◆ 第三章 皇城(12)
容は元々、玲燕の生家である葉家に仕える使用人だった女性だ。あの惨劇の日、混乱する玲燕を屋敷から連れ出し、その後は自分の娘として育ててくれた。
女手ひとつ、生活は貧しかった。容はそんな中、落ち込んで泣いてばかりいる玲燕を慰めるために鈴虫を集めて贈ってくれたのだ。
『高貴な方々は、この虫の声を聞いて楽しむそうですよ』
そう言って笑う、優しい女性の姿が脳裏に浮かぶ。
こんな夜は幼かったあの日のことを思い出す。
「天嶮学士の最後については、俺も少し話を聞いたことがある。兄が、一時期天嶮学を学んでいた」
「お兄様が?」
玲燕は意外に思う。
皇都大明にある天佑の屋敷、すなわち甘家の屋敷で少しの間世話になったが、天佑と明明以外に人の気配はなかった。
(地方で働いていらっしゃるのかしら?)
不思議に思って聞こうか迷っていると、天佑が手を伸ばし、玲燕の頭に触れた。
「色々と、辛かったな」
たった一言だけだ。
でも、誰ひとりとして一度も言ってはくれなかったその台詞を聞いたとき、ずっと張り詰めていた意識がほんの少しだけ緩んだような気がして、なぜだか泣きたい気分になる。
ある日、また恐ろしい捕吏達がやって来て大切な人を連れて行ってしまうのではないか。玲燕はもうひとりぼっちで大切な人など残っていないのに、未だにそんな不安に駆られるのだ。
「天佑様は──」
口を開きかけたそのとき、がさっと音がした。
「な、何?」
驚いた玲燕は、びくりと肩を揺らす。天佑がさっと手を伸ばし、玲燕を引き寄せた。
玲燕はどきどきする胸の鼓動を必死に落ち着かせ、音のしたほうを見る。
「あれは、猫か?」
「そうですね……」
木々の合間からこちらに近づいてきたのは、一匹の猫だった。灯籠の明かりに照らされて見ると、濃い茶色の毛並みをしていた。どこかから迷い込んだのか、もしくは後宮内のどこかで飼われているものなのかはわからない。
「驚きました。突然、物音がするから」
玲燕はほっと胸を撫で下ろす。
「色が暗いと、夜はよけいに見えにくいからな」
「ええ、そうですね……」
そこまで言った瞬間、玲燕はハッとした。
「色が暗いと、夜は目立ちにくい?」
「ああ。それはそうだろう?」
天佑はなぜそんなことを聞き返すのかと言いたげに、怪訝な顔をする。
「もしかして……」
「どうかしたのか?」
「はい。実際に実験してみなければわかりませんが、ゆらゆら漂う鬼火の謎について、解決の糸口を掴んだかもしれません」