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Episode.01 ギャルゲー世界転生①

―――――まえがき―――――

今作はカクヨムの方で110話ほど先行公開しております。

小説家になろう様のプロフィールにリンクがあるので、もし気になる方がいらっしゃればチェックしてみてください。

今作はカクヨムの日間・週間・月間の部門ランキング1位、総合は7位でした。

――――――――――――――

意識の輪郭が、霧に溶けるようにして消えていく。


最後に見たのは、ひどく無機質な天井の白だった。


あるいは、使い古された液晶ディスプレイの放つ、目に刺さるようなブルーライトだったかもしれない。


もう、どうでもよかった。


僕の人生は、何ひとつとして成し遂げられないまま、ただ砂時計の底に溜まる(おり)のように積み重なり、そして唐突に終わりを告げようとしていた。


――けれど。


消えゆく意識の底で、僕が最後に(すが)り付いたのは、現実の家族でも、仕事の達成感でも、友人の顔でもなかった。


それは、遠い夏の日の記憶。


まだ僕が小学生だった頃、湿り気を帯びた夜の空気の中で、息を潜めて見つめていた「あの世界」だ。


当時はまだ、深夜アニメという文化がようやく産声を上げ、地方の閉塞感の中でひっそりと花開いていた時代だった。


新聞のテレビ欄。


あの細かく、びっしりと活字が並んだ紙面を、僕は宝の地図を探す冒険者のような手つきで()ったものだ。


深夜二時、あるいは三時。子供が起きていることなど許されない、禁忌の時間帯。


そこに記された、わずか数センチ四方の番組名。


僕はそれを赤いペンで、震える手で囲った。


録画予約という機能は、当時の僕の部屋にある小さなブラウン管テレビには、あまりにも贅沢で、そして不安定な代物だった。


確実に、その一瞬を、その「光」を網膜に焼き付けるためには、リアルタイムで視聴する以外に道はなかった。


親の足音に耳を澄ませ、廊下の明かりが消えるのを待つ。


心臓の鼓動がうるさくて、自分の胸の音で親が起きてしまうのではないかと本気で危惧した。


テレビの音量を最小一桁の、耳を近づけなければ聞こえないほどの囁きまで絞り、僕は画面にかじりついた。


画面の中で揺れる、鮮やかな色彩。


現実の街とは違う、どこまでも透き通った空と、坂の多い街並み。


そこには、上品で、甘酸っぱくて、言葉のひとつひとつに魂が宿っているような、美しい青春があった。


時折、非情な現実が僕を襲ったこともある。


プロ野球の中継が延長され、予定されていた深夜アニメの放送が跡形もなく消え去った夜。


画面に映し出されるのは、予定されていた物語ではなく、ただ無機質な砂嵐か、あるいは放送終了を告げるカラーバーだけ。


あの時の絶望といったらなかった。


世界の終わりを、僕はあの数センチの画面越しに何度も体験した。


翌朝、学校へ行く足取りは重く、誰にも言えない秘密の喪失感を抱えて、僕はただ呆然と教室の席に座っていた。


その後、僕は貯めた小遣いを握りしめ、近所の古びたゲームショップの隅っこで、一本のギャルゲーを手に入れた。


『Sweet Kiss』。深夜に放送されていたアニメの元となったゲーム。


それが、僕の運命を決定づけた作品だった。


今の時代のゲームのように、過激な露出があるわけではない。


安易な性描写で読者を釣るような下品さもない。


そこにあるのは、ただひたすらに「心」の揺れ動きだった。


指先が触れるか触れないかの距離感。


夕暮れの坂道で交わされる、なんてことのない、けれど二度とは戻らない時間の対話。


言葉にできない好意を、瞳の輝きや、わずかな声の震えだけで表現する、あの職人芸のような演出。


僕は、あの世界を愛していた。


汚したくない、青春だった。


大人になり、社会の荒波に揉まれ、心がささくれ立っても、あの琥珀色の記憶だけは、僕の中で永遠に輝き続けていた。


だから。


だからこそ、僕は願ったのだ。


もし、もしも許されるのなら。


もう一度だけ、あの鮮やかな色彩の中に、自分を浸してみたいと。



 ◆



「……お兄ちゃん……。おーにぃーいーちゃん!!」


耳元で、鈴を転がすような、けれどどこかいたずらっぽい響きを含んだ声が聞こえた。


鼓膜に届く振動。それは、現実の、生々しい「音」だった。


――え?


重い瞼を押し上げる。


まず目に飛び込んできたのは、見覚えのない、けれど魂の深い場所で知っている「天井」だった。


木目の柔らかな、少しだけ日に焼けた天井板。


そして、鼻をくすぐる、香ばしい味噌汁の匂いと、炊き立ての米の香り。


それだけではない。


腹の上に、どっしりとした、けれど柔らかい「重み」を感じる。


何かが、僕のベッドに乗っている。


「起ーきーてー! 遅刻しちゃうよ、お兄ちゃんっ!!」


直後、僕の耳元で爆発的な叫び声が響いた。


「わーっ!」という無邪気な、それでいて全力の咆哮。


「う、うわああああっ!?」


僕は跳ね起きた。


その拍子に、腹の上に乗っていた「重み」が、軽やかな悲鳴を上げて床へと転がり落ちる。


「あいたたた……。ちょっとお兄ちゃん、いきなり起き上がらないでよ! 澪が飛んでっちゃったじゃない!」


床で尻をさすりながら、頬を膨らませて僕を睨みつける少女。


緩やかにウェーブした髪。


いたずらっ子のような、大きな瞳。


少しだけ幼さを残しながらも、どこか凛とした佇まいを見せるその姿。


――相澤、澪。


僕の、妹。


いや、違う。


僕に、妹なんていなかったはずだ。


少なくとも、こんな『Sweet Kiss』のサブキャラクター、かつ全ルート攻略後に出現するシークレットヒロインそのもののような妹なんて、僕の人生には存在しなかった。


呆然と立ち尽くす僕の視界に、妙なものが入り込んだ。


澪の頭の上に、半透明のプレートのようなものが浮かんでいる。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 名前:相澤あいざわ みお

 学年:1年 誕生日:8月16日

 血液型:A型 身長:155cm

 好感度:測定不能

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「……は?」


声が漏れた。


自分の声。


けれど、それは聞き慣れた大人の男の掠れた声ではなく、もっと若々しく、張りのある、高校生の頃の僕の声だった。


「な、何、お兄ちゃん……。寝ぼけてるの?」


澪が、怪訝そうに首を傾げる。


その動きに合わせて、頭上のウィンドウがふわりと揺れた。


――嘘だろ。これは、夢か?


それとも、死に際の脳が見せている、あまりにも精巧すぎる幻覚か。


僕は震える手で、自分の顔を触った。


肌に触れる指先の感覚。


心臓が早鐘を打つ振動。


窓から差し込む朝の光の、わずかな熱。

 

すべてが、あまりにも「生きて」いた。


窓の外に目を向ける。


そこには、僕が何度も画面越しに見て、憧れ、そしていつか行きたいと願っていた景色が広がっていた。


急峻な坂道に沿って立ち並ぶ家々。


潮風に耐えるために少し黒ずんだ屋根瓦。


そして、その坂の向こう側に、鏡のようにキラキラと朝日に輝く、「七ツ海」の青い海。


ここは、七ツ海市だ。


僕が小学生の頃、人生のすべてを賭けて愛した、あのゲームの世界。


「お兄ちゃん? ……ねぇ、本当に大丈夫? なんか、顔色が変だよ?」


澪が立ち上がり、僕の顔を覗き込んできた。


彼女の瞳には、明らかな「心配」の色が宿っている。


それは、ゲームの立ち絵のパターンの一つなどではない。


瞳の奥にある虹彩が、僕の困惑を反映して微細に揺れ、眉の端がわずかに下がる。


その一瞬の、コンマ数秒の感情の機微。


――本物だ。


ここは、データで作られた世界じゃない。


血が通い、呼吸があり、明日という時間が残酷なまでに確実に流れていく、現実の世界だ。


僕は、転生したんだ。


僕の、最も愛した「青春」の中に。


全身の産毛が逆立つような感覚に襲われる。


歓喜? いや、違う。それは、畏怖に近かった。


僕はこの世界を汚したくないと思っていた。


高解像度のリメイクすら望まなかった。


あの頃の、解像度の低いブラウン管越しに見た、朧げで、だからこそ美しかった記憶のままで保存しておきたかった。


なのに、僕はその世界の一部になってしまった。


僕の、一挙手一投足が、この世界の純度を左右してしまう。


ふと、視界の真ん中に新たなウィンドウが割り込んできた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[システムメッセージ]

①「……夢じゃないのか?」と頬をつねる(好感度+3)

②「澪、重いんだけど……」と溜息をつく(好感度-2)

③ 黙って澪の頭を撫でる(好感度+10)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


青白い光が、空中に固定されている。


僕はこの世界で「主人公(プレイヤー)」として振る舞うことを強要されているのだろうか。


僕はごくりと唾を飲み込んだ。


喉の奥が、張り詰めた緊張で痛い。


――待て。


もし、僕が「相澤京(あいざわけい)」として、ゲームのシナリオ通りにヒロインたちを攻略していったら、どうなる?


あの時、画面の向こう側で完結していた美しい物語。


僕が彼女たちを一人だけ「選ぶ」ことで、選ばれなかった他のヒロインたちはどうなるんだろう。


ゲームでは描かれなかった、フェードアウトしていく彼女たちの「その後」。


この閉塞感のある、坂の多い街で、悩みを抱えたまま、誰にも手を差し伸べられずに立ち止まってしまう彼女たちの人生は。


僕は、澪の真っ直ぐな視線を見つめ返した。


彼女は、僕が何かを答えるのを待っている。


この世界は、もう「お遊び」じゃない。


僕の選択肢一つで、この少女の、そしてこれから出会うであろう彼女たちの人生が、決定的に変わってしまう。


僕はゆっくりと、深呼吸をした。


肺に満ちる空気は、微かに塩の香りが混じっている。

 

――決めた。


僕は、彼女たちを「攻略」なんてしない。


攻略とは、一種の征服だ。


好感度という数値を稼ぎ、フラグを立て、最終的に「自分のもの」にする行為。


それは、僕の愛したこの世界の美学に反する。


幸いにもこのゲームには、恋人関係の「好き」、友人関係の「仲良し」、敵対関係の「疎遠」という三種類のゴールがヒロインごとに設けられていたはずだ。


僕は、彼女たちの「友人」になりたい。


誰にも選ばれなかったとしても、彼女たちが自分の足で、この坂道を登っていけるようになるための、最高の相棒。


恋人という名のトロフィーに閉じ込めるのではなく。


彼女たちの孤独に寄り添い、その「闇」を、僕が知っている「知識」で照らし出す。


それが、この世界に招かれた僕に課せられた、唯一の、そして最大の使命なのだと。


「……お兄ちゃん? 本当に、どうしちゃったの? もう、そんなに怖い顔しないでよ。……何か、嫌な夢でも見た?」


澪の手が、僕の腕に触れる。


――温かい。


その温もりが、僕の覚悟をさらに強固なものへと変えていった。


「いや……」


僕は、視界に浮かぶ「正解」の選択肢を無視した。


自分の心から溢れ出した、飾りのない言葉を口にする。


「……おはよう、澪。最高の朝だよ」


その瞬間、視界の端で「警告」の文字が真っ赤に明滅した。


けれど、僕はそれを無視して、窓の外に広がる、輝かしい七ツ海の海原をただ見つめていた。




―――――あとがき―――――

今作をここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。

少しでも続きが気になった方は、モチベーションに繋がりますので、

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