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第十一幕 庵の一局

 その後、刺客は一人を除いて息絶えた。残った者も命は取り留めたものの、言葉を話せる状態ではなくなった。つまり刺客を捕らえても何も分からないということ。振り出しに戻ったのだ。


 そして椿殿は部屋から出てこなくなった。奥方様が声をかけても返事はすれども出ては来ない。聞けば食事もほとんど手をつけてないそうだ。

 俺は椿殿を案ずるも、声をかけることも出来ぬ身。ただの同心でしかない俺がお奉行のお客人に気安く接することは叶わない。

 やり切れぬ想いを胸に抱いたまま俺は自分の仕事を進めることにした。





 郊外の小さないおりに奴はいる。医者としての腕は見事だが変わり者でお偉い方から呼ばれても腰を上げぬこともあるそうだ。庶民からは金を取らず、有り余る者からは高額をむしり取る。

 庵の戸板の前で声をかけながら戸を開ける。


「御免。藝晶げいしょう殿はおられるか」


 中に入ろうとしてぴたりと足を止めた。その瞬間、右奥から真っ直ぐきらりと光る物が顔の前を横切っていった。そして左の壁に突き刺さった。医者が使う刃物だ。一歩でも中に入っていたら俺に刺さっていただろう。


 俺はため息をついて中にいるこの庵の主に声をかけた。

「他のものでは避けられんぞ。当たり所が悪ければお前は人殺しだ。このような小細工はやめろと毎度言っているだろう」

 すると囲炉裏の前で背中を向けていたそいつは不気味な笑みを貼りつけて振り返った。

「来るとわかっていた。そんな物に引っかかる程度なら蹴り帰そうと思っていたのだ。で? 何の用だ銀次」

 俺は呆れ返って中に入った。もう小細工はしていないだろうと確信している。こいつはそういう奴だ。


「あれは誰なら入手できる? どう使ったら病死扱いにあやめられる」

 単刀直入に聞くと藝晶は笑った。

「瀬田の旦那もお手上げってか? はっはっは!」

「からかうな。答えろ。」

 すると藝晶は立ち上がって部屋の隅から将棋盤を持ち出してきた。床に鈍い音を響かせて盤を置く。

「一局やろうじゃないか」

 俺はまたもため息をついて囲炉裏に上がった。





 パチン

 パチン


 駒の音が響き渡り、時折囲炉裏の火がパチパチと弾ける。外では種類もわからぬ鳥のさえずりが葉音に混じって聞こえてくる。静寂の中に身を置いているのを感じる。


「あれはな……人の血に混じると変わった反応をもたらす。それこそ心の臓が驚くほど暴れるのだ。数分もあれば全身に回ってあらゆる臓器を殺す。内側から人を壊すのだ」


 突然話し出した藝晶の話を黙って聞く。

「儂があれを知ったのは京だ。帝の側仕そばづかえをしている知り合いの医者に教えてもらった。宮廷に仕える者の一人があれで突然死んだそうだ。あの時は服毒だったがな」


 俺は心臓が跳ねた。

 京……確か椿殿は大和から江戸に来たと言っていた。


「京でその毒を手に入れたのは誰だ?」

 藝晶は将棋盤から顔も上げずに答えた。

「表向きはその毒の入った飯を作った板前。だが裏では別のものが動いていたのではと噂があった」


 藝晶の打つ駒の音がパチンっと響き渡るのと同時に、奴は顔を上げて俺の目を真っ直ぐ見つめて口を開いた。


「お前…松永家を知ってるか? 帝に代々仕える家系だ。表向きは忠臣。だが裏では邪魔者を消す役を担っているという。徳川にとっての邪魔者、帝にとっての邪魔者、双方に理があると動くらしい。一度だけ見かけたことがあるが……儂は好かん。あれは人間ではない……」


 珍しく感情をあらわにしている藝晶に俺は驚いた。こいつはいつでもヘラヘラとしていて心根こころねを誰にも見せない。


「その松永…という者が京でその毒を手に入れて使ったと?」

 俺が確認のために聞くと藝晶は首を横に振った。

「分からん。証拠も何もない。だが今回江戸で起きてることについては一つだけ確かなことが言える」


 藝晶はの駒を裏返しながら盤に叩きつけるように強く打った。


「松永の手の者が邪魔者を消しに来た。気をつけろ……ただの『』が『ときん』になる瞬間を逃すな」





 夜も更けた頃、同心達の住まいである同心長屋に戻ってきた。

 手には記録部屋で見つけた謎の折りたたまれた紙。藝晶に見せたところ、これは南蛮で使われている文字だそうだ。内容まではわからなかった。だがこれは何か連絡を取るためのものではないか、と言っていた。


『ただの『歩』が『と金』になる瞬間を逃すな』


 俺は藝晶の言葉が頭から離れずにいた。そして話を聞いてからずっと嫌な想像ばかりが浮かぶ。


 椿殿によく似た若侍。記録部屋の南蛮文字、京の松永。希少な毒。そして椿殿の隠し持つ得物。


 考えれば考えるほど嫌な結末にたどり着いてしまう。

 俺は考えるのをやめたくて、酒を出してきて茶碗酒を煽った。普段はほとんど飲まない。付き合い程度だ。

 目の前には十手と『神田明神』と刻まれたお守り。

 俺は太刀をゆっくり鞘から抜いた。そしてお守りに刃を向ける。

 

 鉛色の十手が俺に問いかけてくる。隣のお守りが俺を見つめてくる。

 

 俺は刀を鞘に戻し、酒を一気に飲み干した。良くないと思いながらもまた茶碗についで煽った。


「……なぜ……」


 そのまま倒れるように眠りについた。





 翌日。俺はお奉行と奥方様に許可を貰い、役宅内の椿殿の部屋を訪ねた。

 部屋の前に正座し、中に向かって声をかける。


「椿殿。瀬田です」

 すると中の空気が揺れたのを感じた。

「……銀次様……いかがされましたか?」

 小さく、そして弱々しい声だ。

 俺は今すぐにでも障子を開け放ちたいのを堪えて言葉を返す。

「少し外の空気に当たりにいきませんか? 某が護衛します」

 しばしの沈黙の後「申し訳ございません」と、か細い声が聞こえた。俺はそのまま引き下がることも、気の利いたことも言えず、ただそこに座り込んでいた。


 すると、障子の側に気配を感じた。椿殿が近くに寄ってきて座ったのだろう。薄い障子一枚隔てた向こう側にいるのに、俺はそれを越えることができない。


「銀次様……」

「はい」


 手を強く握って先を待つ。


「事件の調査はいかがですか?」

「小針の毒は希少なものでした。入手経路はわかりません」


 ぬるい風が頬を撫でた。俺はその風にぞくりとした。


「あの浪人は……見つかりましたか?」

「いいえ」


 椿殿は事件のことを聞いてくる。まるで探るように。俺は辛抱できなくなり、次の問いが出てくる前に口を開いた。


「椿殿。あなたは……松永家と関わりがありますか?」


 もう後戻りはできない。早鐘を打つ心の臓を飲み込んで答えを待つ。


「……はい。松永の娘です」


 俺は目を閉じて両の拳を握った。握った拳が震える。


「そうですか……。大和にはいつお戻りに?」


 答えないでくれ。どうかこのまま……。


「三日後には」


 ぬるい風が木の葉を散らした。俺は障子に手をかけようとしてやめた。


「お気をつけて」


 俺はそのまま返事も聞かずに離れた。



最後までお読みくださりありがとうございます。


感想、レビュー、評価など頂けたら励みになります。誤字脱字、読みずらいなどありましたらコメントください。日々精進です。

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