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静かな復讐 奪われたすべてを、完璧に奪い返す  作者: 雫石しま


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20/27

第20話 没落

 数ヶ月後、佐々川財閥は事実上の解体を余儀なくされた。株価は底を打ち、主要取引先は一斉に離反。投資家たちの大量売却が雪崩を呼び、グループ企業は次々と切り売りされた。


 泰造は病床で静かに息を引き取り、最期に拓也を呼ぶことすらなかった。遺言は短く、冷徹だった。


「佐々川の名を汚した者に、相続は認めない」


  拓也に残ったのは、わずかな現金と屋敷の残骸だけ。擦り切れたスーツ、髪は伸び放題。広告代理店時代の知人は誰も連絡を寄こさず、SNSのアカウントは凍結されたまま。そして彼の消息不明は、静かに、確実に訪れた。家賃滞納で地方のアパートから追い出され、連絡先はすべて不通。銀行口座凍結、クレジットカード停止、携帯解約。


 ある日、私は、Lueurのショーウィンドーを覗く、見窄らしい拓也の姿を見かけた。一瞬、視線が絡み合う。そこに、驚きも、憎しみも、悲しみもない。あるのは、ただ静かな無関心。


 『Broken Vows』のひび割れたサファイアが、光を鋭く散らし、青く冷たく輝く。ブランド名の下に刻まれた、「Mizuho Iura」の文字を見た瞬間、拓也の膝が折れ、力なくアスファルトに崩れ落ちた。私はショーケースの向こう側から、静かにその姿を見ていた。ガラス越しに映る彼の顔は、かつての自信に満ちたCEOのものではなく、ただの疲れ果てた男のものだった。

 

 昔の私なら、罵っていたかもしれない。でも今は違う。胸の奥にあった熱い憎しみは、もう冷たい宝石のように固まっていた。それは怒りではなく、ただの事実。彼が選んだ道が、ここに繋がったという事実だけ。


 私はもう、彼の影に縛られていない。この輝きは、私が自分で磨いたものだ。指先でサファイアのひび割れをなぞりながら、静かに息を吐いた。


「さようなら、拓也」


 言葉は声にならず、心の中でだけ響いた。それで十分だった。彼はもう、すべてを失った男だ。


 最後に目撃されたのは小さな駅のホーム。


 くたびれたコート、肩を落とした姿。誰かが投稿したぼやけた写真が拡散されたが、それ以降、痕跡は途絶えた。 警察は「自発的失踪」と判断し、捜査は行われなかった。一部の噂では海外逃亡とも言われたが、真実は誰も知らない。


 彼の「永遠」は、もう二度と戻らない。




◇◇◇




 麻里奈のその後は、残酷なほどに現実的で、容赦なかった。動画と妊娠の事実が公になった瞬間、佐々川家は彼女を即座に切り捨てた。


 泰造の死後、遺産はほとんど拓也に渡り、麻里奈に残されたのはわずかな一時金と、地方の古びたアパートだけ。


子供——男の子——は無事に生まれ、名前を「悠真」とつけた。だが、佐々川の姓はもちろん、何の権利も与えられなかった。


 SNSアカウントはすべて削除。かつての華やかな投稿——ブランドバッグ、高級レストラン、ロンドンの霧の中での兄とのツーショット——は、ネットの闇に完全に消えた。残ったのは、匿名掲示板とまとめサイトに散らばる悪意の塊だけ。コメントは増え続け、スクリーンショットが拡散されるたび、彼女の過去はさらに晒された。


 仕事はどこにも見つからず、コンビニの夜勤と、時折届く匿名の少額寄付でかろうじて生き延びる日々。生活保護を申請中だが、その返事は来ない。


 悠真は生まれた時から体が弱く、頻繁に病院通いとなった。治療費はパート代を遥かに上回り、貯金はすぐに底をついた。ある夜、悠真が高熱で救急搬送された。病院の待合室で、麻里奈は震える手でスマホを開いた。


 画面に並ぶニュースの見出し。


「佐々川財閥、完全清算完了」

「拓也氏、消息不明」


 そして、Lueurの新作発表会。


 『Reborn Eternal』『Broken Vows』が世界中で絶賛され、スポットライトの下、サファイアのリングを優雅に翳す瑞穂の姿。彼女の微笑みは、静かで、冷たく、完璧だった。麻里奈の指が止まった。


 かつて自分が身につけていたようなダイヤモンドの輝きが、今は瑞穂のもの。スマホが手から滑り落ち、床に叩きつけられた。画面がバキッと割れ、暗くなった。


「…全部、私のせいか…」


 後悔の言葉は、誰も聞いていない待合室に虚しく響いた。


 あの輝きは、自分が壊したものではなく、自分が壊そうとしたものが、逆に再生して世界を照らす光となった。


 彼女は病院のベッドサイドで、悠真の小さな手を握った。だが、そこにあったのは「光」ではなく、ただ、重くのしかかる現実だけ。麻里奈の選んだ「永遠」は、永遠に砕け散ったままだった。




◇◇◇




  Lueurの新作発表会。スポットライトの下で、私はサファイアのリングを優雅に翳した。


 客席の隅に、誰かが立っていたという報告があった。くたびれたコート、青白い顔。拓也に似ていた。一瞬、心が揺れたかと思った。でも、次の瞬間、私は微笑んだ。それは、復讐の喜びでも、優越感でもなかった。ただ、静かな確信だった。


 あの結婚記念日の夜、離婚届を突きつけられたときの私は、もうここにはいない。私は壊されたのではなく、壊されたものを自分で選び直した。ひび割れたサファイアは、決して元に戻らない。でも、それでいい。そのひび割れの中に、光が入る余地が生まれたのだから。


 私が選んだ永遠は、誰にも奪われない。ステージの上で、私は深く息を吸った。胸に広がるのは、静かで、冷たく、完璧な自由だった。


「これが私の選んだ永遠。彼らの永遠は灰になったけど、私はここにいる」


 拓也の影が、麻里奈の後悔がどれだけ深くても、私はもう、そこを見ない。見る必要がないから。スポットライトがサファイアを青く照らすたび、私は思う。この光は、私が自分で灯したもの。そして、これからも、私だけが消す権利を持つもの。

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