記憶と記録と存在と
「君は寿命について考えたことはあるかな。
人でも、物でも、世界でもいい。
その存在そのものの寿命を、考えた事はあるかな。永遠はあるかな」
夕闇の中で、かつてあの人は、僕にそう問いかけた。
僕はひたすら空腹で、タチの悪い獣の様に、もしくは理性を失った化物のように、何人もの命を"喰べた"直後の事だった。
校舎の廊下で、教室で、体育館で、階段で、他にもいろんな場所で、喰べて、喰べて、喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて……。
……それでももう、満足できなくて、行き着いた屋上で見知った顔だった気がするのに誰かわからない女子生徒を喰べた。同級生だった気がする。いつも明るかったきがする。かんじのわるいぼくに、はなしかけて、こたえると、うれしそうにわらって……それで、……それで?……ああ、わからない。かのじょは、だれだった?
「命と存在は似ているように思う。あくまで私の主観でしかないけど。
命がこの世界に生きていられる時間のことならば、この世界に存在していられる時間と置き換えてもいいと思うんだ。
でも、存在は命とは違う。
命がなくても存在はできる。
逆に、
命があっても、認識されなければ存在しない。
分かるかな。私と君はよく似ていて、そこが違うんだ。……ああ、喰い物の話だよ。気にしないで。
それでね、君はどう思う?」
子守唄でも歌うように穏やかに、いつも通り言葉を紡ぐこの人は、だれ?
「人の寿命、物の寿命、存在の寿命。
今は亡き偉人たちは、それでも今世我々の世界の中にはやはり、存在している。皆がそれぞれ、誰かを覚えているから、その人の中で誰かは生きている。存在している。
誰かは誰かの中に生きている。
けれど、誰かの中に生きられない私は、この存在そのものが曖昧で、存在を喰らい続けても、存在していられない」
……このひとを、……しっている。
いちばん、ぼくのそばにいたひと。
ぼくがまちがえるたび、きえかけた。
でも、ぼくの失敗を、おこらなかった、人。
いちばん美味しそうで、
何度も、手を伸ばしかけた。
「だから、私が存在する為には」
だから僕は、どんなに飢えて自分が今誰を喰べているかわからなくなっても、
「君が私を喰べなきゃいけない」
この人だけは絶対に喰べたくなかった。
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階段を上がり切り、先ほどまでは雲ひとつなかった昼の空は、今は真っ赤に染まっていた。
僕が階段を上がる間に夕立でも来たのか、コンクリートには所々水が溜まっていた。
否、その水溜りは複数あり、各中心には制服を着た何かが転がっている。見覚えのある顔、人の形。それはこの屋上で初めて、……初めてあの化物と出会ったときに僕が喰い散らかした残骸だ。
僕の親友。僕を餌にした友人。
僕から心を、盗んで笑った。
心を失って、自制心を失った僕は、美味しそうだった親友とその取り巻きを喰べた。心が戻ってくると同時に、親友への失望と罪悪感と自身への嫌悪でおかしくなった。
「大丈夫」
その化物は、希望だった。僕の存在を肯定して、僕の喰欲の存在を否定してくれた。
彼女が僕の喰欲を喰らっている限りは、僕は化け物ではない、普通の人間でいられた。
愛欲も肉欲もない。けれどそこに彼女がいたことで、僕は安心した。何事もなく過ごせた。楽しかったと思う。人間的にも嫌いじゃなかったし、寧ろ大好きだったと思う。変人と呼ばれる奇特な人であると知りながら、僕は彼女の読書会をサボったこともなかったから。
楽しくて、嬉しくて、優しくて、暖かい時間。
自分の思い通りにはならないけれど、それでもそのなかで、彼女の言っていることを理解しようと、本を読んだ。その上で意見したりして、いつしか人も増えて、皆、椅子を並べて自分の席で楽しく過ごした。
僕はこんなふうに充実した時間を、どこかで過ごした事がある気がした。その相手は皆ではなかったけど。……化物になる前の親友でも、多分僕を救った化物でもない。
もっと、前。
身体は、不自由だった気がする。その時の記憶を思い出しかけては、消えてしまい、化物達との読書会をしてはまた思い出しかける。
それを繰り返していた頃だった。
ある日、屋上に現れた化物は、僕の知る化け物の姿を、声を、記憶を持っているのに、別人だった。
僕は命を喰らう化物だ。あの人の、僕を救った化け物の命は、こんなにも嫌悪感を感じる命じゃなかった。
本能的に悟ったとしか言いようがない。
あの人がいなくなった。
あの人を、この化物が喰った。
あの人が抑えてくれていた僕の喰欲は、大好きなあの人の見た目を持った、大嫌いな化物を喰らった。
箍が外れた。
僕は喰らった。
同じクラスの人間を、
その辺を歩いていた見知らぬ生徒を、
要領は良くないけど明るい人柄が人気だった教師を、
喰べて、喰べて、喰べて、喰べて、喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて喰べて。
……満たされなくなった。
助けて欲しかった。
喰べたくて、喰べたくなくて、本能と理性が喧嘩をして、ごちゃ混ぜになって混沌として混ざりきらなくて落ち着かなくて、
僕は餌を探してか、助けを求めてか、歩き続けた。……ただ、足を進める場所は、一つだけだった。
足を進める、その度に。
次々世界は、染まっていく。
「ああ、ごめんね」
あの人の声がして、僕は世界の次を見ずに、過去を繰り返した。
あの人が、この世界の過去を喰らったのだ。
あの人は、生きている。
それを確信して、それに安堵して、僕は、いや、僕らは皆、世界にとって都合がいいような記憶に埋没した。
いつか僕にとって、あの人が消えてしまった頃、僕の記憶には、化物が住み着き始めていた。
あの人への感情がすり替わった。
記憶があの人の命の色を忘れた。
腐臭を嗅ぎすぎた鼻が馬鹿になるように自然に、そいつは、違和感もない存在になり変わった。
僕の中からあの人を完全に消し去った。
僕だけじゃない。僕の周りからも、この世界自体からも。
その存在の希薄さ故に、存在を喰らう化物の存在の糧であった絆を奪った。
屋上のその先で、優しく笑っているのは、
僕がずっと探していたのは、
憎むべきスワンプマンは、
"他者の人生を喰らう化物"を喰らった、存在を喰らう化け物でも、
僕が"美味しそうでもないのに喰べたくてずっと我慢して来た人"を喰らった、存在を喰らう化物でもない。
そこにいるのは、他者の人生を喰らう化物であり、僕が憎しみ故にずっと食い殺してやりたくて仕方がなかった女子生徒だ。
音無の忌み人、篠遠の想い人。
僕にとっては、最低の化物。
夕陽に包まれた屋上の、水溜りが一つずつ消えていく。
煙が晴れるように記憶が晴れた。
同時に嫌悪感を思い出す。
屋上のフェンスの側。
そこにいる、化物に対しての嫌悪感を。
「やあソウマくん。来たんだね」
この化物を、僕は殺そう。
復讐心から。僕には迷いがなかった。
その時多分、僕は初めて、自分が化け物であったことに感謝した。
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3年前のとある日のこと。
その先輩と屋上で出会った。
今から語るのは、偽物の記録だ。
僕が憎む化物が、僕らに焼き付けた記憶。
3年前に屋上で、僕は彼女と出会った。
中学校の頃の話だ。
彼女は生徒会のメンバーとして有名で、見目麗しく、家柄も揃った謂わば高嶺の花だった。
僕は天文学部で、その日の夜は部活で泊まり込んで天体観測の予定で、屋上での下準備に来たところだった。
部活で使うのは僕らだけと聞いていたから、
そんな人が、何故下校時刻の屋上にいるのかと不審に思った。
彼女は泣いていた。
そして、戸惑う僕にごめんと言って、少しこの場所に1人にしてほしいと告げた。
僕は素直にその場を後にして、その日から屋上での天体観測はなくなった。
理由は簡単で、生徒の屋上への出入りが禁止になったから。
屋上を去ってすぐ、僕は後者の三階の窓の外に、逆さに落ちていく人影を見た。夕陽に照らされたその姿は、つい先程屋上で泣いていた人物だった。
その日からの記憶……いや、植え付けられた記録では、校舎の外から屋上を見上げるたび、三階の廊下の窓から外を見るたび、その人の虚像が浮かんだ。
……まるでこの世に執着して、離れられない地縛霊のようだ。
ああ、こんな事なら屋上で会った時に、丸呑みにしてしまえばよかった。そうすれば、こんなにも後悔することはなかっただろう。
高校に進学して理性で押さえ込んでいた喰欲を暴走させて、親友を喰うこともなかっただろう。
その暴走のせいで、得体の知れない化物に、屋上で出会うことも無かっただろう。
だから、未練があるなら、その言葉を聞きたかった。僕を苦しめる虚像が消えるならと思った。
伝言を預かっている。その言葉につられた。
そして僕は、行き着いた旧校舎で存在を喰らう化物に出会い、スワンプマンを探して、今、見つけた。
僕の記憶の矛盾や、植え付けられた記録の存在に気付いた。
今、僕の中には記憶と記録がある。
記憶では、僕は中学の時にあの女子生徒とは出会わず、喰欲を押さえ込んで誰も喰らうことなく高校に進学し、親友に心を喰われて親友を喰い、存在を喰らう化物と出会って、満ち足りて、何かを思い出しかけた矢先に、他者の人生を喰らう化物に、存在を喰らう化物が喰われて、……それからの記憶はない。
他者の人生を喰らう化物が、僕が思い出した記憶に自分の都合のいいように記録を上書きしたのだろう。
そして、他者の人生を喰らう化物の虚像に苦しみ、僕が大切にしていた委員会の面々を喰らい尽くして狂った際には存在を喰らう化物が過ぎた時間の存在を喰らって、僕らの記録を、世界の時間を、他者の人生を喰らう化物が存在を喰らう化物を喰った直後まで巻き戻していたのだろう。
……だから、存在を喰らう化物は、いつも空腹だ。喰べても、喰べても、喰べたものの存在を自身以外が知らなければ、存在は存在たり得ないから。
世界という大きなものを喰らおうが、
何十、何百の記憶を喰らおうが、
誰もそれを覚えていないから。
僕を救ってくれた人を、僕は何度も忘れてしまった罪悪感と、勝手に記憶を上書きされて幸せな時間を奪われた憎悪。
喰べていない以上、いつ壊れてもおかしく無かったのに…それでも自信を保ってい続けたあの人の強さへの純粋な敬愛と、身勝手に荒らしまわって欲のまま居続けた嘘つきへの復讐心。
僕の中で、2つの相対的感情が、混ざり合って、そして他者の人生を喰らう化物への矛へと変わる。
僕は、あの日、
初めて他者の人生を喰らう化物に出会った日、
他者の人生を喰らう化物が突然現れてあの人を喰らおうとしたその瞬間、
ヤツを喰い殺してしまうべきだった。
今更気づいても遅い。
けれど、気づいたからこそ、僕は奴を喰う。
僕は欲からではなく、嫌悪故に喰う。
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ソウマが出て行ってすぐの事。
存在を喰らう化物の前には、3学年の姉崎涼子がいた。14あった椅子は既に、彼女の分と、ソウマの分ともう一脚、そして、委員長のミカドの席だけしか残っていない。
姉崎涼子は自分の椅子に座って、この世界で過ごした非日常を振り返り、満足気に笑いながら、委員長の椅子に座るウサギに問いかけた。
ソウマは知らない。彼以外の面々が委員長を見るとき、ソウマには人の姿に見えている時も、周りの瞳にはウサギの人形の姿しか写らないことを。
"この姿で会うのは初めまして"
ミカドがソウマにかけた言葉だ。この時ソウマはいいえと答えた。先ほどぶりだと。
ミカドの言ったこの姿とは、"旧校舎の時の服装と違う人形姿"という意味だった。
対してソウマは"先ほど出会った時と違う服を着ている人間の姿"なだけ。先ほどと服装が違うだけの人間の体だったから、先ほどぶりだと答えたのだ。
その違和感にミカドは気付いて、他者の人生を喰らう化物に会ったことを悟った。
ソウマが記録に塗り替えられた世界の中で唯一、他者の人生を喰らう化物の今の姿を知っている。
だからスワンプマンはソウマに探させたのだ。ソウマ以外に、存在を喰らう化物姿を知る人間は、……"夢から覚める必要のある"人間の中でソウマ以外にミカドの姿を知る人間はいなかったから。
だからあの日ソウマが化物棟に来た事を僥倖と思うほかなかった。
「……え?何でソウマくんが、他者の人生を喰らう化物から名前の入ったメモをもらって、向かったのが旧校舎の化物棟だったのかって?」
「ええ。あのメモ。私はあの名前の人物が、この化物棟にいるとも、風紀委員に在籍しているとも言ってないわ。
では何故、彼は何の疑いもなくここへ来たのかしら?」
「……風紀委員の溜り場がここだって噂が流れてるからだろうね?」
「その噂が流れているのも、あくまで他者の人生を喰らう化物の都合で作られた記録の中であって、元々ここは貴女の図書室でしょう。風紀委員なんかじゃない」
「それは彼女……他者の人生を喰らう化物……壱岐千夜が、風紀委員という活動を得体の知れないものと思っていたからだよ」
「……というと?」
「彼女は生徒会のメンバーだった。そして彼女の知る学校には、風紀委員会なんてものは存在していなかった。生徒会がその役割を兼ねていたから、彼女からすると未知であったわけだ。
そしてそれは、この世界の、この場所の、化物棟の図書委員会に重なった。実際図書委員会っていうのは別に存在しているからね。何故か図書委員会が二つあって、しかも片方は旧校舎の奥に引きこもって実際何しているかわからない。
ほら。得体の知れないというところで重なった。
だから彼女は得体の知れない風紀委員会という役を得体の知れない旧校舎のひきこもり図書委員会に割り振った。
……多分それだけだね」
「……じゃあ、ソウマくんがここに来た理由は?」
「……だから、風紀委員会がこの旧校舎に」
「それだけじゃないわよね?」
「……本人じゃないからなぁ」
「……彼があの日渡されたメモには、名前だけが描かれていたわ。場所は書かれていなかった。
壱岐美伽杜。
人生を喰らう化物は、貴女の名前の氏を知らなかった。それはそうよね。だって、貴女はミカドであってそれ以外ではない。
だから彼女は自身の氏を名乗った。自らの氏と貴女という存在の名前を使った。
貴女という存在のこれまでの人生を、容姿を、頭脳を奪って壱岐美伽杜と名乗った」
「……何が言いたいのかな?」
「ミカド。その名前を、存在を、彼は何度も記憶が記録に塗り替えられて忘れても、覚えていたのではないのかと言うことよ。
その名前が彼をここまで連れてきた。
彼の心が貴女を覚えているから……記憶にはいなくても、貴女は彼の中に存在していたから、……だから貴女は、いつも寸手のところで存在し続けている。
顔もない、きちんとした名前もない、ただ委員長という肩書の存在だけで、世界に存在し続けられた。
貴女は、確かに"存在しているのに記憶にすら残れない"のかもしれない。
けれど、貴女は"記憶には残れなくても存在し、その存在を覚えている人がいる"わ」
姉崎涼子はなおも続ける。
だから、私たちにはウサギの人形にしか見えない貴女が、ソウマくんには人型に見えるのでしょう?貴女の本来の姿を私たちは知らない、覚えていない。だから過去の人生と容姿を奪われた貴女が、自分の身代わりとして肯定した人形の姿しか私たちには見えない。
その例外が彼。貴女が気に入らない筈がないわね……と。
それを受けて、ミカドは口を開く。
「……記憶には無いのに、覚えている?
記憶になければ、存在しないのと同じだ。
記憶というものでさえ、簡単に記録に塗り替えられてしまうほど不確かで曖昧なのに。
もっと、不確かな勘にも似た感覚での認識だなんて、そんなの……」
いないのと同じじゃないか。と、言い切ることは出来なかった。
それを言ってしまったら、同時に、"あの子"のことを否定してしまうことになる。
ミカドという存在が必ずしも取り戻せると信じる"あの子"の淡くて不確かな確信を、否定する事と同じだ。
肯定するために、存在を喰らう化物であるというのに。
そう思ったから、言葉を飲み込んだとも言える。
「ソウマくんは、ミカドという存在を、"記録"(きおく)にはない存在を、覚えていたからあの日、この場所に来た。貴女に会いに来た。
この場所を懐かしく思ったのは、安心したのは別に同類がいたからじゃない。
貴女という存在に再会できたからじゃないの?」
「……さて、どうだろうね。
でも、もしそうなら」
そうなら、どれだけ幸せだろうか。
"あの子"以外の中にも自分が存在できているのなら。
「……私も、そろそろ行くわ。今までありがとう。楽しかったわ」
「ああ。男あさりは程々にね」
「もし、」
「?」
「外で会えたら、……貴女の名前をおしえてね」
彼女の姿と椅子が言葉を残して忽然と消えたのと同時に、ミカドの手の中に本が一冊出現した。その本を開けてみれば、彼女がこの世界に初めて訪れた時からのこの世界での行動が事細かに書き出されていた。
そして、裏表紙の内側に浮き上がる文字。
アバター名:姉崎涼子
接続状況:ログアウト(未接続)
「……ありがとうは、こちらのセリフだろうに」
14名の中で、唯一、友人と呼べる人間だった。それは唯一姉崎涼子だけが"この世界"を現実的に捉えて本来の用途として正しく楽しんだからかもしれないが、それもまた"あの子"が望んだ在り方。
"世界の創造主"と"世界の中心"としては嬉しい限りだ。
「さて、私もそろそろ行こうかと思う」
この世界を終わりにする時間が来た。
ここまで消えかけたまま、生き続けてきた。
あのまま消えていたら、それはそれで幸せだったのかもしれない。
あのまま消えていたら、私は確かに存在したままでいられたのかもしれない。
あのまま消えていたら、その方が、……あの子にとっては、もしかしたら。
『過去は要らない。……未来だけあれば』
その想いだけで、"この世界"は始まった。
あの子は世界を創り出した。
それは決して、前向きな未来への希望なんて優しいものじゃない。"始まり"の全否定。過去がなければ、今は無かった。それでも、その過去を認めたくないが為に、"未来"を潰して未来を作ろうとしたその想いを、私だけは、終わらせてはいけない。
無様に寄生虫のように、この世界に、彼に縋って生きた。
恥を忍んで縋った私に、私を救おうと足掻いたあの子に報いるためにも。
だから、私の"存在"を肯定する為に、
どうしても、"語り手"は必要だった。
「現実から逃げたかっただけの偽善者ちゃん如きに、私の未来をくれてやるものか」
まるで図ったかのようなタイミングで、彼が動き出したのが分かった。その足取りに迷いはなく、淡々と階段を登っていく。
残る椅子は三脚。
その一つに先ほどまでは存在していなかった人影がいた。
「お疲れ様。無理言って留まってもらって悪かったね。ありがとう」
「いーえ。お気になさらず。むしろありがとう。お陰でソウマと少し長く一緒にいられたし」
「あはは。それは良かった。
本当に、感謝するよ。ナツキ……。いや、名月美空。ところで君の有村ナツキって名前は君の願望?」
「別にいいでしょ?"世界は自由"なんだから」
「そりゃそうだ。かくいう私もミカドなんて名前を付けてるし」
「エンペラーの意味でミカドなんですか?」
「ええー?そんなふうに思ってたの?」
「だって結局、"この世界"の中心で始まりは貴方なんでしょう?」
「んんん……まあ、そうだね。そう考えれば帝、でも良いんだろうけど、私自身は別の意味が本命」
「別の意味?」
「ミカド……御門。まあ帝を示す言葉だけど、文字通り、"入り口"ってこと。
君らは総じてこの世界で私が受け入れたからこそ存在していられたんだよ」
「改めて考えると、貴女、すごい存在だったのね」
「違うよ。凄いのは我が友人。
私の親友。優しく、愛らしく、愚直なまでに善意的で献身的で、大切な子。
彼女は私の為に、世界を創った」
「……それは、見方を変えれば、自分勝手で利己的……じゃないの?」
「そうかもね。私自身が望んでいないなら、そうなんだろうね。私は私自身がそれを望んでいるのかもよくわからないんだけど、……この世界が自由なら、私が彼女がそうであると信じることもまた自由だよ」
「……背負わせた分の罪滅ぼしとかではなくて?」
「そうしない為に。
私の自分勝手の行動の理由を否定しない為に、私はそうであると信じるんだよ。
その存在を肯定する為に」
その為に、私は存在しなければならない。
「……貴女は、自分が身勝手だと思うの?」
「自分が身勝手だと僅かも思わない人間がいるとするなら、それこそ、ただの傍迷惑な化物だよ」
"彼女"のようにね。
それが誰を示しているのか分かっているらしい。ナツキは表情を険しくして、強く拳を握った。
「……最後に、貴女の名前を教えてくれない?どうせ、目が覚めたら忘れちゃうと思うけど」
「えー?」
さっき、友人にすら教えなかったのに。
「いいでしょ?ソウマに告げ口は出来ないし」
まあ、それもそうか。と、私の名前を彼女に告げた。彼女は何度かその名前を呟いてから、忘れなかったらまたね。と、言葉を残して、姉崎涼子と同じように消えて行った。
残る椅子は、あと二脚。
私と、彼だ。
記憶が曖昧だと、手帳やら日記やらの記録を見て思い出そうとしますよね。
でもその記録が間違っていた時、どちらを信じますか?
私は友人の記憶に頼る派です。
読了ありがとうございます。




