二十一 後始末
「ベルケ村へ?
どういうことでしょうか」
驚いたユニが訊ねると、グリンは開いた扉の先に目を遣った。
「立ち話もなんだ。まぁ、中へ入れ」
ユニたちが宿所の中に入ると、イーリンとエーリンの姉妹が待っていて、ユニとアシーズの腕を掴んで引っ張った。
「こっちこっち!」
「今母ちゃんがお茶淹れてるから座って!」
二人は娘たちに引きずられるように人間用の椅子に座った。
その後からゴードンがにやにやしながら付いてくる。
「何だよ、お前らずいぶん懐かれてるじゃねえか」
「そりゃまぁ、命の恩人じゃからな」
グリンが二人の代わりに答え、ゴードンのために椅子を引いた。
不愛想なドワーフとしては、破格の扱いだった。
彼はテーブルの反対側に回ると、ドワーフ用の低い椅子にどかりと腰を下ろした。
奧の台所からメイリンが出てきて、客人と夫の前にカップを置き、陶器のポットから熱いお茶を注ぐ。
サラーム教国でよく飲まれる、ミルクと砂糖をたっぷり入れて煮だした紅茶だ。
ユニは礼を言って、一口お茶を飲んでから話を切り出した。
「私たちはアッシュ――あなた方の言うエンデ殿からの依頼をすべて果たしたと思っています。
人質となった娘さんは救出しました。
村を襲ってきた海賊は撃退し、商人のお金もドワーフの武器・防具も守りました。
ドワーフが人間と直接争うという事態も回避しています。
この上、何が必要でベルケ村へ行くのでしょう?」
グリンは長い顎髭を手で捻りながら、彼女の話にうなずいた。
「おぬしの言うことはもっともだ。
我らがエンデ殿を介して依頼した件については、文句の付けようがない。
おぬしたち人間の働きは見事なものだった。
正直、ここまでやれるとは思っていなかった――と白状しよう」
「それは……こちら側にもかなりの犠牲が出ると予想していた。そういうことですね」
「そうだ。だが人間が何人死のうが、わしらとしては痛くも痒くもない。
依頼が果たされさえすれば、それでよいのだからな。
……気を悪くしたかな?」
ユニはかぶりを振った。
「いえ、商人たちは彼らの財産を守るために、傭兵たちに金を払っているのです。
傭兵はその報酬と引き換えに、命の危険を自ら選択した者たちです。
非難するのは筋違いというものでしょう」
ドワーフは笑った。
「口ではそう言うがな、おぬしの顔は『気に入らないわね』と言っておるぞ。正直な奴だな。
そう怒るな。傭兵たちには約束どおり十分な礼をするつもりだ。
わしがベルケへ行ってほしいと言ったのは、新たな依頼だと思ってくれ」
「詳しく話してくれますか?」
ユニが居住まいを正して訊ねる。
「これはわし個人……いや、違うな。わしとメイリン――娘たちの親としての依頼だ。
確かに我らドワーフの一族は、人間との争いを避けるためにおぬしら人間を利用した。
そのために大金も出したし、あんたがさっき言ったように、それは互いに納得づくの話だ」
グリンはユニの反応を窺うように、しばらく彼女の顔を見つめた。
「だが、おぬしが先ほど気分を害したように、感情は理屈で抑え込めるものではない。
それはわしら夫婦も同じことなのだ」
そう言うと、彼の表情が一変した。
顔が紅潮し、歯を食いしばり、喉元から獣のような唸り声が洩れる。
涙が滲んだ目は赤く血走り、激しい怒りの炎が燃えているようだった。
「わが妻メイリンは重傷を負わされ、娘たちは連れ去られた。
おぬしらによって救出されるまでの三か月、子どもたちを人質に取られたわしら夫婦が、一体どんな思いでいたか――分かるか!
どれほど眠れぬ夜を過ごしたか――分かるか!
娘たちを案じて、メイリンがどれほどの涙を流したか――分かるか!!
父親であるわしが、自ら妻の敵を取り、娘を救うことを禁じられた口惜しさ、不甲斐なさが想像できるか!」
血を吐くような叫びとともに、グリンはテーブルに激しく額を打ちつけた。
二度、三度、四度……泣きながらメイリンが夫を止めるまで、その激情は溢れ続けた。
どうにか落ち着いて顔を上げたグリンの額は割れ、一筋の血がしたたっていた。
「一族の掟は絶対だ。従わねばならん。
だが、このまま何もできなかったのでは、どの面を下げて娘たちの親だと誇れよう?
なんとしてでも、わしらは海賊どもに一泡吹かせたかった。
わしはこの三か月の間、必死で考え抜き、ある武器の図面を引いた。
幸い、わしの工房の職人どもも協力してくれた。
それがぎりぎり間に合ったのだ」
ユニはあることに思い当たった。
「あ! ドワーフたちの荷車に積んであった、あの黒い金属の筒ですか?」
グリンはうなずいた。
「そうだ。わしの徒弟たちがベルケ村に向かって運んでいるところだ。
恐らく明日の夜明けころには海辺につくはずだ。
それを使って海賊の家とも呼べる船を沈めてほしい!
ドワーフが直接手を下すことはさすがにできん。だから、それをあんたたちに頼みたいんだ。
大した報酬は出せんが、できる限りのことをしよう。
引き受けてはくれぬか?」
ユニはちらりとアシーズの方を見た。
分かっていたことだったが、彼は黙って首を横に振った。
彼女は大きな溜め息をつくと、ドワーフの方に向き直った。
「グリンさん、お気持ちはよく分かりますが、アシーズもゴードンも指揮官です。今この村を離れるわけにはいきません。
海賊たちはケルトニア軍の騎馬隊を引き入れていました。
どうにか追い返しましたが、いつ軍の調査が入るか分からない状況です。
できるだけ早く海賊たちの遺体を埋葬し、戦いの痕跡を消す必要があります。
……まぁ、私一人だったら行けないこともありませんが」
「それでいい」
グリンがうなずいた。
「はい?」
「いや、だからおぬし一人でも構わんと言っておる」
ユニは慌てた。
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください。
ドレイクの海賊船は、四隻とも八十人は乗り組んでいる大型帆船ですよ?
それを沈めるのを、私一人でやれって言うんですか?」
「何、お膳立てはわしの徒弟たちがやってくれるさ。
おぬしは狙いをつけるだけでいい。
一人で十分じゃ」
「ええーーーーっ!」
彼女が情けない顔でアシーズを見ると、彼は笑いを噛み殺してわざとらしく目を逸らした。
振り返ってゴードンを見ると、こっちはにやにや笑いを隠さないでいる。
「一人なら行けると言ったのはお前なんだ。
自分の言葉には責任を持てよ」
かくして、ユニは一人でベルケ村を目指す羽目になったのである。
* *
ユニはその日、夜遅くに村を出発した。
ユニとライガの組み合わせなら海辺までは八十キロ余、四時間もあれば到達できる。
怪我人の手当てでへとへとになっていたこともあり、途中数時間の休憩をして仮眠を取ったが、それでも夜明け前にはベルケ村に着いていた。
入り江を見渡せる丘の上でユニは再び休憩を取り、グリンから教えられたドワーフの抜け道をライガが見張ることになった。
夜が明けて周囲が明るくなったころ、眠っていたユニは顔に温かいものを感じて目を覚ました。
ライガが彼女の頬を舐めていたのだ。
『ドワーフたちが着いたぞ』
ユニは大きな欠伸をすると、「んしょ!」と声を出して立ち上がった。
ライガに跨って丘を下っていくと、ちょうど荷車を曳いた四人のドワーフたちが姿を現したところだった。
彼らはユニとライガに気づくと、少し驚いたような表情を見せた。
話には聞いていたのかもしれないが、実際に巨大なオオカミを見るのは初めてだったからだ。
「ほお! こりゃまた立派な精霊殿じゃのぉ!」
「わしらの故郷にはこうした精霊が当たり前に棲んでおったらしいが……大したもんじゃ」
ドワーフたちは、ライガが幻獣であることを当然のように受け入れていた。
ユニはオオカミから降りて出迎えると、彼らをねぎらう。
「グリン殿からお話は伺っていますが、あなた方は昨日の昼過ぎに村を出たはず。
人間なら、荷車を曳いてこの時間に着けるはずがありません。
山からテバイ村までも夜通し歩き詰めだったはずです。かなり無理をされたのではありませんか?」
彼らのリーダーらしいドワーフが進み出て、ユニが差し出した手を握った。
「何、わしらドワーフは二、三日眠らずに働き続けることが当たり前じゃ。
この程度は屁でもないわい。
わしは徒弟長のデュリンだ。
あんたはユニさんじゃったな。よろしく頼むぞい」
続いて二人目のドワーフが挨拶を交わす。
「休みなしと言っても、二人ずつ交代で荷車の上で寝ていたんじゃよ。
ドワーフはいつでもどこでも眠れるのが自慢なんじゃ。
わしはギムリンだ。よろしくな」
「ズリンだ」
「わしはホブリン」
「さっそくだが人間のお嬢ちゃん、テバイ村はどうなったかね?
あんたがここにいるってことは、当然勝ったとは思うがの」
デュリンが荷車を再び動かしながら訊ねる。
ユニはそれに笑顔で応えた。
「ええ、完勝と言っていいでしょうね。
海賊たちの六割は討ち取りました。
生き延びたのは百人にも満たないでしょう」
「それは重畳!」
ドワーフたちは歓声を上げ、互いに手を叩きあった。
そして真面目な顔つきになると、ユニを見上げて語りかけた。
「グリンの親方から聞いているだろうが、わしらは皆、はらわたが煮えくり返っておる。
ドワーフの工房は一つの家族みたいなもんじゃ。
その家族が攫われ、酷い目に合わされた。海賊どもに一矢報いたいという思いは、親方に負けぬつもりだ。
自ら手を下せないのは口惜しいが、わしらが心血こめて造りあげた武器で海賊船を沈められるなら、少しは溜飲が下がるというものよ!」
ユニはライガに跨り、ドワーフを先導しながら荷車を振り返った。
がらんとした荷台には、村で見たままの黒い円筒形の鉄棒が四本積まれている。
「あの鉄の筒で船を沈めるんですか?
私にはどうにも想像がつかないんですが……」
「何、やってみれば分かるさ」
* *
彼らはほどなく海辺にたどり着いた。
漁港からはかなり離れた岩場だったが、百メートルほど沖に錨を下して停泊している帆船の姿は、大きく目の前に迫って見える。
ドワーフたちは目を輝かせてその威容を眺めていた。それは純粋に職人としての賞賛に満ちた表情だった。
「こうしてみるとデカいもんじゃのう。
わしらは船なんぞとは無縁じゃが、あれほどのものを造って海を渡るとは人間も馬鹿にできんの。
海賊どもは、もうあれに乗り込んでおるのか?」
ユニは首を振った。
「敗走した海賊たちがたどり着くのは、早くても今日の午後になるでしょう。
彼らはあなた方ドワーフと違って、途中で眠ったはずですから」
「それは残念じゃな。
だがまぁ、海賊どもがここに戻ってきた時、船が沈んどるのを見てどんな阿呆面をさらすかと考えれば、我慢もできよう。
それでは始めるか」
ドワーフたちは荷台にかけていたロープを解き、金属の筒を肩に担ぎ上げた。
長さ二メートル、直径は十五センチほどもある鉄の塊りである。
ユニはてっきりドワーフが二人がかりで一本を運ぶと思っていたから、彼らの怪力が信じられなかった。
「おっ……重くはないのですか?」
ユニが驚いた顔をしているのを見て、ギムリンが愉快そうに笑った。
「こいつの中身は大半が空っぽ、がらんどうなんじゃ。
見た目よりはずっと軽いのよ」
彼らは無造作に鉄の筒を放り投げると、胡坐をかいて膝の上にその先端を乗せた。
そして丸い頭部を鷲掴みにして力をこめる。
継ぎ目も見えなかった先端がぐるりと動き、ドワーフがくるくると回すと筒先がせり上がってくる。
どうやら螺子が切ってあるらしい。
先端を外すと、彼らは腰に下げた袋から外したものとそっくりな部品を取り出した。
それも十センチほどのネジが切ってあり、ドワーフたちは慎重に指先を回転させてはめ込んでいく。
しっかりと固定が完了すると、黒い筒の先端から継ぎ目が消えてしまう。呆れるような加工精度だった。
彼らはそれまでが嘘のような慎重な態度で、鉄の筒をそっと海水に浸した。
驚いたことに、それは沈むことなく海面すれすれのところで浮いている。
胸まで海水に浸かっているドワーフたちはユニを手招きした。
彼女も足が滑らないよう気をつけながら海の中に入っていく。
「まさか……これを持って海賊船まで泳げなんて言わないでしょうね?
私、泳ぎにはあまり自信がないんですけど」
腹のあたりまで海水に浸かったユニは情けない声を出した。
デュリンが笑ってユニの手をぐいと引いた。
「そんなことは言わん。
いいか、これから操作法を教えるから、よく聞いてくれ。
この筒の後ろの方をよく見てみろ」
言われたとおりに筒の最後尾を見ると、短い鉄の板が十字についている。
まるで弩の矢羽根のようだ。その手前には穴が空いているらしくコルクの栓がしてある。
そして最後尾の先端にも穴が空いていた。
「まず、この筒を海賊船に向けて狙いをつける。
いいと思ったらコルクの栓を抜け。
少しすれば勝手に船に向かって動き出す」
デュリンの説明は極めて簡潔だった。
ユニはその続きがあるのだろうと思った。
「それから?」
「当たるように神に祈れ。
以上だ」
「……はい?」
「だからそれで終いだと言っておる!」
「えええええーーーー?」




