EPISODE1-17【放課後など】
授業の終わりを告げるチャイムが校舎全体に響き渡り、教室の喧騒が少しずつ高まっていく。窓の外には秋晴れの澄んだ空が広がり、風が木々の葉をそっと揺らしている。今日は長い連休を前にした最後の登校日だ。席に座ったまま鞄に教科書をしまいながら、レイトキは小さく息を吐き、独り言のように呟く。
「明日から1週間の連休か」隣にいた久美子が机の上のノートを閉じ、にっこりと笑みを浮かべて応じる。
「そうよ! 待ちに待った休みがやってくるの。学校のことはしばらく忘れて、ゆっくり休めるわね」後ろの席からはホワンが弾むような声を上げる。
「1週間も……長い休みなんて、久しぶりです! この間に、自分の力の制御練習ももっと進められそう」リジェは眼鏡を直しながら、計画的な口調で続ける。
「休みだからって油断は禁物だけど、普段できない解析や調整を進めるには絶好の機会だ。何でも屋の依頼も落ち着く時期だろう」レイトキは鞄を肩にかけ、教室の窓から遠くの街並みを眺めながら、どこか肩の荷が下りたような表情を浮かべる。
「学校、依頼、ストレンジプレデターのこと……いろいろ立て続けにあったからな。この連休で、少し頭を冷やして体を休めるのも悪くない」だがその瞳の奥には、「包括の歯車」としての新たな役目や、これから起こるであろう出来事への心構えも、静かに滲んでいた。放課後の柔らかな日差しの中、一行はそれぞれに休みへの期待と心構えを抱えながら、校門へと向かって歩き出すのだった。校舎を出て校門へと近づくと、門柱のそばに見慣れた姿が立っているのが目に入る。ズィーベンだった。制服ではなく普段の動きやすい装いに身を包み、手を軽く上げてこちらを見ている。レイトキは瞬時に体を強張らせ、額の角がわずかに輝き始め、胸元のコアも静かに脈打って警戒態勢を取る。
「お、お前……なんでここにいる!?」屋上での対立、ストレンジプレデターでの出来事が脳裏をよぎり、彼は一歩後ろに身を引き、問いかける声も鋭くなる。だがズィーベンは慌てた様子もなく、両手を前に差し出して敵意のないことを示し、はっきりと言葉を続ける。
「ま、待て、落ち着いて。今のアーシには組織からの命令は何も受けてない。監視でも捕縛でもない、ただ私個人として話があって来ただけだ」レイトキは眉をひそめ、疑いの目を緩めずに観察を続ける。周囲に他の気配も、結界の痕跡も感じられない。ズィーベン自身の力の波動も、戦闘準備ではなく穏やかなまま保たれているのが確かめられる。久美子とホワン、リジェもレイトキの両脇に並び、無言でズィーベンの出方を見守る。レイトキは警戒を解かないまま、低く問い返す。
「命令がないだと? 組織の人間が、私的な理由でここまで来るとは思えない。何の用だ」ズィーベンはため息をつくように息を吐き、真剣な表情になって答える。
「もちろん理由はある。だがこんな校門の前で大声で話す内容でもない。……少しだけ、時間をもらえないかな?」レイトキとズィーベンの緊張したやり取りを聞いて、久美子は一歩前に出ると、はっきりと落ち着いた口調で言い放つ。
「確かにコイツだけなら無害なんだよね。レイくん、大丈夫だと思う。もしかすると、二人きりで話したい内容だろうしね。私たちは少し離れたところから様子を見ておくから」彼女はレイトキの腕を軽く引いて安心させるように目配せし、後ろにいるリジェとホワンにも頷きかける。
リジェも眼鏡を直しながら静かに続ける。
「クーちゃんの言う通り。力の波動にも他の仲間や罠の気配はない。何か単独の情報や提案があるのかもしれない。私たちが視界に入る範囲で待機するから、何かあればすぐに合流できる」ホワンも不安そうにレイトキを見つめながら、小さく頷く。
「レイトキさん、気をつけて……でも、きっと大丈夫ですよね」レイトキは仲間たちの判断を受けて、頭の角の輝きを少し弱め、警戒心は残したまま肩の力を抜く。ズィーベンの方を向き、低く問いかける。
「分かった。話だけは聞いてやる。だが、少しでも怪しい動きをしたら容赦しないからな」ズィーベンは緊張が解けたように息をつき、柔らかな表情を浮かべる。
「ありがとう。無駄な時間は取らせない。学校の裏の公園まで移動しよう――誰にも邪魔されない場所で話したい」久美子たちは三人で少し離れた木陰へと移動し、レイトキとズィーベンが歩き出す背中を、見守るような眼差しで追いかけるのだった。校舎裏の木々に囲まれた静かな公園に着くと、ズィーベンは周囲に誰もいないことを確かめてから、真剣な表情ではっきりと切り出す。
「実はいずれの話なんだけど、アーシとゼクスくんは組織を抜けることに決めたんだ」レイトキは目を見開き、予想外の言葉に一瞬言葉を詰まらせる。
「組織を抜ける……? お前たちが? そんな簡単にできるものなのか?」
「簡単じゃないからこそ、こうして相談に来たのよ」ズィーベンはため息を交えながら続ける。
「もし脱走という形を取れば、組織から終身追われる身になる。力の封じられる刻印を追跡用に打たれている者もいるし、狭間の領域まで捜索網が広がるから、逃げ続けるだけの人生になってしまう」彼女はレイトキをまっすぐに見つめ、核心を告げる。
「そこで頼みがあるんだ。君の知り合いに、実験体や改造者の扱いに詳しい人物がいると聞いた。その人に頼んで、私たちを『買い取り予約』という形で登録してもらってほしい」レイトキは眉をひそめ、意味を読み解こうとする。
「買い取り予約……? それで何が変わるんだ?」
「組織の規約上、『所有権の移転』が正式に記録されれば、脱走者ではなく『譲渡された資源』として扱われるんだ」ズィーベンは説明を重ねる。
「外部の研究機関や協力者が正当な手続きを踏んで引き取る形にすれば、追跡対象から外れ、安全に身分を切り替えられる。ただし信用でき、かつ組織側も表立って逆らえない立場の人間でないと意味がない。君の周りなら、そういう人がいるだろう?」彼女の声には長年の葛藤と、これからの未来への希望が混ざっている。
「もちろん、ただでとは言わない。これまでの情報、技術、組織の内部事情――何でも必要なものは全て提供する。条件は君が決めてくれて構わない。だから……力を貸してほしいんだ」レイトキは少し考えるように黙り込んだ後、鋭い目つきでズィーベンを見据え、はっきりと条件を突きつける。
「じゃあ話はこうしよう。代わりに組織の内部情報、それから実験体に関するデータなどをこちらに流してほしい。出来るだけ詳しく、だ」木漏れ日が二人の間に落ちる中、彼は続けて言葉を重ねる。
「手続きの件は俺の方で話をつけてみる。だがそれだけのリスクを背負って協力する以上、こちらにも相応の見返りが必要だ。ストレンジプレデターの構造、上層部の思惑、他の歯車や実験体の所在、制御装置の仕組み……知り得る限りの情報を包み隠さず提供してもらう」胸元のコアが静かに脈打ち、彼の意志と覚悟が力の流れに乗って伝わる。
「もし中途半端な内容だったり、都合のいい部分だけ選んで渡すような真似をしたら、その時点で話は破談だ。俺もその知り合いも危険に巻き込まれるわけだから、お前たちの覚悟が本物かどうか、情報の質で判断させてもらう」ズィーベンは一瞬表情を引き締めたが、すぐに深く頷き、はっきりと応じる。
「分かった。それで公平だね。必要なデータは暗号化して、安全な経路で順次届ける。実験体の管理台帳や結界の弱点、さらにキクリ様と呼ばれる存在に関する断片的な情報もある――全部、これから整理して渡そう」レイトキは肩の力を少しだけ緩め、条件が成立したことを確認するように言う。
「よし、それで話はまとまった。俺もすぐに手を回して『買い取り予約』の枠を用意する。だがくれぐれも、この件が組織側に察知されないように慎重に動くことだ」ズィーベンは緊張が解けたように息をつき、わずかに柔らかい笑みを浮かべながら、はっきりと応じる。
「やはり君に相談してみる価値はあったよ」だが次の瞬間、表情に少し陰りが差し、視線を遠くに向けながら続ける。
「本当はアハトくんも一緒にここに来られれば一番よかったんだけど……あの子、最近なんだかずっと思い詰めてる様子なんだ」彼女は指で木の幹を軽く叩き、言葉を選ぶように話す。
「自分が何者なのか、組織で生まれて改造されただけの存在なのか、それとも他に生きる道があるのか……ずっと答えの出ない問いに捕らわれているみたいで。『自分なんか抜け出しても意味がない』なんて、時々つぶやいているのを聞いたことがある」 レイトキは黙って聞きながら、アハトが骨の力を操る実験体であること、自分の出自に疑問を抱えていることを思い返す。
「……自分の存在意義を探してる、ってわけか」
「そう。だから今は無理に連れてくると逆に心を閉ざしてしまいそうで、アーシとゼクスくんだけで先に動くことにしたんだ」ズィーベンは真剣な眼差しを戻す。
「だけどいずれは、あの子にも『自分で選べる未来』があるってことを、ちゃんと教えてあげたい。そのためにも、この計画がうまく進むように――よろしく頼むよ」レイトキは頷き、静かに答える。
「分かった。アハトのことも頭に入れておく。抜け出した後に自分の居場所を見つけられるように、こちらでも準備を進めておく」ズィーベンは木漏れ日の中でまっすぐレイトキを見つめ、少し遠い目をしながら、はっきりとした口調で言葉を紡ぐ。
「レイトキは多分、いずれ全員を救ってしまいそうなんだよね。なんとなく、そんな気がする」彼女は肩の力を抜き、これまでの出来事を振り返るように続ける。
「組織の管理下にある実験体も、力を制御できずに苦しむ弱い存在たちも、きっと貴方は放っておけない。そうやって一人ずつ手を差し伸べていくうちに、今の『何でも屋』だとか『包括の歯車』だとかいう立場なんか、簡単に超えていくような気がするんだと思うよ」言葉には根拠のない憶測ではなく、実際にレイトキの行動や心根を見てきたからこその確信が込められている。
「いずれはもっと大きな責任を背負って、境界の狭間にあるもの、力に翻弄されるものたちを守る存在になる――そんな未来が、はっきりと見えるようなんだ」レイトキは一瞬面食らったように目を瞬かせ、少し照れたように頭をかく。
「おいおい、大げさなことを言うな。俺はただ、自分の目の前で困っている奴を放っておけないだけだ。それが誰かのためになるならやるけど、そんな大層な存在になれるわけじゃない」だがズィーベンは首を横に振り、柔らかく笑みを浮かべる。
「そういうところが、きっとそうさせるんだよ。自分では気づかないうちに、周りが自然とついていくような、そんな力を持っているんだから」レイトキは答える代わりに、胸元のコアに手を添えて静かに脈動を感じ取る。言葉の重みがじわりと心に染み込み、これから歩む道の先に、確かに何か大きなものが待っているような予感が、ほのかに広がっていくのだった。レイトキは少し照れくさそうに頬をかきながら、だが芯の通ったはっきりとした口調で答える。
「まあ、俺は確かに、誰かを導くなら導く存在になりたいと思ってる。だけど、今の俺はまだまだそこまでできたヒトじゃないからね」彼は空を見上げ、木漏れ日を目に受けながら続ける。
「全部が分かってるわけでもないし、力の制御だってこれからだ。だから今はまだ『勉強中』ってところさ。学校に通って基礎を学び、何でも屋をやって色んな人と関わり、現実の問題に向き合う――そうやって少しずつ積み上げていくしかない」胸元のコアが穏やかに脈打つのを感じながら、言葉に自分らしい現実感を込める。
「いきなり大きな責任を背負うんじゃなく、目の前にあることを一つずつこなしていく。それが、遠回りに見えて一番確かな道だと思ってる」
ズィーベンはその言葉を聞いて、満足そうに柔らかく頷く。
「それでいいんだ。『勉強中』だと自覚できるうちは、きっと道を踏み外すこともないよ。そうやって進んでいく姿を見ていれば、アーシたちも安心して背中を預けられるよ」レイトキは軽く肩をすくめ、いつもの調子を取り戻して笑みを浮かべる。
「ああ、期待しすぎないで待っててくれ。俺なりのペースで、ちゃんと前に進んでいくから」ズィーベンは一歩踏み出し、レイトキの顔にかなり近づくと、真剣なまなざしでじっと見つめながら、ぽつりと呟くように言う。
「出会いが違っていたら……アーシたちも、最初からこんな組織に縛られず、レイトキたちのように生きられたのかもしれないね」声には、自分たちの境遇へのわずかな寂しさと、別の未来への淡い憧れが滲んでいる。だが次の瞬間、レイトキはからかうような、だが芯の通った調子ではっきりと言い返す。
「バーカ、何を弱気なこと言ってるんだ。お前たちだって、いつか必ず自由は得られるんだよ」彼は少し身を乗り出し、ズィーベンの目をまっすぐに見据える。
「こうして俺と縁を結んで、自分たちの意思で未来を変えようと頼みに来ただろう? その一歩こそが、『自分で選ぶ人生』の始まりなんだ。過去の境遇や出会いなんかに、これからを決めつけられるわけじゃない」胸元のコアが力強く脈打ち、言葉には確かな説得力が込められている。
「道は自分で切り開くものだ。一度選んだ方向に向かって進み続ければ、必ず新しい居場所と自由が待ってる。俺がそうさせてやるから、そんな後ろ向きな考えは捨てろ」ズィーベンはその力強い言葉に、目を少し潤ませながら、やがて力強く頷き、柔らかな笑みを浮かべる。
「……そうだね。貴方がそう言ってくれるなら、信じてみるよ。私たちの未来は、これから始まるんだって」
二人の間には、言葉では言い表せない固い信頼の絆が、静かに結ばれていくのだった。二人の間に生まれた柔らかな雰囲気が一瞬で引き裂かれる。空気が不自然に震えた次の瞬間、漆黒の光を帯びた鎖が、まるで空間を突き抜けるように猛然とレイトキに向かって放たれた。鎖の表面には狭間の紋様がきらきらと浮かび、当たったものの力を吸い取るような不吉な気配をまとっている。レイトキは即座に体を反らし、紙一重の差で鎖の軌道をかすめるように回避する。鎖は彼の髪の先をかすめ、背後の木の幹に激しく巻きつくと、一瞬で幹の生命力と周囲のエネルギーを吸い込み、枯らしてしまう。レイトキは着地と同時に額の角を鋭く輝かせ、胸元のコアも激しく脈打って警戒態勢を取りながら、低く鋭い声を上げる。
「この鎖は……!? 正規品ドライか」
ズィーベンも驚きに目を見開き、慌てて周囲を見回しながら叫ぶ。
「誰!? この気配は……組織の追跡者!?思ったよりも早い」木々の陰から、低く冷たい笑い声が響き渡ると、次々と同じような黒い鎖が空間を裂いて姿を現し、二人の退路を囲むように伸びてくるのだった。黒い鎖の放たれた先、木々の陰がゆっくりと晴れていくと、そこに一人の男性の姿が現れた。青い上着にジーンズを履いた軽装――だがその目つきは鋭く、全身には組織の正規戦闘員特有の、制御された強い力の波動が満ちている。彼は手に鎖を操る紋様の浮かんだ籠手をはめ、無表情なままレイトキたちを見据える。ズィーベンが息を呑み、名前を叫ぶように告げる。
「正規品No.3……ドライ!? なぜここに!」レイトキは身構えたまま、相手の力の流れを読み取りながら低く確認する。
「正規品のナンバー持ちとはな……さっきの鎖、お前の仕業だったのか」
ドライは無駄な言葉を省くように、低くはっきりとした声で答える。
「レイトキ、及び脱走予備のズィーベン。上層部から監視と確保の命令を受けて来た」彼が指先を動かすと、周囲に浮かんでいた黒い鎖が一斉に紋様を強く輝かせ、レイトキたちの逃げ道を完全に塞ぐように配置を変える。鎖の先端には力を封じる刻印が仕込まれており、触れただけで体内のエネルギーの流れを遮断する性質を持っているのが感じ取れる。レイトキは口角をわずかに上げ、挑むような笑みを浮かべる。
「へえ、まさかこんな早く嗅ぎつけられるとはな。さすが正規品、動きが速い」
「私的な感情や計画など、組織の監視網には隠しきれない」ドライは冷たく続ける。
「抵抗するか、おとなしく施設へ戻るか――どちらかを選べ」公園の静けさは一瞬にして緊迫感に包まれ、レイトキたちと組織の実力者との、最初の本格的な対決が始まろうとしていた。レイトキは身構えたまま一歩も引かず、額の角を鋭く輝かせながら、はっきりと声を張り上げる。
「待てよ! 俺はこう聞いてるぜ――『自由を謳歌しろ』とな」彼は胸元に手を置き、ゴッズライブマテリアルのコアがクロノコードと共に力強く脈打つ様子を見せつけるように続ける。
「前日、ストレンジプレデターでリュウゼツランに直接会って、この改造を施されたときの言葉だ。俺は『包括の歯車』として認められ、拘束も制限もなく行動していいと告げられたんだぜ?」冷たい空気の中、レイトキの言葉がはっきりと響く。
「それなのに今さら監視だ確保だと言われても、話がまるで合わない。命令系統が混乱してるのか、それとも上の者同士で方針が割れてるってことか?」ドライの無表情な顔に、わずかな揺らぎが走る。彼は手元の端末に一瞬視線を落とし、再びレイトキを見据えながら答える。
「リュウゼツラン様の一時的な判断と、上層部全体の正式決定は別だ。お前には『監視下での自由』が与えられただけで、外部者と手を組んで内部者の引き抜きを図る権利までは認められていない」レイトキは鼻で笑い、挑むような口調で返す。
「なるほど、つまり都合のいいときだけ『歯車』として扱い、自分たちの思い通りにならないと見るや、手のひらを返すってわけか。そんな中途半端な約束なら、最初から聞く耳なんて持たなければよかった」胸元のコアの脈動が次第に速まり、周囲の時間の流れがわずかに歪み始めるのを、ドライも敏感に感じ取っていた。緊迫した空気の中、空間がゆらりと歪み、低く落ち着いた気配が流れ込む。次の瞬間、光の帯が解けるようにしてリュウゼツランの姿が現れる。彼は冷徹ながらも冷静な眼差しで状況を見渡し、まずドライに向かってはっきりと制止の声を発する。
「ドライ、コイツに手を出すでない」ドライは手にした鎖の力を緩めず、戸惑いと疑問を込めて問い返す。
「リュウゼツラン閣下? 上層部からの正式な――」
「レイトキには確かに俺自身が約束した」リュウゼツランはドライを制しつつ、レイトキの方へ視線を移し、言葉を続ける。
「干渉せず、自由を謳歌させることを。この場で俺がそれを破るわけにはいかない」そして彼は周囲の空気に残る微かな歪みの痕跡を探るように目を細め、低く推測を口にする。
「コイツの動きを上層部に密告し、お前をここへ向かわせたのは……多分、何か別の思惑を持つ者が絡んでいる。俺たちの間の方針の違いではなく、さらに上か、あるいは外部から流れ込んだ指令の可能性が高い」
レイトキは警戒を解かないまま、胸元のコアの脈動を調整しながら鋭く問いかける。
「つまり、お前の言葉と組織全体の動きがバラバラになってるってことか?」
「そういうことだ」リュウゼツランは淡く頷く。
「今回の件は一旦保留とする。ドライ、命令元を遡って確認しろ。レイトキ、お前も不用意に動き回らず、この連休中に何者かが糸を引いている兆しがないか注意を払っておくことだ」ドライは無言のまま鎖を空間の彼方へと収めると、敬礼のような動作をして後方へ下がる。だがその瞳には依然として警戒の色が残っていた。公園の緊張は一時的に緩和されたものの、組織内部に潜む亀裂と、さらに背後にいる何者かの影が、新たな不穏さを呼び起こしていくのだった。ストレンジプレデター本拠点の最深部、重厚な扉の奥にある薄暗い一室。壁一面に浮かぶ無数のデータウィンドウが、青白い光で二人の姿を照らし出している。ユーカリは肘を操作台につき、指先で画面上の指令記録をなぞりながら、唇の端に不敵で自信に満ちた笑みを浮かべる。隣に控えるカトレアに向け、低くはっきりとした声を響かせる。
「命令系統を少しだけ混乱させてやったわ」画面には、ドライへ送られた偽造指令と、それを打ち消すリュウゼツランの指示が交錯する痕跡が映し出されている。ユーカリはさらに体を乗り出し、瞳に野心のきらめきを宿しながら続ける。
「カトレア、覚えておきなさい。私たちはリュウゼツラン様に完全に従う必要なんてない。あの方の方針はあまりにも慎重すぎて、歯車の真の可能性を引き出すには遅すぎるのよ」
彼女は手を軽く振ると、画面の表示を切り替え、レイトキやホワン、そして他のクロノギアメンバーに関するデータへと移す。
「私たちは私たちなりの判断で、この力の流れを利用して動くわ。『包括の歯車』がどこまで成長するのか、あるいはどこで限界を迎えるのか――それを傍観しているだけなんて、退屈すぎるもの」カトレアは無表情のまま静かに頷き、声を落として応じる。
「ですが、リュウゼツラン様に気づかれれば……」
「気づかれる頃には、すでに私たちの計画は次の段階へ進んでいるわ」ユーカリの笑みは深まり、暗闇の中で不吉な光を放つ。
「混乱はまだ始まりに過ぎない。レイトキも、ズィーベンたちも、そして組織全体さえ、これからは私の手の上で踊ってもらうことになるわよ」部屋の中には、上層部の思惑を超えた新たな陰謀が、静かに芽吹き始めているのだった。公園の木漏れ日の下、緊張が一段落した空気の中で、ドライは鎖の力を完全に収め、無表情ながらも必要な情報を整理するように、はっきりとした口調で語り始める。
「組織の体制を改めて説明しておく。まずは創設者のリュウゼツラン様、協力者キクリ様、そして頂点に近い大幹部が4人いる」 彼は指を一本ずつ立てながら、順を追って告げる。
「ユーカリ様、マズミ様、クラッスラ様、そしてリンドウ様だ。この4人がそれぞれの領域で方針を決定し、時には意見が衝突することもある」次に歯車関連の責任者へと話を進める。
「その下に歯車担当の幹部たちがいる。包括のヘリオトロープ、聖書のオリーブ、再生のアザミ、箱舟のロベリア、契約のマンダラケ、心臓のアカツメ、革命のグラジオラス――この7人がそれぞれ特定の歯車を管理している」少し間を置き、続けて補足する。
「そして残る6種類すべてを一括で担当しているのがホオズキだ。特殊な例外扱いだが、数が多く分散させるより集中管理する方が効率的と判断されている」最後に別系統の責任者の名を挙げる。
「さらに装置や改造技術、結界システム全般を統括するのが、装置担当幹部のアイビー。今回お前に埋め込まれたライブマテリアルも、この系統の管理下にある技術だ」レイトキとズィーベンは黙って聞き入り、これまで断片的に知っていた組織の構造が、ようやく明確な輪郭を持って見えてくるのを感じていた。ドライは最後に一言、冷静な注意を添える。
「今回の命令の混乱は、この大幹部同士の権力争いや思惑の違いから生まれることが多い。特にユーカリ様は自分独自の計画を進める傾向が強い――お前たちが今後注意すべき相手の筆頭だ」レイトキは鋭い目つきでドライを見据え、核心に迫るようにはっきりと問いかける。
「つまり、お前はユーカリとかいうやつから直接命令を受けて動いたわけか?」ドライは少し視線を落とし、これまでの経緯を整理するように頷き、率直に答える。
「どうやら、そういうことらしい。正規品の規則として、幹部以上の者からの指令は最優先で従わなければならない定めになっているからな」彼はわずかに唇を引き締め、自分の落ち度を認めるように続ける。
「送られてきた文書も権限証明も形式上は完全に正しかった。だから俺も疑うことなく動いたが……リュウゼツラン様の言葉と食い違う以上、最初から偽造か、あるいは権限を濫用した独自命令だったということだ。もっと慎重に確認すべきだった」レイトキは鼻で小さく息を吐き、組織の内部の複雑さを実感するように言う。
「なるほどな。規則に縛られるほど、上の者の思惑の道具にされやすいってわけだ。この一件で、誰が何を考えて動いてるのか、少しだけ輪郭が見えてきた」ズィーベンも横から低く呟く。
「ユーカリは昔から独自路線を走ると言われていた。リュウゼツラン様の方針が気に入らないのか、それともレイトキ自身の存在が何か邪魔になっているのか……どちらにしても、これからは表向きの命令だけを信じて動くわけにはいかないな」ドライは静かに頷き、改めてレイトキたちに向き直る。
「今回は俺の判断ミスで混乱を招いた。今後は指令元を二重三重に確認する。それだけは約束しよう」レイトキは胸元に手を当て、コアの穏やかな脈動を感じながら、少し考え込むように口を開き、はっきりとした調子で言う。
「どうやら『ストレンジプレデター』という組織全体を、何もかも一括りに憎むのも違うみたいだな」彼はドライとズィーベンの顔を順に見て、言葉を続ける。
「確かに実験や拘束、力の管理の仕方など、やってることの中には到底許されるものじゃない部分がある。だが、内部を見てみると幹部同士で思惑が割れ、命令も混乱し、従う側も自分の判断に迷ってる」少し間を置き、自分なりの見方をまとめるように付け加える。
「何が全体の真の目的なのか、誰が本当に悪意を持って動いているのか、まだはっきりと見極められない。敵か味方か、白か黒かだけで決めつけるには、状況が複雑すぎるってことだ」ズィーベンは深く頷き、同意を示す。
「そうなの。だからアーシたちも簡単には抜け出せず、慎重に道を探っているのよ。組織の名のもとに動いていても、一人ひとりの考えや立場は全然違うから」ドライも無表情ながら小さく頷き、静かに応じる。
「だがそれは同時に、油断もできないということだ。裏切りも陰謀も、同じ組織の中から生まれる可能性が一番高いからな」レイトキは肩をすくめ、芯の通った目で二人を見る。
「ああ。だからこそ俺は、組織の看板じゃなく、その場その場で何をするか、誰を信じるかで判断していく。それが一番確かなやり方だと思う」レイトキは話を一旦区切るように息をつき、話題を戻してはっきりと続ける。
「ともかく、ズィーベンとゼクス、それにアハトの件に関しては――まあ、これまで通り進めるさ」彼はズィーベンの方を向き、迷いのない口調で確認する。
「組織全体がどう割れていようと、お前たちが自分の意思で自由を求めて俺に頼んできた事実は変わらない。ユーカリが何を企んでいようと、それを理由に話を反故にするつもりはない」ドライは少し眉を動かし、問いかけるように言う。
「それでいいのか? 今回の混乱を見れば、この計画自体が標的にされる可能性も高い」
「それは承知の上だ」レイトキは口角をわずかに上げ、挑むような力強さを見せる。
「だからこそ慎重に動くだけのこと。手続きも情報の受け渡しも、表立ったルートは使わずに進める。向こうが陰で糸を引くなら、こっちもそれなりのやり方で対応するだけさ」
ズィーベンは安堵と決意を込めて深く頷く。
「ありがとう、レイトキ。その言葉だけでも、こちらの覚悟は何倍にもなる。情報の方も、これから段階を追って確実に届けるようにする」レイトキは手を軽く上げて合図し、話を締めくくる。
「約束は約束だ。それだけは忘れるな。さあ、そろそろここも長居する場所じゃない。各自、警戒を怠らずに行動しよう」ズィーベンが周囲の警戒を確かめると、空間の狭間へと滑り込むように姿を消し、静かに撤退していく。公園にはレイトキ、リュウゼツラン、そしてドライだけが残される。レイトキはまっすぐドライの方を向き、芯の通ったはっきりとした声で言い放つ。
「ドライ、何を信じ、何に従うかを決めるのは、最終的には自分自身だ!」彼は一歩前に踏み出し、額の角と胸元のコアが安定した力の輝きを放つのを見せながら続ける。
「上から降ってくる命令だけを疑いもなく受け入れていれば、今回のように誰かの思惑に踊らされ、混乱に巻き込まれる。規則や地位はあくまで目安に過ぎない」そして彼は視線を遠くの街並みへと向け、自分の進む道をはっきりと宣言する。
「ともかく俺は、俺なりの判断で動く。組織の理屈や権力争いなんて関係ない。これからは、実験体たちや力に翻弄される者たちが、自分で選べる幸せな未来を作るために力を使っていくつもりだ」ドライは無表情のままだが、その瞳の奥には長い間疑問に思っていた何かが、少しずつ形を持っていくような変化が見える。
隣に立つリュウゼツランは静かにその言葉を聞き、低く息を吐くように呟く。
「……それが『包括の歯車』としての在り方、というわけか」レイトキは頷き、再び二人を見据える。
「ああ。だから今後は、俺の行動が組織の方針に合わないことも増えるだろう。そのとき、お前たちがどう判断するか――それも、自分自身で決めることだ」風が木々をそっと揺らす中、レイトキの新たな決意が、静かだが確かな重みを持って二人の心に刻まれていくのだった。レイトキの宣言を受け、リュウゼツランは静かに一歩前に出ると、これまでの曖昧さを排し、はっきりと自分の立場と方針を打ち出す。
「私の方針は最初から決まっている」
彼は周囲の空気を読むように少し目を細め、落ち着いた口調で続ける。
「実験体の生産や増産、改造の量産体制といった部分については、他の幹部たちの管轄に任せている。私はそちらには深く関与しない」だが次の瞬間、声には明確な線引きが込められる。
「だが歯車に関してだけは別だ。私はただ、それらが自然に集まり、響き合う時を待ち、必要ならば緩やかに誘導する――それだけが、私がこの組織の中で担う役割だ」レイトキは眉をわずかに上げ、その真意を探るように問い返す。
「待って誘導するだけ? それで歯車の力が何に使われるのか、誰が支配するのかを決めないのか?」
「それは歯車自身の性質と、それを持つ者たちの選択が定めることだ」
リュウゼツランは淡く首を振る。
「私は力を奪って支配しようとも、悪用しようとも思っていない。ただ……この世界と狭間の均衡が崩れないように、流れを見守っているに過ぎない。だからユーカリのように自分の野心で事を急ぐ者とは、そもそも根本の考えが違うのだ」ドライも横で聞きながら、これまで見えなかった幹部同士の考えの隔たりを、改めてはっきりと理解するような表情を浮かべる。レイトキは黙って頷き、その言葉を受け止める。
「なるほどな。『見守る者』としての立場か……だが忘れるな。見守るだけでは、誰かが理不尽に苦しんでいても手を差し伸べられないことになる。俺はそこには立てない」
「それがお前の道であり、私の道ではない、というだけのことだ」リュウゼツランは静かに応じる。
「だが今のところ、私の方針がお前の行動の邪魔にならないことだけは保証しよう。それ以上でも、それ以下でもない」リュウゼツランは少し目元を細め、冷徹な雰囲気をにじませながら、さらりと付け加えるように言う。
「それに、本当に邪魔で不要な存在なら、ただ消すだけのことだよ。今のユーカリはまだ利用できる価値があるから、こうして見過ごしているだけに過ぎない」その声には、ただ「見守る」だけではない幹部としての計算と冷徹さが隠されている。レイトキもその裏にある本質を読み取り、表情を引き締める。
「利用できる間は生かし、用がなくなれば切り捨てる……そういう考え方か」
「組織の中で生き残るには、それが基本だ」リュウゼツランは淡く頷き、続ける。
「ユーカリの野心や勝手な行動も、今のところは歯車の流れを探る試金石になっている。彼女が動くことで、こちらも周囲の反応や力の動きを読み取れる。だから今は制限をかけるだけで、完全に抑え込むつもりはない」彼はレイトキをまっすぐに見据え、最後に一線を引くように告げる。
「だがいずれ彼女の行動が均衡を崩し、害になると判断した瞬間には、私自身の手で整理する。そのときが来るまで、お前も自分の身と進む道を守ることだ」レイトキは胸元のコアを軽く押さえ、力強く応じる。
「ああ、承知した。だが俺は誰かの『試金石』にされたり、『利用される駒』になるつもりは最初からない。お前も、ユーカリも、お互いに利用し合うつもりなら――俺はそのつもり以上のものを返すだけだ」リュウゼツランはわずかに口元を緩めるような表情を浮かべ、それ以上何も言わず、ただ静かに立っているのだった。休日の朝、マタラシティの街はいつもよりゆっくりと目を覚ましている。路地裏に佇む何でも屋クロノギアの店内には、木製の棚の香りと、作業台に並ぶ歯車や道具の金属的なにおいが静かに漂っていた。窓から差し込む柔らかな日差しが、埃の粒をきらきらと浮かべながら店内を照らしている。レイトキはカウンター席に腰を下ろし、胸元に手を添えて内側の変化を静かに確かめている。饕餮の因子に加え、渾沌・窮奇・檮杌の3つの新たな鼓動が、ゴッズライブマテリアルのコアと共に滑らかに調和し、以前よりも遥かに安定した力の流れを描いているのが感じ取れた。
奥のソファでは久美子がテーブルに朝食のトーストとコーヒーを並べ、にこやかな表情で声をかける。
「さあ、休み初日だからって朝から難しい顔しないの。しっかり食べて体を休めなきゃ」隣ではホワンがノートを開き、これまでに学んだ力の制御方法を書き留めながら、時折レイトキの様子を興味深そうに見つめている。
「レイトキさん、体の調子はどうですか? 新しい因子が加わったと聞いて、少し心配だったんです」作業台の前に立つリジェは解析端末を操作しながら、眼鏡の奥から鋭い視線を向ける。
「私の方でも微弱なエネルギー反応の変化を捉えた。4つの因子がお互いを支え合い、暴走のリスクを抑え合う均衡状態になっているようだ。リュウゼツランの言った通り、『包括』の名にふさわしい土台ができつつある」レイトキは苦笑いを浮かべて席に移り、コーヒーカップを手に取る。
「勝手に追加されたのは気に食わないが……確かに力の流れが全然違う。今までは漏れ出しそうだったエネルギーが、自分の意志通りに巡っている感じだ」久美子は頬杖をつき、楽しそうに続ける。
「それならよかった。とにかくこの連休は、学校のことも組織の揉め事も一旦横に置いて、私たちなりの時間を過ごそうじゃない。たまには普通の休日だって必要なんだから」穏やかな空気の中、だれもが感じていた。この平穏な時間が、これから訪れるかもしれない新たな波乱に備える、貴重な時間であることを――。リジェは端末を置き、いつもより少し柔らかい口調で誘いかける。
「レイトキ、アタシ達とどこかに出かけない? 息抜きしないとね。今日はダイレクトメールや専用回線を全部確認したけど、依頼が入ってくる気配は全然ないし」久美子もすぐに乗り気になって、隣から身を乗り出す。
「そうよそうよ! せっかくの連休初日なんだから、閉じこもってばかりじゃもったいないわ。公園でも海でも、ショッピングモールでも――どこでもいいから、みんなで遊びに行きましょう!」ホワンも目を輝かせて頷く。
「私も行きたいです! マタラシティの外に出かけるのは久しぶりなので、とても楽しみです」レイトキは少し考えるように窓の外を眺め、胸元のコアが穏やかに脈打つのを確かめてから、にっこりと笑って立ち上がる。
「そうだな、こうして誘ってもらえるのもありがたい。確かに最近はずっと緊張しっぱなしだったし、たまには普通の休日を楽しむのも悪くない。よし、みんなで行こう!」店内の空気が一気に明るく弾み、四人はそれぞれ支度を始める。この一日だけは、「歯車」や「組織」のことを忘れ、ただの仲間として過ごす時間が始まるのだった。レイトキはカウンターから立ち上がり、手で額の汗を軽く拭いながら、はっきりとした調子で提案する。
「暑いし、ビーチにでも出かけるか? 休みはまるまる10日間もあるんだ、たまには思いっきり太陽の下で遊ぶのもいいだろう」そして思いついたように指を弾き、続けて言葉を重ねる。
「そうだ、せっかくだから与太郎、デューク、斗愛、カグラ、アルカ、ゼロも誘ってみよう。人数が多いほうが、海辺もきっと賑やかで楽しくなるはずだ」久美子は目を輝かせて手を叩く。
「いいわね! みんな揃えばバーベキューだってできるし、海で泳いだり砂遊びしたり、一日中飽きることがないわ!」ホワンも期待に胸を膨らませて頷く。
「他の皆さんと一緒に過ごすのは久しぶりですね。私も早く連絡を取りましょうか?」リジェは肩をすくめながら、端末を取り出して操作を始める。
「了解。すぐに連絡網を回して集合場所と時間を決める。ついでに日焼け止めや冷却グッズ、緊急用の結界セットも用意しておく――念のため、ね」レイトキはにやりと笑みを浮かべ、準備に取りかかる仲間たちを見渡す。
「よし、決まりだ。今日だけは力の制御も組織のことも頭の隅に追いやって、ただの休日を満喫しようぜ!」
店の中は一気に出発前のわくわくとした雰囲気に包まれ、にぎやかな一日の始まりを告げていた。準備に取りかかろうとしたその瞬間、店の扉が軽い音を立てて開き、一人の男性が姿を現す。日に焼けた顔つきに、少し疲れたような、それでいて真剣な眼差しをしている。彼は店内を見渡すと、確かめるように口を開き、はっきりと告げる。
「ここが『何でも屋クロノギア』で間違いないんですよね。実は君たちに依頼を頼みたくて来ました」少し息を整え、核心に迫る言葉を続ける。
「内容は……海辺の調査です。最近、ある海岸で不可解な現象が続いているので、詳しく調べてほしいんです」
レイトキたちは一瞬顔を見合わせる。「ビーチに行こう」と話していた矢先のことに、どこか皮肉な偶然を感じながら、レイトキが前に出て応じる。
「ほう、ちょうどこれから海に向かおうとしてたところですけ。具体的にどんな現象が起きてるんですか?」依頼人は頷き、説明を始める。
「潮の満ち引きが不規則になったり、夜になると海面から奇妙な光が浮かんだり、近くを通る船の計器が突然狂うなど……地元の人たちは『海の異変』だと怯えています。専門家に調べてもらっても原因が分からず、こういう特殊な事柄を扱うと聞いて、ここに来たんです」リジェは手元のメモ帳を取り出しながら冷静に問いかける。
「場所はどのあたり? 安全面で注意すべき点は?」
「マタラシティから少し南にある『ワタツキ海岸』です。今のところ人的な被害は出ていませんが、このまま放置すると何が起きるか分からない、というのが皆の不安です」レイトキは肩をすくめ、にやりと笑みを浮かべる。
「なるほど。これはもう『息抜き』と『仕事』が一緒になったようなもんだな。調査を兼ねて遊びに行けば、一石二鳥ってわけだ」久美子も苦笑いしながら頷く。
「まったく、休みだっていうのに、結局いつもの流れになっちゃうのね」
レイトキは依頼人に向き直り、はっきりと約束する。
「分かった。その依頼、受けよう。詳しい話は道中で聞かせてもらうとして――俺たちはすぐに出発する」こうして、ただのレジャーの予定だった一日が、再び彼ららしい「何でも屋」としての始まりへと変わっていくのだった。依頼の話がまとまると、一同は手早くレジャー用品と調査用の装備をまとめ始める。水着やタオル、日焼け止め、飲み物や軽食のクーラーボックスといった遊び道具の脇に、リジェが用意したエネルギー探知器、小型結界発生器、波動解析端末などが自然に混ざり合い、「遊び兼仕事」の荷物が出来上がる。店の前には依頼人が手配したワゴン車が停まっており、荷物を積み込むと全員が車内に乗り込む。レイトキが助手席に座り、後部座席には久美子、ホワン、リジェが続き、すでに連絡を受けた与太郎たちも途中の待ち合わせ地点で合流する手はずになっている。エンジンがかかり、車がゆっくりと路地を出て大通りへと向かう。窓の外には夏の日差しがまぶしく輝き、潮風のにおいが遠くから少しずつ届き始める。
レイトキは前を向いたまま、胸元のコアを軽く押さえて内側の力の流れを確かめ、口元に笑みを浮かべる。
「よし、これからはただの休日でも、ただの仕事でもない。両方いっぺんに楽しんでやろうぜ」久美子が後ろから声をかける。
「まったく、レイくんらしい考え方ね。でも、くれぐれも無茶はしないでよ? 海辺でトラブルが起きても、まずは安全第一でお願いね」リジェは端末を開き、地図と過去の記録を呼び出しながら冷静に言い添える。
「ワタツキ海岸周辺の次元の歪みやエネルギー異常は、これまで報告がない。だが現地に着いたら最初に全体のスキャンを行う。予期せぬものが潜んでいる可能性も捨てきれない」ホワンは窓の外を眺めながら、少しわくわくしたように頷く。
「遊びも調査も、どちらも全力で頑張りましょう!」車は街を抜け、ワタヌキ海岸へと続く道を進んでいく。楽しい予感と未知の現象への緊張感が入り混じったまま、一行の新たな一日が動き出していた。ストレンジプレデターの施設内、管制室の片隅。モニターに映る各方面の報告書を眺めながら、フュンフが指で画面を叩き、はっきりとした口調で言葉を放つ。
「なーるほど、上層部の連中の趣旨が分かれてるってわけか。だけど別にいいんじゃねぇー? そもそも俺は、この組織自体が正しい道を歩んでると思ってるんだよ」
彼は肩をすくめ、どこか割り切ったような表情を浮かべる。幹部同士の対立や命令の混乱など、自分にとっては枝葉の問題に過ぎないという態度だ。それに対し、隣に立つフィーアが慌てるように一歩前に出て、真剣な声ではっきりと反論する。
「待ってください! 組織の規則に従うのは確かに当たり前のことですが、そもそもこのストレンジプレデターを作り上げたのはリュウゼツラン様ですよね? そして、こんな体制が生まれるきっかけを与えたのは……確かキクリさんだったはずです」フュンフは眉を上げ、興味深そうにフィーアの方を向く。
「キクリ? あの伝説的な存在のことか。だとしたら何だってんだ?」
「つまり、組織の根本には『何のために』という目的が最初からあったはずなんです」フィーアは言葉を続け、自分なりの疑問をぶつける。
「上層部が自分たちの権力争いに走ったり、ユーカリ様のように独自の計画を進めたりするのは、本当に設立当初の目的に沿っているのでしょうか? 私たちが『正しい』と信じて従っているものが、いつの間にか変質してしまっている可能性だってあるんです」室内に一瞬沈黙が流れる。フュンフは腕を組み、低く唸るように答える。
「そう言われると……確かに、俺たちが知らない歴史や裏の事情がまだまだあるってことか。キクリという存在が何を考え、何を残そうとしたのか――それを知らないまま『正義』だと信じて動いているのかもな」フィーアは頷き、遠くのモニターの向こう側にある真実を探すような眼差しを向ける。
「レイトキたちが自分の道を選ぶように、私たちも組織の本当の姿を見極めないと、いつの間にか誰かの駒にされているだけになってしまいますよ」こうして、組織の内部でもまた、それぞれの考え方と疑問が生まれ、新たな亀裂の種が静かに芽吹き始めていた。施設の片隅、薄暗い通路の柱にもたれかかるように立つアハト。彼は無表情なまま、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めるが、その声にはどこか歪んだ冷たさと、隠しきれない苦しさが混ざっている。
「上層がどう動こうが、命令が変わろうが、そんなの僕には関係ない…」
骨のような白い指先を自分の胸元に当て、内側に渦巻く感情を抑え込むように続ける。
「僕はただ、人の不幸な姿、悲しみや絶望に満ちた顔を見ていれば、それでいい…。そうすれば、自分の存在意義みたいなものが、かろうじて感じられるから…」だが次の瞬間、声がわずかに震え、瞳の奥に戸惑いが浮かぶ。
「なのに…幸せそうな顔、笑い合っている姿を見ると…胸の奥が締めつけられるように苦しくて、何かが引き裂かれそうになるんだ…。それが何なのか、僕には全然分からない…」彼は頭を軽く振り、自分の感情が理解できずに混乱している様子がはっきりと表れる。長い間組織の中で育てられ、負の感情に同調するように改造された体と心が、外の世界にある「温かさ」を拒絶しながらも、無意識に反応してしまっているのだ。遠くからフィーアがその言葉を一部聞きつけ、複雑な表情を浮かべて立ち止まる。アハトの歪んだ価値観が、単なる性分ではなく、環境と改造によって作り上げられたものであることを、改めて痛感するのだった。柱の陰から、ズィーベンとゼクスが静かにアハトの様子を見守っていた。二人は彼の歪んだ言葉と揺れる心の内を聞き届け、それぞれに重いため息をつく。ゼクスは唇を噛み、厳しいながらも本心からの言葉をはっきりと吐き出す。
「やはりアハトは今のままじゃダメだ。この状態で外の世界に連れ出しても、自分の感情と現実のギャップに耐えられず、きっと心も力も壊れてしまうだろう」隣のズィーベンは眉を下げ、歯がゆそうに手を握りしめる。
「なんか悔しいなぁ〜。ゼクスくん、何とか方法はないの? 時間をかければ、あるいはレイトキたちのような道を示せば、少しずつ変わっていけるんじゃないかって……」だがゼクスは首を強く横に振り、抑えきれない焦りと無力感を込めて応える。
「出来るものなら、とっくにやってるんだよ! 彼の改造は他の誰よりも深く、負の感情への同調機構が根幹にまで組み込まれている。下手に刺激すれば逆効果、最悪暴走して周囲を巻き込む危険だってある」二人の間に重い沈黙が落ちる。ズィーベンは遠くに立つアハトの後ろ姿を見つめ、小さく呟く。
「だけど、このまま放っておいても、彼自身が自分の心を押しつぶしていくだけだ……。本当に出口はないのかな」ゼクスは苦々しく顔をしかめ、答える代わりにただ拳を強く握り締める。組織の枠から抜け出す道を探す二人にとって、アハトの存在は、希望と同時にどうしようもない現実の重さを突きつける壁となって立ちはだかっていた。ゼクスは唇をきつく結び、迷いを断ち切るように低くはっきりと言い放つ。
「アハトは置いていくことにする。今のままの状態なら、この判断は変わらない」ズィーベンははっと息を飲み、まだ諦めきれない眼差しで彼を見る。
「そんな……このままここに残したら、ますます自分の殻に閉じこもってしまうわ。いつか力に飲み込まれて取り返しのつかないことになるかもしれないのに!」だがゼクスは首を振り、苦しいながらも理屈に基づいた答えを続ける。
「それでも今連れ出す方が、はるかに危険だ。彼の中に刻まれた『不幸に同調する』仕組みは、この組織の中でさえかろうじて均衡が保たれている状態。外に出て自由な感情や幸せな光景に触れた瞬間、心の軸が完全に崩れ、暴走因子が一気に噴き出す可能性が高い」彼はアハトの背中を遠くから見つめ、声に重い覚悟を込める。
「置いていくと決めたのは、見捨てるからじゃない。今はまだ彼自身に『変わりたい』という意志が生まれていないからだ。本人が自分の道を選ぶその時まで、下手に手を出すわけにはいかない」ズィーベンは歯を食いしばり、拳を震わせながら小さく頷く。
「……分かってるわよ。だけど、アーシたちが先に外の世界に行って道を作る間、彼が待っていられるような状況であってほしいと願うしかないのね」ゼクスは静かに応える。
「ああ。私たちが自由と居場所を手に入れたその先で、彼が自分から扉を叩いてくる日が来ることを信じる。それが今の俺たちにできる、唯一の最善策だ」車が海岸線に近づき、潮風がさらに強く窓から流れ込んでくる中、レイトキがふと思い出したように口を開く。
「ところで、ホテルとか宿泊先、まだ取ってなかったな。どうしよう」後部座席の一同も顔を見合わせる。調査と遊びの予定で急いで出発したため、宿泊の手配まで頭が回っていなかったのだ。
すると運転席の依頼人が、落ち着いた口調ではっきりと答える。
「それなら心配いりません。すぐに泊まれるところがありますよ。この先すぐにある『シーサイドホテル』がですね、今は閑散期で部屋に余裕があります」彼は少し笑みを浮かべ、続けて申し出る。
「宿泊料金はこちらで代わりに払っておきます。今回の調査依頼の経費として計上できますから、気にせずにご利用ください」レイトキは目を丸くして、すぐに応じる。
「おお、助かる! これで夜も安心して調査を続けられるし、休む場所も確保できるな」久美子もほっと息をつき、明るい声を上げる。
「それならよかったわ! 海辺のホテルなんて、ロケーションも最高でしょうね」リジェは端末でホテルの位置情報を確認しながら頷く。
「ワタツキ海岸から徒歩数分の距離だ。調査拠点としてもちょうどいい場所になる」ホワンも嬉しそうに手を合わせる。
「海の音を聞きながら眠れるなんて、なんだか夢みたいです!」車はそのまま海岸沿いの道を進み、白い外壁が朝日や夕日に映えるシーサイドホテルへと向かっていく。仕事と休みが重なったこの旅が、さらに快適なものになる予感が漂っていた。




