二十 敗走
ドレイクの右腕である二番艦船長ラカムは、前線で渋滞している海賊たちの後ろから大声で怒鳴った。
「てめえら、引けぇーーーっ!
いつまで蛙みたいに地面にへばりついている気だ?
北側の柵のないところから村になだれ込め!」
海賊たちは柵を背後に控えた用水路の手間に密集していた。
最初の勢いで用水路を飛び越し、柵に取りついた者たちは、すべて防衛側の槍に突き殺されるか、弓隊の狙撃を受けて斃れた。
柵を防衛する傭兵は六、七十人ほどに過ぎず、二百人を超す海賊たちの三分の一にも満たなかったが、用水路と柵の存在、そして五十名もの弓兵による援護はその数的有利を覆していた。
だったら槍隊の手薄な左右にばらけて突破すればよさそうなものだが、それを試みた海賊は全身に矢の集中射を浴びて、栗のイガのようになって地べたに転がった。
傭兵の弓兵たちは、仲間の槍隊が集中している中央に対しては限定された攻撃しかできなかった。
いくら彼らが弓の名手でも、同士討ちの可能性が捨てきれないからだ。
そこを脱して左右に移動しようした海賊は、弓隊の格好の的となるのだ。
そのため海賊たちは敵の正面に密着して姿勢を低くする以外、命を守る手段がなかった。
事前の説明では、そうしていれば味方の投石機が弓隊を潰してくれることになっていたはずだ。
だが、いつまで待っても岩石は飛んでこない。後ろを振り返れば、五十メートルほど離れたところに確かに投石機が見える。
不思議なのは、それを操作する者の姿は見当たらないことだった。
傭兵と海賊が衝突してまだ五分も経っていないのに、すでに海賊たちは三十名近い死傷者を出していた。
圧倒的だった兵力差も、このままでは怪しくなる。
曲面をどうにかして打開したい海賊たちにとって、ラカムの号令は決断を強いるきっかけとなったのだ。
成す術のなかった彼らは「応!」と叫び、再び戦意を取り戻した。
海賊たちは集団のまま一斉に左手(北側)に向かって駈け出す。
多少の犠牲は覚悟の上、殺られる奴は運が悪い。
わずか四十メートルほど先で柵は途切れる。そこにたどり着けさえすれば、海賊たちは勝利を手にするはずだ。
呆れるほど単純な話である。彼らだってそれは分かっていた。
だが、駆けだした途端に射殺されるのが目に見えているため、誰も行動を起こす勇気がなかっただけである。
それは状況を判断して命令を下し、率先して行動する部隊指揮官がいないせいで、ある意味仕方のないことだった。海賊は軍隊ではないのだ。
喚声を上げて走り出した部下たちを追いながら、命令を下したラカムの表情は苦悶に満ちていた。
彼は部下たちと違って状況をよく把握していた。
側面をがら空きにした海賊たちは次々と矢に射られて脱落者を出しながらも、被害に構わず柵の切れ目を目指していた。
それは最初から覚悟していたことだ。問題はない。
だが、ここまで用意周到に対抗策を打ち出してきた敵が、海賊たちの動きを予想しないはずはない。
柵の切れ目に傭兵の姿が見当たらないのがその証拠だ。あからさまな罠としか思えないではないか。
必ず次の手――恐らく伏兵が用意されているはずだった。
ただ、それに対しては希望がないわけではない。
四番艦船長のロバーツが、ドレイクの命令でケルトニア海軍の騎兵隊に突入要請を出したのだ。
それが間に合えば、伏兵が現れても状況は逆転できる。
なにしろ騎兵隊は海賊と違ってならず者の集団ではない。
訓練を積んだ正規の軍隊――しかもケルトニア海軍の陸戦隊と言えば、泣く子も黙る勇猛な部隊として恐れられていたのだ。
「早く来い! 間に合ってくれ!」
馬を駆るラカムは、身を伏せて矢を避けながら見えない敵を探していた。
――希望的観測は往々にして裏切られ、悪い予感は現実となる。
ラカムはこの真理を嫌というほど味わうことになった。
あと二十メートルほどで柵が途切れるというところで、民家の陰からいきなり敵の騎馬隊が飛び出してきたのだ。
率いるのは浅黒い肌をしたスキンヘッドの大男、ゴードンである。
その数は三十数騎。まだ百五十人以上の勢力を維持して殺到する海賊たちに比べれば、問題にならない数だった。
しかし、騎馬突撃の猛威は歩兵に過ぎない海賊を圧倒した。
傭兵の愛馬たちは、野盗との戦闘を幾度もかいくぐってきた立派な軍馬であった。
普通の馬ならば人間に衝突したり、踏みつけることを本能的に避けようとするのだが、軍馬は一切躊躇しない。
一トンに近い巨体で海賊たちの集団に突入し、敵を弾き飛ばし、倒れた海賊の身体を蹄で踏みつけ、骨を折り、内臓を飛び出させ、頭蓋を砕いて脳漿を撒き散らした。
馬上の傭兵たちは長柄の槍で海賊を刺し貫き、叩きのめす。
錐のように海賊の先頭集団に突っ込んで粉砕すると、騎馬隊は速度を緩めぬまま一気に離脱する。
そして弧を描いて態勢を整えると、再び敵の先頭へと突入を繰り返すのだ。
ラカムは自軍の大集団が、わずか三十数騎の騎馬隊に翻弄されるのを歯噛みして見ているしかなかった。
「くそっ! こっちの騎馬隊は何をしているんだ!
なぜ援軍が来ない?
なぜだーーーっ!」
ラカムの悲痛な叫びはそこで突然に途切れた。
その額に傭兵の弓隊が放った矢がまともに突き刺さり、鏃は勢いあまって後頭部から突き抜けたのだ。
馬上で即死したラカムは、ぼとりと地面に落下した。
そこへ第二次突撃を敢行したゴードンの騎馬隊が突っ込んできた。
悲鳴を上げて逃げ惑う海賊たちを蹴散らし、突き殺しながら荒れ狂う騎馬の群れは、突風のように駆け抜けると第三次攻撃に移るべく、離脱して再び弧を描く。
皮肉なのは、主人を失ったラカムの乗馬がその群れに追随したことだった。
騎馬隊が海賊たちから離れると、村からは矢がびゅんびゅんと飛んでくる。
盾を持たぬ海賊たちは、ただばたばたと斃れていくばかりだった。
騎馬隊の槍にかかった海賊は十数名に過ぎなかったが、馬によって踏み殺された者はその倍に及んだ。
その中にはラカムの死体も混じっていたが、頭蓋をスイカのように割られており、戦闘後に誰とも分からぬ死体として処理されることになった。
この惨状を見せつけられたドレイクは、ラカム同様「なぜだ!」と絶叫して荒れ狂った。
間の悪いことに、そこへロバーツがむなしく戻ってきた。
「騎馬隊がいません、もぬけの殻です!」
ドレイクはロバーツの胸倉を掴んで引き寄せた。
そして鼻が触れるほどに顔を近づけ、目を血走らせて低い声で唸る。
「ふざけたことをぬかすと殺すぞ!」
ドレイクはそのままロバーツを馬上から地面に叩き落とした。
「もういい!
作戦は失敗だ。引き上げるぞ!」
彼はそう言い捨てると、殺戮の的となっている部下たちに馬の頭を向けた。
三百人近くいた手下たちは総崩れとなり、すでに百人余りにまで減っていた。
このまま手をこまねいていたら、全滅することは目に見えている。
「奴らは何の魔法を使ったんだ?
弓隊も投石機も、海軍の騎馬隊だってそうだ! 作戦も配置も何もかも最初から知っていたっていうのか?
どこにも傭兵の姿がないのに、なぜ軍人までもが逃げ出したんだ?」
彼の怒号に答える幹部はもう誰もいない。
それでもドレイクは叫び続けた。
「俺は何を間違えた?
何を見落としたんだ?
傭兵どもの指揮を誰が執っているんだ?
くそっ! 覚えていろ、必ずこの落とし前はつけてやる!」
ドレイクは恥も外聞もなく喚きたてると、馬の腹を蹴った。
駈け出したドレイクを、残った部下たちが慌てて追いかけようとする。
その数はわずか五人に過ぎない。
だが、彼らの足は突然止まった。
開戦前に潜んでいた林のあたりから、巨大な獣の群れが飛び出し、猛然とドレイク目がけて向かってきたからだ。
ドレイクの乗馬は迫ってくる脅威に敏感に反応した。
悲鳴のような嘶きを上げ、前脚を高く上げて棒立ちになったのだ。
突然のことにドレイクは馬から振り落とされてしまった。
彼は海賊であり、騎兵ではないのだから仕方がない。
部下たちが慌てて駆け寄り、落馬した彼らの頭目を助け起こした。
しかし、その時にはもう恐ろしい獣の群れが眼前に迫っていたのだ。
ドレイクの乗馬は一目散に逃げだした後だった。
その馬よりも巨大な獣――牙を剥き出しにした巨大なオオカミが襲いかかってくる。
剣を抜いた海賊たちの腕は、あっという間に獰猛な獣の顎で噛み砕かれた。
人間などものともしない圧倒的な力の差を見せつけ、長大な牙が獲物を殺すという明確な意思をもって眼前に迫ってくる。
その凶悪な顔面は返り血でどす黒く染まり、毛がごわごわに固まっている。
ドレイクは弓隊や逃げ出した操作兵のたどった運命を理解した。
巨大な顎がやけにのろのろと迫ってくるように思えた。
自分の身体も、まるでナメクジのようにしか動かない。
その代わりドレイクの脳裏には、若手の海賊として海に乗り出した日々が目まぐるしく浮かび上がってきた。
――あの頃の俺は若かった。
手当たり次第に船を襲い、すべてを奪い尽くした。
身につけているものは下着までも剥ぎ取り、男もガキも年寄りも、容赦なく殺しまくった。
若い女だけは、飽きるまで犯し続けた後で殺した。
いつかは海軍に捕らえられ、海軍基地の絞首台に吊るされるのだと覚悟していたから、奪うこと、殺すこと、犯すことに微塵も躊躇しなかった。
それがどうだ。
ケルトニアは海賊に私掠免許を与えると言い出したのだ。
俺は海軍に怯えて逃げ回り、自暴自棄になった生活から解放されたのだ。
死の恐怖と重圧から逃れた俺は、人一倍慎重で用心深くなった。
誰も信用せず、計略を巡らし、何重もの罠を張ることで、一廉の海賊としてその勇名を西海にとどろかせた。
揚句の果てに数百人の部下を抱え、船団を形成するまでになったのだ。
だが、それだけの部下を食わせるためには、どんなに敵国の船を襲い、村を焼き討ちしても追いつかない。
この作戦が成功すれば、ようやく一息つけるはずだったのだ。
「――それなのに! くそ化け物がっ!
何もかもこいつらのせいなのか?
なぜ俺の計画を獣が邪魔をする?
貴様らは何者なんだ!」
ドレイクの怒号はオオカミたちの唸り声と、部下たちの断末魔の悲鳴によってかき消された。
三十年以上にわたり、西海を我が物顔で荒らしまわった大海賊ドレイクは、山麓の寒村で予想もしなかった最期を迎えたのだ。
* *
壊滅状態に陥った海賊たちは、誰かに命令されるまでもなく敗走を始めた。
後方で指揮を執っていたはずのドレイクがどうなったか、気にした者は一人もいなかった。
ユニたちが荷馬車いっぱいに仕入れた矢も、二十分近く射続けた結果さすがに尽きた。
五度にわたって突撃を繰り返したゴードンの騎馬隊も、馬が泡を吹いて倒れる寸前だった。
柵の内側で数倍の敵とわたりあったアシーズの槍隊も、腕が上がらぬほどに疲弊していた。
予備隊のない彼らにとって、追撃は不可能だったのだ。
海賊たちは百五十人以上の死傷者を残して敗走した。
戦場に残された海賊の半数近くはまだ生きていたが、傭兵たちは海賊を捕虜にする気も、取り調べをする気もなかった。
呻き声を上げている負傷者を、傭兵たちは無表情のまま槍を突き立てて絶命させた。
彼らは警察でも軍隊でもない。それはごく当然のことだった。
傭兵たちの被害は重傷者三名、中軽傷者十八名であったが、死者は出なかった。
戦いを前にアシーズが宣言したとおりである。
倍以上の敵と戦った結果としては、信じがたい大勝利だった。
ただ、戦い慣れた傭兵たちは、それが奇跡でも何でもないことをよく理解していた。
アシーズとユニという二人の召喚士が、幻獣を使って敵の情報と位置をすべて把握し丸裸にしていたのだ。
その上で周到な罠を仕掛け、三人の指揮官の指示のもとで組織だって防衛したのである。
これで勝てなかったら、傭兵稼業など辞めた方がいい。
そのためだろうか、傭兵たちの間からは完勝したいうのに歓呼の声一つ上がらなかった。
彼らは凄まじい緊張から解放され、蓄積した疲労に耐えかねてその場に倒れ込み、ただ泥のように眠りこけるだけだった。
しかし戦いの後始末は山ほど残っていた。
ユニは怪我人の手当に忙殺された。
アシーズたちは逃げた海賊が付近に隠れていないか捜索しなければならなかったが、疲労困憊した者たちで捜索隊を組織することは不可能だった。
やむなくその役目はユニのオオカミたちに依頼するしかなかった。
避難していた村人と商人は呼び戻したが、彼らは中断していた本来の仕事、すなわち武器防具の引き渡しと代金の決済に当たらなければならなかった。
そのため、海賊の死体処理については、埋葬場所を話し合っただけで、実際の作業は翌日に持ち越すこととなった。
そうした雑事が一段落するころには、もう日が暮れていた。
ユニやアシーズたちはへとへとになっていた。
村の役屋で用意された食事(といっても残り物のミートパイだったが)をもそもそと口に運んでいると、上機嫌で村長がやってきた。
「やあやあ、ご苦労さんだったね。
お疲れのところを済まないが、グリンさんがあんたたちを呼んでいるんだ。
何の用かは知らないが、とにかく顔を出してくれないか?
門番には話を通しておいたから、中へ入れてくれるはずだ」
ユニとアシーズ、ゴードンは顔を見合わせた。
「一体何かしら?」
「娘を救ったこと――いや、依頼を完璧に達成したんだ。その礼じゃないか?」
ゴードンが期待を込めて予想する。
彼はアスカに求婚するために、できるだけ稼がなければならないのだ。
「まぁ、行ってみればわかるさ」
アシーズが残ったパイを口に押し込みながら立ち上がった。
しかし彼女たちがドワーフの宿所を訪ねてみると、扉を開けたグリンは予想外の言葉で出迎えたのであった。
「おぬしらにもう一仕事頼みたい。
これからベルケ村に向かってくれないか?」




