エピローグ「溶け合う温度と始まりの鐘」
辺境の短い春が終わりを告げ、鮮やかな緑が領地を覆い尽くす頃。
公爵邸の広大な庭園に、領民たちを招いての盛大な結婚式が執り行われていた。
王都の貴族たちは一人も呼ばれず、ただ辺境の冷たい風に耐え抜いてきた者たちだけが、新しい女主人の誕生を祝っている。
純白のウェディングドレスに身を包んだレティシアは、控室の鏡の前で深く息を吐いた。
「本当に、夢ではないのね……」
乙女ゲームの悪役令嬢として転生し、破滅の運命を回避するために奔走した日々。
そのすべてが、今日この日のためだったのだと思えるほど、今の彼女の心は深い幸福感に満たされていた。
扉が開き、正装に身を包んだユリアンが入ってきた。
普段の漆黒の衣服とは違う、白を基調とした軍服のような意匠の礼服が、彼の長身と銀色の髪にひどく似合っている。
「レティシア」
彼が歩み寄ってくるだけで、室内の空気がピンと張り詰めるような気がした。
だが、それは彼から放たれる冷気ではなく、抑えきれない熱情のせいだと、今のレティシアにはわかっていた。
「ユリアン様、とても……素敵ですわ」
レティシアが頬を染めて言うと、ユリアンは彼女の前に膝をつき、その手を取った。
「その言葉は、私が言うべきだ。お前は、信じられないほど美しい」
彼の青い瞳が、レティシアのドレス姿を焼き付けるように見つめている。
その視線の熱さに、レティシアの鼓動が早くなった。
「行こう。皆が、私たちの誓いを待っている」
ユリアンが立ち上がり、レティシアをエスコートする。
二人が庭園に姿を現した瞬間、領民たちから割れんばかりの歓声が上がった。
かつては恐れられていた氷の公爵が、これほどまでに穏やかな表情を見せていることに、誰もが驚き、そして心から祝福していた。
祭壇の前に立ち、誓いの言葉を交わす。
神父の厳かな声が響く中、ユリアンはレティシアの手を強く握りしめていた。
「……病める時も、健やかなる時も、互いを愛し、敬い、生涯を共にすることを誓いますか」
「誓います」
二人の声が重なる。
ユリアンがヴェールを上げ、レティシアの顔を覗き込んだ。
彼の瞳の奥にあるのは、もはや狂気めいた執着だけではない。
レティシアという光を手に入れたことで、彼自身が真の意味で人間としての感情を取り戻した、穏やかで深い愛情。
「お前は、私の運命だ」
ユリアンが囁き、レティシアの唇に誓いの口付けを落とす。
その瞬間、庭園を囲むように配置されていた氷の彫刻たちが、太陽の光を受けて一斉に輝き始めた。
ユリアンの魔力が制御され、周囲に祝福の光の反射を作り出しているのだ。
歓声と拍手が最高潮に達する中、レティシアはユリアンの胸に顔を埋めた。
(ええ、あなたも私の運命ですわ。私が選び取った、最高の結末)
王都での陰謀も、かつてのヒロインの光も、もうここには届かない。
あるのは、彼と彼女だけの、冷たくて熱い、完璧な世界。
遠くで、新しい時代の始まりを告げる鐘の音が、辺境の澄んだ空に響き渡っていた。




