第15話 それぞれの朝
入浴や寝る準備を整えたSPとハナヒメは、広いベッドに二人で身を寄せ合うように寝そべっていました。
部屋の照明が落とされ、暗闇の中でぽつぽつと会話を交わす二人。昼間の賑やかさが嘘のように、部屋は静かな空気に包まれています。
「それにしても……言えてスッキリしましたわ。私ってば、隠し事が本当に下手ですのよ……」
「ふふ。……じゃあ、な、内緒の話は、ヒメちゃんには、で、できないなあ」
「あら、いやですわエスさん。そういうお話でしたらしっかり黙っておりますわ」
「ほんとかなあ……?」
二人はくすくす笑い合いました。
布団の中で、ハナヒメがそっと手を握ってきました。
「私、エスさんとお友達になれてよかったですわ。今とても幸せですもの」
「そ、それ、我も同じ、だからね?」
「……今までつらいことばかりありましたわ。でも、それももうおしまい。生きてきて良かったって心から思えますのよ」
「ヒメちゃん……」
初めてハナヒメの本音が聞けたような気がしました。彼女も自分と同じように、暗いトンネルの中を長い間彷徨っていたようでした。
握られた手を、SPもそっと握り返します。暗闇の中ではハナヒメの表情はよく見えません。それでも、手の温もりから、彼女が今どれほど幸せを感じているのかが伝わってくるようでした。
「おやすみなさい、エスさん」
「うん、おやすみ。ヒメちゃん」
二人はお互いの手を握ったまま、ゆっくりと目を閉じました。
隣から聞こえる穏やかな寝息。手を通して伝わる温もり。そして、すぐそばに感じる心臓の音。それらすべてが、二人にはとても心地よく思えていました。
*
翌朝、SPは重い瞼を開きました。今のSPには起こしてくれる人はいないので、休みの日でもなんとなく平日と同じ時間に起きてしまう癖がついていました。
隣を見ると、すやすやと眠るハナヒメの姿がありました。
(よく寝てる。かわいい……)
SPが寝顔を眺めていると、ちょうどその時、部屋の扉がノックされました。
「ヒメ、エスさん。お目覚めの時間ですよ。失礼いたします」
声をかけてキトハが入室してきました。
「お、おはようございます……」
「あ、エスさん。おはようございます。既にお目覚めでしたか」
「あの、る、ルーティン? なんです……」
「それは良いことですね。実は……うちのヒメはとびきり寝起きが悪いんですよ」
キトハはカーテンを全開にして、眠るハナヒメに歩み寄ります。朝の日差しが差し込んでも、ハナヒメは布団の中で身じろぎするばかりでした。
「さあ、ヒメ。お目覚めの時間ですよ。エスさんをお待たせするわけにはいきません」
キトハが遠慮なしにハナヒメを揺さぶります。
「……んぅ。あと、5分……ですわ」
「だめです。コリョーが焼きたてのパンを用意しています。エスさんに冷めたパンをお出しするわけにはいかないでしょう?」
「パン……パンは、いただきますわ……でも、もう少し……」
ハナヒメは布団から顔を出しかけましたが、すぐにまた枕へと頬を沈めました。
「だめです。さあ、お布団を洗濯しますからね」
「あー! 寒いですわ!」
キトハが容赦なく布団を剥ぎ取ると、ハナヒメは慌てて身を丸めました。
SPは二人のやり取りを眺めながら、肩を揺らしていました。
結局、キトハの勧めもあり、SPはハナヒメを待たずに身支度をして食堂に向かいました。朝のお屋敷は使用人たちが慌ただしく動き回っていて、短い挨拶を交わすので精一杯でした。
食堂に入ると、リンシンが紅茶を片手に新聞を読んでいました。
「おはよう、エスさん。よく眠れたか?」
「お、おはようございます。ぐっすりでした……」
「……ヒメは相変わらずぐずぐずしていたようだね。恥ずかしいところを見せたな」
「い、いえっ……! か、かわいかったです……」
リンシンは新聞から顔をのぞかせ、フッと笑いました。彼はそのまま、新聞を丁寧に畳んで立ち上がります。
「……さて、お先に失礼するよ」
「あ……は、早いですね……」
「これでも受験生だからね。行ってきます」
リンシンは穏やかにそう告げると、食堂を後にしました。
「エスさん、こちらへお座りください」
一人になってしまったSPにムイタが声をかけてくれました。
「ええと、すぐに朝食にされますか? それとも、紅茶を先にお出ししましょうか」
「あ……えっと、ご、ご飯は、ヒメちゃんを、ま、待ちます」
「承知しました。温かい紅茶をお持ちしますね」
ムイタは一礼すると、静かに食堂を出ていきました。
SPが椅子に座って待っていると、しばらくして廊下の方からパタパタと足音が聞こえてきました。ケンインが食堂の扉を開け、半身をのぞかせます。
「おはようございます。行ってきます!」
慌ただしく挨拶を済ませ、そのまま引っ込みかけたケンインの腕を、いつの間にか戻ってきていたムイタが掴みます。
「ちょ、ムイタ……! もう行かなきゃいけないから……」
「だめです。コリョーさんから『パンだけでも口に詰めてけ!』と伝言を預かっています」
ムイタはコリョーに持たされたバスケットからクロワッサンを取り出し、ケンインの口に詰めました。
「これで良し。はい、行ってらっしゃい」
「ひっへひはふ」
ケンインは口をモゴモゴさせながら引っ込んでいきました。
(先生、多分放っておいたら全くご飯食べないんだろうなあ……)
SPは二人の様子を見ながら頬を緩ませました。
ムイタが淹れてくれた紅茶をゆっくり飲みながら待つうち、ようやく寝ぼけ眼のハナヒメが食堂へ現れました。まだ眠気が抜けきっていないのか、ハナヒメは少しふらつくような足取りでこちらへやってきます。普段の上品で華やかな雰囲気とは違い、どこか気の抜けた様子でした。
「エスさん、お待たせしましたわ……」
「や、やっと起きた? もう……リンシンさんも、先生も、い、行っちゃったよ」
「お二人とも、いつも私が起きてくる頃にはいませんのよ」
「そう、なんだ……」
「それはヒメちゃんが遅いからでは?」と、SPはうっかり余計な一言を言いそうになり、紅茶で無理やり流し込みました。
ハナヒメはSPの向かい側に腰を下ろすと、小さくあくびを噛み殺しました。
「やっと起きたかヒメ」
コリョーがちょうど良いタイミングでワゴンを押しながら現れます。
「ほれ、二人の分はちゃんと時間をずらして焼いたからな」
ワゴンの上には、焼きたてのパンが入ったバスケットや、料理の盛られた皿が並んでいました。コリョーは二人の様子を確かめながら、次々とテーブルへ運んでいきます。
「さすがコリョー。気が利きますのね」
「まあな。どうせなら一番うまいタイミングで食ってほしいからさ」
コリョーは得意げに笑うと、最後の皿をテーブルに置きました。
「ほ、ホテルみたい……」
目の前には焼きたてのパンと湯気の立つコーンスープ、スクランブルエッグにソーセージ、彩りの良いサラダが並びます。パンの表面はこんがりと焼き色がつき、バターの香りがふんわりと漂っていました。
「……紹介、いる?」
「今回は、み、見れば、わかります」
「だよな。うまいぞ」
コリョーは満足そうに頷くと、二人の前にカトラリーを整えました。ハナヒメもようやく目が覚めてきたのか、目の前の朝食を見て嬉しそうに顔をほころばせました。
朝食を食べ終える頃には、コリョーが様々なフルーツを持ってきてくれました。テーブルの上に色とりどりの果物が並べられ、食後のデザートまで用意されます。
SPはどれにしようかと少し迷ったあと、フルーツの山の中からブドウを手に取りました。一粒ずつ丁寧に皮を剥き、口に運びます。みずみずしい甘さが口いっぱいに広がり、思わず頬が緩みました。
しばらくはハナヒメやコリョーたちと他愛のない話をしながら、穏やかな時間を過ごしていました。SPは手にしていたブドウを飲み込むと、少し名残惜しそうに周囲を見回しました。
「……そ、そろそろ、帰ろうかな。な……名残惜しい、けど」
「そんな、寂しいですわ! 今日の夕飯、いえせめて昼食も食べていってくださいまし!」
ハナヒメはすぐに身を乗り出しました。
「そ、そう、したいんだけど……」
SPはそこで言葉を止めました。その先を口にするまでもなく、ハナヒメには伝わったようでした。
「……そうですわね。例のお方と、お話しされるんですものね」
「うん……」
SPは小さく頷きました。胸の奥に少し緊張が戻ってきます。
「分かりましたわ。……キトハ、聞いた通りですわ。車の準備をお願いしますわね」
「承知いたしました」
近くに控えていたキトハは、すぐに一礼して食堂を出ていきました。
ハナヒメは改めてSPに視線を向けます。
「頑張って、エスさん」
「うん。……で、でもその前に、もう一個……た、食べていい?」
SPはテーブルに残ったフルーツへ視線を落としました。
「んなもんいくらでも食えって! なんなら持って帰るか?」
コリョーがすかさず声を上げます。
「既に用意済みですよ」
ムイタがすかさずお土産袋を差し出してきました。
SPは驚いて顔を上げました。袋の中には、帰ってからも楽しめるようにと、いくつかの品が用意されているようです。
「わ……あ、ありがとうございます……」
SPは両手で袋を受け取り、恐縮しながら頭を下げました。帰る前から、またこの屋敷に来たくなってしまいそうでした。
SPは帰り支度を手早く済ませると、ハナヒメと手を繋いで玄関に向かいました。
屋敷の中を歩いている間も、ハナヒメはSPの手を離そうとしません。SPもその手を握り返しながら、昨夜から過ごした屋敷のことを思い返していました。
玄関に着くと、キトハが先回りして扉の前に立っていました。SPたちの姿を見ると、静かに一礼して大きな扉を開きます。外の光が差し込む中、SPはハナヒメと一緒に敷居を超えました。
ふと振り返ると、玄関にはクロツカ、ムイタ、コリョーの三人が並んでいました。
「じゃあな、SPちゃん! またいつでも来てくれよな!」
コリョーがひらひらと手を振ります。クロツカとムイタは最敬礼をしました。
「あ、ありがとう、ございました……! ま……また、遊びに、きます!」
SPはぺこりと頭を下げると、屋敷の扉が静かに閉められました。
*
車が寮の前に着き、SPが降車すると、ハナヒメが「例のお方とコイカミちゃんによろしくお伝えくださいまし」と微笑むと、車は走り去って行きました。
SPは車が見えなくなるまで、その場で見送っていました。
車内で彼女がずっと手を握っていてくれた感覚が今でも残っています。手のひらに残る温もりを確かめるように、SPは自分の手をそっと握りました。
部屋にカバンを置いて、引き出しの中の鍵を手に取ります。
城の中に入ると、しんと静まり返っていました。
SPはまた彼の姿を探して、ひとつずつ扉を開けていきます。けれど、今日は浴室にも姿がありませんでした。
廊下の一番奥まで進み、最後の扉をそっと開けます。部屋の中には大きなベッドがあり、その上で眠っているキュラドの姿が目に入りました。
(寝てる……。夜行性だから、かな……?)
SPは少し迷いました。「眠っていたら起こせ」と言われてはいましたが、異性の寝室に入るのは少し緊張します。やがて、意を決して部屋に入り、ベッドへと近づきました。
「……きゅ、キュラド……?」
声をかけても目覚めません。深く眠っているようです。SPは手を伸ばし、控えめに肩をゆすってみました。それでもキュラドは起きませんでした。
どうしたものか、と小さくため息をつきます。そのときSPの脳裏に、ハナヒメを起こすキトハの姿が浮かびました。
(……よしっ)
SPはキュラドの寝顔を見下ろし、両手をぎゅっと握りました。そしてベッドの脇に身を乗り出し、キュラドの肩に両手を添えると、思いきり揺さぶりました。
「お、起きて……! キュラド!」
閉じられていた瞼がパチリと開きました。彼の赤い瞳がジロリとこちらを見ます。
「…………」
無言のまま見つめられ、SPの手がぴたりと止まります。思いきり揺さぶった手前、少し気まずくなってしまいました。
「お、おはよう……」
SPがぎこちなく挨拶すると、キュラドはゆっくりと瞬きをしました。しばらくの間、目の前にいる人物を確かめるように見つめ、それからようやく口を開きました。
「…………エスか」
呟いた直後、キュラドの表情が変わりました。目を見開き、急に上体を起こします。
「今は何時だ!?」
突然の勢いに、SPは思わず肩を跳ねさせました。
「え……。く、九時、ちょっと……過ぎ、だけど……」
「九時!?」
キュラドの声が部屋に響きます。SPはその勢いに押されながらも、言い忘れていたことを慌てて付け加えました。
「…………あ、朝の」
「朝…………?」
キュラドの動きが止まりました。
そのまま数秒、何かを考えるように固まっていましたが、やがて力が抜けたように上体を倒し、再びベッドに沈み込みます。
「……確かに、俺は『眠っていたら起こせ』と言った。だが、吸血鬼を朝に起こすなと言いたい」
眠気の残る声でそう言うと、キュラドは布団を引き寄せました。
「ご、ごめん……」
SPはベッドのそばで小さく身を縮めました。
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理由は3つ
1. ストック切れ
2. 公開した作品の推敲をしたい
3. もう一作の1話を書き直したい
というわけで少し更新止まりますが、小説作業のためのストップなのでまたすぐに再開します。
投稿再開は11月16日(月)です。よろしくお願いいたします!
同シリーズ作品「VAMPIRE ON AIR !!」はこちらから↓
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