救いに値する化物と救いようもない人間
かの有名な作品に感銘よりは共感を得たので、こう始めるべきだろうか。
"恥の多い生涯を送ってきました"
更には
「人間と呼ぶには大凡欠陥が過ぎる心を持って生きています」
と、私は言葉を補う。
幼い頃はそうだったの。
喩えるならそう、
よくいるいじめっ子。
周囲から見ると私はそれだったらしい。
けれど私と彼らには明らかな溝がある。
彼らは相手に対する悪戯心、相手が自分程度のしていることに困っているという事実に楽しみをおぼえている。
私もまた同じだと当初を振り返れば思う。
多分、楽しんでいた。
……でも、いつしか感情も凪いでしまった。
ただ、静かに。
夜の中にいるように。
静かで、朝焼けに変わるまでのただ長い出来事を目の前で見ている気分になった。
こちらからあちら側になっても。
ただ目の前の出来事が、ガラスを挟んで向こう側の出来事になって、暗い部屋の中で明るい世界の話を見ているようで。
彼らはあちら側にいる。
私は、多分寂しかった。
いじめっ子でも、悪役でもいい。
私も、あちら側にいたい。
……痛い
それはどこが?
……わからない
そう。でも大丈夫。気のせいさ。さあ行っておいで。お仕事だ。
身体という遠隔操作の肉体を操って、瞳という名のモニターで世界を見る。
私はこの身体というものに、時に笑顔を作り、時に瞳に涙を浮かべ、時に怒っているような顔をして、私の居たい画面の向こう側の世界の人と交流をする。
どこにでもいる、どこにでもある普通の人。
周囲から女の子3人組が仲良く遊びに行くように見えているだろう。
1人は歳の割に少し幼くてわがままで、1人は気弱で臆病で、1人は大人びた姉気質。
私はその中で大人びた少女の"役"を負っている。
常に大らかに。他の2人を守り、彼女たちが衝突しかけた際には緩衝材の様に絶えずパワーバランスをとり、元の状態に戻す。
私は常に優しく、時に厳しく諭す人間でなくてはならない。けれどそれが私の"仕事"だから、そうしている間は、私という着ぐるみは画面の向こう側の光の中の住人になれるから。それは、私の望みだから。
……だから今日も、着ぐるみを被って、役を全うする。
望みを叶えているはずなのに、少しも痛みは消えないけれど。
優等生で、品行方正で、高嶺の花。
そんな役でいることで、自分の本当がないことが一番苦しかったと気付いた。
知らないふりをしていたけど、本当は寂しいという気持ちを持っていたことを自覚した。
自分が特に望んだものではなくとも、友人に、家族にもらった物なら大抵のものは嬉しいと感じていると分かった。
手を繋ぐとあたたかくて、
苦しくても嬉しくても涙は出て、
演じなくても誰かのために怒れる。
だいぶ人間らしいと思える私だけど、どうしても欠陥品だと思う瞬間がある。
小さくて、消えそうなものに恐怖を覚える。
具体的には、こういうべきなのかな。
世間一般大半の女性たちが、生まれてまもない命を、赤ん坊や幼い子供たちを可愛いと思い、実物でも写真や動画であっても、感じているだろう温かな気持ちも、可愛らしいと思う心も、わたしには無い。
けど、そう感じないのは、やはりおかしいのでしょう?だから私は、とびきりの笑顔で、この世で最も心ない嘘をつく。嫌悪感すら感じながら、心底怯えながら。
そうしなくてはならない自分が情けない。苦しい。辛い。恥ずかしい。
世間一般と同じ感情を持っていない。私はなんという欠陥品だろう。
精巧すぎる人工物なら今すぐ機能停止させて欲しい。泥から生まれた偽物なら、すぐに泥に戻して欲しい。
その感情を、その気持ちを、
共有できないなんて。
嗚呼。ああ、あぁ……!
身体という物質を操作して帰るべき家と呼ばれる倉庫までの経路を辿る。
恥ずかしい、
苦しい、
悔しい、
悲しい、
なんという、歪さ。
こんなに欠陥だらけなのに、人の形をした未完成品なのに、なんで私はここにいるのか。
明るい世界に居たいのに、
場違いに思えて痛い。
逃げたい、ここに居たい。
早く、早く、不釣り合いな場所から、私が存在するのに相応しい、虚の中に戻らなくては。
ハリボテの私が、光で溶けて消えてしまう前に。
望んでも、手に入らない。
けれど、溶けたとしても、欲しいのに。
嗚呼、こんな事を思うから余計に、私が欠けていると実感するのに。痛いのに。
道を歩いていた。人も車も多かった。
皆が"私"を見ている。
自意識過剰だ。君なんて道端の石ころのようなもので、知り合いでもない限り気にも留めない。記憶にも残らない。
そんな声が私の中に響くけど。
公園から転がったボール。
ちっぽけで、転がされて、いつか壊れて忘れ去られるだけの道具。
……一瞬同じだと思った自分が恥ずかしい。
また恥ずかしい。
目の前を通り過ぎる小さな女の子。
ボールを追った。私を追う人なんていない。知らない。私は目で追ったのに。
その時だけは、視線を忘れた。
その少女は縁石を越えた。
トラックが、迫っていたのに。
気付いたら、歩道に背中から転んでいた。
少し強く打ち付けたのか、背中と頭が痛い。私はいつの間に転んだのだろう。少々気を失っていたのか、目蓋を開けると眩しくて目が眩んだ。
というか、腕も痛い。強く力が入っていた。それだけじゃ無い。重いしなんだか温かい。私は重い石を抱えたから転んだのだろうか。……いや、違う。だって普通の転がっている様な石に温度なんて無い。そもそも石を抱える必要なんてない。
なんだっけ。
少し頭を起こして、腕の中を確認して、思考が止まった。というか、目を疑った。
くるっとした、大きな瞳。
その持ち主は私を見て、そしてその目は潤み出して、やがて大きな甲高い泣き声を放つ。
犬でもなければ、猫でもない。
普通の少女がそこにいた。
嗚呼、ああ。なんで、どうして。
「お前みたいな心ないやつに触られて、怖がらない人間なんていない」
欠陥品
「その他大勢にもなれない、自意識過剰な与えられたいだけの欲しがり屋」
強欲
「チグハグなくせに、人並みのものを望むから罰が下ったんだ」
天罰?
「自覚があるなら、せめて明るい世界での"役"くらい、全うして見せろよ」
体感時間は数時間経っているのに、多分現実には、あちら側では本当に数秒にも満たないのだろう。
いつもそうだから。
こちら側の時間は途方もない。
だから、……余計に寂しいのに。
ともあれ確かに、今は"役"をやり遂げなければ。この世界に居たい。それは私が望んだ事だから。
「……だい、じょうぶ……?」
声をかけるけど、泣き止むどころか私の耳が余計に揺れただけだった。
多分女の子の母親が走ってきた。
女の子がママと呼んでたから。
女の子を母親らしき女性が抱きしめた。
多分、どちらも安心しているのだと思う。
どんな気持ちなのだろう。
どれだけの安堵なのだろう。
私には、"どちらの気持ちも"、分からないから。
あのくらい身体が小さかった頃、
手を伸ばしてそばにあったのは、
犬や猫やクマやひつじやウサギの人形だった。
小さくて、けれど、体温も無ければ、泣きもしない、嫌がることも、私を傷つけもしない布と綿でできた塊を、私は先程女の子をなぜだか分からないけど抱えていた時のように、離さなかった。
休日しか会えない親が私に会うたびに増えていったそれを、
会えない日には抱きしめた。
決して抱きしめ返してくれなどしないそれを、
私はずっと、抱えてた。
私は、ずっと……抱えてた(願ってた)。
こんなに欠陥だらけで無様で歪な私だけど、
「大丈夫?」
こんな風に、手を差し伸べてもらえる明るい世界(普通)に、いられたらって。
あの日私の手を引いて、立ち上がらせてくれた幼なじみの貴方(唯一常にあって欲しいもの)の隣にいられたらって。
けれど現実は残酷で、
貴方さえも私が手を伸ばした先には居ない。……いえ、私はやっぱりハリボテの欠陥品だから、人並みのものを望むから、罰が下った。
幸せそうに並んで笑う幼なじみと気弱で臆病な友人に、
私はいつも通りに、
笑顔で、
そして凪いだ気持ちで、ただ言葉を使う。
そうプログラムされてでもいるように。
「おめでとう、よかったね」って。
嗚呼、ああ。
またやってしまった。
私はあの子の友人で、
私は彼の幼なじみで、
彼らの相談にも乗って、
彼らを結びつけるのに一役買った。
"役"のはずなのに、空っぽのまま。
恥ずかしい。
苦しい。
虚しい。
私は、自分でそうしておきながら、
"役"としてですら、喜べなかった。
だから、これはきっと罰なのだ。
"恥の多い生涯を送ってきました。"
「人間と呼ぶには大凡欠陥が過ぎる心を持って生きています」
明るい世界を望みながら、
穴だらけの自分を隠したい卑怯者。
こんな私ですが、それでも、
"救いに値する人間でありたい"です。
……そう、思ったはずなのに。
私は出会ってしまった。
それを見た時、はっきり分かった。
今までぼやけて輪郭も把握できなかった自分の意識が鮮明になった。
ずれていた感覚が、
あせていた色彩が、
中途半端に被せてあった蓋が、
カチリと音を立てて正しくハマった。
未だに伴わない感情もあるけど、
欠けたままだけど、
それはもうどうでもいいと思えた。
私は、あちら側の人間にはなれない。
けど、
こちら側でなら、
"役"でなんていなくていい。
そもそも私は、こちら(化物)側の人間なのだから。
彼や気弱な友人の事で何を悩む必要があったのか。
私は彼女(気弱な友人)になりたかった。
ううん、今思うのなら、憧れはあれど、私はあんな弱虫ではいたくない。
吹っ切れたともいえるかもしれない。
なんて清々しいのか。
だから思う。
私は、あの化物そのものになりたい。
ありふれた普通になれないのなら、
私は結局どこまで行っても"役"にしかなれない化物ならば、
あんな"特別"になりたい。
また来たのかと言わんばかりに苛立ちを募らせている彼女に、わざと近づいた。
彼女が私の"存在"に引きつけられて、
"自分の人生"から少し意識が外れたその一瞬で、
"存在を喰らう化物"の人生を奪って、
私は私の"役"を、……壱岐千夜という"アバター"を捨てた。
多分最後の境界線を超えて、私はとうとう、化物になった。
そして悟る。
彼女は"特別"だった。
私と同じで、同じ部分が欠けていたことも嬉しかった。
ただし、
私の偽善の全てを当然としていた。
彼女自身が善良だった。
こちら側で1番人間から遠いくせに、
私の知る限り1番救いに値する人間だった。
私とは、対極の存在だと……だから私は引きつけられた。
彼女は確かに、"特別"だった。
「救いようもない化物ですね」
"彼女"がそうしていたように私もそこに"彼女として"待っていた。
そんな"彼女"ではなく、多分、目の前の彼は私に言った。
……うん。確かに、救いようがないよ。
欠けていても、強欲でも、それでも、
救いに値するだけの人間でありたいと思いながら、
救いに値する人間を喰べてしまったのだから。
挙句それによって、2人も巻き込んで、1人はもう2度と目を覚まさないのだから。
もう1度人に戻れても、私はもう、救われるだけの権利もない。
「あなたはミカドではない。
ただの救いようもない、化物だ」
なのに……嗚呼、
本当に救いようもない。
それもまた、私も誰かの"特別"だったのだという証明に思えて、嬉しかったから。
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「救いようもない化物ですね」
僕は吐き捨てるように、言葉を放った。
実際、目の前にいる化け物は僕から見れば腐っていて、齧るどころか手に取る事すら悍しい。
その姿の持ち主には何度も救われた。今すぐにでも側に行きたい。それが、ただの擬態じゃ無いのなら、だ。
黒く濁った、その色は、忌々しい程に人間らしくて、"僕の敬愛する化物"を穢していた。
僕の知る化物とは、程遠い。
だから、ああ。早くあの人を取り戻さなきゃ。
あの人の声が聞こえた気がした。
冷え切った僕の右手が何か温かいもので包まれた。真っ赤な頭巾。見えない顔。どこからどうみても怪しい出立。
……すぐそこにいる"壱岐千夜"が見た目だけあの人だというのなら、この人は見た目こそ全く違うが雰囲気はあの人そのものだった。
姿だけは完璧な化物が僕に語りかける。
「やあ、ソウマくん。急に救いようがない化物と呼ぶだなんて、酷いじゃないか。私は今にも死にそうな化物達の存在を肯定してきたというのに」
「違う。それをしたのはあなたじゃない」
お前の様な、身勝手な生き物ではない。
今まで"化物達を肯定する"事で、"食糧不足"でも早々死なない様にしていたのも、
過去に"化物達の喰欲を否定"する事で僕らを人間で居させてくれたのも。
「……きみは壱岐千夜。
あの日僕らからミカドを奪った化物。
ミカドはその存在以外を奪われ、
それ故にお前を消すことが出来なかった。
"この世界"で唯一ミカドの"人生"を奪ったお前が存在する事が、ミカドが存在している証明だから」
存在とは曖昧だ。
生きていても、誰も知らなければ存在しない。逆に故人であろうが、誰かが覚えているなら存在している。
誰もミカドを覚えていない世界で、ミカドが存在できていたのは、皮肉にも、自分の人生を奪った化物がミカドを覚えているから、その化け物の今の姿が辿ってきた道がミカドそのものの存在の肯定だからだ。
「……私が壱岐千夜だという証拠は?
たった1人君がこの場で私を糾弾しようが、何の意味もない。誰も信じない。君をこの場で私が喰ってしまえば、君という存在も消えて無くなる。そしてこんな話をした事すらも他の誰も何も知らない。それをしないのは、私がミカドだからだよ。私は私だし、私は今、紛れもなくミカドだよ」
「違う。
しないのではなく、出来ない。
何故ならお前は"他者の人生を喰らう化物"であって、"存在を喰らう"化物じゃない。
お前が僕を喰う事で僕の口封じをしても、お前は自分が望んだミカドの人生の皮を被ることになる。それは望ましくないんだろう。
存在を喰らう化物の人生を喰えたのが不意打ちが成功した幸運の上でのことで、
もし僕を新たに喰らって、自分から離れた皮がミカドの所へ戻ったら、
きっとミカドはお前の存在を否定して、僕が喰われた事実さえ無かったことにするだろう。お前は多分、"存在を喰らう化物"以外を喰らった事がないんだろ?」
だから、自分という化物が及ぼす影響を把握していない。恐怖故に自分にとって特別な皮を捨ててまで僕の口封じをする気になれないんだ。
そういった時、
世界が、空間が歪んだ。
視覚的な問題か、感覚的な問題かは分からない。ただ事実として、僕の目にしている光景は歪んだ。霞んだ。テレビの画面がノイズまみれになった時に似ている。
僕と手を繋ぐこの人以外の全てが、
対峙する化物すらも景色の一部の様に歪む。
「私はミカドだ!」
それは叫び声だったのか、宣言なのか、それとも子どもの癇癪のような主張なのかは分からないし、どうでもいい。
もう、これ以上あの人の姿でいられるのは、あの人に対する冒涜でしかない。時間切れ、終わりだ。この化物を喰って、全て終わりにしよう。
そうおもった耳を揺らすのは、あの人の声だ。
「もう少しだけ、待ってくれるかな?」
感情が落ち着く。凪いでいく。大丈夫。
乱れた言葉も気分も落ち着かせる。
「いいえ。あなたはミカドではない。
例え壱岐千夜では無かったとしても、ミカドにはなれない。
本当のミカドを、僕は知っているから」
繋ぐれた手が僅かに揺れた。
「ミカドはここにいるから」
ノイズが歪んだままで止まる。
「あなたは言った。
この場で僕を喰ってしまえば、誰もこんな話をした事すらも知られることもないと。
けど、何で司書さんを無視したんですか?
彼女は、僕がここにきた時から一緒にいた。あなたの目の前に。
……何も言えないですよね。言えるはずがない。だってあなたは司書さんをしらない。何故ならあなたが喰らった化物の人生の中にはまだ存在しない存在だから。
そして、あなたが本当にミカドなら、司書さんを知らないはずも居ることに気付かないはずもない。あなたには、司書さんが見えていない。
だからあなたは、ミカドじゃない」
ただの救いようもない、化物だ。
読了ありがとうございます。