ルーカスという男
幼い頃から、私の世界は決められていた。
母上は体が弱く、子供が1人しか授かれなかったという事も大きいだろうが、アッシュフォード伯爵家の跡取りとして、両親の期待を一心に背負って生まれてきた。
家庭教師との一対一の学問。政治関連。加えてこの国の動き、領主としての心得や剣の稽古。私は、父上の用意したレールの上を歩く人形だった。
そして、同じように用意された存在が、ミリア・ヴァルディスだ。
私がミリアと出会ったのは、父親同士が旧知の友人だったことから始まっていた。初めて会った彼女は、照れて父親の後ろに隠れるような子で、その姿を、当時の俺は「可愛い」と思った。父上はミリアの父親に静かに話していた。
「いつか子供が生まれたら、結婚させようと約束しただろ。お前の子だ。聡く、ルーカスを支える良い伴侶となるだろう」
約束は果たしたぞ。みたいな話をしていたのを子供ながらに憶えている。こちらとしては巻き込まれただけだが、その約束もまた、私のレールに組み込まれただけで、特に支障はないように思えた。
*
8歳の時に私達の婚約が正式に成立すると、ミリアは懸命に努力していた。マナーや勉学、社交。すべては私の隣に立つ為。期待に応え、役割を演じ、周りに認められようとしていた。
その姿を見かける度に、私自身を鏡で照らし合わせている様で、ミリアと過ごす時間が、次第に息苦しくなっていった。
――そして、私は逃げ道を見つけた。
「ルーカス様……今夜、少しお時間頂いてもよろしいかしら?」
伯爵家という高い身分に加え、他の者より秀でた顔と体。
こちらから誘わずとも、向こうから擦り寄ってくる。
表では上品ぶって見せているが、二人になれば欲を剥き出しにする。
日々の鬱憤は、そんな令嬢達を弄ぶことで、少しずつ発散されていた。
ミリアがその事を知ったのはいつだったのだろうか……。
純粋だった瞳が、次第に濁っていくのを、私は見て見ぬ振りをしたんだ。徐々に私に依存するようになり、後を追い、監視される日々は、自由になりたいと願い続けていた私の心を冷ますのに、十分だった。
結局、ミリアも私を所有したいだけ。両親や、他の女達と変わらない。
そんな時に降って湧いたのが、ミリアが起こした毒殺未遂騒ぎだ。
真っ先に思い浮かんだのは、私への当てつけ。それか、私と関係のある令嬢がやったのだろう。これでミリアも大人しくなるか、恐ろしくなって婚約破棄を申し出る。そう、踏んでいた。
あの騒動から数日置いて、私は彼女の屋敷を訪れていた。
見慣れた庭園に通された。毒殺未遂の前日に、確か此処でミリアと話をした記憶がある。捨てないでくれと縋りつき、怯えた瞳で私を見てくる。
それが、私の知るミリア・ヴァルディス。
だがあの日、私の前に現れたミリアは何もかもが違っていた。
怯えた瞳も、縋る様子もなく、私を蒼い瞳で真っ直ぐ捉えた。乱暴とも言える口調で、恐れなど感じられない遠慮のない態度。
極め付けは、私を殴ったあの拳。
令嬢は男のように訓練は受けていない筈だ。
ミリアが鍛錬しているところを見たこともなかった。
幼い頃は、私が稽古で擦り傷を作ると、泣きながら手当てをしてくれていた。
それが私を殴り、何事もなかったように立ち去ったと、目覚めた時に護衛に聞かされた時、私の中で、何かが動き出した。
誰かの人形でも、期待に応える婚約者でもない。
ただ、自分の意思で立っている。
物怖じしないミリアの姿に、私は自分の理想を見たんだ。
独占欲を剥き出しにする男たちを、理解できないと思っていた。
これから先もそうだと思った。遊ぶくらいが仕事に差し支えなくて丁度いい。
そんな考えが、覆された。
今更……と馬鹿にされるかもしれないが、初めてなんだ。
こんなに人を好きになったことも、誰かを欲しいと思ったのも。ミリアの事になると、自分の感情を抑制することが途端に難しくなる。
この人のためなら何でもする。他の令嬢なんて目に入らない。傍に居てくれるのなら、全てを差し出しても構わない。
そう、爵位さえも――。




