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静かな復讐 奪われたすべてを、完璧に奪い返す  作者: 雫石しま


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第9話 私の光が満ちる場所

 私が嫁いだ佐々川家は、代々、地主として知られる一族だった。祖父の代から遊休地や農地を巧みに活用し、アパート、マンション、店舗、倉庫を次々と建てて賃貸事業を拡大した。いわゆる「ランドオーナー」──今や佐々川財閥と呼ばれるほどの資産を築き上げている。


 拓也の祖父、佐々川泰造はその当主だ。80歳を過ぎても背筋はピンと伸び、眼光は鋭く、土地の価値を見抜く目は今も健在。


 泰造は孫娘の麻里奈を何より溺愛していた。子供の頃から「麻里奈はワシの宝だ」と公言してはばからず、誕生日には毎年高価な宝石を贈り、留学費用も惜しまず出した。


 彼女が少しでも体調を崩せば、泰造は即座に「病院へ連れてけ」と拓也に命じ、拓也は幼い頃から妹の影に縛られてきた。私は結婚当初、泰造から「拓也の嫁として立派に務めろ」と厳しく言われながらも、麻里奈への異常な愛情に違和感を覚えていた。泰造は孫娘の前では優しく笑うが、拓也には「麻里奈を守れ。それがお前の役目だ」と冷たく言い放つ。



 ◇◇◇



 テーブルの上でスマートフォンが、小刻みに震える。発信者は義理の祖父、佐々川泰造。泰造は私に冷たく命じた。


「瑞穂、今すぐ屋敷へ来い。話がある」


 私は通話ボタンを押すと、鏡の前に立った。シンプルな白いシャツに黒いタイトスカート。髪は後ろで1つにまとめ、化粧は薄く、清楚な嫁を演じるための装いだ。咲き誇る薔薇のような麻里奈とは正反対──地味で、控えめで、目立たない存在。それが、泰造の好む「嫁」の姿だった。


 佐々川家の屋敷は、都心から離れた丘の上にあった。広大な庭園に囲まれ、古い石造りの門が重く開く。車を降りると、執事が無表情で迎え、応接間に通された。泰造は革張りの椅子に座り、杖を膝に置いていた。土地の価値を見抜く目は私を値踏みするように刺す。


「離婚届にサインを拒むとは、何のつもりだ」


 声は低く、怒りが抑えきれていない。私は深く頭を下げた。


「申し訳ありません。お祖父様の仰る通り、子供を授かれなかった私が悪いのです。でも……」


 言葉を飲み込む。泰造は杖で床を叩いた。


「子のいない女に、財産分与など必要ない。今日中にサインして出て行け」


 私はゆっくりと顔を上げた。


「麻里奈さんは、お祖父様の宝物なのですね」


 泰造の目が細まる。


「当たり前だ。あの子はワシのすべてだ」


 私は静かに息を吐いた。


「拓也さんに......自由はないのですか?」


 泰造の顔が一瞬、歪んだ。怒りか、驚きか。


「ふん、自由など必要ない。お前のような女に縛られるより、麻里奈を守るのが拓也の幸せだ」


 私はバッグから離婚届を取り出し、テーブルに置いた。私の欄は、まだ空白のまま。


「拓也さんが離婚の理由を教えてくれるまで、サインはしません」


 泰造は杖を握りしめ、沈黙した。私は静かに頭を下げ、離婚届をバッグに入れた。私の指先には、サファイアの青が残っている。



 ◇◇◇




 私はその足で不動産会社に出向いた。


 部長直々が出迎え、応接室に通された。秘書がティーカップをテーブルに置く。アールグレイの爽やかな渋みが部屋を満たした。私はバッグから書類の束を取り出し、テーブルの中央に置いた。


「佐々川様、本日はどういったご用件でしょうか?」


 部長の声は丁寧だが、どこか警戒している。佐々川財閥の名は、この業界でも重い。


「マンションの権利書と預貯金の引き出し、株の売却をすべて完了させました。夫の名義のものは、すべて処分済みです」


 部長の眉がわずかに上がる。


「それは……離婚協議中の資産処分ということでしょうか?」

「離婚は成立していません。でも、マンションは今月末で退去します。権利書に赤い印鑑が押されているのは、夫の意思です」


 私はティーカップに口をつけ、渋みを味わった。


「今後、私名義で新しく物件を探したいんです。賃貸ではなく、購入を検討しています。Lueurの近くで、工房としても使えるような……」

「購入……ですか?」

「ええ、買うわ」


 部長は訝しげな顔をしたが、預金通帳の額が全てを物語っていた。彼はすぐに資料を広げ、複数の物件を提示した。


「ご予算とご希望のエリアをお聞かせいただけますか?」


 私は微笑んだ。指先でサファイアのリングを回す。


「予算は……佐々川の株を売った分と、預貯金。すべて」


 部長の目が少し見開く。私は静かに続けた。


「新しい家は、私の光が満ちる場所にしたいんです。傷ついた絆が、再び輝くような」


 アールグレイの香りが、優しく部屋を包む。私は新しい住所を探すリストに目を落とした。私は部長の提示した物件リストを広げ、一枚一枚丁寧に目を通した。


「おすすめなのが、こちら。築20年ですがリノベーション済みで、1階に小さなアトリエスペース付きの戸建て風マンション。庭は狭いですが、プライベートガーデンとして使えます。価格は6800万円。ローンも組めますが、佐々川様の資産状況なら一括も可能かと思われます」


 間取り図に描かれた小さな中庭。そこにベンチを置いて、デザインの息抜きに薔薇を植えられる。白いシャツの袖をまくり、土をいじる自分の姿が想像できた。


「内見は可能ですか?」

「もちろんです。明日午後、空きがあります」


 私はティーカップを置いた。アールグレイの香りが、ほのかに残る。私はこの街から離れる。拓也の影も、泰造の怒りも、麻里奈の甘い香りも、もう届かない場所で。私の永遠を描き続ける。

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