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静かな復讐 奪われたすべてを、完璧に奪い返す  作者: 雫石しま


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第6話 あなたのすべてが欲しいの

 コンペティション当日。


 会議室は緊張感が漂っていた。10名のデザイナーと審査員が円卓に座る。発表順は抽選で決まる。手に取った小さな紙切れには10の文字、私の発表は一番最後だった。喉が渇き、心臓がドクドクと脈打つ。真向かいに座った田川亜美と目が合う。私の方をちらりと見た。その瞳に、勝利の確信が宿っている。


 空気は張り詰め、時計の秒針だけが冷たく響く。円卓を囲むデザイナーたちの息遣いすら聞こえそうだ。発表が次々と進む。1番から8番まで、どの作品も洗練され、審査員の頷きやメモを取る音が響くたび、私の指先は冷たくなった。


 田川亜美は9番目だった。


「9番、田川亜美です」


 彼女は立ち上がり、穏やかな声で名乗るとパソコンを操作した。プロジェクターに映し出されたデザインに、私は息を呑んだ。


「メビウスの輪……」


 それは私が徹夜で練り上げたモチーフそのものだった。永久に続く一本の輪をリングのバンドに取り入れ、内側と外側が繋がる構造で永遠を表現した。センターに据えたサファイアは夜空の月を、メレダイヤは無数の星を象徴する。


 傷ついた絆が、別の形で永遠に繋がる......私の5年間を込めたデザインが、亜美の作品として堂々と発表されている。彼女は澱みなく説明を続ける。


「メビウスの輪は、表と裏が一体となる永遠の象徴です。サファイアの深みが宇宙の神秘を、メレダイヤが星の輝きを表現しています」


 審査員たちが頷き、メモを取る。感嘆の声が漏れる。私は椅子に座ったまま、微動だにすることが出来なかった。


 いつ見た? あの夜、私がデータをパソコンに取り込んだとき? ルーペを外して画面を閉じた瞬間、彼女が覗いていたのか。喉が渇く。心臓が耳元で激しく鳴る。声を上げれば、今ここで盗作を糾弾できる。でも証拠は? 日付の改ざん、アクセス履歴。


 ――すべて彼女が消せる範囲だ。


 亜美は最後に微笑み、席に戻った。私のほうをちらりと見て、口元に小さく勝利の笑みを浮かべる。


 私は驚きと衝撃に息を飲んだ。田川亜美の唇が、勝ち誇ったように歪んでいる。審査員が「10番、佐々川瑞穂さん」と呼んでいる声が、遠くから聞こえてくるのに、耳が塞がれたように届かない。呆然と立ち尽くし、プロジェクターの光が眩しい。USBを握る手が、怒りで震えていた。フリップを持つ指が、力の入りすぎで白く変色している。


 ――盗まれた。私の5年間の痛み、拓也との傷、すべてを形にしたデザインを、彼女は平然と自分のものとして発表した。


 私はゆっくりと席を立ち、深々と頭を下げた。


「USBのデータを紛失してしまいました。後日、発表をさせて頂けませんでしょうか?」


 会議室にざわめきが広がった。審査員の一人が眉を寄せ、主任が静かに口を開く。


「佐々川さん、それは……かなり異例です。データ紛失とは、具体的に?」


 私は頭を下げたまま、声を絞り出した。


「パソコンに取り込んだファイルが、昨夜のうちに消えてしまいました。バックアップも……見当たらず」


 嘘ではない。


 昨夜、工房で確認したとき、メインのデザインファイルが開けなくなっていた。亜美が触った可能性が高い。でも、今ここで盗作を糾弾すれば、証拠なしの言い争いになる。彼女はきっと『偶然の一致』と言い張るだろう。田川亜美は静かに座ったまま、唇の端をわずかに上げていた。白檀の香りが、遠くから漂ってくる気がした。女性審査員が眼鏡を直し、優しく言った。


「後日提出では、他の発表者との公平性が……」


 私はゆっくりと顔を上げた。


「お願いします!せめてデザインだけでも見て頂けませんか!お願いします!」


 審査員の一人が「佐々川さんは熱心に取り組まれる方ですから、今回は特例として、いかがでしょうか?」と、私が深夜まで残って制作していたことを評価してくれた。


「では……そういう事で、みなさん異存はありませんか?」

「それでは3日間で仕上げてください」

「ありがとうございます!」


 デザイナーたちも皆、異を唱えることはなかったが、田川亜美だけは面白くなさそうな顔をしていた。


 私は会議室を出ると、廊下の窓辺で膝を抱えた。3日間......たった3日、されど3日。田川亜美が私の魂を盗んで発表した『メビウスの輪』を、超える作品を生み出さなければならない。


「……3日間」


 立ち上がろうと床に手をついた時、黒いハイヒールが視界に入った。亜美だった。私を見下ろした目は氷のように冷たく、盗作を悪びれた風もなかった。


「……なんですか」


 私は彼女の目を睨みつけ、彼女は赤い唇を歪ませて言った。


「私、あなたが持っているものが全部欲しいの」

「……全部?」


 ポルコロッソのトートバッグ、指輪のデザイン......もしかして拓也まで?田川亜美は踵を返すとヒールの踵を鳴らしながら通り過ぎて行った。私は床に手をついたまま、凍りついた。黒いハイヒールがゆっくりと視界から消えていく。カツカツと響くヒールの音が、バックヤードの静寂を切り裂く。


『私、あなたが持っているものが全部欲しいの』その言葉が、頭の中で反響する。


 亜美は振り返らなかった。ただ、赤い唇の歪みが、残像のように焼き付いた。白檀の香りが、遅れて私の鼻を刺す。私はゆっくりと立ち上がった。膝が震えている。怒りか、恐怖か、それとも両方か。


「……ふざけないで」


 声は小さく、誰にも届かなかった。でも、心の中で何かが音を立てて折れた。彼女は私の人生を、まるでショーケースのジュエリーを見るように、欲しいと思っただけで奪おうとしている。私は作業台に戻り、スケッチブックを強く握った。3日間の猶予。田川亜美が盗んだメビウスの輪を、ただ超えるだけじゃない。彼女が決して手に入れられないものを、私はこの手に創る。

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