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雪がじわじわと解け始め、皆が往来する道はすっかり元の姿を取り戻しつつあった。これまで宿屋の広間に紐を張って乾かしていた洗濯物は外で干されるようになり、今は太陽の光を存分に浴びていた。
「手が痛いー!」
リアナが雪解け水で洗濯をしたので、真っ赤になった手を振って泣き言を口にしていた。レゼナがそんなリアナの手を捕まえて自分のエプロンで手を拭いてやる。
「ちゃんと水分を取っておかないと荒れて切れるわよ」
アリシャも自分の手をしっかり拭いながら「レオさんの軟膏が宿屋にあるから後で一緒に塗りましょう。ちょっと匂うけど」と、渋い顔をしてみせた。リアナはあからさまに嫌な顔で答える。
「馬油でしょ? あれ臭くて臭くて失神しそう」
「ほんの一瞬じゃない。直ぐに慣れるわよ」
アヴリルが笑うと、リアナはうえっと舌を出した。その顔がみんなの笑いを誘って、互いに顔を見合わせて笑い合った。
そこに遠くから馬の足音がして、皆で首を伸ばして音がする方向を注目する。それはみるみる近寄ってきて兵士の一人が宿屋の前に降り立った。ひと冬一緒に過ごしたお陰で遠目でもなんとなくそれが誰なのか判別できるようになっていた。
「何かしらね?」
宿屋の中に駆け込んでいく様子にレゼナが立ち上がって言う。既に洗濯は終わっているので桶を片付けて次の仕事に向かわなければならない。既に春はもうすぐそこまで来ているのだから。
皆が桶を持って立ち上がった時、今度は宿屋の中から人が次々飛び出してきた。
「慌ててどうしたのかしら」
アヴリルが不安げな表情を浮かべて兵たちの動きを見つめていた。どうやら馬小屋にしているジャンの家へと向かっているようだった。
宿屋から出てきたのは兵士だけではなかった。宿屋で作業していたボリスも一緒に飛び出て来て、アリシャたちの方へと駆けてくる。
「ああ……嫌だわ。ボリスのあの顔、良くない知らせだわ、きっと」
兄妹だけあってアヴリルはボリスの表情だけで何かを察したらしい。唇を噛んでボリスがやってくるのを待っていた。
「大変だ! みんな荷物をまとめるんだ」
アヴリルじゃなくても全員嫌な予感はしていたが、その言葉は最悪な事態を示していた。
「荷物を? なぜ?」
アヴリルは言葉少なに問い返した。
「どうやらイライザが兵を率いてこちらに向かっているらしい」
頬から頭に駆けて一気に寒気が走って行ったアリシャは口を手で覆った。アヴリルの顔から血の気が引いていき、レゼナがとっさにアヴリルを支える。
「それは……」
レゼナも言葉を失ってそれ以上何も言えずに唖然としていた。
「エクトルは兵をあちこちに配置して様子を伺っていたらしい。ストルカ国に潜んでいた一人が報告してきたらしい」
馬に乗った兵たちが四方に散っていく。ボリスは橋を渡ろうとしている一人を視線で追う。
「リリー達にも知らせるということだ。被害が及ぶかもしれないから」
アリシャはゴクリと唾を飲んだ。
「私が、私が守ればいいんだわ」
皆をこの村に集めて、防御を張れば守ることが出来るはずだ。
思い立ったら、アリシャはもうじっとしていられなかった。ボリスの横を通り抜けて宿屋に駆け出していく。
「アリシャ!」
レゼナが呼び止めるがアリシャは持っていたカゴすら落として無我夢中で走っていく。まだ雪の残る道はぬかるんでいて、足がもつれて転びそうになった。駆けているアリシャを見つけてココが宿屋の方から喜び勇んで迎えに来ていた。
(この平和な日々を私が守らなきゃ。そのために神は防御の力を私に授けたんだわ)
力一杯扉を押し開けるとレオとエクトルが深刻な表情で向かい合っていた。
「荷物をまとめろなんて言わないでください! 私が皆を守りますから!」
一気に捲し立てると頭がクラリとした。慌てて呼吸を整えると、寄ってきたレオにもう一度訴える。
「お願いです。皆を宿屋に集めてください私が防御を張れば──」
レオはアリシャの肩に手を置き、落ち着きなさいと優しく諭した。
「落ち着きなさい。まずは深呼吸だ」
「でも……」
一刻を争うはずだ。既に隣村に使いが出ている。違う場所に逃げる必要などないと言わなければ、リリーたちが村から離れてしまう。
「アリシャよ」
そこまで黙っていたエクトルが口を開いた。
「どのサイズで防御を張るつもりなのだ。宿屋だけか? それとも村を一つ守り切るのか? その間、人々を閉じ込めておくつもりだろうが、冬を越したばかりの村に食料はどれくらい残っておるかわかっているのか?」
レオはアリシャの背を軽く叩いて落ち着くように促しながら、エクトルの言葉に続けていく。
「守り一辺倒では負けたも同然だ。なんせあちらは回復の主だ。手持ちの兵力を何倍も活用できる。しかしこちらは攻撃する手段が一つしかない」
そこでレオはエクトルを見た。エクトルは頷き「我が国の領土まで引く。最南端の街でも砦があるからそこまで引けば兵もいるし存分に勝ち目がある。だが、ここでは勝ち目はない」と、断言した。
アリシャはショックで口を動かしても言葉が出てこなかった。その代わり体が震え、涙が溢れてきた。
初めて住んだ塔、皆で過ごした宿屋、新しく出来た鍛冶場。村での日々が次々に浮かんできて、胸が締め付けられていく。
「そんな……村を捨てるのですか! 私達のドナ村を。家畜たちは? 畑は? この宿屋は──」




