七話・幼女と寝る
「リヘナー、起きろー」
入浴後、俺はソファで寝転ぶリヘナの回復を待っていた。そばにはクルシュとヴィムの姿もある。
風呂から上がってかれこれ十分ほど経過したが未だ目覚める気配はない。
さすがの俺もいくらドラゴンとはいえ本当に大丈夫なのかと最初は心配したものだが、クルシュ曰く能力は落ちてるけどこれくらいじゃ死なない、とのことなのでひとまずは安心していいだろう。
そういうわけで、俺は心置きなくリヘナの頬を軽くつねったりしながら奮闘していた。
「いい加減起きろー、起きないと顔にラクガキするぞー」
「わー、にぃに、寝てる女の子にイタズラするなんてキチクー」
「冗談に決まってるだろ」
そもそもこの家ペンすらねぇし。
しかしかと言ってほかに起こす方法も思いつかない……どうしたものかと思案していると、隣でクルシュが腕を組んで神妙な顔で頷いた。
「これはもうキスするしかないでしょ」
「何でそうなる……?」
「眠り姫を起こすのは王子様のキスって古今東西言われてるから」
「あいにく俺は王子なんてガラじゃないんだ。ほかを当たってくれ」
「なら、ほかの男の人がキスしていいの?」
「……」
なぜかとっさに『いいぞ』と言えなかった。その時点で俺の敗北は決した。
クルシュが勝ち誇ってニヤニヤと笑みを浮かべる。
「さあさあ王子様、遠慮せずググッといっちゃって」
「その次はヴィムにもしてぇ」
「お前は起きてるだろ! というかそもそも誰がするかぁ!」
「え~、しないのぉ?」
ブーブーと二人の少女からブーイングの嵐が飛ばされる。このマセガキどもめ。
歯噛みしてしかめっ面を作る。するとそこでソファから声が聞こえた。
「……シグレ、くん?」
「あ、起きた」
リヘナが薄っすらと目を開ける。俺のことを認識できているということは意識に問題はなさそうだ。
「大丈夫か?」
「は、はい……ご迷惑おかけしました」
「気にするな。目を離した俺も悪かった。ただ今度からはのぼせそうになったら教えてくれ。そこのお前もな?」
「わかったー」
ヴィムを指差せば気の抜ける返事が返ってきた。本当に分かってるのか。
いささか不安を抱えつつも、口からは呑気にあくびがこぼれる。さすがに今日は慌ただしかったせいか眠い。
「早いけど寝るか」
俺が就寝を告げると三人とも大人しく頷いた。こいつらも掃除で疲れただろうから無理もない。
「にぃに、歯磨きはしないの?」
「肝心の歯ブラシがないだろ」
しかしこのまま歯を磨かない生活が続くとそれはそれで問題だ。こいつらを虫歯にして喚かれてもかなわない。伝説のドラゴンが虫歯になるのかは知らないが。
「あ……」
「あ?」
唐突にクルシュが、まるで何か重大なことでも思い出したかのような声を上げた。
そしておもむろに片手を床につけると、彼女を中心に真っ黒な液体が床に滲み広がる。
「なんだそれ……?」
「私のもう一つの能力。ある程度の物質を異空間から出し入れできるの」
「ああ、ようするにアレだろ。四次元的なポケットだろ」
一人納得してクルシュの所作を静観する中、真円状の闇からいくつもの小物が湧き上がり、それらすべてを吐き出すと闇は静かに引いて消えて行った。
あとに残され散乱する小物を検める。
石鹸、歯ブラシ、ナイフ、調味料数種、銀貨三十枚。どれも日常生活に欠かせない物ばかりだ。
俺は床に向けていた視線をそのまま隣のクルシュへとスライドさせ、目顔で問いただした――これはなんだ?
クルシュの目が泳ぐ。
「セルフィエラがね、ここに来る前に餞別にくれたの」
「何で今出した?」
「完全に忘れてた」
返答に思わず額を押さえる。
せめて石鹸は風呂に入る前に出してほしかった……とはいえ後の祭り。今さらクルシュを責めたところでどうしようもない。むしろ今日中に見つかっただけマシと考えよう。
「……まあ、結果的に歯ブラシがあってよかった……一応確認するが、もらったのはこれで全部だよな?」
「うん。そうだよ」
女神のくせに随分ケチな贈り物だな。もう少し気の利いたアイテムがあってよかっただろ。貨幣は素直に嬉しいが、現段階では銀貨三十枚がどれほどの価値なのか不明だ。
金の使い道は慎重に考えるべきか。
アゴに片手を添え真剣に悩んでいると、不意に袖を引っ張られた。
「にぃに、歯磨いて」
「……お前ら、まさか自分で歯も磨いたことないのか?」
一斉に三人の首肯が返ってくる。
俺は深いため息をつき、渋々三人の歯を磨くこととなった。他人の歯なんて磨いたことがなく力加減に難儀したが、どうにかこうにか遂行することはできた。
俺はあくびを噛み殺しながら、三人を二階のベッドまで連れて行った…………まではよかったのだが、
「なんで俺までベッドで寝てんだ……?」
「一緒に寝た方があったかいよ?」
隣でヴィムがささやいてくる。吐息がかかるほどの至近距離で。
両腕はヴィムとリヘナに抱き着かれて封じられ、仰向けになった体にはクルシュが乗っかっている。現状、身動き一つ取れない。
こうなった経緯を簡潔に説明する。
三人をベッドに送り届けた後、ソファで寝ようとして立ち去りかけたところを彼女たちに取り押さえられ、ベッドに引きずり込まれたのだ。
最初は抵抗したのだが、曲がりなりにもドラゴンだけあって三人分の筋力に俺は呆気なく屈した。悔しい。
別にこいつらと寝るのが嫌なわけではない。ただ……正直なところ、俺あんまりここの階段上り下りしたくないんだよ。理由は口が裂けても言えないが。
しかし、この三人の少女に抱き着かれた状況から抜け出すのは事実上不可能である。今回ばかりは甘んじてここで寝るしかあるまい。
「感想はどうシグレ? 美少女三人と同じベッドの中で寝られるんだよ? 夢みたいでしょ?」
「夢ならとっとと覚めてくれ」
「ひっどーい!?」
クルシュと軽く冗談を交わして微笑むと、俺はそっと目を閉じた。
「もう寝るぞ。おやすみ」
「「「おやすみー」」」
そう告げて三人が黙ると、周囲に夜の静けさが降りてきた。
だがその静寂も長くは続かず、目を閉じる俺の耳にクルシュのひそめた声が届く。
「……シグレ、ありがとね」
思っても見なかった言葉に思わず目を開ける。
「なんのことだ?」
「今日一日一緒に過ごしてくれて。正直、嬉しかった。人間とこんなふうに掃除したりお風呂入ったり寝たことなんてなかったから」
「ヴィムも、久しぶりに楽しかった」
「私もです。シグレくんには感謝しても仕切れません」
両隣からも謝意を送られ、面映ゆい展開にどう反応していいのか分からず視線をさまよわす。
まさか、こいつらにとってこの暮らしがそんなにも喜ばれるものだとは思ってもみなかった。電気もないし家はボロイし食べ物はないしで、いいことなんて一つもないのに、それでもこいつらは今の暮らしが楽しいらしい。
最初は半ば騙され渋々といった感で受けたドラゴンの子守であったが……今は少しだけ、受けてよかったと思える。
自然と口から笑みがこぼれた。
「何言ってんだお前ら。これからこんな生活が毎日続くんだぞ。お礼なんて言ってたらキリがないだろ」
俺がそう言うと三人が静かに笑った気配がした。
それから俺たちの会話はぱったり途絶え、再び目を閉じると眠気はすぐに訪れた。