていた。知っているからこそ、苛立ちが隠せなかった。自分はこれから姉の元へ行くのだ。いつものように、彼女を滅するために……そして、答えの見えない問いを、いつか不思議な騎士にしたように――テラロッサにぶつけようとしているのだ。
『ねぇ、世界は……終わるべきなの?』
「ああ、バカらしいわ!吐き気がするわね……ええ、最低よ」
レグル・レトリックには分からない。自分がどうあれば良いのか、世界の存在理由が。故に聞こうと思ったのだ。まさに世界を存在させている、自分の片割れに。
いつもなら、絶対にこんなことはしない。けれども、レグルの渇いた心の奥底に眠る……遠き日の思い出が、こう囁いてくる。
『お姉ちゃんなら、きっと答えを教えてくれるよ。だって、アタシの自慢の――』
「ああ!!ちょっと黙ってなさい!」
レグルは鬼のような形相で存在を許容できない声へ素早く右腕を向けた。その瞬間、彼女の右側の砂漠が大きく爆発する。弾けた砂粒は空高くまで舞い上がり、まるで山が急に現れたように砂が飛び散った。
一瞬で砂漠の地形を大きく変えたレグルに降り注ぐ砂など、勿論無い。
ただ砂漠に溶けていく砂の落下音に、どこか雨音に近いものを感じて、レグルは一瞬足を止めた。そしてレグルは、彼女にとって珍しいの一言では済まされない弱音を吐いた。
「……今さら、どんな顔をして会いに行けば良いのよ……あれだけ殺そうとして、酷い言葉まで言って……」
きっと、怒っているだろう。それどころか失望しているはずだ。そこまで考えて、レグルは自分が馬鹿げたことを考えていることに気がついた。何をくよくよ悩んでいるのだ。馬鹿馬鹿しいにも程がある。
あの姉は、怠惰だ。いつも信頼していたのに……大事なときには遅れて来た。二人でなら、きっと大丈夫だって信じて……たった一人でも立ち向かったのに。
ボロボロになった自分を抱き締めて、優しく笑って助けに来てくれると……信じてたのに。
「アイツは遅すぎたのよ。もう、壊れたものは戻らない。――希望を持たせるだけのヒーローなんて、要らないわ」
レグル・レトリックは確かに一歩を踏み込んだ。目指すのは西の果て。解けない問いを後ろ手に隠して、いつもの凶悪な笑みをその顔に浮かべた。
――待っていなさい。
「きっと、最後にアタシが聞いて、アナタが答えて……それで全てが終わるのよ」
深紅の目が妖しく光り、白い長髪が風に揺れる。『破滅』がゆらりと一歩――白い世界から、飛び出そうとしていた。
――――――――――
西の、西の果て。世界樹の根本で頬杖を付いていたテラロッサは、夜空に煌めく星達をじっと見つめた。その顔には微笑が宿っており、彼女が気にかけている騎士が彼女にとって良い行いをしたことは直ぐにでも分かった。
満足そうにそれを見上げたテラロッサは、しかし直ぐに表情を曇らせた。ゆっくりとその視線がここから北の砂漠へと向かう。宴の喧騒に満たされて、外の様子など見れたものではない。
けれどもテラロッサにとって、その青い瞳に映る景色は確かに白い砂漠であった。
「……あたしには、分かるわ」
だって、あなたの姉だもの、とテラロッサは呟いた。テラロッサには分かっていた。きっと――レグルがこちらに近づいているだろうという、あやふやな確信があった。
レグルとテラロッサは双子だ。生まれた意味は違えど、共に過ごした時間は同じはずだ。何十年もずっと側に居たのだから、今彼女が何を思っているのか位簡単に分かる。
「……レグル。もうそろそろ、あたしたちも終わりにしないといけないわね。あたしたちは……この傷はね、『不滅』であってはいけないのよ」
テラロッサは不滅だ。そして、レグルも不滅だった。彼女たちの周りでは、全ての物が等しく不滅だった。鳥も、樹木も、人も、国も、何もかも……ああ、そうだ。二人の間に築かれた、果てしない心の距離も――全て、不滅だ。
変わることがない。進むことがない。止まり続けて、廻り続けて……きっと最初から何も始まっていなかったのだ。二人の間の時間は、確かに止まってしまっていた。
だからこそ、もう終わりにしなければならない。もういいでしょう、と自分に言わなければならない。
「ずっと昔から……そして今まで、あたしたちは変われない。変われないわ。でもね……一つだけ、あたしも最近知った事があるのよ」
それは、数日前に空から見た光景。レグルとの勝負を切り上げて、黒いカラスになって空を飛翔していた時にふと見てしまった光景だ。
「……あたしたちが変わらなくても、世界はきっと変わろうとするのよ。どうやってあたしがこの世界を廻しても……ええ、そこに生きる誰かしらは、確かに前に進んでいくわ」
テラロッサは意図せず見てしまった。自分と同じく過去に縛られた亡霊のような青年が、過去にさようならを告げて前に進む姿を。確かに彼の目は死んでいたし、二度とその目が光を宿すことはないとさえ思っていた。出来ても、彼女を想いながらひっそりと暮らす位だと思っていたのに……それが、確かに未来へと進んだのだ。
あの目の光は、確かに未来から差していた。あの佇まいは、きっと前に進むためのものだった。
「あたしたちはね――不滅じゃあ、居られないのよ。きっと、変わらなきゃいけないわ」
彼女が不滅たる所以は、レグル・レトリックのみであった。彼女が、破滅が世界を不滅にしていた。いつかきっと彼女を破滅の道から取り戻すまで、テラロッサは諦められない。
ずっと、すがってきたのだ。過去の思い出にすがって、今のレグルを……きっと正しく見てあげていなかった。
レグルが破滅を諦めるまで、テラロッサはずっと待っているつもりだったのだ。
けれど、それではいけないと……片耳の獣人の在り方が教えてくれた。
「きっと、あたしが終わらせる。この長い長い――不滅を」
不滅であることは、きっと全てから逃げることと同じだ。見てみぬ振りをして、怠惰に今日を貪ろうと、確かに朝日は昇るから。なら、壊すしか無いだろう。この悲しい不滅を。世界が永遠である理由を。
不滅が静かに椅子から立ち上がる。もう二度とこの椅子に座ることが無いことを、深く祈りながら。
――――――
暗い、暗い何処かで、ひたすらに穢れたそれは浅く目を覚ました。けれど、開いた眼の先に待つのは変わらぬ闇。起きているかも、寝ているかも明瞭ではない。
『……』
ほんの少しだけ、それは体を動かした。錆び付いた音がして、それを縛り上げる鎖についた汚れが溢れる。
『……堕落』
それは小さく呪詛を溢した。七つの瞳の内の一つが、確かに開く。それと同時に、世界に狂おしいまでの畏怖が走った。
それが目覚めるぞ。世界が終わるぞ。
それは途方もなき堕落の主。ワールドボスの内で、純粋な脅威としては破滅を置き去りにして独走の一位を受け持つ災厄と終焉の印。それが完全に目を覚ませば、本当の意味でのゲームオーバーを引き起こす終末の獣。
それは赤く胎動し――黒く吠えた。世界を終わらせる呪文を。ひたすらに堕落が詰められた体の奥底から。
『堕落の……アイゲウス・レトリックが命ずる……世界よ、堕落せよ』
罪深き七つの瞳が順繰りに開き始める。それらは妖しい赤紫の光を仄かにちらつかせ、暗い世界を確かに光っていた。
『嘘』『偽善』『破綻』『後悔』『堕落』『逃避』が目覚め……そして、最後の罪が目を開こうとした。しかし、まだその目覚めは完全ではない。
『……罪は、星が果てようとも消えることなど無い。……それを、ゆめゆめ忘るるな、世界よ』
暗き深淵の果て……この世で最も畏れられるべき存在は、確かに目を覚ました。その胎動が振動に変わり、星を呑むまでの時間は……それほど長くない。
―――――――
南の果て。そこはひたすらに青かった。そんな世界で、一人の青年が空を見上げている。この世界の始まりから、彼はずっと空を見上げていた。ただ今日は、彼の姿に大きな変化があった。
「……君に、僕が止められるかな?」
『厭世』のアドニス・レトリック。その青く澄んだ瞳の白目は、黒く染まっていた。青と黒の二つで塗りつぶされた瞳で見上げる空は、相変わらず空っぽだ。
アドニスの右腕が、いびつな音を立てる。彼の右手は正常な人間の物から逸脱した、異形のものと化していた。
アドニスの右腕は人の肌色を捨て、瞳と同じく黒に染まっている。そしてその腕からは茨を連想させる黒い棘と、幾つもの『目』が浮き出ていた。彼の体に食らいつく黒は、腕、肩、首と体を伝って彼の頬までその牙を剥いていた。
けれども、彼が動揺を見せることはない。いつものアルカイックスマイルが、彼を彼足らしめていた。
「もしも、君に……僕が止められたのなら。その時は――」
ああ、とアドニスは呻いた。腕に目覚めた幾つもの瞳が、一斉に瞬きをする。
「その時は、君が……君こそが、『variant rhetoric』を知っていると、そう思っても良いはずだ」
僕は門番だ。僕は君の前に立って、君の道を塞ぐ。そうしたとき、君は果たして僕に何を見せてくれるんだろうね?
「…………もしも、無意味な願いを……君に押し付けるとするなら」
アドニスは空を見上げ、小さく声を吐いて――そして、黒い片目から純粋な涙を流した。けれど、その顔は相変わらず機械のように変わらずにいて、どうしようもない違和感だけがその涙にはあった。涙が海に溢れる、その瞬間に重ねるように、アドニスは小さく呟いた。
「――僕を、助けてくれないか……?」
涙は直ぐに止まった。アドニス・レトリックは空を見上げる。門に縛り付けられた番人として、青に閉じ込められた囚人として、変わらぬ責務に佇みながら。
―――――――――――
「……お見舞いを持ってきたよ」
「シュウ君……?」
「ゴメンね、結さん。俺は誠一郎だ。柊は……うん、もうすぐ来るよ」
「あ、ごめんなさい……違うんだね」
「いや、気にしてないよ」
「……シュウ君は恥ずかしがりやさんだもんね……」
「……柊も柊で頑張ってるから、もうちょっとだけ……待っててな」
「……」
「……それじゃあ、帰るよ。……必ず、また来るから」
もう、出すキャラは全て出しました。
張る伏線も全部張り終わりました。
あとは全部を畳んでいくだけです。
この話からもう一話挟んで次の章である『厭世に捧ぐ』は、殆ど答え合わせですね。勿論最終章では無いですけど。
皆さんはもう『variant rhetoric』が何だか分かりましたか?
ワールドボスの存在意義とは?
……全てはきっと、『彼』の口から語りましょう。




