65 心の守り手
会場がごった返す昼時を狙って、尭史は外に出た。
ついさっきまでは、ずっと控え室に引きこもっているつもりだった。だが焔村の話を聞いた後だと、あの控え室にいる気がどうにも失せてしまっていた。
昨夜から持ったままの月居の借り物を身に着けながら、レイヤー達に紛れ込んだ。幸運なことに、それでフーリガン達の目に止まらずに済んだ。
とはいえ当てはなかった。何者かと鉢合わせそうな、根拠のない漠然とした不安だけはあった。
どこか店に行く気にはなれなかった。逃げ場がないのは困る。そう思った。
会場から離れるにつれ、人が減るにつれて、かつらやサングラスを外していく。
人のいない方、いない方へと歩いて、……ふと気が付くと見覚えのある場所に来ていた。
一回戦が終わった後、月居と話した倉庫地帯。
猫一匹いない。青年の求めるままを描いたように、落ち着いた空気。
埃っぽいような海風が一つ、くすぐるように通り過ぎた。
昨日とまるで変わらない、穏やかな風だった。
そのうえ。
「や、鮎川くん」
示し合わせたかのように。
そこに月居がいたことまで、変わらなかった。
「偶然だね」
月居は昨日と違い、地べたではなくコンテナの上に座っていた。
大きなスカートと麦わら帽子がそよ風で揺れる。
「何してんだよ、こんなとこで」
ごく平坦な声が出た。尭史自身、自分の声で驚いたほどだった。
月居と会う約束なんて、さっぱりしていなかったというのに。
「鮎川くん来てくれそうな、気ぃしてたんだー」
月居はにこやかな様子で、足を広げた。
学校の小テストでいい点を取ったような喜び方だ。尭史はそう思った。
高校の教室での月居を知っているわけではないが、ちょっと恥ずかしそうな様子がぴったりだった。
「そいつは、奇遇だ。おれもそんな気がしてたよ、たぶん」
「たぶん?」
「それも併せて奇遇ってこと」
「ん~?」
「どっから登ったんだよ、パンツ見えるぞ」
「そっち。見たかったら登らなくてもいいよ」
悪戯っぽい笑顔で手櫛をひとつ下ろした。
「鮎川くん、緊張してる?」
コンテナをよじ登った尭史が隣に座ると、月居が言った。
「まあ、そうだね。してないって言ったら嘘になるよ」
「素直に言いなよ」
笑いながら、拳を当ててくる。力はなく、単に尭史の肩に当たっただけだった。
「いや、本当に。緊張で死にそうとか、そういうのはないんだけど」
「けど?」
言葉を選んでいると、月居は大きな眼で尭史をのぞき込んだ。
なるほど穴が開きそうだ、などと適当なことを思った。
「いや、なんてーかな。つまり……なんのために勝つんだっけな、とか思っちゃって」
すると月居は口をとがらせて、きょとんとした。
そりゃそうだ。尭史はそう思った。
なんでもない、気にしないでくれーーそう言うつもりで、また口を開いて。
「楽しむためでしょーよ?」
月居に、先を越された。
その何気ない一言は、まさに尭史の脳天を貫いた。
「私の知ってる鮎川君は、いつだってSNoWを全力で楽しむ人だよ。全国で得る名声とか、賞金とか、そういうのには目もくれないで。純粋にゲームに打ち込む、まっすぐな人。自分が勝つこと、仲間が勝つことを、誰より喜べる人だ」
言い終わるまで、尭史は月居から目が逸らせなかった。
図星だったのだ。
この一週間、ずっとSNoWが楽しくなかった。
伊奈を救うこと、優勝することだけを求めては、他のすべてを犠牲にしていた。
寝ても覚めてもカードのことを考えて。
喜び勇んでゲームに臨む。
自他共に認める生き様を、いつのまにか棄て去っていた。
「おれ、そんなに?」
苦し紛れに出した声は、鈍臭くどもっていて。
月居は無邪気に笑いだした。
「へへ、うん。鮎川君さ、昨日から勝っても笑ってなくない? 土浦来てくれるときは、強い人に勝ったら……ううん、戦ってるだけでも、ニヤニヤしてるのに」
「ニヤニヤね」
「笑うの下手なんだもん」思い出したようにまた笑う。
その笑顔が目に入らないほど、尭史はまだ衝撃を感じていた。
『ねえ、お兄ちゃん。楽しんできてね。それから』
ふいに伊奈の言葉も、頭に蘇ってきた。
つい一昨日の驚きが、また心に降ってきた気さえした。
『来年も、再来年も、出場してね。ずっと、楽しんで』
「そうだーーそうだよな」
伊奈の思いをも噛みしめるように、尭史は言った。
「難しいゲームこそ楽しむのが、いつものおれだった」
尭史は上を向いた。まっすぐ自分を見つめる月居には気づかないまま、青空に向き合った。
「やるよ。いつもみたいに、面白がって。そしてだ! そして、勝ってくる」
笑顔のままの月居は、目を細めたままで。
「うんっ」
どこか嬉しそうに、膝を抱いた。
「それでこそ鮎川くんだよ。私が、よく知ってる」




