奴隷王子と墓荒らしの魔女1
「貴方なら出来るのでは? エリス嬢」
訊かれて、エリスは一歩後退さった。
「出来ればしたくないです、けど…。で、出来ます! 近いことで構わなければ出来ます、すみません!」
笑顔のまま詰め寄ってくるルッツ。頷くと同時に彼の動きがピタリと止まって、胸を撫で下ろしたエリスは逃げるようにノアールへと視線を移した。
「出来ますけれど…、準備が必要です」
『準備? さっきみたいに本を読めばいい訳じゃないのか?』
「ライラの書は魔術書ですから、本自体に陣が組み込まれているんです。ライラが書いた魔法陣を借りて、ライラが読んだ言葉を借りて、ライラがかけた魔法を借りたようなものですね。ですから読んでみないと何が起こるか分かりませんし、そもそもが古代魔法ですからあまり現代用途向きじゃないといいますか、ロウ王子とチャッピーが入れ替わったみたいにとんでもない事が起きやすいんですよね」
言いながらエリスは鞄を床に置くと錠前を外す。中には本が数冊と、ノートが数冊。まだ白い羊皮紙が詰められていた。ペンにインク、何に使うか分からないすり鉢やらもある。
『それで君は…あんな所で一人本を読んでいたのか』
「片っ端から読んで、どんな魔法が発動するのかを見るんです。その時ライラがどんな気持ちだったのか、発動する魔法陣を見ていれば分かりますから。それにしても今回は荒れに荒れてましたねぇ。……おおよそ力加減の分からない魔女か魔術師が発動させて、手に負えなくて秘書にされたんでしょうね」
ぬいぐるみを抱えたままノートを捲る。描かれている様々な魔法陣をロウが覗き込んでいると、エリスはふと顔を上げた。じぃと見つめられてロウは腰を引く。
『ど、どうした、エリス』
「ロウ王子の髪の毛ってあります? 一本あれば十分なんですけれど」
「あるぜ」
ノアールが首を巡らせると、奥には部屋があるらしい。
「おい、ミザリー! ロウ王子の髪の毛一本用意してくれるか!」
間をおかずして開いた扉の奥に、少女が一人立っていた。赤いドレスを来た少女は金色をしたツインテールを揺らしながら歩いてくると、エリスに腕を突き出す。親指と人差し指の間にぶら下がっているのが、ロウの髪の毛なのだろう。少女はにこりともせずに踵を返した。
『僕の身体はそこにあるのか?』
「ああ。ミザリーには何も通すなと言ってあるからな。今現在、コーネリウスで一番堅牢なのはこの部屋だ」
ノアールはおもむろに酒瓶を握ると宙に投げた。回転しながらミザリーの頭上を通る酒瓶が、扉をくぐる寸前に音を立てて四散する。むせ返るようなアルコールの臭い。粉々になった瓶が床に散らばると、ミザリーは両手に握った銃をくるりと回した。ドレスを捲し上げる。まだ幼さを残す、白くて細い太ももに巻かれたフォルダーに慣れた手つきで銃を仕舞うと、砕けた瓶をジャリジャリと踏み鳴らしながら部屋へと戻っていく。
「あ、ありがとうございます?」
誰にお礼を言っているのか。何事もなかったような部屋で、転がる割れた瓶を見ながら呆然と口にしたエリスは思い出したように作業へと戻った。まずすり鉢にロウの髪の毛を落とす。マッチで髪に火をつけると、あっという間に燃えた灰をすり棒で丁寧に砕いた。その上にインクを垂らして馴染ませ、ペン先を浸す。
「この魔法陣を応用して、と。こんな感じかしら。この魔法陣を…例えば化けて出たい、王子様の枕元に置くとします。その際その王子様の髪の毛一本手に入れる事が出来れば、より正確にロウ王子の思念を送ることが出来ます。これで化け出ると言えます、が。問題はこの魔法陣をどうやって王子様の枕に忍ばせるかですね」
それが一番の難問だ。みんなして頭を悩ませるかと思いきや、一人ゆうゆうと椅子に腰掛けて成り行きを見ていたノアールは得意気に笑った。
「俺に任せろ」
「え!?」
「となれば、狙うは第二王子ギルベルト様ですね」
「だな」
ルッツの言葉に頷いて、ノアールは輪郭をなぞるように指を走らせる。
「あの坊ちゃんは人一倍肝が小さいからな。良い働きをしてくれるだろうよ」
『なら、僕も連れて行って貰えないか? ノアール』
ロウの言葉に虚を突かれたような顔をしたノアールは瞬く。緩く首を振って、苦笑した。
「そりゃ方法はあってもお勧めはしないぜ、王子様。ロクなモンを見ないだろうしな。世の中には知らなくていい事の方が多いってもんだ」
『ならば、知って後悔しよう』
ぬいぐるみの瞳は揺るがない。しばしの間ロウを眺めていたノアールは口端を緩めるようにして笑う。
「そういう馬鹿は嫌いじゃない。いいぜ、つってもどうやって連れて行くかな」
思案するように宙を流れる視線。蜂蜜色の瞳は天井からルッツ、ロウからエリスへと移動すると、ふと止まった。
「……エリス、お前も来るか」
「へ?」
「一度忍び込むのも二度忍び込むのも一緒だろ。待ってろ、今服を用意させる。おい、ミザリー、手伝って貰えるか」
仏頂面のミザリーが出てくると、ノアールは耳打ちするようにして指示を出した。無言のままこくりと頷いて、一度部屋へと戻った彼女の手には城で働く使用人の服が抱えられている。
「じゃあ俺も着替えて来るからよ。そっちは頼んだぜ、ミザリー。おっと、いいか。俺があの部屋に入ろうとしても撃つなよ、絶対」
撃たれたことがあるのか。絶対だからな、と二度三度念押ししながら、ミザリーから視線を外さずに部屋へと入っていくノアール。大して興味なさそうな瞳でそれを見送ったミザリーはルッツに歩み寄ると、問答無用で彼の身体を半回転させた。壁に手を突かせ、背中に銃を突きつける。
「…一ミリでも動いてみろ、殺す」
「はいはい。相変わらず可愛い声しておっかないねぇ」
吐き捨てるように言ったミザリーは、エリスの手から引っつかむようにロウを奪うと、黒いメイド服を押し付けた。
「着替えるの? これに?」
こくんと頷く。こうしてロウを抱いていると年相応に見えなくもないのだが、頷く合間にも片手に握られている銃の照準はルッツから動かない。黒い質素なワンピースに白いエプロン。エリスが着替えると、ミザリーは無表情のままエリスの胸倉を掴んだ。
「え?」
『へ?』
襟首の隙間からロウを突っ込む。ぽすんと間抜けな音をあげてエリスの胸元に収まったロウは、もぞもぞ動くと襟首から顔を出した。
『ど、どどどどどどうしてそうなる!』
「ノアールが、これなら自然だって」
ぽつりと落とすように言ったミザリーは顔色一つ変えずに、ちょこんと首を横に傾いだ。
「おかしい?」
ロウが頭を抱えてうずくまれば、頭とお尻の丸みでたわわな胸の膨らみになるという寸法らしい。絶句しているエリスの襟首で、ロウは両手をじたばた動かした。
『おかしいだろう! こんな、女性の胸元に…入るなど…!』
「ロウ王子様は子どもだし、親に抱かれていると思えば問題ないのでは?」
『僕のどこか親に抱かれる年に見える! 僕は十六だ! 再来年には結婚出来るんだぞ!』
「見えないですね。同じくらいの年かと思ってました」
『何だと!』
「…唸っていると本当に犬のよう」
淡々とミザリーが言葉を返す。この娘、案外饒舌に喋るものだが、それより何よりゆっくりと手を動かしたエリスは服の上からロウの曲線をなぞるように押さえると、くっと奥歯を噛み締めた。
『エリス、すまない。すぐに出るから!』
「あまり暴れると服が破けますよ」
『なら今すぐ僕をここから出せ!』
「……Cくらい、ですかね」
ぽつりと零すエリス。
「いえ、わたしの経験上Dですね」
ルッツが喋ると、ミザリーの銃が火を噴いた。すぐ横の壁に穴が開いたにも関わらず、ルッツはにこにこと人好きのする笑みを浮かべたまま口を動かす。
「触って確かめましょうか?」
『……だからお前は残念王子なんだよ、ルッツ』
その顔で、そう口にして、両手がわきわきと不穏な動きをしている。げんなりした声をロウがあげたとき、待たせたなと言って小部屋からノアールが出て来た。一同の視線が集まる先で、黒いワンピースに白いエプロンを来たノアールは妖艶と微笑む。
「どうよ、俺。メイド服もまだまだいけるだろう? 弾けるような若さがない分、今のほうがいいかもな」
括っていた髪を下ろし、艶やかな髪が腰で揺れるノアール。女物の服に身を包んだ彼を見たロウは世界がひっくり返ったような声を上げた。
『…………アル? お前…アルじゃないか!? お、お前がノアール⁉︎ お、男だったのか!?」




