Case31.森の賢者
ここはどこだ?
光がたくさん……。水の中? 何かが揺れている……。踊っているのか……?
あれは胎児? いや、違う……。ヒトの脳だ。ヒトの脳髄の、海馬だ。
思い出せない。何か大事なことを忘れている。
ぼくは誰だ? ぼくは……。
「おはよう、アルツくん」
目覚めたら眼鏡を掛けた男の顔があった。三十代くらいだろうか。優しげで、ひげなどは生やしていない。
「まさか、ぼくの恋人だなんて言うつもりじゃないだろうな?」
「えっ!?」
男は困惑顔になった。
「そういう趣向はないよ。でも、家族といえば家族かもしれない。父親さ。混乱しているというか、休止直前の記憶から警戒状態を引き起こしたんだね」
どういうことだ?
身を起こす。まっしろな部屋。ぼくは手術着のようなものを着せられている。
思い出せ。ルネはぼくの恋人、クスティナが叛逆者として処刑され、ロマは自傷友人。それで、ぼくはナイトを殴って……。
「左腕の接合は済んでるよ。ついでにメンテナンスと調整もしておいた。BNMを大量に失っていたから、自己修復が間に合わなくて機能停止してたんだ」
「BNM?」
「ナノマシンによって模倣された血液さ。その様子だと、本当に記憶データを失ってしまってるみたいだね。きみの口から話を聞きたかったから、電脳の記憶領域は覗かせてもらってないよ」
そうか。ぼくはやっぱりアンドロイドだったのか。
いや、彼もグルでぼくを担ごうとしているのかも。
だが、左腕は元通りに繋がっている。
持ち上げて握ってみるが、なんの違和感もない。
記憶はニセモノ、筋肉たちは機械……。
そんなことを信じろっていうのか?
「よく鍛えこんだみたいだね。全身のマクスウェル筋組織に肥大化が見られる。予備パーツとサイズが合わなかったから、落としてきた腕を回収して修復したんだ」
「それってつまり……」
「きみの連れあいがちゃんと保管してくれていたんだよ」
「筋トレは無意味じゃなかったということか!」
「う、うん……?」
男の眼鏡がずり落ちた。
ぼくの父親だという男性は科学者でハイマー・リデルという名らしい。
ハイマー博士はレッド・ラインのはるかかなたの森の中に研究所を構え、そこでひっそりと暮らしている。
窓の外は木々の生い茂る密林で、見ているだけでも蒸し暑く、派手な色の鳥や虫が飛び交っていた。
「ここはきみたちの実家のラボで、生まれ故郷だ。それから、マイドの暮らす国のひとつで、地球環境の監視拠点でもある」
白い廊下を案内されるあいだにも、マネキン顔のマイドたちに挨拶をされた。この場所のこともどうやら忘れているようで、マイドたちに旧知の仲として接してこられて困惑した。彼らはぼくの記憶喪失を知ると、酷く残念がった。相手がフレンドリーなぶん、ぼくはアウェーを感じる。なんだか申しわけないような気持ちだ。彼らに対しても、人間に対しても。
「マイドと人間は戦争になっています。ぼくも彼らと交戦したんですが……」
「そのあたりのことはこみいってくるから、まとめて話をしたい。もうすぐ、お茶会の時間なんだ」
案内された先は中庭だった。すっきりと刈りこまれた芝生と低木が緑を輝かせ、白い石畳を敷かれた道があり、ちょっとした水路や噴水までしつらえられている。
大きなハサミを持って植えこみを剪定しているツナギ姿のマイドや、外から遊びに来た小鳥を指に止まらせて何ごとか話しかける燕尾服のマイドがいた。
そんな中、芝生に直接イスとテーブルが並べられており、そこに着席する見知った女性を発見。背に垂れたブラウンの大きな三つ編みを見ると、胸の中に渦巻いていた不安が、すっと、とけて消えた。
「ルネ!」「アルツ!」
彼女はこちらに気づくと駆けより、飛びこんできた。ぼくは腕を広げて彼女を受け止める。ぼくの生還を喜び泣きじゃくる彼女の背をさすってやりながら、ぼくも泣きたい気持ちになった。
ルネは落ち着くと腕の中から逃げハンカチで顔を拭い、ハイマー博士のほうを見て少し赤くなった。
「コミュニケーションの力は飛躍的に上昇したみたいだね。ルネさん、もうひとりのお客様はどうしてるかな?」
「ロマは集落のほうに行ってます」
「使いを出して呼んできてもらおう」
ハカセはそう言うと、小鳥と戯れていた男性マイドに声をかけた。
ぼくらはテーブルに着席する。ルネが「ここでの暮らし」の話を興奮気味に話してくれるが、情報量が多くて脳……電脳が疲弊しそうだ。
ここのマイドたちは自然と隣りあった暮らしをしているという。
発達した機械技術を持ちながらも自然物を利用した手製の道具を好んでおり、趣味で陶芸をしたり、花を育てているらしい。
ティーンから聞いたものよりもプリミティブな印象だ。
しばらく待つと、ロマ少年が現れた。彼はなぜか植物であつらえた装飾品でごてごてと飾り、両の頬と額に青いペイントを施している。
「お、おはようアルツ! それと遅れてごめんなさい。マイドの子たちに探検家ごっこに付きあわされちゃってて」
ハイマー博士が上座、ぼくとルネが隣りあい、向かいにはロマと空席。
その空席には、ぼくをここに連れてきたであろう「彼女」が座るのだろうか?
ノマドといったか。あの子は、泣いていたな……。
残りの席が埋まらぬまま、文化的メイド服姿の背の低い少女マイドがやってきてティーカップが満たされ、お茶会は始まった。
「まずは先ほどの疑問に答えようか」
ハイマー博士が言うには、「ここ」と人間と戦争をしているマイドの国は別の場所だという。
マイドと人間が袂を別ったさい、マイドにも二つのグループができていた。
ひとつは、森に住みつき、地球環境の修復の仕上げと保守をおこなうグループ。
もうひとつは、地下に潜り、マイドだけの国を築くグループ。人間と戦争を始めてしまったのは後者の地下組で、ぼくは森組のほうで作られたという。
「ふたつの組も長いあいだ離れていたからね。向こうでは“人間がマイドを捨てた”という認識が主流になってしまったようなんだ。コンタクトをこころみても使者は帰らないし、使者ではなく斥候を送ると、軍隊の組織が確認され、向こうから警告を受けた」
「ロボット人種同士で敵対ですか?」
「彼らは人間を模して作られてるからね。人間をまねて、人間の歴史を繰り返す。それだけなら仕方のないことだったんだけどね。ところが、彼らが実際に戦争を仕掛けたのは、考えをたがった森組ではなく、人間だった」
“人間のために”。ロボット生命体の存在理由であり、プログラムの根底。だから、マイドたちは人間を傷つけられないようになっている。
「ルール違反だ。彼らは外部プログラムを用いて基本理念をゆがめてしまった」
「あれ? そもそも、そんなプログラムを使うことを決定できるのも、おかしくないですか?」
ルネが首をかしげる。
「彼らの精神レベルも人間とほとんど同等に達していたから、自己矛盾や認知バイアスなどの心理的現象も発生するようになっていたんだ。人間のためにあるのに、人間のいない国で暮らしていたせいで、アイデンティティの拡散が起こったんだね」
「そんでマイドたちは人間のために人間をどーこーするとかいって、攻めこんできたわけかあ。メーワクな話だよ」
少年はフォークでケーキをひとくち頂き、紅茶をすすった。
ぼくは感じたことを口にする。「寂しかったんだろうさ」。
「私もアルツの意見に賛成かな。ここで暮らしてみると、もともとは友達だったっていうのが、実感できるもの。アルツに聞いたティーンさんの話の通り」
「話を戻そう。地下組が是正したがってるのは、エビングハウス回路を嚆矢としたサイボーグ化の道だ。これは森組も反対だったけど、人間の決定には口出しをしないつもりだった。だが、マイドと人間が殺し合うとなれば話は別だ。森組も森組で、正しい形で人間との友好を取り戻すことを検討した。そのために、今の人間がサイボーグ化に関してどう考えているのか、一緒に暮らしていたときとどう変わってしまったのか、知る必要があった」
そこで作られたのが……。
「そう、僕だ」
ハイマー博士が言った。何やら自慢げに胸を張っている。
「博士もアンドロイドなんですか?」
「違うさ。ある意味では人間で、ある意味ではまったく別の生物。僕はある存在によってゼロから作られたんだ」
ハイマー博士は自身のことを語った。
彼は、人間理解のために創られた存在で、塩基配列……つまりやDNAなどの次元から「組み立てられた」という。
「都合よく創造されたから、僕は人間としては最大のスペックを持っている。老化限界が設定されててね、こう見えても七十年は生きてるよ。ボードゲームが趣味で、ボードゲームチャンピオンのマイドとも五分五分の勝負をしてるんだ。それから……」
博士はべらべらと自分のことを並べ立て始めた。ランプもそうだったが、天才やオタクはどうして早口で話すのだろうか。初犯じゃないらしく、ロマやルネにも「まただ」と呆れられてる。
「欠陥を挙げるとするなら、生殖能力だね。これは再現できていないんだ。ほかにも、使わない能力は衰えるし、倫理や個性なんてものも社会によって価値が変わる。パーフェクトには遠いさ。まして、マイドしかいない社会で作られた人間では真の人間に至れない。だから、スパイをして調べてこいという任務を与えられたわけだ」
けどね。彼は肩をすくめた。
「母親が自分の性格を受け継がせたせいで出不精になってしまってね。僕は自分で行くのが面倒くさいから、人間に似せた二体のアンドロイドを製造して、彼らにやらせることにした」
「それがアルツとノマド姉ちゃんってわけだね。なるほど、確かに親子だ」
ロマが笑う。失礼な。ルネも「めんどくさがりさんのお陰で逢えたのね」なんて、肘で突っついてきた。
「送り出したはいいものの、ここ数年はふたりから定期連絡が来なくなってたし、てっきり僕は勝負に負けてしまったものだと思ってたのだけどね……」
「勝負、ですか?」
「そう。任されたのは僕ひとりじゃない。もうひとりいるのさ。“僕”は“母親”が創って、“彼”は“父親”が担当した。異なるパーソナリティの存在を用意して、おのおのの手段で人間との再融和を目指す。勝負や競争としたほうがやる気も出るしね」
少し引っ掛かるもの言いだ。ゲームを楽しむような。
かつての「ぼく」は、こんなハイマー博士のことをどう捉えていたのだろうか。
「いちおうは秘密裏にやってることだし、対戦相手のカードにされないように、ロマくんとルネさんは保護させてもらったよ」
ふたりともここの暮らしは悪くないという。ルネは集落を回ってコルネットのリクエストに応えたり、マイドたちの暮らしの手伝いをしたりしているんだとか。
ロマは「人間の子どもの特別ゲスト」として好きにさせてもらっているらしい。両親のことだけは気に掛かっているようだったが、機械人種とのコミュニケーションや、そばにある密林の探索など、彼の興味は尽きないようだ。
「ふたりが来てからここも明るくなった。人間はみんなのあこがれだからね。そう言えば、奇しくも、ここにはすべての人種がそろっていることになるわけだ」
「すべての?」
「マイドたち、アンドロイドのきみ、ゼロからメイクされた僕、現代の人間ルネさん、それから、真の人間たるロマくん」
真の人間。博士がロマに頼まれて調べたところ、彼の海馬体はエビングハウス回路に頼る前のサイズと能力を維持していることが分かった。それから、回路が破損していて機能していなかったことも。
「悩んでたんだけど、おれのほうが正常だって言われたら、ま、いいかなって」
そうだ、彼はともかく、ぼくのほうはどうなんだ?
「博士、ぼくの記憶は戻せないんですか?」
訊ねるも、「無理!」とあっさりと明るく言われてしまった。
「完全に削除されてしまったということですか?」
「きみもルネさんも、以前の記憶は保管されていると推測される。だけど、ノマドが独自のアルゴリズムでロックを掛けてしまってるから僕にはお手上げだ。父親超えをしてくるなんて、感無量だなあ」
「彼女はどこに?」
ぼくは空席を見る。
「きみたちの保護を済ませたあと、機能を停止してしまってね……」
博士の眼鏡の下がかげった。
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