無職の俺
「スィフルわぁ、うそつきだよぉ」
空になった瓶を片手に、だいぶ酔いがまわったアンが言った。
瓶はスィフル秘蔵のワインが入っていたが、アンにほぼ飲まれてしまった。
アンがまちがえて自らの杯にワインを注ぎ、飲んでしまったのがそもそもの始まり。
アンは下古だが、酒癖が悪かった。
人間はこれを、からみ酒というらしい。
普段は無口なアンが饒舌に話す姿を見て、日頃は我慢しているのか、とスィフルは反省…することはない。
言いたいことがあるならば言えばいいのだ、というのがスィフルの主張だった。
アンを無視して、ちびちびと飲み続けているスィフル。
スィフルは静かに酒を嗜む派だった。
しかしアンはそれを許さない。
「きいてるぅ?」
青い瞳がスィフルをのぞきこんできた。
「俺がうそつき? どういう意味だ?」
スィフルは自分の杯をかたむけながらアンをにらむ。
「さっきティスナにうそをついたぁ。契約のことぉ」
元魔王と元勇者、二人が交わした契約。
お互いの真名を明かし、抑止力となり、魔族と人間が共存できる社会をつくること。
そして、もう一つ。
大切なことをスィフルはティスナに説明しなかった。
「いずれ、おまえが俺を殺す、なんてティスナに言えないだろう」
共存社会を見届けたら、命をさしだすとスィフルはアンと契約していた。
アンは真剣な表情でうなずく。
「たひかに言へないねぇ。わたし、ティスナにうらまれるのは嫌らな」
「それなら俺を殺さないでくれる?」
スィフルは半分本気でたずねてみる。
本音を言えば死にたくはない。
アンとティスナ、それから今の暮らしがスィフルは気に入っていた。
魔王の暮らしは二度と御免だ。
アンが少しでも自分を好いていてくれるなら、殺さない可能性もあるかもしれない。
ちょっとした希望だった。
だが希望は一瞬にして砕かれる。
「むふふふ、無理らよー。らってわたしスィフルがきらあいらもん」
アンのろれつが段々あやしくなっている。
酔いつぶれるのも時間の問題だった。
「それじゃあ、早いところ殺してくれ」
思いがけず嫌いと言われて、スィフルは意気消沈した。
「…それはいや。わらし、いまがいちばん幸せらもん」
アンの言葉は矛盾している。
「幸せ? 嫌いな奴といるのに?」
「きらいらけど、スィフルは好き」
今度は、好きときたか。
「どっちなんだ」
スィフルはアンの言葉に一喜一憂する自分を知った。
「きらい、きらいも好きのうちって人間はいうんらよ」
アンのまぶたが少しずつ下がってきた。
これは相当酔っている。
明日にはきっと全部忘れているだろう。
それなら少しだけ、ほんの夢物語でいいから、スィフルはもう一度それが聞きたかった。
「なぁ、凪ぎの晴れに生まれしものは今幸せなんだろう」
さりげなく真名を呼んで命令する。
「うん」
酔ったアンは素直だった。
強制力などなくてもうなずいていただろう。
いつもなら絶対に認めないだろうこともあっさり認める。
スィフルは調子にのった。
「それは好きなやつと今一緒だからだよ」
「うーん。そうかな?」
アンは首をかしげた。
だが、ここで引き下がるスィフルではない。
元魔王は策士だった。
「そうなんだよ。で、今は目の前にいるのは誰でしょう?」
「スィフル?」
アンが呼んだのは真名ではない、呼びかけの名前。
強制力はない。
「正解。凪ぎの晴れに生まれしものはスィフルが好きなんだ」
ふたたびスィフルは命令した。
あの言葉をまた聞くために。
無職の俺のささやかな幸せ。
「…わらしティスナも好きらよ」
別の名が出てきてスィフルはむっとした。
なぜここでティスナの名前が出てくるんだ。
「俺のことは?」
直球できいてみる。
「これからも二人と一緒にいられたらいいなぁ。ティスナのこと好きぃ、スィフルのことは大ぃ……」
アンの声は途中でとぎれた。
盛大な寝息が居間に響きわたる。
「おいっ、かんじんなところで寝るんじゃない」
スィフルの願いもむなしく、アンは夢の中へ旅立ってしまっていた。
そして、翌朝。
案の定。アンは夕べのことをすっかり忘れていた。
二日酔いを抱えながら農作業に向かうアン。
そのアンのとなりにはティスナがいる。途中まで一緒に行くためだ。
ティスナはこれから学校に向かうところだった。
「行ってきます」と、ふりかえったティスナがスィフルに言った。
前掛けをつけたスィフルは家の前で二人を見送る。
二人のうしろ姿を見送りながら、今晩いかにティスナを早く寝かせ、アンを早く酔わせて、さいごまで言わせるか、元魔王は策略を練っているのだった。
了
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