不機嫌な当主
「僭越ながら言わせていただきます。随分と無茶な真似をした上に当初の目的を完全にお忘れとは、クローバード家当主としてあるまじき行為です」
皆が寝静まった夜。屋敷に戻りアルベルトに今日あったことの報告をすると、彼はこめかみを押さえ呻くように言った。
「別に目的を忘れていたわけではない。潰してしまうことがおしいと思っただけだ」
別途に足を投げ出して座っているシドを見てアルベルトは深いため息をついた。
「坊っちゃんの言い分も理解できますが、今後どうされるおつもりですか?校長先生もセスさんとやらも、生徒会のお仲間さん方も、とても一筋縄でいく相手ではございませんよ」
聞き分けのない子供を諭すような口調だがアルベルトの表情は厳しい。
「それについては色々と考えを練っている。お前が僕の力を侮るな」
ベットの上であぐらをかき頬杖をついてむくれるシド。普段ならこんなはしたない真似をしない。どうやら今日の坊っちゃんは不機嫌であるとアルベルトは意識した。
「全くの無策と言うわけではなく安心致しました。考えとやらをお聞かせ願いますか?我が主」
アルベルトがそう聞くとシドは彼に座れと命じた。アルベルトは躊躇したが、「でかい癖に突っ立っていられても邪魔だ」と伝えられ素直に椅子に腰かけた。
帰ってからずっと書斎に篭っていたようだが、何かあったのだろうか。普段の彼との違いに心配を覚える。
あまり坊っちゃんを刺激してはいけないとアルベルトが腰かける。シドは納得したようで、具体的に自分の考えを聞かせた。
「また、坊っちゃんは突拍子もないことを思い付きましたね」
呆れと感心が入り交じったようなアルベルトの呟きにシドは唇の端をつり上げた。
「うまくいけばすべてが解決する」
「クローバード家の主は坊っちゃんですから、あなたが決めたことならば私は従うまでです。机上の空論とならないことを祈っておりますよ」
不適な笑みを浮かべるアルベルトにシドの闘争心が煽られる。
「僕に不可能などない」
むすっとしてシドはアルベルトに言い返す。それを軽くあしらってアルベルトは立ち上がり話題を変えた。
「今日一日休んだことでナタリーの調子が大分良くなったようだとヘザーから伺っております。明日になれば動けると本人は言っているようですが、いかが致しましょう」
シークレットジョブの話から屋敷の話になったことで、シドの顔つきは不機嫌な子供の顔から当主らしいものになった。その瞬間アルベルトは普段の主との変化に気がついた。ほんのりと頬が赤いのだ。
「明日は無理をさせない程度の軽い仕事で様子を見てくれ。ナタリーは無茶をする傾向があるから気を付けるように」
あなたがそれを言いますかとアルベルトは喉元まで出かかったが、シドの不機嫌な調子がせっかく和らいできていたので、柔らかな笑みを浮かべた。
「かしこまりました」
「それと、能力の使い方の指導の件だが計画は立っているか」
「はい、なるべくナタリーの体に影響しないよう勤めます」
「ああ」
後の報告点はとシドが考えているとアルベルトがパンっと軽く手を打った。
「今日はここまでに致しましょう。明日も早いですからお休みになってください」
突然の終了宣言にシドは顔をしかめる。
「いつもより、まだ早い時間だろう。聞いていないこともまだある」
憮然として言うと今度はアルベルトが眉を潜めた。
「坊っちゃん、体調が優れないのでしょう。違うとは言わせませんよ、今日は休むべきです」
「問題ない」
シドはベットの上から飛び降りるようにして立ち上がった。
「なるほど。だから今日の報告は書斎ではなくここで行うと言ったのか。心配せずとも自分の体調くらい自分で管理できる。この程度なら影響はない。報告が終了ならば書斎の方を片付けてくる」
横を通りすぎようとするシド。アルベルトは反射的に彼の腕をつかむ。
「なりません。片付けならば私が行います」
頑なにどけようとしないアルベルトにシドはため息をつく。
「ご自身で気づいているか存じませんが、帰ってきてからの坊っちゃんは、ずっと気をたてているようでいらっしゃいました。そんな様子では明日からの学校にも支障がでます。今日の所は私の意見を聞いていただけませんか?」
腕をつかんだまま膝をついて、アルベルトはシドと目線を合わせた。シドははっとして、それからばつが悪そうに目をそらした。
「お前の言う通りだ。すまない、アル。今日はここまでにする」
「ご理解いただいてありがとうございます」
今までの行動を思い返してややうろたえているシドにアルベルトは頬を緩めシドを抱えた。
「おい、おろせ!」
「そんなに騒がれますと熱が上がりますよ」
シドの頬がいつもより赤くなっているのにアルベルトは気づいていた。腕の中で足掻いた主を落とさないようにベットに運ぶ。
アルベルトはシドに布団をかけながら寝物語のように語りかける。
「人というのは人の変化に敏感な生き物です。あなたがあなたでいられなくなるようなことを私は望んでいません。先程のような事は、どうか今夜限りのものにしてください」
「…ああ」
やはり、辛かったのかシドは目を閉じかけてうつらうつらとしていた。
「では、おやすみなさいませ。坊っちゃん」
部屋の電気を消してアルベルトは静かに扉を閉めた。シドはもう夢の中のらしく小さな寝息が聞こえ始めていた。
「さて、書斎を片付けましょう」
これからやるべき仕事を頭に浮かべアルベルトは廊下をスタスタと歩く。シドが話した計画を本当に進めるのならば、アルベルトも手を打たねばならないことが増える。具合が悪い癖によく頭がまわるものだ。
「もしかして知恵熱ですかね」
アルベルトはひとりごちてクスッと笑った。片付けを終えたら、今一度坊っちゃんの様子を見に行かなくてはと思う。明日までに調子が戻ればいいのだが。
「こ、これは」
書斎のドアを開けたアルベルト。中は本棚から引き出された資料やファイルなどがあちこちに散乱して、書きかけの紙や使いかけのペンが散らばり、まるで泥棒にでも入られたかのような惨状だった。
昨日みたいに誰かが部屋に押し入ったのかとも思ったが、昨日の反省をいかしセキュリティーはばっちり対策しているので、その可能性はあり得ない。
「ずいぶんと散らかしてくれましたね」
引くつく頬を押さえ、アルベルトは散らばる書類を集め始めた。
「おや、もしやこれは」
クローバード社の仕事に関係するものとは別に違う書類が混ざっている。一応分かるように置いているつもりか仕事のものと件の書類は分けてあるのが救いだ。
帰ってきてから、ずっと書斎にいたと思えばこれを調べていたのかとアルベルトは感嘆する。ただの思いつきかと思えば、シドは考えを張り巡らせているようだ。我が主の行動力にはいつも驚かされてばかりだ。
「体調を崩されるのは考えものですがね」
やれやれと呆れた表情のアルベルト。彼の夜はまだまだ長そうだ。




