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Episode.01 闘う妹①

―――――まえがき―――――

今作はカクヨムの方で110話ほど先行公開しております。

小説家になろう様のプロフィールにリンクがあるので、もし気になる方がいらっしゃればチェックしてみてください。

今作はカクヨムの日間・週間・月間の部門ランキング1位、総合は7位でした。

――――――――――――――

意識が浮上する。微睡みの境界線で、僕はまず「心地よい音」を聴いた。


遠くで響く、カラスの鳴き声。


坂の下を通り過ぎる、新聞配達か何かの原付のエンジン音。


そして、我が家の古い換気扇が回る、低く規則的な唸り。


それらはすべて、かつての僕の世界――あの無機質な、アスファルトと排気ガスに満ちた都会の喧騒とは違う、どこか湿り気を帯びた、生活の匂いがする音だった。



……日曜日。



四月の第一週、最終日。


昨日は臨時登校日だった。


七ツ海市立高等学校の、あの急峻な坂道を往復した脚には、まだ鉛のような重苦しさが残っている。


けれど、その重みさえも、僕にとっては「生きている」という実感の証左だった。


この一週間、僕は文字通り、夢の中にいた。


登校路で、あるいは教室の窓辺で、あるいは放課後の廊下で。


僕は、かつて画面越しに恋い焦がれたヒロインたちと言葉を交わした。


僕はそのたびに、胸を締め付けられるような郷愁と、同時に、彼女たちの抱える「設定」という名の「苦悩」を思い出し、喉の奥が熱くなるのを感じた。



――僕は、彼女たちと対等な友人関係を目指す。



それは攻略という名の所有欲ではなく、この美しい物語を、悲劇や虚無で終わらせたくないという、一人のプレイヤーとしての、祈りにも似たエゴだ。


「……(けい)? 起きてるの?」


階下から、母さんの声が響いた。


一階に下りると、そこには外出の準備を整えた両親の姿があった。


「お父さんと碧海市(あおうみし)まで買い物に行ってくるわね。夕方には戻るから、お昼は適当に冷蔵庫の中にあるもので済ませて」


「ああ、わかったよ。気をつけて」


「そうそう、澪がまだ起きてこないのよ。昨日、夜更かししてたみたいで。……京、悪いけど起こしてあげてくれる? あんまり寝すぎると夜に響くから」


母さんはそう言い残すと、父さんと共に玄関へと消えていった。


バタン、と扉が閉まる音。


……。


…………。


家の中に、深い静寂が戻る。


僕は、階段を見上げた。


二階の奥にある、澪の部屋。


原作の『Sweet Kiss』において、相澤澪は攻略対象ではない。


彼女はあくまで、主人公を送り出す、物語の「起点」としての役割を与えられたサブヒロインだ。


彼女にも「好感度」は存在する。


だが、それはメインヒロインたちを攻略するための役立つ情報をもらうための手段。


澪の好感度によってメインヒロインの好みの食べ物などのプライベートな情報が得られる仕組み。


プレイヤーは彼女の献身的な愛を、呼吸をするように当然のものとして受け取り、そして他のヒロインとの結末へと旅立っていく。


深夜アニメを観始めた小学生の頃から、僕はずっと疑問に思っていた。



――彼女の「幸せ」とは、いったい何なのだろうか、と。



僕の目には、頼りない兄を支え、兄の幸せを願うあまり、自分の人生を空っぽにしていっているように見えたのだ。


それは、僕の勝手な幻想なのかもしれない。


彼女は主人公がメインヒロインと結ばれた後も、どこかで幸せになっているのかもしれない。


でも、この世界に転生した以上、知っておく必要がある。



――彼女が、どこへ向かおうとしているのかを。



だから、僕にとって澪は、単なる「妹」ではない。


最も身近で、最も幸せになってほしい「ヒロイン」の一人。


共に歩みたい、大切な「ヒロイン」の一人。


僕は重い腰を上げ、階段を一段ずつ踏みしめるようにして二階へ上がった。



――。


澪の部屋の前に立つ。


ドアノブに手をかけようとして、わずかに躊躇った。


原作の主人公であれば、妹の部屋に無断で入る。


前世の僕なら何ら疑問も抱かなかったであろう日常の風景が、今の僕には、ひどく「重要で、取り返しのつかないフラグ」のように感じられてしまう。


「……澪。起きてるか?」


ノックを二回。


……。


…………。


返事はない。


僕はゆっくりとドアを開けた。


「入るよ……」


部屋の中は、カーテンが閉め切られており、薄暗い。


その中に、甘い香りが満ちていた。


林檎のシャンプーと、洗いたてのシーツと、そして「相澤澪」という少女が発する、少しだけ体温を感じさせる独特の匂い。


ベッドの上で、彼女は眠っていた。


掛け布団から、白い肩がわずかに覗いている。


緩やかにウェーブした髪が枕に広がり、寝息を立てるたびに、小さな唇が微かに震える。


画面の中のドットの集合体ではない。


透き通るような肌の質感、浮き出た鎖骨の繊細なライン。


そこには、僕が守るべき、一人の壊れやすい少女の「命」があった。


その時、僕の視界の端で、あの青白い光が瞬いた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[システムメッセージ]

① 布団を一気に剥ぎ取り、「起きろ!」と叫ぶ(好感度+3)

② ベッドの縁に座り、耳元で優しく囁く(好感度+8)

③ 黙って彼女の寝顔を眺め続け、頬に触れる(好感度+15)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


……。


…………。


――ふざけるな。


僕は、奥歯を噛みしめた。


どれもこれも、あざとい。


特に三番目の選択肢。


好感度が最も上がる代わりに、何かが決定的に歪んでいく予感がする。


好感度なんて数値で、彼女の人生を操ってたまるものか。


僕はシステムを無視し、ベッドから少し離れた位置に立った。


そして、カーテンの隙間をほんの少しだけ広げ、朝の光を床に一筋落とした。


「澪。……朝だよ。母さんたちが買い物に出かけた」


努めて冷静な、兄としての声を出す。


だが、澪は起きない。


それどころか、眩しそうに顔をしかめると、掛け布団を頭まで被り、「んぅ……」と子供のような声を漏らして体を丸めた。


「あと、五分……。お兄ちゃん、おやすみ……」


「おやすみじゃない。もう十時過ぎだよ」


僕は困ったように溜息をついた。


このまま放っておくこともできるが、母さんに頼まれた手前、そうもいかない。

僕は意を決して、ベッドの傍らへと歩み寄った。


「ほら、起きろって。ご飯の準備、手伝ってほしいんだ」


僕は彼女の肩を、布団越しに軽く揺すった。


その瞬間、澪の動きが止まった。


「……あ」


布団の隙間から、片目だけが覗く。


大きな、けれどまだ覚醒しきっていない、潤んだ瞳。


その瞳が、僕の顔をじっと見つめる。


「……お兄ちゃん?」


「ああ。……おはよ」


澪は、ゆっくりと布団から這い出してきた。


はだけたパジャマの襟元から、彼女の胸の起伏が不意に視界に入る。


僕は慌てて視線を逸らした。


「……もう。お兄ちゃん、いきなり入ってこないでよ。乙女の部屋なんだから」


口ではそう言いながらも、彼女の声に怒りの色はなかった。


それどころか、彼女は僕の腕を掴むと、そのまま自分の額を僕の腕に押し当ててきた。


「……んぅ。まだ、眠い……」


甘えるような、けれどどこか「僕を試している」ような仕草。


その体温が、僕の衣服越しに心臓まで伝わってくる。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[警告]

 不規則な行動により、好感度予測が不可能です。

 対象:相澤 澪 の状態が【陶酔】へ移行中……。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



――赤い警告文字が、僕の視界を侵食する。



けれど、僕はそれを払いのけるようにして、澪の肩を優しく押し返した。


「ほら、ゆっくり起きて。……目が覚めたら、下に降りてきなよ」


僕は、彼女に深入りすることを避けるようにして、早足で部屋を出た。


背後で、澪の「……はーい」という、少しだけ物足りなそうな返事が聞こえた。



――。


廊下に出た僕は、大きく息を吐いた。


階段を下りながら、僕は自分の手のひらを見つめた。


わずかに残る、彼女の髪の柔らかい感触。


この日曜日が、僕たちの関係を、そして、この物語の純度を、いかに変えてしまうのか。


窓から差し込む春の光は、あまりにも明るく、そして残酷なまでに僕の影を床に色濃く映し出していた。




―――――あとがき―――――

今作をここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。

少しでも続きが気になった方は、モチベーションに繋がりますので、

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――――――――――――――

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