川エビたっぷりのとろけるキッシュ5
頷いてから、女の子に視線を向ける。女の子は汚れたバックパックを胸に抱えて老人の動きにハラハラとして青ざめていた。気持ちは手に取るように伝わる。余りに危なげな足元、しかし手を貸すのには力がたらないのだ。
アリシャはココを下ろし「ココ行くわよ」と声をかけ、走り出した。ココはアリシャにしっかりとついて一緒に丘を駆け下りていく。一刻も早くドクに伝えて薬を持ってきてもらわないとならない。獣から受けた傷は化膿しやすいのだ。
その後は無我夢中で宿屋に駆け込んで桶を掴むと井戸へと走っていって、水を引き上げ桶に入れて運んだ。いつもなら慎重に水を運ぶが今はそんなことを言っていられないとばかりにかなり水を滴らせながら二階まで持って行った。
それからゼェゼェ息を上げレオの家近くで木を切っていた皆の元へと一心不乱に賭けて行った。
「やぁ、アリシャ。そんなに俺に会いたかった?」
いつもと変わらぬボリスを通り過ぎて、切り株に座っていたドクの前で止まる。口を開くが余りに呼吸が乱れて言葉にならない。
「どうした、どうした。ゆっくり息を吸ってみな? そうだ、大きく吸って……吐いて」
ドクは朗らかに目尻を下げて、アリシャに深呼吸を実践してみせる。アリシャもこのままでは話すことが出来ないのでそれに倣って一度だけ深呼吸。
「怪我、け、ハァハァ」
伝えたくても言葉が繋がらない。
ヒョコッと木の陰から顔を出したエドがアリシャに近付き背中を擦ってくれた。
「アリシャか。ほらゆっくり息を吸え」
労る動きに懐かしさを感じた。なんだか前にもこんなことがあったような気がしたが、今はそれどころではない。
「あの、坑道に……人が……。怪我をしていて……レオさんがドクさんに」
そこまで聞いてドクがすっと立ち上がる。
「どんな怪我だった?」
「獣に噛まれたみたいだと」
ドクは直ぐに行動に移した。
「俺は薬を届けに行く。悪いがボリスはこのままやっていてくれ。エドはレオ様のところへ」
ドクの居た場所近くに置いてあった石斧と自分の石斧を持ち、エドはアリシャに行くぞと声を掛けた。
「手が必要になったら声を掛けてくれよな」
ボリスの言葉に短い返事をしたエドはアリシャを顎でしゃくってから歩き出した。これまたレオのように歩幅が大きいのでアリシャは小走りだ。
「無理してついて来なくてもいいぞ? 目的地は同じだし、ここまで走ってきたんだろうから疲れたろ?」
言葉を発するには息がまた上がりすぎていたので、アリシャは左右に首をぶんぶん振って答えた。
本当ならなんの荷物もないアリシャがドクの石斧を持つべきなのだが、それすら出来ないのだからせめてついて行きたかった。
宿屋についた時には、二階から既に大きなうめき声が上がっていて、アリシャの歩みがピタリと止まった。
(ああ……この声!)
見慣れた宿屋が消え、火が上がる家に取って代わった。足元には隣のサーニャさんが血だらけで横たわっている。苦しみ悶えて腹を抑えて唸るのだ。腹に刺さったナイフは柄の部分以外は体内に入ってしまっている。
アリシャな足はガクガクと激しく震え……
「アリシャ! アリシャ!」
ハッと目を見開くとアリシャはエドに抱き締められていた。スルスルと現実に引き戻されて、また記憶に蓋がされた。
「エド。私……今、あの時の光景が見えて」
「ああ……そうだと思ったよ。どうする? ボリスの所に戻ってもいいぞ?」
アリシャはエドの胸に収まったまま顔を横に向けると、広間の端でバックパックを抱きしめてやはり震えているリアナと呼ばれた少女に気がついた。
「エド、ありがとう。私はあの子のところに行くわ」
アリシャのことはエドが抱き締めてくれた。しかしリアナは一人だ。人の温もりは言葉よりずっと気持ちを勇気づけてくれる。
エドはリアナを認めてから、アリシャからそっと手を離した。その腕をアリシャは反射的に掴んでいた。
「エド……なんて言ったらいいのか……。すごく安心した。本当にありがとう」
恐ろしい世界から戻してくれたエドにどうにかして感謝を伝えたかった。エドはまた響いてきたうめき声に目を剥いた。
「治療している間はこんなだから、二人で少し離れてろ。塔に行っていればいい」
エドはアリシャの顔を覗き込み、頬骨に親指を当てると、アリシャから離れ二階に上がって行った。後ろ姿を見送ると、アリシャはリアナの元へと歩み寄っていく。ココも興奮せずに後をついてくる。
「あの……リアナ? だったわね。良ければ一緒に私の家に行きましょう」
エドの進言通り、リアナを誘ってみたがリアナはうんとは言わなかった。
「おじいちゃんの所に居る」
キッパリと言い切ったリアナ。そこでまた老人のうめき声が響いて、二人揃って身を硬くした。
「ほらでも……この声。聞いているのは辛いから」
アリシャだってここには居たくない。肉親なら尚更苦しんでいる声を聞いていたくはないはずだと思った。しかし、リアナは青ざめた顔で頑として「ここに居る」ときかなかった。
アリシャは仕方なく、リアナと並んで床に座った。石の床はひんやりとしている。
「おじいちゃん……死んじゃうのかな」
リアナの小さな声にアリシャは目を瞬かせた。
「治療をしているからきっと大丈夫よ」
それから「さっきの髭の人はレオさんと言うのだけど、レオさんの薬はとても効くらしいのよ。だから食料庫があんなにパンパンなの」と、説明した。
「……私、あんなに一杯の食料を見たの初めて」
リアナの答えにアリシャも私もと答えた。こんな裕福な暮らしを出来るのは主にレオの薬のお陰なのだ。ドク一家の野菜などももちろんこの村の生活を支えているが、食料庫を満たす豊富な食材は薬への対価がほとんどだ。
「あなたはここの人じゃないの?」
「あなたじゃなく、アリシャよ。ええ、最近流れ着いたの。リアナはどこから来たのかわかる?」




