第116話 無題(セレスティーネ)
「……分かった」
「え?」
荒野に立ち。夕焼けと、巨大な影を作る岩を眺めて。
風避けのマントに身を包んだセレネが、ふと呟いた。
「ディア姉」
「なに? セレス」
同じくマントを着たディアナが隣に立つ。何かあったのかとセレネの視線を追うが、特に変わった所は無い。
「でもこれ、『皆』分かったのかな。特にフミ兄とか、気付くのに時間掛かりそう」
「? 『ふみにい』って、あれか。ちょっと前にセレスが泣きながら叫んでた名前」
「…………『セレネ』って呼んでよ、ディア姉」
「あ、そうだっけ。ごめんごめん。そろそろ風も強くなってきたし、戻るよセレネ。師匠も帰ってくる時間だし」
「……うん」
夕陽に背を向けて、マントを翻す。この、果て無き荒野をさ迷う生活が、唐突に始まって。
1ヶ月ほど経過していた。
——
「……どうしよっかな」
「なによ。さっきから変ね」
谷に張ったキャンプで、食事の用意をする。水や食糧は魔法で簡単に産み出せる。初めは戸惑ったが、セレネはこの1ヶ月でサバイバル系の魔法は殆どマスターしていた。
「このまま『戻って』も大丈夫なのかな。……でも、早くしてあげないと『セレス』に悪いし」
「ねえセレネ」
「うん?」
「焦げてる」
「えっ! わっ!」
『この』世界は、無限の荒野と少しのオアシスで構成されていた。
魔法は、生活に必要なあらゆる物質を産み出すことができる。だからこそ、その才能を持つ者は重宝され、また取り合って戦争の火種となってきた。
捨て子であったセレスティーネは、魔法使いの師匠と弟子に拾われて、二番弟子となった。『セレス』は、師匠から、名前が長いと言われて縮めたものだった。
師匠には何か目的があるらしいが、訊いても答えてくれず、3人はオアシスの町を巡りながら果て無き荒野を今日も旅している。
「(……そんな、『設定』の世界)」
焦がしてしまった食材を処理しながら、セレネは考える。この世界と、人々と、『あの』世界と人々を。
「よう。帰ったぞお前ら」
「師匠!」
陽が完全に暮れた頃。ひとりの男性がキャンプへやってくる。帰ってきたのだ。
「パパ! ……あ、いや……」
「んー? あのなあセレス。俺ァお前の父親じゃねえ。いい加減慣れろ。師匠と呼べ」
「…………うん。師匠」
シレークスだった。セレネの知るシレークスより少し若いが。確実に本人だと判断できる。その顔と声、性格で。
この3人に、血縁は無い。無いという『設定』になっている。この世界では。
「師匠。次はどこへ行くの?」
「おう。地図あるか」
「……はーい」
シレークスに言われて、地図を出す。広げて見るが、間違いなく地球の地図ではない。
「ここから南西に2日でオアシスがひとつある。そっから西にある、この洞窟に行く」
「何かあるの?」
「昔居た大魔法使いが遺したお宝があるって話だ」
「へえ。面白そう。ねえセレネ」
「…………うん」
セレネが、何も『知らなければ』。それは楽しい旅になるだろう。わくわくしただろう。
「(夢、じゃない。幻影じゃない。この世界も、世界として『実在』してる。あり得た現実。別の可能性の、わたし)」
初めは、訳も分からず泣き叫んでいた。このシレークスとディアナには随分と心配を掛けたと思う。ママが居ない。フミ兄が居ない。アルテが居ない。ずっと泣いていた。
「(どうして、『わたし』がそれを今追体験しているのか。『神』と『魂』と、『全知全能』。……わたしの状態と、世界の状況。『御座』に座った者だけが、多分『こう』なってる)」
この世界の魔法というものには、『罰』は無かった。使いすぎると気絶するというだけで、それは眠れば快復する。
「(『罰』の無い世界。魔法という存在。わたしの価値。価値観。無限の理想と、精神の虚飾……)」
恐らく、今『飛んだ』として、また別の『世界』へ行くのだろうということは、セレネは気付いていた。別の可能性の現実を見せられる。別の世界線の自分に『入る』のだと。
「……分かったんだ。わたしは」
食事を済ませて。師匠はすぐにテントでいびきをかき始めた。ディアナも『弟子用』のテントに入り、耳栓の魔法を掛けて眠りに着いた。いつも、セレネはふたりより長く起きていた。
手頃な岩に座って、星を見る。綺麗な夜空を。その星々の並びが、『ここが地球ではない』ことを告げている。そんなことは初日の夜に分かったことだ。
「……『神様』なんて、居ない。居ても嬉しくないし、迷惑なんだ」
それは、誰が言い出したのか。何のために、『神』を産み出したのか。
主観でしか語られない、教義が真実であることが前提の、宗教の書物では分かり得ないこと。
調べても出てこない、調べようの無い『太古』の話。
「……人が、『生きる』為には、別に神なんか必要ない。ただ生きるだけなら、生とか死とか、考える必要もない。人が、勝手に妄想で産み出しておきながら、恨むなんて。すっごく、愚かなんだ」
セレネは、『ここ』へ来る前も、そこまで深くは考えていなかった。ただ、ママの言う通りに。作戦通りに。フミ兄のお手伝いを。パパに会いたい。
それだけだった。神とかルールとかなんとか、別に気にもしていなかった。
「……ママの、ママと弟が死んじゃったのは悲しいけど。別にルールとかのせいじゃない。神様のせいじゃない。……誰かに、殺されたから死んだだけなんだ」
だが『ここ』は、いくらでも考える時間があった。やるべきことも少ない。魔法は魔術と違って『罰』も無い。気を遣って隠してはいるが、恐らく魔法の実力もとっくの昔にディアナを越えてしまっている。
セレネはずっと、ひとりで、異世界の星空を眺めながら考えていた。
「『本当は』、月にも金星にも、勿論太陽にだって人どころか生物は居ない。神様も居なければ、魔術だって存在しない。……ん、だよね」
今まで、魔術と当たり前のように育ってきた11年間を。
この1ヶ月で、冷静に『切り捨てる』ことができるほどに。
「でも、『わたし』の世界には、居た。あった。……『そういう』ことだよね」
時間が経つほどに、『前の世界』が夢だったのではないかと錯覚する危険性を考えたが。セレネは強く、それを否定した。『あの』兄が。姉が。家族が。あの旅が。
嘘であったなど、それだけはあり得ない。あり得させる訳にはいかない。
「……多分、『ここ』で何年過ごしても。『次』に飛べばまた11歳になってる。そうやって、全部に『気付いた』時に。……わたし達は『全知』になってるんだ」
全知全能が手に入る『椅子』だと思った。この世の全ての知識が自分の頭にインストールされると。処理に時間が掛かりそうだとも思った。だが。
違った。
『全知』の全ては。『全』という言葉の範囲は。『この世』どころではない。
「フミ兄達が倒した『神様』は、遥か昔に、『これ』を経験したのかな。それとも、最初から『そのように』生まれただけで、もっと別の存在なのかな」
この世界に留まっているのも、セレネが『気付いた』からだ。別の世界だと、ゆっくり考える時間が無いかもしれない。『登場人物』が少ない『ここ』は、考え事に向いていると、セレネは判断したのだ。
「でも、そろそろフミ兄達に会いたいな。……アルテと、こんなに長い間離れてるのは初めてだし。ちょっと寂しくなってきちゃった」
気付いたということは。『終わらせられる』ということである。全能の力は、全知を以て行うものであった。『選択する』という、自由と知恵を得るのだ。
「……多分、アルテもすぐ気付く筈。2、3回くらい飛べば。そして、多分わたしと、同じ『選択』をすると思う」
ゆっくりと、立ち上がった。気付いてしまった以上、『ここ』に留まるのは無意味になってしまう。
「ママには、悪いけど。こんなこと言っちゃいけないけど。……心は、わたし達の方が大人になっちゃったんだね」
『この世界』に本来居るべきは『セレス』の方だと、セレネは理解している。
「帰ろう。多分……『わたし』の世界に、『皆』居る」
満天の星空の下で、セレネはゆっくり瞼を閉じた。




