63 上位の人間、焔村
飄々とした物腰は、昨日とまるで変わっていない。
「もう気付いているものだとばかり思ってましたけどねん」
そう言うと許可もなく、尭史の向かいに座った。
「鈍感で悪かったわね」
「アンテナにはこた…個人差があるようですし、そんなもんですよん」
「ああ、そう」
かつてないほど憮然している。ジェローナの声は小さかった。
「突然お邪魔した非礼はお詫びしますよん、『流星映す剣聖、ジェローナ・メイル』。なにも取って食べにきたわけじゃありませんし、悪く思わないでくださいよん」
「そんなこと言えた口か、焔村? 悪く思われたくないなら、まずすることがあるだろ」
「判ってますよん」
くねくねした腕を胸元に滑らせると、焔村は一枚のカードを取り出した。
「ほら、ご挨拶ですよん! スオウ」
その一枚は、いまのジェローナのようにハードローダーに入れられていた。
透明で堅いポリ塩化ビニルの中は、灰色のスリーブがあるだけ。
ホイル加工のスリーブに縁取りのあるスリーブを重ねられたジェローナに比べると、明らかに地味だった。
「。。。」
その中にいたのは、幼女。
ぶかぶかの小袖は裾が汚れ、長い髪もどこか埃っぽい。
じっとしたまま、大きな瞳でジェローナを見ていた。
八、九歳のようにジェローナは思えたが、確信は持てなかった。あどけなさがまるで見えなかった。
「『悲壮破りの軍師、スオウ』ですのん。ジェローナサンと同じ、別のメンブレンから生きた姿を映された子だ。僕は勝手に、異世界転写と読んでますがねん」
「転写、か。そうだな。元のメンブレンのジェローナは、依然そっちにいるんだもんな」
「それより、この子は? どういう子なの?」ジェローナが問う。
「ごめんなさいねん。気難しい子で」
「『終わらない戦国』編における重要キャラクターだ。両親を亡くした麒麟児だよ。ある時突然小田原に現れ、その計略で後北条氏の瓦解を阻止した」
「詳しいですねん、鮎川サン」
「普通だろ」ぶっきらぼうに言った。
「もとが孤児ですからねん。あまり礼儀を知らずに育ってきたんですよん。なかなか覚えてくれなくて、すみませんねん」
「それは、いいけど」
「仲良くしてあげてくださいねん」
「え、ええ」
急にジェローナが面食らっていた。尭史にはそう見えたが、いまそれには触れずにおいた。
「まあ、わかったよ。そのスオウがローナと同じ、異世界転写されたカードってのは。それで? 結局なんの用なんだ、焔村」
尭史は珍しく脚を組む。
「接触しないまま、そのスオウの存在をオレたちが気付かないようにしていた方が、決勝で当たった場合に有利だったろうにさ」
「ええ、そうですねん。もちろん、こちらの手の内を開かしてでも話しておきたいことがありました」
スオウをひとつ撫でると、机の上から尭史へ身を乗り出した。
「鮎川サン。900万円、欲しくないですのん?」
尭史はできるだけ、平静を装った。
「なんだ。そりゃ、欲しいけど」
「もし僕と決勝でマッチしたら。ID、しませんのん?」
尭史の手はいま、準決勝の最中ほどに震えていた。
「僕はね、お金なんてそんなに要らないんですよん。それより、優勝と準優勝の証であるプロモーションカードが欲しい。だから――」
「建前だろ、それ」
尭史の声は、虚勢を張ったのが見え透いていた。
「ほん」
ふざけたような焔村の一言さえ、耳に残るような有様だった。
「SNoWに対して不満があるとか言うんじゃないか? それを発信するための、立場が欲しいんだろう」
「鮎川サン、あなたは何を」
それでも尭史は、言わざるを得なかった。
「『サリストム』のKNDは、お前だな?」
しばらく、部屋は静かになった。
束の間の穏やかさの中で、焔村はひとつゆっくりと、まばたきをした。
「そんな名前を使ったことも、ありましたねん」
焔村が次に口を開いたとき、尭史は背筋が寒くなった。
そう言ったとき、彼はまた元のヘラヘラ顔をしていたからであった。
「でも、だからなんですのん? 鮎川サンはあのゲームのプレイヤー?」
「いや、違う、けど」
「なら尚更だ。それに問題は、そこじゃないはずですよん」
細い目とにやにや顔が、いっそう歪んだような気がした。
「いいですか。僕は900万が欲しくないかと訊いたんだ」
「なに?」
「妹さん。ずいぶん長いこと、入院してるみたいですねえ」
「てめえぇッ!!」
虚を突かれた青年の衝動は、怒りに転じた。
気が付くと尭史は立ち上がっていた。
骨ばった拳は、血のにじむほど握られていた。
「あら、僕が知ってるのはそれだけですよん」
ジェローナもまた、焔村を睨みつけるなか。
対する焔村は、まだニヤニヤした態度を崩してはいなかった。
「どうかされたんですか? 妹さん。それはお金さえあればなんとかなることですかねん?」
「――ッ!」
尭史は焔村の胸倉を掴んだ。焔村の重さを感じないほど、腸が煮えくり返っていた。
だが、そこから――なんの言葉も紡げなかった。
「なんですのん。おろしてください」
ゆっくり手をかける。焔村は胸元を払った。
「まあ別に、いま返事をしろなんて言いません。鮎川さんの決勝行きが決まったら、でいいですのん」
「自分は負けないと言いたいの?」ジェローナが口を挟む。
「負けませんよん。昨年優勝者が相手だろうが、ここまで勝ててしまえば僕は止まらない。正直なところ、まともに戦って鮎川サンに負ける気もしてなませんよん」
尭史の小さな舌打ちも気にせず、焔村は続ける。
「かといって、積極的に勝負したいわけでもないですしねん。転写FFの能力には共通して、回数制限がありますし」
「もったいないから戦わずにおきましょうって? 大した経済観念ね」
ジェローナに笑いかけて、焔村はそこを立ち上がった。
「ああ、そうだ。あんまり印象悪くしてもなんですねん」
振り向こうとしたところで、焔村は動きを止める。
「一つ教えてあげましょ。次の鮎川サンの相手、逆嶋サンも、また別の持ち主ですよん。鮎川サンね、彼にストレート負けしたっておかしくない」
けど、と大げさに手を広げる。
「もし勝てたら、また返事を訊きに来ますよん。じゃ行きましょうか、スオウ?」
テーブルの上のハードローダーを指の間に挟むと、焔村はステップを踏んでいった。
尭史はまだ、どこか呆然としていた。




