終わりははじまり
放課後の図書館の大きなテーブルを、皆が自分の椅子に腰掛けて囲んで、楽しいお茶会。
本と、仲間で埋め尽くされた、誰も互いを否定しない居場所。
私は今日もこの楽しい"読書会"の開始の一言を告げた。
「"恥の多い生涯を送ってきました"」
その一文を知っていながら、仲間たちは可愛くない後輩が私に一言返すのを待っている。
それがわかっているのかそもそも私への可愛い反抗心があるからなのか、可愛くない後輩は直ぐに言葉を返す。
「え?今頃気づいたんですか?」
「え?待って?ソウマくんはわたしがいつ恥をかくようなことをしたっていうの?」
「…………ソウデスネ」
こういったやりとりを何度もした。
この部屋の中で、皆と一緒に。
「微妙な間と片言とか、どう考えても異論があるよね?言っていいよ?いつものソウマくんはどこに行ったの。抑えの効かない刃物の散弾銃みたいな君の心無い一言は」
「言われたいんですか?」
「あったらあったでグサッとくるけど、生暖かい目で流される方が傷付く……」
「一般人的な感覚が貴女にある事に対して僕は驚いてます」
楽しい日常。
自分が自分として存在できる場所。
同じようなやりとりをする、その無駄にも思える時間すらも、そんな時間があるのだという事自体が私という存在には嬉しい事だった。
「うぐっ……。まるで私が一般的では無い珍獣の様に見えていたように聞こえるっ……!はぁ……そうやってさぁ、皆して私を悲しませるんだよね……」
笑い合えたその時間は、
私を存在させてくれていた絆は、
あの子がくれたこの世界は、
『仕方ないじゃない。
貴女は"化物"なんだから』
ある日突然絶たれてしまった。
「君という存在が、存在も曖昧な私の存在を確定して、その上"化物"であり"亡霊"にした。
私の存在をつなぎとめているのが、私から存在を奪った君だという事実は大変遺憾だよ。
確かに"想像できる非現実は、創造できる現実"ではある。"世界は自由で、その人がそう思うなら、そうなる""世界は誰かに都合がいいように回っているから"。
けれど、
"この世界"は、君のための世界じゃない。
現実からただ逃げたいがために、
世界に逃げ込むだけならまだ許せる。
そこまでならまだ許せた。
ただし、"世界"を奪うことは、許されない。
自分の為だけの世界にする事は、許さない。
あの子の創った"世界"を無遠慮に、土足で踏みにじったと同義だ」
一瞬であっても奪い取られたのは私の油断であり怠慢のせいだから、繰り返した時間分の苦しみは、私自身への罰として受け入れよう。
受けいれ、そして……。
今から私たちは、君を喰らおう。
命と、その存在を。
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日没間近、夕陽のある時間帯。
陽が沈むほんの少し前。
誰かがそれを逢魔時と呼んだ。
人ならざるものたちが現世に足を伸ばし始める時間。
なんという皮肉だろうか。
化物が現れる時間には、相応しすぎる。
他人の"人生"を羨むが故に、他者の"人生"を喰らう化け物を、僕らが喰らった後の世界は、あまりにも静かで、いつも通りだった。
命を食らって、存在を喰らって、世界から知らない間に1つの命が姿を消した。
階段を上った先には、もう化物はいない。対峙して、血液が沸き立っているような嫌悪を感じていたというのに、いざ誰もいない屋上の景色を見るのは、少しだけ物足りなく感じてしまった。
気になってしまうのは、捕喰者である僕らしか、彼女を知らないからだろうか。僕らだけが覚えている。僕らだけが、その"存在"を肯定できると知っているからだろうか。
「……終わったんですね」
「同情なんていらないよ。
君は今日のご飯を愛しすぎる傾向があるねソウマくん」
同情。食材。確かに僕らは、人と同じ姿形をしているのに、喰べるものが違う。人の何かを喰べる。他の動物ではなく、人間から奪う。
だからこそ、僕は喰らうことを好めない。
自分が化け物だと、嫌が応にも、分からせられるから。今回だって、憎んで嫌って、復讐のような感情故にその命を食んだに過ぎなかった。人の形をした、化物。けれど結局それは、
「……相手は、人ですよ」
「でも人は私達の食料だよ」
「本当に、そう思っていないくせに」
「……私たちは人間でバケモノ。
人間を喰らいたくないと言いながら、人間を喰らっていきる化け物。
満たされなければ、壊れるだけの凶悪で弱い"人間"……強慾な人間。
……人を殺してるわけじゃない。構成している成分の1つを喰らっているだけ。
人から命以外の何かを奪っているだけ。
ただそれだけ。やり過ぎて命まで取ってしまう子だっているけれど、私たちは、喰事しているだけ」
「…僕と、貴女は違うでしょう」
「……同情なんて、本当にする必要はないんだよ。
彼女は、夢からさめたのだから」
この現実を、夢から覚めたというのだろうか。
自身がミカドでいたという一時の欲を満たした、微かな愉悦の時から、結局どれだけ憧れても誰にもなれはしないのだと、気付かされた事が?
……夢から覚めた、というならそうなのだろう。だがそれが彼女にとって幸せだったとは思えない。彼女は執着していた。"他者である事"を渇望していた。その結果僕は言いようのない憎しみを今も抱いているけれど。
側から見れば憐れな、欲深い化け物の願い。
それをぶち壊した僕らは、間違った事はしていないと思うし、そもそも間違いだったとは思わない。僕は化け物の身勝手に、同じ化け物として憤った。その怒りに嘘はない。
だからこそ、何も思わず僕は僕がこの世で最も醜いと思う行為を、彼女を喰らうという行為を行った。
その後、何食わぬ顔でミカドさんが彼女の存在を喰らったから、彼女は身体も存在もこの世にいたという証拠も、全て消えた。
「それでも、僕らがやった事は、消えない。
僕ら自身がそれを知ってる」
「…そうだね。私たちが知っている事が私たちのやった事の証明。私たちが此処に生きている事が彼女がここで生きていた事の証明。
君が彼女の命の味を忘れない限り、私は忘れる事はない」
「…奪わなければ生きていけない。その事に、嫌気がさして、狂う事すらあるのに、僕らは、なぜ、生きてるんですか」
「さあね。ただ、生きたいという事に理由はないし、生きたいと思うから生きている。
それだけが理由でそれ以外に何も無い。
…生きたいと、君はあの時足掻いたから、君も私も生きてるんだよ」
「…僕が、生きたいと望んだ?」
「死にたくないと思ったなら、同じ事だろう」
僕が、死にたくないと足掻いた。そんな記憶は
「"存在しない"、と君は言うだろうね。
そしてそれは、間違ってはいない。
でも、……本当にそうかな?」
覚えていなければ、存在しないというなら、なら、存在しない筈のミカドさんを、何故僕は見つけたのだろうか。何故、ミカドさんの元へ、あの図書館へと足を運んだのだろうか。それはうわさがあったから。けど、それだけ?此処においでとあの日壱岐千夜は言った。此処とは"屋上"であって、"旧校舎"じゃない。なら、何で僕は?
「それは、僕が……"知っていた"から?」
ミカドさんは未だに顔の半分から下しか見えないまま。でも、それでも分かるように笑っている。
それが正解だというように。
「私も涼に言われるまで、認められなかったんだけどね」
「塗り替えられたとしても、都合のいい記憶の中に無くても、僕は、ミカドさんが旧校舎にいることを覚えていた……?」
「らしいよ。不思議だね。人間ってものは。記憶っていうのは魂に残るものなのか、それとも身体に残るものなのか。興味は尽きないよ」
……本当に、興味深い。それが分かったところで、何の役にも立たないけど。そう呟いて、そして再度僕に語りかける。
「ナツキが暴喰したときの怖い体験をおぼえているかな?……何故、何かが欠けているが故に、何かを欲し、人から何かを喰らう私達の分身が人の部位で食事を象徴する口ではなく、手の形をしているのか、わかるかい?
それはね、手とはね、感情なんだよ。
何かを欲するがあまり無意識に手を伸ばすのと同じだ。欲しいという心のその、あまりにも人間らしい一面。
人間でありながら、化け物を飼うその身体のうちから、助けを求め、欠けたものを求め、手を伸ばす。
…私たちは、人間の姿をした化け物だけれど、化け物みたいに普通の食事じゃ満足できないだけの、人間だよ。
首が飛べば、心臓が貫かれれば、海に沈めば、屋上から落ちれば、私たちは容易く死ぬ。身体を調べられても、人間であることしかわからない。
ねえ、ソウマくん。私は唯一、化け物の中でも化け物だと言える人間だ。
そんな化け物から、所詮は人間でしかない君に問おう。
何故君は、命を求める。
それを考えた事はあるか。
"他人の人生"を羨むが故に、他人の人生を喰らう化け物は、自身の人生から逃避していた。
"恋心"を知らないが故に、他者の恋を喰らう化け物は、成就しない自身の恋心を見ないふりをした。
"無知"であるが故に、他者の知識を喰らう化け物は、己の無知が故に他者を殺した。
今まで君が喰らった化け物たちは、少なくとも"己に降りかかった不幸と自身が思っていたこと"が欲の始まりだ。
なら、君は何を理不尽だと思った。
何がきっかけで、化け物じみた欲を抱えた?」
答えは既にそこにあった。
僕が化け物になった理由は…
なんとなく、引かれている感覚。呼ばれているんだ。多分。
やっとわかった。
あの日僕の家のチャイムを鳴らした何かも、
何度も僕を読んだ明るい女の子も、
全て、目覚まし時計みたいなものだったんだ。
最近恐ろしくて仕方がなかった、引きずりこまれるような恐怖感は、もうなかった。身体中の感覚が無くなっていくのに、確かに"身体"が動く感じが強くなっていく。もう1つの"身体"が、僕を呼んでいる。
「さようなら、ソウマくん。
夢から覚めて、世界をご覧。
生きる事を臨み続けた。生きる事に執着して生きてきた君は、もう大丈夫だよ」
姿も、世界も、感覚もないのに、恐怖を感じなかったのはきっと、あの人の声が優しすぎたからだ。
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……恥の多い生涯を送ってきました。
「……無事に、夢から覚めたか」
誰もいない図書館。あれ程存在していた椅子は、既に彼女の座る一脚だけになっていた。
その姿はウサギでは無く、人の形をしていた。あまり特徴のない顔だが、切れ長の瞳の色だけはバーチャルでも珍しいピジョンブラッド。彼女の存在の希少さを表しているような色だ。
アバター名:カタリベ ソウマ
状態1:ログアウト(chaos)
状態2:コネクト(abyss)
彼女は手に持っていた本を閉じ、本棚の中で不自然に開いていた隙間に差し込んだ。本の背には少年の名前が記されている。よくよく見れば、棚に並ぶ本は全て人の名前のように見えた。
「……頼んだよ、ソウマくん」
此処で過ごした時間を忘れていないのなら、君が覚えていてくれているなら、どうかお願い。
「あの子を救って。
その為に、"存在するため"に、君に賭けたのだから」
この選択は正しいと信じよう。"彼女"が望む私であり続けるために。せめて、救いに値するだけの化物でいられるように。
賽は投げられた。
彼女は祈るようにその名前を撫で、振り返った先にある大きな扉に手をかけ、開いた。その先は闇。何も見えない何も聞こえない。足を踏み入れれば、落ちるのかそれとも床があるのかも分からない。
けれど少年を信じて、彼女は闇の中へ飛び込んだ。"繋がれる"ことを願って。
誰もいなくなった図書館で、開いた扉は少女を飲み込み、静かに閉じた。
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僕が目覚めて、数年間意識不明のような形で生き続けていた事を知った。もちろん"のような"ということから分かるようにそれに似た状態だけど全く違う。
だって僕は確かに、夢の中では生きていたのだから。生活をしていたのだから。
そこには現実があった。もう1つの現実が。誰しもが生きて、暮らしていた。化学力学に時間に、感情も痛みも、全てがあった。現実を生きていた。
両親の話では、身体が弱くて死にかけていた僕はいつものように第三仮想世界に入って目覚めず、医師に相談すると、少し様子を見た方がいいという事で、そのままにして、けれど24時間体勢で見守っていた。
だがそれから数日後研究者と黒スーツが入ってきて、僕と第三仮想世界を繋げていた機械を引き剥がして、僕はもう目を覚まさない。植物状態かもと言われたそうだ。
病院内には何人か僕と同じになった子がいて、その人たちの親や兄弟は叫び咽び、院内に警察が入る騒ぎも起きた後、その子たちは死亡という事になり、病院を去ったらしい。
植物状態なら、回復した例もあると両親は言い、今まで世話をしてくれたそうだ。本当に頭が上がらない。
そしてそれから僕はリハビリに励み、数日後、特別院と呼ばれている個人病院に移る事になった。
僕が目覚めなくなった1年後に、院長と共に訪ねてきた少女から打診があったらしい。大きな病院だとまたあの突然介入してきた黒スーツ達のことを思い出すだろうから、個人だけど腕は確かで設備も充実した病院に移る気は無いかと。父や母はその申し出を受ける事にした。そちらの方が家に近かったから立地的にもありがたい。
訪ねてきた少女は体が弱く、友だちは1人だけ。しかも、その友だちに至っては僕と同じような状態で眠り続けているらしい。父や母もその話を聞いて、似たような症状を持つ子がいる病院なら、僕の存在が希望になるかもしれないと思ったのかもしれない。
初めて会った時、少女は言った。
「はじめまして、有村奏真くん。
私は真白。こっちの彼はツカサくん。
詳しい自己紹介も何もかも後回しにして、初めにどうしても、頼みたいことがあるの。
"混沌"から帰還した貴方に。
私の友達を救うために、力を貸して欲しい」
それが多分、始まりだった。
読了、並びに今までありがとうございました。
以前もどこかに書いた気がしますが、これはある話(未投稿)のスピンオフのようなものです。
私の作品を読んでくださる方が、いつかあれ?この名前どこかで見たな、と思ってこの話を思い出してくれたらとても嬉しいです。