熱を取り戻す列車と、秘蔵の缶
無事に『星屑の軌道』へと戻ってきた二人は、重い鉄扉を固く閉ざした。
車内は、外の荒野に比べればまだ風がない分だけマシだったが、炉の火が消えたことで、しんと冷え切っていた。吐く息が白く濁り、真鍮ランプの火も消えかかっている。
「よし、ルカ。欠片を炉へ投げ込め」
「はい!」
ルカは肩からかますを外し、車内奥にある「機関室」の重い鋳鉄の扉を開けた。
黒ずんだ炉の深部には、先ほどまで燃えていた星の欠片が、灰になりかけた赤黒い火種となって掠かに明滅しているだけだった。ルカは両手で新しい大きな欠片を抱え、炉の真ん中へ狙いを定めて静かに投入した。
次の瞬間——。
ゴオオオッ……!
炉の奧から、猛獣の遠吠えのような重厚な唸り声が巻き起こった。
投入された結晶が弾け、鮮やかな蒼い炎が爆発的に燃え上がる。炉の小さな覗き窓から眩いばかりの青光が溢れ出し、それが車内に巡らされた真鍮パイプを通じて列車全体へと広がっていく。
カチカチ、と壁の圧力が巻き戻る音が響き、壁の真鍮ランプが一斉に明るく温かな橙色の光を取り戻した。足元からは「カタコト、カタコト」と小さな揺れが戻り、壁の古時計が息を吹き返したようにチクタクと音を立て始める。
冷え切っていた車内の空気が、みるみるうちに優しく温かな熱を帯びていく。
「ふう……生き返ったぁ」
ルカは居間へと戻り、ソファーに倒れ込むように腰を下ろした。
ヴィンセントはすでにいつもの定位置——深茶色の革ソファーへ深く腰掛け、卓上の真鍮ケトルを手際よく磨いていた。
「ルカ。手が氷のように冷えているな」
「外はマイナスでしたからね。手袋をしてても指先がかじかんでます」
「……少し待っていろ。お前にしては上出来な作業だった。特別に、私が茶を淹れてやろう」
「えっ……先生が、ですか?」
ルカは思わず目を丸くして身を起こした。
普段、食事の準備やお茶の用意はすべて弟子のルカの役割だ。ヴィンセントにお茶を淹れてもらえるなんて、年に数回あるかないかの大事件だった。
「何だその顔は。私が淹れるお茶に不服でもあるのか」
「いえ! 滅相もないです! 楽しみです!」
ヴィンセントは重厚なコートのケープを少しだけ捲り上げ、デスクの奥にある小さな木箱から、重厚な金属缶を取り出した。その缶には古い紋章が刻まれており、ヴィンセントが大切に保管している秘蔵の茶葉が入っているようだった。
ヴィンセントが缶の蓋を開けると、それだけで車内中に気品ある甘く華やかな茶葉の香りが漂った。
「いい香り……これ、何の茶葉ですか?」
「かつて東方の高い山々でしか採れなかった、貴重な一番摘みの茶葉だ。熱の通し方を一秒でも誤れば、ただの苦い葉の汁になる」
ヴィンセントの口調から冗談めいた雰囲気は消え、プロの職人のような鋭い眼光へと変わっていた。
彼は真鍮ケトルでお湯を沸かし、その湯気で磁器のティーポットとカップを丁寧に温める。そして、正確な分量の茶葉をポットへと投入した。
沸騰したお湯を少しだけ置き、完璧な温度へと下げてから、一気にポットへ注ぎ込む。車内中に、まるで花々が咲きこぼれたかのような豊潤な香りが立ち上った。
「……抽出時間は二分と四十五秒。一秒の狂いも許されん」
ヴィンセントは古時計の針を鋭い目で見つめ、時間が満ちると静かにポットを持ち上げた。
黄金色に透き通った液体が、白い磁器のカップへと注がれていく。一滴の無駄もなく、完璧な所作だった。料理をさせれば食材を炭に変える男と同一人物とは、とても思えない美しさだった。
「飲んでみろ、弟子」
ヴィンセントから差し出されたカップを、ルカは両手で恭しく受け取った。
湯気とともに立ち上る香りを胸いっぱいに吸い込み、一口、静かに含んでみる。
「…………っ!」
ルカは目を見開いた。
渋みや雑味は一切なく、驚くほど滑らかな舌触り。口の中に含んだ瞬間、柑橘のような爽やかさと、蜂蜜のような濃厚な甘みが複雑に絡み合い、鼻から抜けていく。そして、温かい液体が喉を通ったあと、身体の芯からじわじわと温かな熱が広がっていくのが分かった。
「……おいしい。すごいです、先生……! 僕が淹れるお茶と、全然違います」
「当たり前だ。お前が淹れる茶は『お湯に葉の味を移したもの』だが、私の淹れる茶は『茶葉の命をそのまま液体へと昇華させたもの』だからな」
ヴィンセントは自分のカップを手に取り、眉間のシワを少しだけ緩めて一口味わった。
「湯の温度、抽出時間、器の温め方……すべてが噛み合って初めて、お茶は真の姿を現す。……覚えておけ、ルカ。これは『記録者』の仕事と同じだ」
「記録者の、仕事……?」
「そうだ」
ヴィンセントはカップを置くと、低い声で続けた。
「世界に散らばる記憶や美しさを、ただ漫然と集めるだけでは意味がない。正しい手順と、正しい熱量をもって、己のフィルターを通すことで初めて、それは後世に残る『記録』となるのだ」
ルカは自分の手元にある温かいカップを見つめた。
師匠が淹れてくれた最高の一杯の温もりが、ただ冷えた身体を温めるだけでなく、ルカの心の中に小さな灯火をともしていくようだった。
「さあ、お茶で身を温めたら、本日の記録の時間だ。手帳を出しなさい」
ヴィンセントが胸ポケットから、あの「藍色の羽ペン」を取り出した。




