Case14.赤き線の向こう
インターホンのモニターにはひげづらメガネの青年。
背伸びをしているのかカメラに顔がやたら近く、鼻息まで届きそうだ。
「アルツ」
ノマドはいつもの黒ドレス姿に戻り、手櫛で髪を整えている。
心配そうな表情だ。
「起きても平気なのか?」
「そんなことを言ってる場合じゃない。チョールヌイのほかには誰がいるの?」
「いや、ひとりじゃないのか?」
モニターには彼しか映っていない。
「そんなはずは……」
彼女はモニターを覗きこむと首をかしげた。
「勘違いだろう? 何をしにきたのか聞いてみるか?」
「ことばじゃ信用できないわ」
「と言っても、頭にはプロテクトが掛かってるんだろう?」
余計なことを言ってしまったらしい。
ノマドの表情がみるみるうちに不機嫌になっていく。
「倫理プログラム削除実行中……」
我が妹は宙に向かってジャブを始めた。
「おいおい、人間を殴るのはナシだ」
「冗談よ」
舌を出すノマド。初めて見るリアクションだ。
「らしくないな」
「ユーモアって、こういうのをいうんじゃないの?」
「熱で電脳がバグってるんじゃないだろうな?」
「冗談だって言ったでしょう? 会ってみましょう。おひげのお兄さんに」
ノマドはそう言うと、ぼくの頬を指でぬぐって舐めた。ジェラートがついてたか。
やっぱり、様子がちょっとヘンだ。
ぼくはストレッチをし、取り押さえる心構えとともにチョールヌイを迎えいれた。
ところが、筋肉たちの出番はなかった。
「あなたを見て感銘を受けました。人間ではないのでしょう?」
チョールヌイはぼくと顔を合わせるなり、べたべたと身体を触ってきた。
筋肉を膨らませて返事をしてやる。
「この筋肉も人工物で?」
「人造筋肉だが、食べて鍛えると強くしなやかになるぞ」
「ほおお、身体に兵器などは?」
「頑丈な身体とカロリーを利用した怪力だけだ」
「素晴らしい!」
チョールヌイは笑い始めた。笑いはどんどんとけたたましくなって、彼は「失礼」と断ってピルケースを取り出し、錠剤を飲んだ。
『何秘密をべらべら話してるのよ』
『褒められたからつい……』
『まあいいわ。情報をオープンにして、話を引き出しましょう。どうせ消すんだから』
ノマドはプロテクトを破ることを確約し、彼をこの場に引き止めるように言った。
いちおう、ぼくも会話で彼の思惑や、背後にいるかもしれない人間について探ることにする。
「ぼくを褒めていたが、あなたは機械や情報文明を否定してるんじゃないのか?」
「それは手段ですよ。人間が人間に戻るための。あなたたちは人間の手で作られたわけでは、ないですよねえ? 今の技術では義手や義足だって百点満点でないのに」
「“ひと”に作られた、とだけ言っておこう」
「旧文明の遺産とか?」
「当たらずとも遠からずだ」
「ではやはり、レッド・ラインの向こうからいらっしゃったわけですね」
紅茶の支度をしていたノマドの手が止まった。
「きみはどこまで知っている?」
「何も。わたくしが知っているのは、世界のどこかに機械人形の国があるという、子ども向けのファンタジーだけです」
『こいつのメモリーを絶対に覗いてやるわ』
怒気のこもったささやき。ぼくに当たるな。
チョールヌイは一冊の本を取り出した。
また日記帳か。
「兄のビエールイの遺したものです」
日記に目を通すも、内容は支離滅裂だった。
宇宙人がどうとか、楽園に連れ去られるとか。
それはまだマシなほうで、ほとんどは文脈や文法さえめちゃくちゃだ。
日記をつけること自体は一般的な趣味だ。
だが、強烈なストレスを受けてエビングハウス回路が記憶を改ざんし、日記と辻褄が合わなくなることも珍しくない。たいていの場合は「こんなことあったっけ?」程度だが、トラウマクラスになるとそうはいかない。
日記を読みかえすことでフラッシュバックを誘発したり、ずっと違和感にさいなまれることもある。ルネのケースもこうなる一歩手前といえた。
「あなたの兄はうちを受診したほうがよかったとだけコメントしておこう」
ぼくがそう言うと、ノマドが日記を取りあげた。
「シュールレアリズム小説とか、自動記述にも見えるわね」
「ほう、ノマドさんは機械のくせに文学をやられるんですね」
にやついた表情。
ノマドが通信でさっきの冗談をリピートしている。
わざわざチョールヌイが殴り飛ばされてる映像を作ってぼくの電脳に送ってきた。
「人間を模している以上は言わせてもらうが、妹を悪く言われると気分が悪い」
「ご兄妹でしたか。その割には正反対だ。彼女は人間を捨てている」
「侮辱するなら帰ってもらうぞ。何か目的があって来たんだろう?」
「そうでした、忘れるところでした。今日はファンタジーが立て続けに起こるものでして」
ビエールイはチップ強化論者で、生体チップの分野にも関わる技術者だった。
彼はあるとき急に「旅に出たい」と言って、自然保護地区へと出かけていった。
自然保護地区は、一般人でも入ってもいい公園としての領域と、なんびとたりとも足を踏みいれてはならないとされる領域がある。
その境界は、地面から天へと伸びる赤い光のカーテンによって線引きされており、レッド・ラインと呼ばれている。
第二文明時代。地球は三千年ほど前に一度、全土が砂漠化して砂嵐に呑まれ、人類がドームと地下に逃れた過去を持つ。
今もまだ完全に元の姿とは言えないため、人類は地球の大部分をそっとしておいている。過ちを繰り返さないために。
「兄は境界を越えて行方不明になりました。ニュースにもなりましたし、ご存知ですよね?」
ぼくはうなずく。
兄は日記を遺していた。だが、あの内容だ。
最初は兄の気が狂ってしまったのだと思った。
兄のことは慕っていた。エビングハウス回路に関わる研究は、単なる職能データのコピペでなれるものではないから。
きっと、仕事が狂わせてしまったのだろう。
そう考えたチョールヌイは、兄とは反対の道を歩み始めた。
「作家になったのは、もともとは兄とは無関係だったのです。クリエイティブを夢に描くのは珍しいことではないでしょう? でも、あまりセンスが無かったようで、何年もマイナー作家をやっていました。世間にウケたのは、食べるためにやっていた再筆業のほうだったんですよ。悲しいことです。ひとびとは繰り返すばかりで、新たな創造力を失いつつある」
彼は悩みながらも執筆業を続ける。
次第に思想を並べる作風が板づき、オリジナル作家としてもファンを獲得した。
ところが、再筆業のほうでも、もうひとつ得たものがあった。
「妙なんですよ。三千年代の作品に、人型ロボットを主役とした作品がやけに多い。
どれもが“マイド”という名称で、人間と同じような権利を有した存在として描かれているんです。考古学界では単なる流行として片づけられていますが、あまりにも自然すぎる」
チョールヌイは日記のとあるページを開いた。
――人類は再びマイドに会わなければならない。
「最初はmaidはメイド、お手伝いのことだと思ったんです。ですが、どうもこれは創作品の中に登場した人型ロボットを指すようだ。本当は現実にも人間と同じようなロボット生命体が存在したのではないか? 存在が抹消されただけで、今もまだどこかで彼らは生きているんじゃないか? まあ、作家の妄想、ファンタジーもファンタジーですよ」
チョールヌイは再びけらけらと笑いだした。
笑うのは無理もない。
そんな折にぼくらが現れたのだから。
「あなたたちのことは、てっきり人間だと思っていました。人をあるべき姿に戻そうとする同志なのですから。怒りや悲しみもまた、人が忘れてはならないものです」
「思い出させることは可能だが、ひとりひとり時間を掛ける必要がある。きみのシンパ全員となると、順番待ちで寿命が来てしまうぞ」
「でしょうね。単純な技術でやっているのなら、コピーさせてもらえばいいかと思っていたのですが、どうやらそれは人間業ではないらしいですし」
チョールヌイはノマドを見た。特にあなたの力は。
「きみの妄想は正解だ。マイドは人間に対して悪意を持っていないことだけは断っておく。無論、ぼくらふたりもだ」
「アルツくんは限りなく人間なのでしょう。信用に足ると思います」
「主張を変えるのか?」
「変わりませんよ。回路が憎いことや手放すべきという考えは。オールド・マンの活動も諦めるつもりはありません」
「人間から動物に戻るなんてナンセンスよ」
ノマドがつぶやく。
だが、チョールヌイは一笑に付し、「サイボーグ化だって技術的にできたとしても、ファンタジーです。こころの問題があるというに、それを無視して論じられている」と返した。
「肝要なのはバランスです。本気で科学文明を捨て去れるなんて思っていません。肉体を捨てようとする極端な論があるから、真逆の思想も必要というだけのこと。議論を巻き起こすことで、全人類にまじめに考えてもらおうとしているだけ。物事の本質を見極めれば、落としどころが見えてくるはずです。永遠にたどり着かない平行線になってしまうかもしれませんがね」
「あえて悪役をやろうとしているわけか」
「むかつくわ」
ノマドが音を立てて紅茶をすすった。
「ですが、事態は変わりました」
チョールヌイは身を乗り出してぼくを指差した。
「質問です。過去の作品に登場するようなロボットは、今も生きているのですか?」
生きている。ぼくらの領域で、人間とは距離を置いてひっそりと。
「ほう……。みんな、あなたたちのような姿を?」
「ノーだ。ぼくらは特別だ。マイドたちはあくまでも人間に憧れているだけで、完全な同化は望んでいない。模してはいるが、見たら機械だと分かる程度の造形だ」
答えるとチョールヌイの顔がぱっと明るくなった。
細められた目が弧を描き、口もまた白い三日月を覗かせる。
ピエロでもしない笑顔はルナティックを感じるほどだ。
しかし一転、これ見よがしに困り眉となる。
「日記の謎はおおよそ解けました。しかし、ひとつだけピースがはまらない。マイドたちが、友好的だということが納得できないのです」
彼はそう言うとイスから立ち上がった。
「じつは、玄関にひとり待たせているんです。連れてきても?」
「やっぱり居たのね」
ノマドは来客用のクッキー缶を乱暴に封切った。
「驚かないでくださいね」
「どうせビエールイでしょう? 彼は帰ってきた。違う?」
「正解ですノマドさん」
にっこりと笑うひげづら。
やはり兄か。赤き地平の先で何を見たのか聞かせてもらおうじゃないか。
「感情プログラムを切っておくわ!」
クッキーをばりばりとやる我が妹。
ところが、チョールヌイが連れてきたのは、人間ではなくアタッシュケースだった。
「これが、わたくしの兄で、あなたたちが味方だと信じきれない理由……」
ケースに入っていたのは、液体の入った筒型のカプセル。
そして、その中でたゆたっているのは、人間の脳の一部だった。
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