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上書き

 自分の部屋に戻ると、キリコが僕の制服を啜るように吸っていた。麺類以外でもあの音を出せるものなんだな。


 さて、どうしたものか。今の所、キリコは僕の存在に気付いていない。静かに扉を閉めて、少し時間を置いてからもう一度部屋に入ろう。キリコは昔から優等生であろうと努力していた。そんな彼女の奇行を目にしたとなれば、これまで積み重ねてきたものが崩れかねない。相手の尊厳の為に見て見ぬフリをする。我ながら出来た幼馴染だな。


 十分ほど経った後、もう一度部屋の扉を開けた。


 キリコは僕の制服に顔を押し付けていた。とてつもない力で引っ張っているのか、制服にキリコの顔が浮かび上がっている。


「ぁ……ぁ……ぁ……」


 ホラー映画に出てくるような声を漏らしてる。いや、今の彼女はホラーみたいなものだけど。


 そうだ。ノックしてから入れば、キリコも奇行を止めてくれるかも。


 一度扉を閉め、ノックをした。ノック音に混じって、部屋からドタバタと音が鳴った。


 改めて扉を開けると、キリコは涼しい表情で正座をしていた。その傍らには、さっきまで吸っていた僕の制服が綺麗に折り畳まれてある。


「あぁ、すまない。勝手に入らせてもらってるよ」


「いいよ。昔からだし。だけど隣だからって窓を伝って来ないでほしいな。落ちたら怪我するだろうし」


「心配してくれるのか? ありがとう。けど、君が心配すべきは君自身だ」


「ん? それってどういう意味?」


 キリコは傍らに置いていた僕の制服を前に出すと、それを指差しながら言った。


「この服に、君とは違う臭いがついていた」


「……へぇ」


「香水の臭いだ。君は香水を毛嫌いしてるから、すぐに他人がつけた臭いだと分かったよ」


「……それが、何だっていうの?」


「分からんのか? 君は昔から危機感が無いな。いいかい? 君の服に何処の馬の骨か分からん奴の臭いがついてるんだ。つまり君は、その距離まで接近を許してしまってるというわけだ。それにこの香水……女だな。君に好意を寄せてる女が、君にマーキングを仕掛けた。まるで「この男は私の物だ」と言わんばかりに」


 言ってる事がよく分かんないが、僕の制服に香水の臭いがつくほど接近する女子か。


 同じクラスの佐原さん。

 いつもガラの悪い人達と居る木田さん。

 現代文の矢作先生。

 

 考えられるのは三人……三人もいるのか。言われるまで気付けなかったけど、僕って結構良い思いしてたんだな。


「まったく。君の好かれっぷりには困ったものだ。おまけに君に自覚は無いときた。高校生になって一月も経たない内にこれでは、先が思いやられる」


「別にそこまで気にする事ないんじゃない? 何も命を狙われてるわけじゃないし」


「駄目だ。君は高校生になったんだ。男女問わず高校生になれば性の獣と化す。物陰に連れ込まれてすぐさ」


「キリコもそうなの?」


「私は自制の出来る人間だ。それに、私は君を守る為に必死でその暇が無い」


 キリコから僕の制服を渡されると、妙にジメッとして生温かった。


「私の匂いで上書きしておいた。これでひとまずは安心だな」


「まだ一週間ちょっとしか着てないのにヨレヨレだよ。というかこれ……うわ、なんかワンサイズデカくなってる」


「私の匂いに包み込まれて安心するだろ?」


「……唾液の臭い」


「さて。とりあえず今日は帰るよ。念の為、二日に一回は匂いをつけてやろう」


「二日に一回は過剰じゃない? ねぇ。ねぇって……言うだけ言って帰っちゃったよ……」


 制服を脱ぎ、ハンガーに掛けた。キリコの善意からの行為だと分かってはいるが、なんか気持ち悪くて着たくないな。汗の臭いじゃないけど、消臭スプレー掛けとくか。


 そう思って消臭スプレーを手にした時、ふと窓の方に顔が向いた。


 窓の向こう。隣のキリコの部屋の閉めたカーテンの隙間から、キリコが僕を睨んでいた。消臭スプレーを床に置いてみると、キリコはカーテンから離れた。 

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