Episode.03 完璧な委員長③
「……あ、っ、んんっ……! な、なんなのよ、これ……っ!」
お湯の中で僕の指が土踏まずのアーチを深くなぞると、秤の背中が弓なりに反った。
準備室の古びたパイプ椅子が、彼女の震えに合わせてギィと甲高い音を立てる。
指先から伝わってくるのは、彼女がこれまで一分一秒も休むことなく張り巡らせてきた、強固な防衛本能が瓦解していく振動だ。
「動かないで。リンパが滞ってるから痛いんだ。……ここかな?」
「ひゃっ!? や、やめ……っ、やめなさい……っ!」
完璧な委員長、冷徹な女王。
そんな虚飾の皮が、温かなお湯と僕の指圧によって一枚ずつ剥がされていく。
彼女の瞳は潤み、その声は涙混じりの、どこまでも年相応で無防備な少女の悲鳴へと変わっていた。
僕はバケツから彼女の白い足を引き上げ、準備室にあった清潔なタオルで包み込む。
ふわりと舞い上がる湯気。
その向こうで、秤は肩を上下させ、荒い呼吸を繰り返している。
その顔は耳の付け根まで真っ赤に染まり、僕の視線を避けるように、けれど逃げ出す力もなく、ただ翻弄されていた。
水気を丁寧に、指の間まで優しく拭き取り、僕は独身貴族時代に「過酷な労働でボロボロになった自分を癒やすためだけに」磨き上げたフットケアの技術を、惜しみなく彼女に注ぎ込んだ。
足首からふくらはぎへ。
強すぎず、弱すぎない。
30代を過ぎて慢性的は血行不良と足の重だるさに悩まされた僕が、週末のたびにあらゆる整体、エステ、マッサージ店を渡り歩いて体得した「黄金の指圧」。
それは、彼女が僕に強要しようとした「舐める」という安っぽい性的な奉仕などよりもずっと深く、彼女の自律神経の最深部に直接届く。
「ひ、ひぅ……っ、ん……。な、に……これ……、熱い、のが、中まで……」
秤の指先が、僕の肩を掴もうとして空を切る。
完璧超人の姉と比べられ、その影を踏まないよう、周囲の期待という名の崖っぷちを常に爪先立ちで歩いてきた彼女。
その強張った筋肉が、僕の親指がツボを捉えるたびに、春の陽光を浴びた残雪のように、じわりと、けれど確実に緩んでいく。
彼女の足は、驚くほど小さかった。
こんな小さな足で、完璧な委員長という看板を背負い、姉への劣等感を隠し、無理に背伸びをして「優等生」を演じてきたのか。
そう思うと、自然と指先に込める力が優しくなる。
「……あ、は……。……相澤、くん……っ。……もう、やめ……て……。おかしく、なっちゃう……わ、わたしが悪かったから……もう、やめて……」
もはや「アンタ」と呼ぶ余裕すら、彼女の喉には残っていなかった。
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好感度:-50 ――> 20[状態:生意気な肉奴隷]
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抗議の声は、もはや消え入りそうな微かな吐息に等しかった。
拒絶の言葉とは裏腹に、彼女の足首は僕の手のひらに力なく預けられ、心地よすぎる刺激に翻弄されるままになっている。
意識は、現実の苦しみを忘れた極上の浮遊感の中に沈み込み、彼女の脳内を支配していた「姉への憎悪」や「支配欲」は、真っ白な霧に包まれて消えていった。
彼女の中にある姉への「劣等感」や複雑な想いの根本を断つことは、僕にはできない。
だけど、毎日、独りで頑張る彼女に「休息」や「癒し」を届ける、「肉奴隷」という名の「友人」くらいにならなれるかもしれない。
僕は黙々と作業を続けた。
足の指を一本ずつ、関節の隙間を広げるように丁寧に解き、反射区を正確に刺激する。
やがて、椅子から伝わっていた彼女の激しい震えがピタリと止まった。
ふと顔を上げると、そこには、あの彼女が大嫌いな姉にそっくりの、けれどそれ以上に繊細で壊れそうな「鉄の仮面」を完全に脱ぎ捨てた、無防備な少女の姿があった。
秤は、首を力なく横に傾け、薄く開いた桜色の唇から規則正しい、微かな寝息を漏らしていた。
あれほど鋭かった瞳は閉じられ、長く整った睫毛が時折ピクリと震える。
顎先からは、完全に弛緩しきった証拠のように、うっすらと涎が垂れていた。
学園中が崇める「完璧な委員長」、それから「蓮見遥の妹」の、あまりにも情けなくて、そしてあまりにも愛おしい寝顔。
「……お疲れ様、委員長。よく頑張ってるよ、君は」
僕は苦笑いしながら、自分の制服の上着を脱いだ。
それを、彼女の細く、まだ微かに震えている肩にそっとかける。
「肉奴隷」にして屈辱を与えようとした男に、自分の一番醜い姿――涎を垂らして寝入る姿を見せ、あろうことかその上着に包まれて眠る。
目が覚めたら、彼女はさぞかし、この世の終わりを経験したかのような屈辱に震え、そして顔を真っ赤にするだろう。
三十分ほど経っただろうか。
準備室の窓の外。茜色の空が、ゆっくりと深い紫の帳へと沈み始めた頃。
秤の睫毛が、迷い込んだ蝶のように微かに揺れた。
「……ん、……え……?」
――覚醒。
朦朧とした意識の中で、彼女はまず、自分の肩にかかった見慣れない上着の重みを、そして鼻を突く「男の子」の匂いを感じ取った。
目の前では、バケツを片付け、何事もなかったかのように眼鏡を拭いている僕がいる。
――そして。
自分の足元が……漆黒のタイツを脱ぎ捨てたまま、驚くほど温かく、そして羽根が生えたかのように軽くなっていることに、彼女は気づいた。
「……っ!? な、何したのよアンタ! 私は、足を舐めろって言ったのよ! なんで……なんでこんな……っ!」
反射的に立ち上がり、僕を糾弾しようとする秤。
だが、骨抜きにされた彼女の足には全く力が入らず、再び「ひっ」という短い悲鳴と共に椅子に深く沈み込んだ。
顔は、これまでの人生で一度も経験したことがないほど、鮮やかな深紅色に染まっている。
「足湯マッサージ、役に立ってよかったよ」
僕は彼女の隣に立ち、色褪せていく夕陽を窓越しに見つめながら、努めて静かに言った。
「蓮見遥……あの完璧超人と、ずっと対等に殴り合えてる時点で、秤さんは十分すごいと思うけどね。僕は本心からそう思ってる」
「……アンタ、何を――」
「秤さんがここまで自分の能力を磨けたのは、蓮見遥の妹だからじゃない。秤さんが自分の力で、頑張ってきたからじゃない?」
それから、これはお世辞でも何でもない。
「あのお姉さんに勝てる見込みがある人間なんて、この世界に一人しかいない。……秤さん。君だけだよ。君だけが、あの人を本当の意味で揺さぶることができるんだ」
前世でプレイした『Sweet Kiss』の設定上、蓮見遥を超える潜在能力を秘めているのは蓮見秤だ。
それから、蓮見遥の唯一の弱点は、彼女が狂気的に執着している妹、蓮見秤だけなのだ。
けれど、ゲームの中の秤は、常に姉の影に怯え、劣等感に歪み、主人公に選ばれない場合、その可能性に気づかないまま破滅していった。
「……もし、また『肉奴隷』が必要になったら……いや、一人の『友人』として、足湯マッサージが必要になったら、いつでも言ってよ。……秤さん、ひとりで頑張りすぎだから、たまにはこうして、誰かに体重を預けてもいいんじゃない?」
僕は彼女の返答を待たずに、準備室の鍵を机の上に置いた。
「じゃあ、僕は帰るよ。上着は明日、返してくれればいいから。……あ、涎。拭いたほうがいいと思うよ」
振り返らずに、僕は部屋を後にした。
背後で、彼女が「……あ、っ!?」と絶句し、猛烈な勢いで口元を拭う気配がしたけれど、今は放っておくことにした。
静まり返った廊下を歩きながら、僕は自分の右手の、まだ残っている彼女の柔らかな肌の感触を確かめる。
35歳の僕から見れば、彼女の「ドSな女王様」な振る舞いは、自分を見てほしい、自分を認めてほしいという、不器用すぎる少女の悲鳴でしかない。
今日、彼女に与えたのは、屈辱でも屈服でもなく、ただ一時の「休息」だった。
◆
準備室の中に一人取り残された秤は、しばらくの間、微動だにできなかった。
自分の膝を抱きしめ、まだ僕の体温が残っている制服の上着に、深く顔を埋める。
「……最悪。……最低よ、あいつ……」
姉を傷つけるための道具。
姉から奪い、汚し、台無しにするためだけの存在。
――そのはずだった男の子。
けれど今、彼女の胸の奥で疼いているのは、姉への憎しみではない。
自分の醜い部分も、疲れてむくんだ足も、涎を垂らして眠る無様な姿も、すべてを「お疲れ様」という言葉と共に温かく包み込んでくれた、あの指先の熱。
「……バカじゃないの、あいつ……。あんなことして、私が許すと思ってるの……?」
震える声で呟いた秤の瞳には、姉・遥が持つそれよりも、もっと執拗で、もっと重く、底知れない「独占欲」が宿り始めていた。
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好感度:20 ――> 35[状態:生意気な肉奴隷]
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支配。
そうよ、あいつを必ず屈服させてやるわ。
でもそれは、姉さんを困らせるためじゃない。
姉さんに自慢するためでもない。
――あいつを、私だけの「専用の肉奴隷」にするために。
――あの熱い指先を、私だけのものにするために。
秤は、自分でも気づかないうちに、京の上着をより一層強く、抱きしめていた。
それは、優等生の仮面の下に隠されていた、一人の少女の「恋」が、歪んだ形を保ったまま、決定的に芽生えた瞬間だった。
―――――あとがき―――――
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