其の八 One Of A Kind
8話目です。よろしくお願いします。
一
結城無二三の牧畜は順風満帆に進む。
彼は同じく牧畜をしたい者には、丁寧に教えたり手伝ったりする。
又、他の産業を興したい者は、先ず無二三の元に相談に行くのが常で、無二三は嫌な顔一つせず、地域の相談役の様な立場へと為って行く。
とは云え、当初は牛乳に抵抗を感じる者も居て大変だったが、博覧会を成功させた無二三の「牛乳は美味い飲み物だ」との説得がすんなりと届き、毎日の搾乳高はほぼ売り切れ状態であった。
処が、程無くして山梨県庁の勧業課が、同じ牧畜を大掛かり遣り始める。
民業圧迫で次々に民間の牧畜は縮小されて行く。
恐らく県庁の方では、民間で新規事業の牧畜が繫栄し、自分たちは何の成果も出していないことに対して、中央政府から叱責されることを恐れたのだろう。
遂には潰れる民間の牧畜が出て来ると、無二三の怒りは爆発した。
主に薩長で構成される中央政府に対してだ。
「薩長の何処が勤王なのだ! あの賊徒共は平然と禁裡に鉄砲を打ち込むことを遣っていたぞ! 真の勤王とは俺たちだ!」
更に「文明開化」と称して、やたらと開明の事業。つまり西洋の事業を推し進めることにも腹が立つ。
「奴らこそ攘夷の急先鋒だったではないか! 何時から其の看板を下ろして『開明』等とは! 恥と云うものを知らぬのか!」
無二三も若き日に、尊王攘夷論者の大橋訥庵の私塾に通っていたが、京に行き、其の考えを改め、維新後は自ら進んで沼津で西洋の学問を学んだ。
だが、無二三には明治政府への怒りは在っても、天下を引っ繰り返す行動力は、あの「大小切騒動」の終焉で捨て去った。
彼は自分の間違いを悟る。
「今の政府に対する忠誠心は一切無いのだから、其の政府下で何か仕事をしようと云うのが、抑々の間違いなのだ。俺は今の世に関りを持たずに生きて行くべきなんだ」
世を絶つべく、無二三は色々と調べた結果、御代咲の山の中の大積寺へと家族と牛二頭と猫を連れて、引き篭もってしまう。
途上で作男を一人雇う。
この大積寺のある山々は御料地なのだが、荒れ果てた処だったので、結城家の無料借地が許された。
開墾でもして貰えれば有難い、との県庁側の判断だったのだろう。
それから数年後に長男の禮一郎が生まれ、あの一家全滅の危機を免れた奇跡までを、無二三はチャールズ・サミュエル・イビーに述べ終えた。
二
イビーは、無二三の半生を聞き終え、嘆息する。
これ程に激動の生涯を送った者が居ただろうか。
これ程に天から見放された者が居ただろうか。
イビーもこの日本が数年前まで、二つの勢力に分かれて、争っていたことは当然知っている。
そして、この目の前にいる男は敗軍の側の者。
勝者の世で、さぞ辛い目に合っただろう。
「結城サン、私にはあなたの今までの出来事は神の御心で、今日この様に私の元に来たのは神の御業だと思われます。若し神にこれからの一生を尽くす、と云うのなら、私に出来ることは何でもお手伝いをします」
「イビー牧師、私の長々としたお話を聞いて下さって有難う御座います。この結城無二三、今直ぐにでも神の為に働きます!」
「分かりました、結城サン」
其処で無二三はイビーに注文を付けた。
「イビー牧師、私のことは『ムニゾウ』と『ふぁーすとねーむ』で呼んで頂けますか? 『無二三』とは『おんりーわん』と云う意味です。私が自ら名付けたのです」
「オォ~、ムニゾウ……。Your name means "One Of A Kind"! あなたの生き方を現わした素晴らしい名ですね、ムニゾウ!」
結城無二三とチャールズ・サミュエル・イビー。
これが二人の出会いである。
其の関係は師と弟子なのだが、殆ど「親友」と云っても変わらない程の、両者の厚い友情と信頼関係は終生続く。
三
明治十二年(1879年)四月六日。
結城無二三と妻のマツ、そして長男の禮一郎は、イビーから洗礼を受ける。
こうして結城一家は元の甲府の桜町に戻り、無二三は毎日イビーの所に通っては講義を聞く。
時には妻のマツも禮一郎を連れてイビーの所へ共に赴くが、マツはイビーの妻ネリーと気が合った様だ。
ネリーは親切な人柄で甲府の人々から慕われていた。
特に焼き菓子やパンを作るのが上手く、日曜礼拝の後には、信者たちに好く配っていた。
マツは何時しかネリーから焼き菓子作りやパン作りの手ほどきを受け、程無くマツが作った焼き菓子やパンが信者たち配られる。
「マツさん、今日のパンは美味しかったよ」
「今日の菓子はイマイチだったなぁ。やっぱりネリーさんじゃないとね」
そんな声が笑顔の信者たちから出て来る。
イビーの元で学ぶだけで無く、手伝いも始めてから、無二三はこう思い始めてくる。
「本格的に神学を学ばねば。これではイビー牧師の助けが出来ぬ」
「ムニゾウ、東京へ行ってみるのは如何ですか?」
イビーに相談した無二三は東京の麻布に在る「東洋英和学校」を紹介され、無二三は妻子を残し単身東京へと移る。
時に明治十三年(1880年)の春。
結城無二三はこの年で三十五歳。
又も彼は学びの日々に入るのであった。
其の八 One Of A Kind 了
続きます。




