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9話『初めての感情』

 ドッジボールの一件から数日が経った。


 あれから慎也とはなんだかんだまた普通に話すようになった。朝の挨拶もするし、休み時間にゲームの話やアニメの話なんかもする。以前と変わらない会話内容で時間を潰すことが多くなった。


 でも、完全に前と元通りになったかと言われるとそうじゃない気もする。

 今の慎也は俺に対して、どこかよそよそしい。


 話していない時に不意に目が合ったりするとすぐに逸らされるし、以前みたいに机に座り込んでくることもない。


 ドッジボールの日のあの一件が、慎也の中で引っかかっているのは分かる。


 ……きっとそれだけじゃない。慎也は、俺が「女」になったこと自体を、その事実を理解するのをやっぱり拒否しているんだと思う。


 急にスカートを履いて、胸が膨らんで、髪を結んで。そういう俺が受け入れられないことを、幼馴染である慎也も同じように受け入れられないんだろう。なんたって、一緒に育ってきた兄弟みたいな奴だったから。

 もし俺と慎也が逆の立場で、慎也が急に女になったりしたら。絶対俺も理解するのを拒むと思うし元通りに接する事なんてきっと出来ない。


 でも慎也は、俺に直接その拒絶反応を分かるように示しては来ない。前の関係性の通りを演じてくれようと頑張っている。


 あの慎也が、他人のことなんて考えない自分勝手な慎也がそういう風に気を使ってくるのなら。俺も以前の通りを装ってアイツと接するよう振る舞うしかない。


 以前の通り、給食前に話しかけてきた慎也に「今日の給食カレーなんだろ? どっちが多く食べれるか競おうぜ」と笑いながら勝負を吹っ掛ける。


 ……心のどこかがチクチクする。このやり取りに何故か虚しさを感じる。


 元から俺はあんまり明るくない性格だったけど、それでも今よりもは心から慎也と一緒に居るのを楽しんでいた。

 男子のノリで軽く小突きあったりした。ツッコミとか言ってお互いの頭を叩いたり、悪口にしか聞こえないような軽口を言い合ったりしていた。


 今の俺たちにはそれがない。ただ最近あった面白いことを共有し合うだけの、他のクラスメートと大差ない距離感で特別感のない義務のような会話をするだけ。そう感じてしまう。


 慎也と話をする度、俺はもう、あの頃の理仁じゃなくなったんだって実感する。

 今の俺は瑠璃川理子で、男子じゃなくて女子なんだって。心でどれだけ否定しようと、変わってしまった現実が容赦なく俺に事実を突き付けてくる。



 慎也と話すようになってから、余計に鏡を見るのが怖くなった。慎也の事を考えている時の自分の顔を見たくなかった。その顔はきっと、もう戻れない過去への後悔を映しているに違いなかったから。



 そんなモヤモヤを抱えながら学校で過ごしていると、陰口や噂話がいつも以上に鮮明に耳に入ってくる。



「また鰐淵に話しかけてる。アイツの狙いって丸分かりだよね」


「女なのを誤魔化しきれなくなったからって開き直って今度は色仕掛け? 必死ー」


「あんなんでも鰐淵って一部にはモテるもんね。顔は良い方だし。だからって男のフリしてた頃みたいに馴れ馴れしくしてんのはドン引きだけど」


「てか幼馴染だからってあんなひっつき虫みたいにずっと一緒にいる? もうちょっと独占欲とか隠す気ないのかな。見てて不快」


「言えてるー」



 ……今度はそういう内容の陰口を叩かれるのか。慎也に相手にされてないからってよく分からない僻みをこっちに向けるのはやめてほしい。


 聴こえないフリをする。否定も肯定もしない。反応なんか絶対にしてやらない、面倒くさいから。



 廊下では卜部が男子数人に囲まれてるのが見える。アイツは今日もいじめられている。配膳係が来るまでの数分間、アイツはあそこで男子達から心無いことを言われて、周りから見えないように殴られたりするんだろう。



 ……この学校で起きている事は、きっとどこの学校でも起きていることだ。特別なことは何もない、だからこんな事を思ってしまうのはもしかしたらお門違いなのかもしれないけど。


 こんな、人に悪意をぶつける人間ばっかり集まってるような学校、なくなっちゃえばいいのに。なんて、くだらない事を考えてしまう。





 放課後、俺は一人で帰り道を歩いていた。


 以前なら慎也と一緒に帰っていたけど、女になってからは慎也は他の男友達の家に遊びに行くようになって俺とは一緒に帰らなくなった。

 卜部もいじめられっ子連中、それこそ慎也とかに付き合わされてランドセル係にされてるから俺と下校タイミングは被らない。


 足が重い。

 慎也と付き合いを再開してから、なんだか卜部の家に遊びに行く気も起きなくなって直帰するようになった。


 家に帰れば母親が俺を猫可愛がりする。それを拒否ればまた前みたいに叩かれたり暴言を吐かれたりする。自分を守るために俺は可愛くなった娘を演じなきゃいけない。


 吐き気がする。腹の奥が痛い。


 なんなんだろう。


 母親の過剰な、女としての可愛がり。慎也のよそよそしさ、女子の陰口、卜部のいじめ、女として成長する体。


 色んなことが頭の中でぐるぐる回って、気分が悪くなる。

 曇りがちな空を見てると余計に心が沈む。風が異様に冷たく感じる。



「はあ……」



 嫌な事ばっかり考えていたら本格的に体調が悪くなったので公園のベンチで一休みする。



「大丈夫?」


「うわっ!?」



 ランドセルを横に置いて目を瞑って深呼吸してたら急に女の子に声をかけられた。誰も近くにいないと思ってたからびっくりした。



「ずっと調子悪そうにしてたけど、具合悪いの?」



 俺に声をかけた女の子は心配そうな目で見つめてくる。

 ……具合悪いのって聞いてきてるけど、そういう自分はマスクしてて風邪ですよって感じの見た目してるじゃん。俺なんかに声掛けずに真っ直ぐ家に帰るべきでしょ。



「別に大丈夫。誰だか分かんないけど、心配してくれてありがとう」


「んーん。それともうひとつ聞いてもいい?」


「?」


「なんで黒いランドセルなの? それ、男の子のでしょ?」



 ……おぉ。初めて言われた、何故か誰も触れてこなかったやつ。


 そうなんだよな。服も髪型も、俺自身の体も女になっちゃってるのにランドセルだけはずっと黒いのってどこからどう見ても変だよな。

 ウチはそこまでお金があるわけでもないから服は買えてもランドセルを買い換えることは出来なかった。もう小学五年生だから勿体ないって理由もあるんだろうけど。



「これは……お兄ちゃんのお下がり。ウチお金ないから」



 知らない人にいきなり『元は男だったから』って言うわけにもいかないのでそれっぽい嘘を吐く。



「へー。うーん、君って何年生?」


「え。五年生」


「五年生かー。じゃあ微妙かぁ」


「なにが?」


「んー。私もうちょっとで小学校卒業するから、ランドセルあげてもいいよって言おうと思ったんだけどね? たった一年くらいなら今更かなって」



 すごいことを言い出した。見ず知らずの子にランドセルあげるとかすごいこと言ってるこの人。ていうか上級生なんだ、てっきり同い年だと思ってた。



「私は鶴舞(つるまい)美玖(みく)。あなたの名前は?」


「……? ……瑠璃川りひ、理子?」



 はてなマークを語尾につけるような言い方になっちゃった。しょうがないよね、いきなり名乗られてこっちの名前まで訊かれるとは思わなかったんだもん。急に何……?



「リヒリコちゃん? 変な名前だね」


「違う!? リヒリコなんて名前じゃない! 理子だよ。り、こ」


「え? でもさっきりひって言ってたよね?」


「噛んだだけだから」


「噛んだだけかぁ。ロリ川理子ちゃん、良い名前だねぇ」


「……あれ、違う!? 違う違う、ロリ川じゃなくて瑠璃川だよ! なんだよロリ川って! そんな名字ないだろ!」


「今度も言い間違え?」


「今度のは噛んでないよそっちの聞き間違いだろ!!」


「そう聞こえたんだけどなぁ。似てるもんね、瑠璃とロリ」


「似てないだろ……」


「あははっ。じゃあよろしくね、ロリ子ちゃん!」


「わざとだよね!? なにロリ子って! 俺そんな名前じゃないんだけど!」



 度重なる間違いについ声を大きくして突っ込んでしまう。なんでこの人はこう何度も俺の名前にロリを絡めるんだ。

 ロリがどれくらいの子どものことを指すのか分からないけど、俺がロリだって言うなら自分だってロリじゃんか。1歳しか違わない相手にロリ呼ばわりされる筋合いないんですけど!



「今、自分のこと"俺"って言った?」


「え? あっ……」


「言ったよね」



 ギクリ。

 やばい。ずっとツッコミどころのある事しか言わないからつい気を抜いて素の言葉遣いで喋っていたっぽい。


 鶴舞とか言った子は目元で分かるくらい明らかなニヤニヤ顔をしながら俺に詰め寄ってくる。



「理子ちゃって自分のこと"俺"って呼ぶの? 変わってるね〜」


「い、いや。その……お兄ちゃんがいるから、移ったというか」


「可愛い〜」


「う……可愛いって言わないで」


「なんで〜? 可愛い子が自分のこと"俺"って呼ぶとか超可愛いじゃん」


「……わ、私、可愛いって言われるの好きじゃない」


「そうなの? なんで?」


「なんでも! どうだっていいだろそんなこと! てかいきなり話しかけてなんなの!? さっきからずっと、馬鹿にしてる!?」


「馬鹿にはしてないよ〜。なーんかずっと泣きそうな顔してたから、元気づけてあげたいなって」


「別に泣きそうな顔なんかしてないし元気づけ方がおかしいから!」


「そう? でも今の理子ちゃん、さっきよりもお顔が生き生きしてるよ?」


「そりゃ散々馬鹿にされたからね!? 怒ってるだけだよ!」


「怒ってるの? ごめんね!」


「っ、別にいいけど! そんなに怒ってないし!」


「あははっ。ふくれっ面可愛い〜!」


「だから可愛いって言わないでって言ってんじゃん!?」



鶴舞は俺の頬を人差し指で突っつきながら面白おかしそうに笑い出す。人の事馬鹿にしすぎだろこいつ。なんなんだ、年下だって俺の事舐めてんのか?


 ……。


 でも、こんな風に声を荒らげて誰かと話すのなんて久しぶりだ。

 まだ男だった頃、慎也と馬鹿やってた時とか。

 陰口を言われて心が荒む前の卜部とだとか。

 その二人しか声を張り上げる相手がいなかったからすごく新鮮で、モヤモヤとした気持ちはいつの間にかどこかへ消え去ってしまっていた。


 こんな事で元気づけられたなんて絶対言いたくないし思いもしないけど。でも実際、鶴舞にいじられてから胸の奥が大分軽くなってしまった。


 鶴舞のいじりには他の連中のような陰湿さがなく、本当にただ楽しく会話をしたいって気持ちが伝わってくる。だからこっちも素直にその気持ちを受け取って声を荒らげることが出来たし、結果的にそれがストレスを解消する一因になっていたのかもしれない。



「……なんか、クツジョクだ」


「ん? どーしたのロリ子ちゃん。何が屈辱?」


「だからロリ子じゃないって! 理子な、りーこ!」


「いいじゃんロリ子ちゃんって可愛いし! あだ名それにしようよ!」


「嫌だよ!?」


「けってーい!」


「嫌だって言ってんのに!!!」



 鶴舞は俺の拒否を聞かず、勝手に決定して勝手に一人で盛り上がったあと俺の手を掴んで「わーい! ロリ子ロリ子!」と囃し立てるように妙ちくりんなあだ名を繰り返す。


 めちゃくちゃコケにされてるし人によってはこんなのいじめだろって言い出すような内容だと思う。けど馬鹿みたいに笑ってる鶴舞を見てたらこっちまで笑けてきて、絶対に笑ってやるかって思ってたのにいつの間にやらつられて俺も一緒になって笑い出してしまった。


 ひとしきり笑い合った後、鶴舞は「じゃ、私はこれにて!」と言って公園から去っていった。さっきまでは平気だったのに、うるさい奴が居なくなったせいで急に寂しさを感じる。


 鶴舞、美玖。一個上の学年って事しか分からない、底抜けに明るいマスクをした女の子。



「……また話したいな」



 散々馬鹿にしてきた相手なのに変な気持ちが芽生える。笑いすぎたせいで良い意味で腹が痛くて、頬が痛くて、胸が暖かい。こんな感覚は男だった頃も含めて、生まれて初めての経験だった。

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