17話『モス!』
中学二年の始業式から1ヶ月が経った。
散々練習してきた笑顔で何とか愛想を振りまき、無難な女子を演じ、なんとか今年も"友達"と呼べるくらい話せる子も出来た。
自分の環境適応能力の高さにびっくりである。女になってからかれこれ三年くらい経つしな〜。こんなもんちょちょいのちょいである。
女子の輪にも自然と入れてもらえるようになった。僥倖である。グループから分断されると理不尽ないじめや見下しを受けやすいからな。
「理子、次の授業の準備できた?」
後ろの席の女子がにこにこしながら声をかけてくる。
「できたー」
「なに持ってくんだっけ? 資料集?」
「今日は教科書とノートだけで大丈夫だって」
「おっけ。一緒に行こ!」
「はーい」
笑顔を作って答える。話しかけてきた女子と共に歩いていたら他の女子も集まってきて、自然と周りに輪ができる。
女子同士の会話は愚痴が少々、何かに対する批評が少々。後はクラスの誰かに対する真偽不明な噂話とか、先生の笑える話とか、そんな感じの別に楽しくもなんともない退屈な物だった。
毎日こんな話をしていたら気が遠くなりそうになるけど、まあ、話題に全乗っかりしておけば変に突っかかられることもないから良しとしよう。
身内感で軽く馬鹿にし合う流れはあるしそれで何故かピリつく時もあるけど、何故だか俺に対しては悪く思うような言葉は飛び出さないしな。そういう意味では居心地がいい。共感を求められすぎてちょっと疲れるけどね。
「あ、瑠璃川だ」
ビクッ。
話したことがないクラスメートの男子が遠目に俺を発見し、近くに居た他の男子に耳打ちで何か話している。
視線が胸元に集中している。気持ち悪い。
背を丸め、胸が目立たないよう若干前傾姿勢になって隣を歩いていた女子の後ろに隠れるよう移動する。
「どうしたの理子。顔赤いよ?」
「……別に、なんでもないよ」
顔の赤さを指摘されて余計その事を意識し恥ずかしくなる。なんでどいつもこいつも、人の胸とか足ばっか見るんだよ。ジロジロジロジロ、鬱陶しくて堪らない。
お父さんが俺に無反応で無関心な分、家の外の男全体に対してうっすら嫌悪感みたいなのを抱く。
全員が全員変態みたいな目で見てくるわけじゃないけど、それでも気になるんだよな。中学生になってからは多少そういう、エロ系の知識もついたり実際に友達の付き合いでエロい動画や絵を見る機会も増えたから余計に恥ずかしい。
「あ、また男子が理子の胸見てるー。見んな! あっち行け!」
俺の様子を心配した女友達がそう言ってくれたおかげでこっちを凝視していた男子が別の方へと歩いていく。こういう場面での女子の頼りがいは凄まじい。俺一人だと直で『見るな』とか言えないし、そういった意味でも女子グループに入れてよかったと思った。
「大丈夫? 理子。さっきの奴ら、叩いてこようか?」
「そ、そこまでしなくてもいいよ! もう見られてないっぽいし十分だよ。安心した、ありがとう」
「安心したって言う割にスカートの裾をずっと気にしてるみたいだけど?」
「突風が吹いてパンツ大公開モードになったら困るので……」
「中に短パン履いてくればいいのに」
「校則違反はしたくないので……」
「真面目だねーウチの理子ちゃんは。そんな真面目な理子に下品な目を向けるとは、奴らめ許せん! やはり叩いてくる!」
「いいって!」
暴力の波動に目覚めた友達を抑えつつ、気を逸らしたかったので別の話題を振りみんなの意識を逸らす。
こんな感覚、すぐ慣れるんだろうなーとは思うけど。慣れるまで毎日これだからしんどいんだよなぁ……。なんつーか、女の体に引っ張られて何でもかんでもすぐに恥ずかしく感じる。
慎也の前で似たようなことしたら昔みたいに馬鹿にされるんだろうなー。アイツ、デリカシーないし。はぁ、憂鬱だ……。
昼休み。女子グループと一旦離れ、一人で辞書の束が入った籠を持ちながら廊下を歩いていたら慎也と鉢合わせた。
「よお理子。どうしたその辞書、ラッパーでも目指すのか?」
「語彙力高めるために辞書を持ち歩くのは流石に意味分かんないだろ。全部内容同じだし。平山先生に運んできてーって頼まれたんだよ。係なので」
「はえー。女一人にこんな大量の辞書持たせるのか。昭和の香りを感じるな」
「そういう種類の女扱いは好かないからやめてほしー。別にこれくらい普通だろ、か弱き乙女に見えんのか私の事」
「か弱いかどうかは知らんけどその量は男でもキツいぜ? 半分持ってやるよ」
そう言って慎也が俺の腕から籠ごと奪い辞書を全部持ってくれた。半分とは。
「あれ、そんなに重くないな?」
「プチ辞書の上にデカ辞書を乗っけてるだけだから実はスカスカなんだよね、これ」
「見せかけの力自慢だったのか。手伝って損したー」
損した、と言っておきながら慎也は普通に籠を持ったまま歩き始める。
「手伝ってくれるのは感謝なんだけど、持たなくてもいいよ。元は私に課せられた仕事ゆえ、持ちますよー」
「気にすんな。こんくらいなら片手で持てる」
「いや片手では無理でしょ。慎也、そんなに筋肉ついてないし」
「なんだと!? こう見えても結構鍛えてんだぞ俺!!!」
「どこがー?」
筋肉自慢がしたいらしい慎也の腕を指でチョンってつついたら、慎也が動揺した様子で俺の顔を見た。
「なんだよいきなり!?」
「なにがだよ。ご自慢の筋肉を確かめてやろうとしただけだろ?」
「触り方が卑猥なんだよ!」
「今のが!? 今の触り方が卑猥なの!?」
卑猥ではないだろ絶対、密かに指先でチョンってしただけだぞ。過剰に反応しすぎなんだよコイツ、逆にびっくりするわ。
「人前でそういうことすんなってのに。まったく。理子、お前もうちょっと色々考えて行動した方がいいぞ」
「自意識過剰すぎるんだよなぁ……あのさ、私と慎也が幼馴染ってのは割と周知されてるじゃん。それなのにこの程度のやり取りで変な誤解されると本気で思ってんの?」
「そ、そりゃ」
「じゃあ周りは恋愛経験皆無の童貞の集まりだよ。普通の仲良い男女だって似たような事するし」
「結構な声量で童貞とか言うんじゃねえよ馬鹿! てかそういうお前も処女だろ!?」
「いやそっちの方が遥かに大声!? 何気に私を巻き添えにしてんじゃねぇーよ! 人に向かって処女だって大声で言うとかまじデリカシー終わってんね!?」
「お前に釣られて大きくなったんだよ! ……くっそ、変に騒いだせいで視線集まってんじゃんか」
「九分九厘慎也のせいだけどね」
「ふざけんな。天然ド変態女め」
「ぶっ殺すよ? 本当にぶっ殺すよ???」
「ぶっ殺すな」
「純粋無垢な私に向かって変態などと呼ぶ大馬鹿者は死んだ方がよろしい。ほら、一回籠下ろしなよ」
「は? なんで」
「半分持つから」
「……なんで?」
「二人で分散したら軽かろう」
「だから片手ずつ、片方ずつ持つのか? 俺ら二人で?」
「うむ」
「見え方やっばいなそれ」
「ロズウェル事件ではあるね」
「そういう着眼の仕方も出来るが。それよかほら、男女としてばり距離が近いだろ」
「籠隔ててるのに? むしろ遠くない?」
「いや……なんだろうな。物理的な意味ではなく、こう、精神的な意味で」
「スピリチュアルだね」
「行き過ぎだわ、精神的な意味を行き過ぎてるわその認識は。第六感に目覚めようみたいな話してるんじゃないんだけどな」
「坐禅を組むことで松果体に全身のエネルギーが集中するからね」
「スピってんじゃねえか。やめろそれ、怖いわ」
「チャクラを感じ取るのです。さすれば第六感が」
「やめろって。無いから、第六感とか」
下らないやりとりをして慎也が気を抜いた隙に籠の片方に指を引っ掛ける。
慎也の体が一瞬硬直する。どうしたんだろう?
「理子。指」
「指?」
「その持ち方だと俺、手ぇ退けれないんだけど」
持ち方。
ふむ、確かに。慎也の手の上から重ねるように手を差し込んでるからこれじゃ身動き取れないな。
指を横にズラしながら「ごめんごめん」と謝る。慎也はぶっきらぼうな声で「おう」とだけ返しまた歩き始めた。
……? なんか慎也の横顔が少し赤くなってるような。風邪でも引いてんのかな。
「……なあ、理子」
辞書を運び終えて教室に戻る途中、ボソッと慎也が俺の名を呼んだ。
「どうした?」
「恋愛とか、興味あんのか。お前も」
「は?」
??????????
突然意味の分からない質問をされた。どういう文脈でそんな質問を繰り出された? 突拍子が無さすぎるのではなかろうか。
慎也の顔を見る。変な質問をしてきたんだからそうされるのを分かってた筈だろうに、慎也は俺が目を向けた瞬間に困ったような眉をしながらフイッと俺がいる方とは反対側の廊下に視線を落とした。
この反応、どうやら慎也はどこぞの誰かに恋をしているな? 身近な幼馴染の俺に言ってくるってことは、今までの女嫌いスタンスと恋心がぶつかり合って葛藤の最中にいると見た。甘酸っぱいなぁ〜、なんだかんだ青春を謳歌してるんだな〜慎也も。
「興味あるよ」
「マジ!?」
ビクッ!?!?
慎也の意図を察して普通に思っていることを答えたら慎也が大声を出しつつ俺の肩を掴んだ。
急な行動だったので背筋がゾワゾワして反射的に体が動く。つい体を引いて距離取っちゃった。
「わ、悪い! 驚かせるつもりはなかった。そっか」
「う、うん。一応……?」
慎也が信じられないものを見るような目でこちらを見てくる。……あんまりジロジロ見られるの好きじゃないんだけどな。視線を下げて慎也の胸とか肩あたりをチラチラ見ながら口を開く。
「……な、なに。別に変なこと言ってないでしょ私」
「言ってないけど……」
「ちょっ、近いって」
慎也がこっちに歩み寄ってきたら体を傾けて半歩避ける。
……? なんで今、そんな事したんだろ俺。今まで別にもっと近くで話してたのに。てかこっちからグイグイ体を近づけてたような気がするのにな。
「好きな人とかいるのか?」
「は、はあ? いきなりなっ」
言葉の途中で口を止める。危ない、つい質問の意図が分からず責めるような口調で喋ってた。
危ない危ない。他人を傷つけないよう心掛けようって思ってるのに、こんな他愛のない会話でケンケンした喋り方しちゃったら意味ないっての。
でも、好きな人か……。
「…………い、いないけど。好きな人、とか」
「そ、そっか」
慎也との間に気まずい空気が流れる。
……やばい。なんか、ちょっとここに居たくないな。ここにってか、慎也の前に居るのがしんどい、気がする。気まずすぎる、なんだこれ?
「……そろそ」
「本当に居ないのか……?」
ぐえっ。声が被った! しかもこっちが小声で慎也は普通の声だから相手は被ったことに気付いてないし! なんだ今の〜!
ていうか"本当に居ないのか"ってなんだ? 居ないって言ったんだからそれで良くない? なんで疑いをかけられなきゃいけないんだ、面倒くさいな。
「居ないって」
「そうか。……なんか怒ってる?」
「? 怒ってないけど」
「ちょっとムッとしてただろ今」
「してない」
「いやしてたって」
「してないったらしてない。つーかしつこいな、なんでそんなっ…………あ、ごめん」
「いや……わり。しつこく聞いたこっちが悪かったわ」
居心地の悪いやり取りをした後、いつもと違って「じゃっ」て軽く言い合うだけで俺と慎也は別れた。
やらかした。こりゃ猛省が必要だ。
男子が向けてくる目線とか、直で話さず名前を出してくる感じとか、人前を気にせず下品な話をする非常識さとか、知り合いでもないのに気安く話しかけてくるな感じとか、そういうのでちょっとイラついてたせいか慎也に若干強く当たってしまった。
なんだかなぁ。
慎也はお父さんと同じで俺に対して良い意味で無関心というか、男のそういうよく分からん感じの感情を向けてこないから話しやすかったはずなのに。最近その印象が剥がれかけてきてるかも。
お母さんが死んで絶望のどん底にいた時、お父さんに次いで話しかけてくれたのは慎也だったのにな。なんでそんな相手を邪険に扱いそうになるんだろ。
お母さんが俺を責める声が聞こえる。恩知らず、お前のせいで他人が嫌な気持ちになってるって。
腹の下の方がずっしりと重い。最悪の気分だ。
放課後。今日も体育館でバレー部の練習に勤しむ。
校庭を声出しながらグルグルとランニングして、時々野球部やサッカー部の練習場からボールが転がってきて部員数名でブーイングを発し、体育館に着いたら追いストレッチをして壁当てやパス練習を軸にみんなでやいのやいの動き回る。
「お、つ、か、れーいロリ子ちゃんっ!」
「わあっ!?」
練習の合間に息を整えていたら一個上の先輩、鶴舞が俺の背中を叩いてきた。
鶴舞は小学生の時に出会った頃と変わらず黒髪が長くて、声が柔らかくて、笑うとマスクをしてるのに天真爛漫な笑顔が透けて見えるかのように目が細くなる。
母親の死後、直後の心を閉ざしていた俺を一番支えてくれたのは彼女だ。
事情なんて何も知らないのに鶴舞は表情だけで俺が塞ぎ込んでいるのに気付き、毎日、教室にまで来て優しく話しかけてくれた。
慎也に訊かれた時は言わなかったけど、俺は鶴舞の事が好きだ。見かけたら自然と目で追っちゃうし、話しかけられたら胸がドキドキして苦しくなる。この感覚を"好き"って言わないのなら、多分俺は死ぬまで誰かを好きになることは無いんだと思う。
「てかいつまでロリ子って呼ぶのさ! 私の名前は理子だって言ってんじゃん!!」
「いつまでも呼ぶよって言ってるじゃーん。私が考えたあだ名至上最も可愛いあだ名なんだもん。自分のネーミングセンスに脱帽の毎日ですよ」
「付けられたこっちはいい迷惑なんですけど! ロリじゃないし!」
「私より年下じゃん?」
「一個しか違わないといつも言っている!?」
「あははっ。そうやってムキになる所がちゃんとロリっぽいんだよなー」
「わわっ、頭撫でるなぁ!」
夏の太陽のような眩しい笑顔を浮かべながら鶴舞が俺の頭を優しく撫でてくる。マスクで顔の全貌は見えないけど。
頭を撫でられているだけなのに頬が熱くなり、気恥ずかしくなって目を伏せながらギャーギャー騒ぐしか出来ない。
「毎日練習頑張ってて偉いねーロリ子ちゃん。朝練に来ないのは減点対象だけどね〜」
「うぐ……す、すいません」
「いいけどねぇ。朝一番にロリ子ちゃんをからかえないから放課後めいっぱいからかってやるぞーって活力湧いてくるし?」
「どんな活力!? 人をからかうのを毎日の楽しみにするなー!」
「あははっ!」
鶴舞が鼻をくすぐってきたのでその手を捕まえてやる。指先が細くて綺麗で、ちゃんと女の子の手だ。……手の形で言うと俺も似たようなもんか。
くーっ。心がふわふわする。
俺も俺で、毎日鶴舞と会うのを楽しみに学校来てる側面あるから人の事言えなかったかもしれない。
……でもなあ。恋愛的にきっと好きなんだろうって自覚はあるけど、女同士なんだよな。
もし俺が男のままだったら、なんてしても意味のない妄想をしてしまう。
もし俺が男のままだったら、こんな気持ちを抱えたまま黙ってるんじゃなく素直に告白とか出来ただろうに。
まあ、鶴舞とこんなに仲良くなれたのはきっと女同士だったからで、男のままだったら接点なんて出来なかったかもしれないけど。
でも妄想は自由だしな。辻褄合わせとかそういうのは置いといて、妄想の中でくらい好きにさせてほしい。
「ん、どうしたの? ロリ子ちゃん」
「えっ。あ」
鶴舞さんに微笑みかけられたことで、無意識に鶴舞の顔をじーっと見つめていた事に気付く。
「いやあの、なんか……」
「私みたいにバレーがもっと上手くなりたいという熱意の視線かな? ライバル意識の発露? いいねぇ燃えるねぇ!」
「それは無いっすね。私の方が動けるんで」
「先輩に向かって大きく出たなぁ!? えぇ!? そんなドライな声出せるんだ!?」
ちゃんちゃらおかしい事を言ってくれたおかげで何とか平静を保つことができた。いやはや、鶴舞の事は確かに好きだけどスポーツで言っちゃ絶対に全般俺の方が上手いしな。そこは素直にそう答えさせていただくよ。
……。
このまま、仲の良い先輩後輩のままでもいいけど。それでもやっぱり俺は鶴舞と付き合いたい。勇気を出して、「好きです」って伝えたい。
性別が……性別の壁さえなければこんな思いしなくても済んだのになぁ。元が男だった分余計に苦しい思いしている気がする。はあ……。
部活が終わって家に帰る道。
友達と別れ、少しだけ早歩きする。
お父さんはもう家に帰ってるだろうか? 帰宅するタイミングが完全ランダムだから家の状況が分からないけど、もしまだなら玄関先で待って出迎えてやろう。
「ただいまぁ!」
鍵を開けて明るい声を出しながら家に入る。反応はない、電気もついていない。よし、まだお父さんは帰ってきていないらしい。
洗面所に入り、丁寧に泡立てて指の間までしっかり手を洗う。その後に今日の自分が学校で出してた声、鶴舞に対し出していた声を反復するように「あー」と声色を調整しながらうがいも済ませ、鏡に向かう。
「んー……」
髪がちょっと乱れてる。ちょいちょいっと前髪を指で直す。
制服の襟やリボンも綺麗に直し、頬を軽く叩いて血色良く見えるようにする。
「よーし」
見た目の手直しは終わったので鏡から離れ、お父さんがいつも座ってるソファのクッションを軽く叩く。
あ、お酒切らしてないかな。冷蔵庫を見る。
大丈夫っぽい? お父さんが一日に飲む酒の量は把握してるけど、短い缶がいくつかあるから不安だな。買い足しておくか? ……まあ足りなかったら後でひっそり買いに行こう。制服着てなきゃまあ、いけるっしょ。
自分の睡眠スペースに鞄をシュートして、リビングのソファで膝を抱えながらお父さんの帰りを待つ。
……。帰りが遅いな。って、まだ30分しか経ってないのか。暇だもんな〜、やる事ないせいで時間が長く感じる。
「ん〜……」
暇すぎる。さっき叩いたクッションを抱きしめ、そこに顔を埋める。うーむ、長い、長い。早く帰ってこないかなぁ。
「!」
テレビもつけずにただ時計の音を聞きながら待ってたら玄関から音がした。立ち上がり、少し駆け足で玄関に向かう。
「ただいまーやけどなんで鍵かかってへんねん。不用心やろー理子」
「ごめんねおかえりっ」
「抱きつくな。どんな感情なんそれ」
先手帰宅に成功してきた時のいつものムーブ。靴を脱いでいるお父さんの首に腕を回し背中に顔面を押し付けながらの愛らしい娘ロールをぶちかます!
「す〜〜〜っ! ふぅ〜〜〜……」
「ほんで深呼吸すな、犬か。おっさん臭いやろ」
「全然。安心する匂いだからオールオッケー」
「はいはいどいたどいた。仕事終わりにベタベタされるとしんどいから」
「マッサージしたげるよ」
「おおきにおおきに」
お父さんが置いた鞄を持って隣を歩き、リビングに鞄を置いてソファに座ったお父さんの肩に手を置く。
「今日学校でさーぁ」
「いやーすまん。帰宅早々マッサージ師はんの世間話に付き合う余裕ないわぁ。後で聞いたるさかい、静かに肩揉んでくれるか?」
「意地悪だな。むくれるぞ」
「むくれても手は止めないんやな。ほんまに思春期どこ行ったん? 中二で親にベタベタする子ぉおるかいな」
「普通の家族愛的な接し方でしょー? お父さんが無関心毒親だから過剰に反応してるだけだからね、まじで」
「そうかなぁ」
「そうだよー。座りっぱだと腰の方まで押しづらいからうつ伏せになってくんない?」
「お前乗っかってくるやん」
「そりゃマッサージだもん」
「スカートでそれされると大分気まずいねんな。ほんまに」
「親子なのに何キモい事言ってんだろ。ほら、うつ伏せー」
「しがみつくなー。胸当たってんねんぞー」
投げやりな声でお父さんが抵抗する意思を見せる。でもそれは言葉だけで行動としては素直に従ってくれてるので、構わずお父さんの膝裏に乗っかり腰の辺りに親指を押し付ける。
「ほんで? 今日学校どうやったん」
「うむ! 非常に楽しかった!」
「うっす内容」
「でも楽しいのは少しだけで、やっぱ家の外に出ると気が重くなるや。なんかさぁ、なーんで男ってみんな人の顔や体つきをジロジロ見てくるわけ? 意味わかんねー」
「そりゃ見るやろ。胸デカイ女は注目を集めやすい。そういうもんやねん、人間のシステム的に」
「馬鹿な生き物だねぇ。女になってその部分を俯瞰して見れてるから複雑な気分だよ」
「理子の場合顔も可愛いしな。そら自然と目で追ってまうやろ」
「え……?」
「? 理子? どした、手ぇ止めて。てか顔あっかいな。何があったん?」
「い、いや……てか急に何言ってんの? びっくりするだろ!」
「はい?」
「別に可愛いとか、そんな事ないだろって! 普通だっつーの!」
「反応ラブコメか。自分の頬手ぇで押さえんな。小声で『あつっ』ちゃうねん。やめろそれ、ほんまに」
普通に娘として、漠然とした感覚で褒めただけってのは分かるが流石に驚きを隠せなかった。お父さんが俺に対して可愛いとか、そんなん直で言ってくるパターンあるんだ。
マッサージをし終わってお父さんの上から退き隣に座る。
むむむ、さっき言われたお父さんからの『可愛い』がまだ頭に残ってる。そういう感情、まだこの人にあったんだな〜。人は見かけじゃ分からないなぁ〜ガチで。
「お父さん」
「なんや? てか今日隣にいる時間長ない? スマホいじらんの?」
「充電ない」
「差しっぱやで。充電器」
「復旧待ち」
「最新機種や。充電0からでも数分で使えるようなるわ」
「お父さん。さっきの言葉、本音?」
「なにがやねん」
「可愛いってやつ」
「どないやねん。なに俺の言葉引きずってんの? ラブコメかて」
「ネタかガチか」
「三度使うぞ、ラブコメかて。上目遣いすな。フラッシュバックすんねん理子の顔見てると」
「お母さんの事?」
「しかないやろ……」
ほう。それは良い兆候だ。今までまるで意識されてなかったから家族を崩壊させてしまった責任を取る機会にも恵まれてこなかったが、俺を母親に重ねてくれるのならそういう機会に恵まれるチャンスも増えるかもしれない。
「まあネタかどうかで言えばネタではないな。普通に可愛いと思うで、理子は。母さんそっくりやし」
「っ!? か、からかうなやアホ!」
「おっと急な関西弁。どこ行くん?」
「風呂っ!」
「そうか。飯作っとくで〜」
「ん!」
お父さんから逃げるように着替えを持ってお風呂に向かう。途中、視界の端に入った鏡に映る少女が照れ笑いのような表情を浮かべていたのが頭に残る。
その日の夜は長いこと眠りにつけなかった。目を閉じて何も考えないようにしていても、なんか笑けてきて、変な気分のまま枕を抱き、何度も何度も「可愛い……?」、「まじか……っ」と似たような事を繰り返していた。おかげで翌日はガッツリ寝坊した。




