6 戦士の誓言
月曜日に始まった中村との調整は、四日間続いた。
昼休みから閉門まで、通算三十時間足らず。
腱鞘炎を起こそうかというほど、二人はバトルを続けた。
「それを千円のラーメン一杯で引き受けてくれるんだから、中村はいいヤツだよ」
そして、金曜日。
共に履修している三限の授業中、尭史はそう話した。
「なに。おれとしても、身内が日本一になったら誇らしいしな。いいってことよ」
「おまえがいなかったら、このデッキは完成しなかったろうな。感謝してると言わせてもらうよ」
「おうよ。結果で応えてくれ」
「プレッシャーかけてくれるじゃねえの」
予鈴が鳴り、二人は別れた。中村はサークル棟へ、堯史は校門へ。
それを見計らって、ジェローナが口を開いた。
「あら。今日はバトルしないの?」
(デッキはもう完成したからな。今日は気合を入れに行く)
「気合? どこでどうやって?」
「えーっと」
尭史の目線が右上に行く。
(エロいトコ。可愛い女の子とか、そそる服装のおねいさんとかがいるんだ)
「せ、セクハラ!」
(興味あるか?)
「ないわよ!」
(んじゃ、ローナにはしばらくバックパックの底にいてもらおう)
無論、尭史は嘘を吐いている。
彼の行き先は、伊奈のいる病院である。
悲しいことに通い慣れてしまった経路を、神妙な面持ちで往った。
「あ、お兄ちゃん!」
病室に入ると、伊奈が笑顔で迎え入れた。
堯史は手を挙げて答える一方、内心こんなことを思っていた。
(やはりと言うか、弱ってる。かつての弾ける笑顔の方が、伊奈には似合うのに)
見えないように、拳を強く握った。
「見て、さっき描いたんだ」
傍らに置いたスケッチブックを、開いてみせる。
「葉桜か。綺麗なもんだな」
「でしょー」
「ああ。本物よりずっといい」
伊奈の画力は、かなりのものだった。
小学生の頃から、頻繁にコンクールに入賞している。兄としても、鼻が高かった。
「染井吉野ってさ、満開より緑がいっぱいの方が綺麗だと思うんだ」
「あの種類はちょっと、派手すぎるよな。一目で春らしさは感じられるけど、ずっと見てると花らしさがなくなるっつーか」
「さすがお兄ちゃん! 話がわかるー」
心底嬉しそうに、身体を揺らす。
「で、今日はどうしたの? いつも金曜日には来ないのに」
「今週末は来れそうにないからさ。その前に、顔見に来たんだ」
「なにかあるの?」
「S.N.o.W.の全国大会。今年は横浜だ」
「そっか、そんな時期かぁ。二年前、『滝登りの鮎川』って呼ばれ出したやつだよね」
「その名前は忘れてくれよ」
「そんな毛嫌いすること、ないと思うけどなあ」
「いやいや、センスなさすぎだろ……」
「でも、そっか。今年は出場権、取れたんだね!」
まるで自分のことのように、伊奈は喜んだ。
「そうなんだよ。千葉県内のレーディング一位だ。推薦入試の後はヒマだったのが幸いだった」
「良かったよ。応援、行きたいなあ」
「ようつべで中継するからさ。それで見てくれよ」
頷いた伊奈の目は、やがて天井に向いた。
「ねえ、お兄ちゃん。楽しんできてね。それから」
穏やかな呼び声につられて、尭史は何気なく返事をした。
「来年も、再来年も、出場してね。ずっと、楽しんで」
だから伊奈がそう言ったとき、二の句が継げなかった。
そう言った妹の表情が、どこか達観していたからでもあるし。
一年後、伊奈が生きている保証もないからでもある。
「ああ、もちろんだ」
数秒の沈黙ののち、ようやくそう口にできた。
「伊奈が直接応援に来れる時まで、オレは頑張るよ」
その後も二人は、他愛もない話をした。少なくとも尭史は、そう振る舞った。
やがて斜陽が病室に差し込んだとき、ようやく席を立った。
「じゃあな、伊奈。次は多分、月曜に会おう」
扉を閉めた途端、青年の拳は震えだした。
ぎりぎりと奥歯を噛み、俯いて廊下を歩く。
病院を出ても、おさまらない。胸も痛むような気がした。
駅までの短い道の途中、ふと立ち尽くす。
他の見舞い客がいてもおかしくないのに、不思議と辺りに人影はなかった。
ちょうどベンチが目に入り、何気なく腰かけた。
「尭史」
「……」
「尭史!」
(ん、ああ。ローナ。今出す)
カバンをまさぐり、パスケースを手に取る。そこから、ハードローダーに包まれたジェローナを外に出す。
ジェローナがすぐに口を開いた。
「ゴメン。全部、聞こえてた」
心底申し訳なさそうに、告げる。
「妹さんだよね。身体、良くないんだ」
(ああ。そうだよ)
尭史には、もう驚けるほどの気力はなかった。
「もしかしてだけど、尭史が優勝したいのって」
(多分想像通りだよ。ローナは勘がいいから)
音を立てて、息を吸う。けれどジェローナには、あまり深い呼吸とは思えなかった。
(余命宣告されてるんだ。元々病弱なのに、心臓がどうとかってさ。治療するのに。大金が要る)
「……そっか」
(ていうか、オレの方こそ悪かった)
「え、何が?」
(このこと、ローナに黙っててさ。いつか言おうとは思ってたんだけど)
「そんなの気にしてないわよ。出会ったばかりの、それもカードに気安く話せることじゃないでしょ」
(助かるよ)
二人の会話はそこで途切れた。尭史はなおも、ベンチに座り続けた。
まだ青かった空が、次第に色を塗り替えていく。赤く、あるいは黒く。
星が見えるかと天を仰いだが、あるのは月と雲だけだった。
「オレは必ず、日本一になる」
誰にともなく、尭史は呟いた。拳はまだ震えていた。
ジェローナは迷った。
その言葉は自分に向けられたものではない。テレパシーではないから。
けれど、だからといって聞き流して良いのだろうか。
崩れそうな仲間を放っておいて良いのだろうか。
(ううん。弱ってる人は助けないと。聖染騎士の名が廃る!)
ゆえに女騎士は、叫んだ。
「任せなさい、尭史。『流星映す剣聖、ジェローナ・メイル』とは私のことよ!」
誇り高く、胸を張って。精一杯声を張り上げた。
「あなたを必ず優勝させるわ」
透明なプラスチックを、自分の目線に合わせた。
震えが止まっていることに、そのとき気が付いた。
真っ赤な夕陽を背に向けながら、剣聖は仁王立っている。
頼もしい小人の顔は、うっすらと滲んでいた。
「まだルールも覚えてないヤツが、なに言ってんだよ」
こんなとき。普段の自分はなんと言うだろうか。尭史は後日、それを考える。
見栄張りやがってと茶化すだろうかと。
言われなくてもと強がるだろうかと。
馬鹿を言うなと笑うだろうかと。
ただ、この時は。他の言葉など、まるで浮かばなかった。
「でも、ありがとう」




