第18話 新生徒会④
パトリック王太子とルチア王女は、一年生の頃から生徒会で書記と会計をそれぞれ務めていた。
だが、その肩書は名ばかりだった。
昨年度の会長も副会長も二人より身分が低かったため、生徒会は実質、パトリックとルチアを中心に回っていた。
とりわけパトリックは、生徒会を半ば私物同然に扱っていた。
(本当にパトリックの我儘に付き合わされるのは一苦労だった)
一年生の頃のパトリックを思い出しただけで、ルチア王女は思わずため息をついた。
パトリックは良くも悪くも後先考えず動く男だった。
その行動が結果的に良い方向へ転がることも多かったが、正式な手続きを片っ端から無視するのが問題だった。
しかも、尻拭いをする他の役員たちに暴言を吐き、女子生徒へのセクハラも日常茶飯事だった。
(もっとも、露骨に『胸を見せろ』とまでは言わなかったが)
パトリックはルチアの胸元をいやらしく覗き込んでくるような男だった。
リシャール王国の者たちも、胸元をちらちら盗み見る程度で、それ以上踏み込んでくることはなかった。
そんな視線を浴びても、ルチアは恥ずかしいなどとは微塵も思わなかった。
もっとも、胸元の開いたこうした服は、故郷であるブルーノ王国では流行の装いだった。
(それにしても、なんだか変わった気がするわね)
冬休みを終えて戻ってきたパトリックの様子は一変していた。
有能だが強引だったかつての彼は、すっかり影を潜めていた。
妙に慎重で、口調も穏やか。容易に隙を晒さなくなっていた。
(おまけに私の原稿を褒めるなんて)
ブルーノ王国とリシャール王国では、好まれる文章作法が違う。
ブルーノ王国では、無駄を削ぎ落とした要点を突く簡潔な文章こそ名文とされる。
一方、リシャール王国では修辞を重んじ、技巧を凝らした華美な文章こそが美しいとみなされる。
(こうなったパトリックは少し厄介だな……)
融通が利かず強引。だからこそ餌を撒けばいい。
一度食いついたが最後、パトリックは猪突猛進してくれる。
ルチア王女は今年、そこを利用する腹積もりだった。
しかし、早くも目論見が外れた。
まるで別人になったパトリックは、このままでは計画の駒として使いづらい。
(どこかに隙がないか、探りを入れてみるか)
今のパトリックも必死に視線を逸らそうと努めてはいるが、他のリシャール王国の人々と同じように、チラチラとこちらの谷間を盗み見ている。
ルチア王女はわざと鎌をかけ、パトリックの出方を見極めようとした。
もちろんリスクは高いが、より大きな計画のためなら甘受するに足る。
彼女はさらに声を潜め、パトリックの耳元でいたずらっぽく囁いた。
「殿下がお望みとあらば、直にお触れになっても構いませんわよ?」
その言葉に、パトリックはびくりと肩を震わせた。
王太子というより、ただの若者のような初々しい反応だった。
もしここで本当にパトリックが触れてくれば、それだけで彼を揺さぶる交渉材料になる。
『あくまでブルーノ流の冗談です』と言い逃れればいい。
しかし、パトリックは笑って受け流した。
「ははっ、王女殿下はご冗談がお上手ですね。私はこれでも婚約者がいる身ですので」
「あら、そのわりにシルヴィ嬢とは親しくなさっているようですわね? 私とも、もう少し親しくしていただきたいのですけれど」
シルヴィの名前が出た途端、パトリックの肩がわずかに揺れた。
「シルヴィ嬢は、ええっと……」
彼は頭を掻きながら視線を泳がせた。
「そうですね……。個人的にも好ましく思っている女性ですが、これからの私にとっても非常に重要な存在ですので」
「今後、とおっしゃいますと?」
「私にもそれなりに計画がありますから」
計画。
その言葉に、ルチア王女は思わず生唾を飲み込んだ。
まさか、勘付かれたのでは?
(もしそうなら、何らかの手を打っているはずだ)
変わったとはいえ、所詮はパトリック。
その本質まで、そう簡単に消えるはずがない。
それにしても、あのパトリックが計画とは。
いったい、どういう計画なのかしら。
(そういえば、教会に対抗するという噂で持ちきりだったわね)
王室派の代表格、カトリーヌの実家ルロワ公爵家では、何やら急ぎの準備が進められているという話だ。
さらに教会派の中核であるシルヴィの実家――シモン男爵家でも、最近は教会との接触を極端に減らしているという。
そしてその背後には、いつもパトリックの影がちらついていた。
(シルヴィ嬢には、シモン家の娘という以外に何か裏があるのか)
パトリック王太子がこれほどまでにシルヴィを気にかけ、庇う理由が、ルチア王女にはわからなかった。
強いて言えば、女好きのパトリックがシルヴィの美貌に惹かれた。
それくらいの理由しか思い浮かばない。
だがルチア王女には、単にそれだけとは思えなかった。
(シルヴィ嬢を調べなくては)
シルヴィには間違いなく、パトリック王太子を突き動かす何かがある。
ルチア王女は微笑みを浮かべながら、そう考えた。
◇◇
突然、ルチア王女にとんでもないことを囁かれ、心臓が止まるかと思った。
いや、他国の王女の体にうかつに手を出そうものなら、何が起きるかわからないだろ。
(それを狙っているのか?)
俺と一線を越えた後に、公の場で責任を取れと迫るつもりか?
理由はわからないが、あり得ない話ではないと思えた。
ともかくこれ以上、ルチア王女に弱みを握られるのは色々とまずい気がした。
俺は雑念を振り払い、ルチア王女が書いた原稿を繰り返し読んで頭の中に叩き込んだ。
特技と呼べるほどではないが、強いて挙げるなら暗記力だけは人並み以上だ。
「殿下、そろそろお出ましのお時間です」
「あ、はい」
舞台へ出ると、旧生徒会の役員らしき男女数名がすでに立っていた。
前任の生徒会長だった男子生徒が、退任の挨拶を始めた。
ふと客席へ目を向けると、無数の視線が俺へと突き刺さった。
いや、そこは退任の挨拶をしている前生徒会長を見るべき場面だろ。なんで俺ばかり見てるんだよ。
ただでさえあがり症気味の俺にとっては、胃が痛くなるほどのプレッシャーだった。
「――今後、私はこの学園の一生徒としての本分に専念し、偉大なるリシャール王国の王太子であられるパトリック殿下へ、生徒会長の座をお譲りいたします」
壇上の前生徒会長が、軍人めいた節度ある動作で、俺の方へ向き直った。
俺が歩み寄ると、彼は生徒会長の証である金色のバッジを、まるで勲章のように恭しく俺の胸元へ留めた。
そして、俺は彼と入れ替わるように演台の前に立った。
(……前世でもやったことのないことを経験する羽目になるとは)
正直、俺は人前に立って皆を引っ張っていくのが好きな性分ではない。
まあ、強いて言うなら典型的な社畜なのかもしれない。
これだけ大勢を前にすると、喉がからからに渇いてくる。
小さく咳払いをしてから、声を張り上げて口を開いた。
「ただ今、生徒会長を拝命いたしました、パトリック・ド・リシャールです」
できるだけ会場のあちこちへ視線を巡らせ、前世で見た政治家の演説を真似てみた。
そして、先ほど頭に叩き込んだルチア王女の原稿を、淀みなく口にしていく。
正直、途中でいくつか単語が出てこず、アドリブで誤魔化したところもある。
それにしても、客席を見ると……。
(カトリーヌ、さっきから目立ちっぷりが半端ないんだけど)
俺に向かって熱烈に両手を振り、おまけにアイドルのように投げキスまでしている。
いや、公爵令嬢としての品位はどこへ行ったんだよ。
少しは大人しくしててくれ。
危うく噛みそうになったが、どうにかやり過ごした。
「――至らぬ点も多々あるかと存じますが、責任感を持って最善を尽くします。今後とも変わらぬご関心とご協力を賜りますようお願い申し上げます。ありがとうございました」
このまま退場しようとした、その時。
新入生席の中に、もう一人、ひときわ目を引く人物がいた。
銀髪の美しいシルヴィが、頬を赤らめながら控えめに小さく俺へ手を振っていた。
カトリーヌとはいろんな意味で対照的な初々しさだった。
(確実に全校生徒に噂を広めるには絶好のチャンスだ)
俺は小さく微笑み、隠すつもりなど毛頭ないとばかりに、堂々とシルヴィへ手を振り返した。
まさか応えられるとは思っていなかったのか、シルヴィは肩を跳ねさせ、慌てて周囲を見回す。
そして、あっという間に周囲の視線を一身に浴びることになった。
これで、俺とシルヴィがただならぬ関係だという噂はさらに広まるだろう。
だが、その時だった。
「ああ、殿下!! 殿下が私に向かって手を!! 手を振ってくださいましたわ!!」
カトリーヌがどこかヤバい表情を浮かべて、祈るように両手を組んでいた。




