第1話 山が消えました
「山が消えました」
昼下がりの冒険者ギルドに、その言葉が響いた。
酒場スペースで騒いでいた冒険者たちが一斉に振り返る。
依頼書を整理していた受付嬢たちも手を止めた。
そしてギルドマスターのバルドは、机に置いていた書類から顔を上げると、ゆっくりと報告者へ視線を向けた。
「もう一度言え」
「ですから、山が消えました」
受付嬢のミリアは真っ青な顔で答える。
冗談を言っている顔ではない。
しかし内容が冗談だった。
「魔物の群れではなく?」
「山です」
「山火事ではなく?」
「山です」
「崩落ではなく?」
「山です」
「なるほど」
バルドは頷いた。
そして叫んだ。
「意味が分からん!」
ギルド内が少しだけ和んだ。
だがミリアは笑わない。
震える手で一枚の報告書を差し出した。
「北方監視塔からの緊急連絡です」
バルドは受け取った。
ざっと目を通す。
三秒後。
顔色が変わった。
「……本当なのか?」
「確認済みとのことです」
「見間違いではないのか」
「監視兵全員が同じ証言をしています」
静寂。
誰も口を開かなかった。
北方監視塔は王国でも重要な監視拠点だ。
歴戦の兵士が常駐している。
その全員が見間違えるとは考えにくい。
つまり。
本当に。
山が。
消えた。
「魔王軍か?」
誰かが呟いた。
その言葉に空気が重くなる。
数年前まで人類は魔王軍と戦争をしていた。
現在は停戦状態だが、決して友好的ではない。
もし魔王軍が動いたのなら一大事だ。
しかしミリアは首を横に振った。
「魔力反応は確認されていません」
「なら古竜か?」
「それもありません」
「災害か?」
「不明です」
「神罰か?」
「それも不明です」
結局。
何も分かっていなかった。
分かっているのは一つだけ。
北方に存在した標高千メートル級の山が、跡形もなく消えたという事実だけだった。
「監視塔から追加連絡です!」
別の受付嬢が飛び込んできた。
全員が振り向く。
「どうした!」
「山だけじゃありません!」
「何?」
「山の向こう側にあった盗賊団のアジトも消滅!」
「は?」
「さらに危険指定B級魔物の生息地も消滅!」
「待て待て待て」
バルドは額を押さえた。
頭が痛い。
意味が分からない。
何か巨大な災害が起きたなら理解できる。
だが報告を聞く限り違う。
まるで。
一本の巨大な槍が世界を貫いたような被害状況だった。
「被害範囲は?」
「一直線です」
「……一直線?」
「はい」
その場の全員が顔を見合わせた。
嫌な予感しかしない。
そしてその予感は正しかった。
「現地調査隊が向かっています」
「報告は?」
「一言だけです」
ミリアが乾いた声で告げた。
「世界が切られたみたいだ、と」
ギルド内が再び静まり返った。
誰も冗談だと思わなかった。
思えなかった。
なぜなら北方監視塔の兵士たちは、冗談を言うような連中ではないからだ。
そして――
その頃。
事件の張本人は。
森の中で頭を抱えていた。
◇◇◇
「……どうしましょう」
霧島零司は呆然と呟いた。
目の前には大穴があった。
いや。
大穴という表現は正しくない。
世界が削れていた。
森が無い。
岩が無い。
崖が無い。
山が無い。
さっきまで存在していたはずのものが全部消えている。
綺麗に。
見事なまでに。
一直線で。
「いや、どうしましょう本当に」
零司は思わず空を見上げた。
雲まで割れている。
意味が分からない。
自分が一番理解できていない。
数十分前。
彼は死んだ。
そして神様らしき老人と会った。
そこまではいい。
異世界転生も理解できる。
最近はそういう作品も多い。
問題は。
「なんでデスビームなんて選んだんだろう……」
である。
神様は言った。
好きな能力を一つ与えよう。
剣聖でもいい。
賢者でもいい。
生産職でもいい。
好きな能力を選べ。
そう言われて。
なぜか。
本当に何故か。
零司の口から出た言葉は、
『デスビームでお願いします』
だった。
自分でも意味が分からない。
しかし神様はもっと分からない顔をしていた。
『何ですかそれ』
『指から出るやつです』
『知りません』
『そうなんですか』
そんな会話まで覚えている。
今思えば引き返すべきだった。
全力で。
しかし遅い。
結果がこれだ。
「威力がおかしいでしょう……」
零司は遠くを見た。
山が無い。
本当に無い。
普通は山など消えない。
人生で一度も見たことがない。
そもそも山を消した経験がない。
誰だってそうだ。
普通は。
ガサリ。
背後で音がした。
零司が振り向く。
そこには緑色の小鬼がいた。
身長は百二十センチほど。
醜い顔。
汚れた棍棒。
ゲームや漫画で何度も見たことがある。
ゴブリンだった。
「ギギィ!」
威嚇するような鳴き声。
零司の背筋が凍る。
異世界だ。
本当に異世界だ。
「いやいやいや」
思わず後退する。
怖い。
普通に怖い。
転生して一時間も経っていないのだ。
そんな状態で魔物と戦えるわけがない。
しかしゴブリンは待ってくれない。
棍棒を振り上げて突進してくる。
零司は半ば反射的に指を向けた。
「来ないでください!」
黒い光が走った。
一瞬だった。
音すらない。
次の瞬間。
ゴブリンが消えた。
その後ろの木も消えた。
さらに奥の岩も。
崖も。
森も。
全部消えた。
「…………」
零司は静かに指先を見た。
そして目の前を見た。
もう一度指先を見た。
「……殺傷能力高すぎませんか?」
返事はなかった。
ただ風だけが吹いている。
遠くから鳥の群れが飛び立った。
その様子を見ながら。
零司は知らなかった。
自分が放ったたった一発のデスビームによって。
王国北部が大騒ぎになっていることを。
そして。
これから自分が世界中を巻き込む存在になることを。
まだ知らなかった。




