表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
伝道師と為った、新撰組隊士 結城無二三伝  作者: 大野 錦


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/18

其の三 江戸へ、そして京へ

3話目です。よろしくお願いします。


 結城無二三は弘化二年(1845年)四月十七日(旧暦)、甲斐国山梨郡日川村(現在の山梨市内)にて生誕した。

 幼名は米太郎(よねたろう)、長じて景祐(かげすけ)と名乗る。

 彼の家は代々医師を生業としていた。


 結城と云う姓は、普通に考えると名門そうである。

 実際、無二三の息子の禮一郎が大正十三年(1924年)に著した「旧幕新撰組の結城無二三:お前達のおぢい様」では、其の祖先は源頼朝(みなもとのよりとも)(1147年~1199年)の側近の結城朝光(ゆうきともみつ)(1168年~1254年)だと記している。


 これは禮一郎が父を礼賛する為に著した書なので、正確性については疑わしい処が多々あるのだが、無二三を知るのには一応の重要な資料だ。


 其の後の結城氏は信濃に落ち着き、戦国時代に入ると、一族は甲斐の武田信虎(たけだのぶとら)(1494年~1574年)の時代に武田氏に仕え、甲斐武田氏が滅んだ後も、幕末まで甲斐国に住んでいた。


 さて、無二三は医師と為る様に、父の景仲(かげなか)から、漢籍と医術を習う。

 因みに、江戸時代の医師とは、元々僧侶が兼任していたので、剃髪しているのが普通だが、景仲は髷を結び、更に帯刀していたと云う。


 結城家は祖先が結城朝光なのは、疑わしいが、其れなりの家格なのだろう。

 景仲の医師としての腕も確からしく、結城家は当時では其れなりの富裕層に当たる。


 万延元年(1860年)に本格的に医術を学ぶ為、無二三は十五歳で単身家を離れ、江戸へと移る。

 幕府御典医の元で、住み込みで医術の修業をするのだ。

 だが、この典医は無二三に碌に医術を教えることをしない。

 只、無二三を使用人として、人使いが荒いだけの人物であった。



 江戸に居る無二三は、この使いに耐えられない処か、時世の状況に居ても立ってもいられず、典医の家を飛び出し行動を起こす。

 改元前の安政七年(1860年)三月三日には、「桜田門外の変」で大老井伊直弼(いいなおすけ)(1815年生まれ)が暗殺されている。


 井伊の次の幕府最高実力者と為った、安藤信正(あんどうのぶまさ)(1820年~1871年)は井伊の路線を軟化させ、「公武合体」を進める。

 其の中の一事が、第十四代将軍徳川家茂(とくがわいえもち)(1846年~1866年)と孝明(こうめい)天皇(1831年~1867年)の妹の和宮親子(かずのみやちかこ)内親王(1846年~1877年)の結婚。つまり「和宮降嫁」だ。


 孝明天皇が妹の「降嫁」を承諾した理由は、「日米修好通商条約(1858年)」を初めとする、諸外国との条約を破棄し、元の鎖国体制に戻すことを期待してである。


 然し、これが所謂「尊王攘夷」派たちを刺激する。


 大橋訥庵(おおはしとつあん)(1816年~1862年)。

 江戸で最も著名な尊王攘夷論者である、彼の私塾に無二三は通う。


 更に無二三は幕府の講武所にも通うのだが、大橋の私塾と違い、講武所は幕臣でなければ入れないので、青山辺りに住む長谷川何某なる御家人から、形だけの養子縁組をした。

 こうして講武所に入った無二三が主に学んだのは砲術である。



 医術を放り投げ、大橋の私塾と講武所で文武を学ぶ無二三だが、文久二年(1862年)一月十五日に事件が起こる。

 「和宮降嫁」を強行した(と思った)水戸藩の尊王攘夷志士たちを中心とする、老中安藤信正の暗殺を狙った「坂下門外の変」だ。


 これは「桜田門外の変」以降、大名の警護体制が厳重に為っていたので、安藤を軽症させるだけの失敗に終わるが、問題は実質的な首謀者が大橋訥庵であったこと。


 大橋の私塾に通っていた無二三は、この暗殺計画に何ら加担どころか、事件が起こって初めて知った。

 そして、大橋が捕縛された報を聞き、無二三は身の危険を感じ江戸から出奔する。


「不味いぞ……。これは故郷に戻ると家族に類が及ぶ。ならば、京へ向おう!」


 身を隠しつつ、彼が目指したのは京。

 様々な志士が活動する大変革を目指す者たちが集う地だ。無二三は其処で志士としての活動を目指す。

 だが、無二三は京の地に到着して愕然とする。

 「天誅」と称し、単に反対派を暗殺するテロが横行する治安の悪さで、無二三は彼らに強い怒りを覚える。


「只の無頼の賊徒共ではないか! この様な者共を何故放置しているのだ!」


 尊王攘夷志士に対して、失望を通り越して、これ等は取り締まねば為らない、と目的を正反対に変化させた無二三に声が掛けられる。


「結城さんかね?」


 甲斐生まれで江戸に遊学してた無二三に、京で面識のある者など居ない。

 声を掛けたのは、当の江戸で知り合った村田作郎(むらたさくろう)であった。

 村田は京で結成されたばかりの「京都見廻組」の「肝煎」と云う役職に就いていたので、こうして無二三は見廻組の厄介と為る。


 見廻組は、京の治安維持の部隊なので、無二三のこの新たな志向にも合っている。


 また、見廻組とは旗本や御家人の腕利きを選抜させた部隊で、幕府が設置した「京都見廻役」が直接指揮を執るのだから、幕府直下の組織でもある。

 無二三も形だけは幕臣なのだから、所属するのに何ら問題は無い。


 そして、もう一つ京には治安維持を担う部隊があった。

 浪士団体から結成された「京都新撰組」である。

 新撰組は「会津藩預かり」という非正規組織だが、無二三は早くから、この新撰組との面々と気が合い、しばしば新撰組の屯所がある壬生村の八木邸や前川邸を訪れていたらしい。


「俺は近藤(近藤勇(こんどういさみ)、1834年~1868年)や土方(土方歳三(ひじかたとしぞう)、1835年~1869年)とは、古くからのつき合いだった」


 後年、無二三はそう語るが、これ等から推測すると、前身の壬生浪士組時代に「八月十八日の政変(1863年)」での活躍から、「新撰組」の名を拝命し、翌九月の筆頭局長である芹沢鴨(せりざわかも)(1832年?~1863年)の粛清後の辺りからのつき合いなのだろう。


 何より近藤と土方は武蔵国多摩郡の出身なので、生誕地が近い無二三と単純にこの京の地で意気投合したと思われる。



 元治元年(1864年)三月に発生した京を目指す「水戸天狗党の乱」に、見廻組も出動したのは事実だが、先に挙げた「旧幕新撰組の結城無二三:お前達のおぢい様」では無二三も出動し、天狗党の壊滅と終焉を見届けた、とある。


 同年六月に起こった、あの新撰組が名を挙げた「池田屋事件」に関して、無二三が参加した形跡は一切無い。


 この様に、彼は見廻組なのか、新撰組なのかがよく判らないのだが、確実なのは慶応二年(1866年)六月の幕府による「第二次長州征伐」で、無二三は新規に「小十人(こじゅうにん)格」として召し抱えられる。

 そして、曾て講武所で砲術を主に学んでいたので、彼は大砲組へと配属され、竹中重固(たけなかしげかた)(1821年~1891年)の旗下として、長州の芸州口へと出陣した。


 無二三は戦闘途中で、石州口に回されたり、また芸州口に戻されたりと幕府軍の上層部に振り回される。

 これは幕府側が各戦線で押されたためで、結果幕府軍は総撤退し長州軍が勝利する。

 だが、未だこの時点では、幕府の体制は失墜しつつあるも、長州藩の方でもこの「第二次長州征伐」の前に同盟した薩摩藩を初めとしての諸藩との連合軍で、幕府を打倒可能な力は無い。


 無二三に焦点を当てると、「小十人格」と云う、完全な旗本身分と為っている。

 そして、ここからが奇妙な話なのだが、この直後に正式に新撰組に入ったと云うのだ。(自身の主張より)

 新撰組が幕臣と認められるのは、慶応六年(1867年)六月である。


「俺にはこの新撰組の方が性に合う!」


 見廻組は幕府の正規組織なので、上からの京都見廻役の命が無ければ、自由に動けない。

 一方、新撰組は会津藩預かりの非正規組織なので、ある程度自由に動ける。

 第二次長州征伐で上から振り回された無二三としては、これが入隊理由の一つかも知れない。


 新撰組が正式に幕臣と為る前に、幕臣の結城無二三は、新撰組隊士と為った。(とされる)


其の三 江戸へ、そして京へ 了

続きます。


無二三が見廻組なのか新選組なのかは、実際はよくわかっていませんが、本作では双方に所属していた、としています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
■これらは発表済みの作品のリンクになります。お時間がありましたら、よろしくお願いいたします!

【短編、その他】

【春夏秋冬の公式企画集】

【大海の騎兵隊(本編と外伝)】

【江戸怪奇譚集】
― 新着の感想 ―
幕末の情景は、大野さんが書いていてとっても楽しめただろうなぁと思いました。 見廻組的正義による秩序維持と信仰による道徳秩序維持なら、どっちがマシか?と問われれば、なかなか難しいとなりそうですが、廃刀に…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ