第115話 無題(アルティミシア)
「アルティミシアお嬢様」
「!」
名前を呼ばれて、はっとした。
自分は、今、何をしていたのか。
壁を丸々くり貫いて作った大きな窓から、外の景色を見ていた。丘の下の、町の風景を。
「おはようございます。アルティミシアお嬢様。朝食の準備ができてございます」
「……フランソワ?」
振り向くと、フランソワが部屋の入口に立っていた。ここは、どこなのか。
自分の寝室である。『九歌島』ではなく。
『月影島』の。
「さあ、お早く準備をしませんと、学校に遅れてしまいますよ」
「…………『学校』?」
学校など、通っていただろうか。そもそも、どうしてこの屋敷に居るのだろうか。アルテは首を傾げながら、部屋を出る。
「……あれ、セレネはまだ寝てるの?」
「…………『セレネ』さん、ですか? 学校のお友達でしょうか」
「えっ?」
違和感がある。
何か、おかしい。
アルテは立ち止まって、固まった。
思考に、集中した。
「お嬢様?」
「(夢だ。……あり得なさすぎる。明晰夢と気付いても覚めない。これが『全能』の力……?)」
顎に手をやり、ぶつぶつと考え始める。
「(理想の世界、ということでも無い。セレネが『居ない』世界を、アルテが考え付く筈が無いもの。だとしたら、誰かが見せている夢? でも、『覚める』条件は分からない)」
何が起きているのか。冷静に分析する。
「……~~」
「お嬢様?」
「……魔術は、使えないか」
現状把握から。アルテはそう考えた。
——
月影島の『町』へは、実は初めて来るのだ。これまで、日本へ来るまで屋敷から出たことは無かった。
「(お父さまは居らず。お母さまもお屋敷に居なかった。アルテはもう、11歳になっているのに。災害も起こっていない。……お兄さまは、まだ日本に居るのかな)」
学校。小学校だ。アルテは今、可愛らしい『制服』というものを着ている。これも初めての体験である。今のアルテにとっては。
「……アルカディアさん」
「(取り敢えず来たけれど、この『学校』にヒントはあるのかな。早く戻らないと。地上に出向いていた神々が戻ってきてしまうから)」
「アルカディアさん!」
「わっ」
変な名前を呼ぶ声と共に、肩を叩かれた。驚いて振り向くと、女の子が頬を膨らませていた。
顔も名前も知らない、会ったことも無い女の子だ。
「もうっ。いくら呼び掛けても返事をしないのだから。失礼しちゃうわ」
「えっ。……アルカディアって、アルテのこと?」
「そりゃそうよ。あなた、アルティミシア・アルカディアでしょう?」
「!」
「なに、違うなんて言わないわよね。市長の孫娘が」
アルカディア、とは。
思い出した。『アレックス』の姓だ。
「……市長」
「ほら、そんな所でぼうっとしてないで。授業が始まってしまうわ」
川上ではない。アルティミシア・アルカディア。
「(『これ』は、誰……? 何かおかしい。川上姓を捨てるなんて、絶対にアルテの夢なんかじゃない)」
——
学校には、沢山の友人が居た。皆、笑顔で話し掛けてくれた。お調子者の男子や、大人しそうな女子も。皆、アルテを慕っていた。
同年代の友人など存在しなかったアルテにとって、この『学校』という空間はとても素晴らしく思えた。
「ではまた明日ね。アルカディアさん」
「……うん」
授業が終わると、玄関に車が停まっている。
迎えであると、直感した。
「この後ですが。お嬢様の楽しみにしておられた、川上文月様との会食がございます」
「えっ!?」
運転手のブライアンが言った。その名前を。
「お兄さまが、いらっしゃるの?」
「……もう、そのような呼び方をされる間柄なのですね。恐らくは、お嬢様の卒業後の、挙式などについての話し合いだとは思いますが」
「!?」
普通に。さらりと言ったブライアンの言葉に。
目を白黒させてしまう。
「お兄さまと……きょ。きょっ」
「決まっていたこととは言え。お互いに愛し合えるのは素晴らしいと思いますよ」
「……!!」
なんという事だ。
あり得ない。
だが。
アルテは『揺れてしまった』。
——
一度屋敷に戻り。精一杯おめかしをして。
どこか、大きなホテルのレストランだった。
キョロキョロとしていると、見慣れた顔をした男性がやってくる。
「アルティミシアさん。もう着いていたんですね」
「お兄さまっ……」
「ん。あはは。あの時は冗談で言ったのですが。そう呼んでいただけて嬉しいです」
「!?」
だが。顔は見慣れていても。様子がおかしい。表情は緊張した様子で、言葉遣いも他人行儀で。
「席はこちらですよ」
「…………はい」
そんな『文月』は。アルテの目に新鮮で、心をくすぐった。
「お兄さま」
「はい?」
袖を掴んで。
アルテは、我慢できそうになかった。『これ』は、夢だ。
「アルテのこと、どう思いますか?」
「…………」
もう、冷静な思考はできなかった。『これが』『こんな』。
こんな『世界』が。
「例え家が決めた結婚でも。僕は貴女を一番愛しています」
「!!」
片膝を突いて目線を合わせて、真剣な表情で。
アルテの心は、ぐちゃぐちゃになった。
「(…………ぐっ!)」
——
「——駄目です」
「えっ」
だが。
踏ん張らなければならないと。震えながら。目に涙を溜めながら。
「(きっと、このまま『これ』を肯定すれば。一生『この』ままだ。アルテは、幸せに、お兄さまと暮らす。誰も何も、文句も言わない。きっと、そうだ)」
歯を食い縛って。
「…………アルテは」
「はい……」
泣きながら。笑顔を作ろうと心掛けた。
「セレネや、お母さま。『夜』の人達や美裟さん。……いや、お姉さまを」
「?」
「『全て』を裏切ってまで、自分だけ幸せになろうとは、考えられません」
「……何を……。アルティミシアさん?」
『この』アルテは。知らないのだ。だから、幸せになれる。なって良い。
こういう、『自分』もあるのだ。それ自体は、嬉しい。嬉しく思っても、良いじゃないか。
「……お兄さま」
「えっ。はい」
アルテ目線からしたら、似合わない礼服を着た文月に。
精一杯、笑い掛けて。
「『アルティミシアさん』をどうか、幸せにしてあげてくださいね」
「勿論。……えっ?」
そう言った直後に、アルテは意識を手放した。
「アルティミシアさんっ!?」
「……ん」
ふらりと、倒れるところを文月が支えた。周囲から注目を浴びるが、文月はそんなことは気にしない。
「…………あれ、ここは……」
「アルティミシアさん。大丈夫ですか?」
「えっ。川上さま?」
「!」
「あれ。えっ? 私、どうしてこんな……」
——
——
——
「アルテ!」
「!」
ぐい、と。身体が引っ張られる感覚に襲われた。いきなり、空気が変わった。
「きゃ……っ」
車が吐き出す煙の臭い。前は見えない。誰かに抱き締められているらしい。
「ったく。ふらふら歩いてんじゃないわよ。おー危な……」
「……お姉ちゃん」
「なに、命の恩人を敬いたくなった?」
きさらぎに抱かれていた。ここはどこかの街の、車の往来がある道路だった。
きさらぎはアルテの無事を確認するとすっと立ち上がり、道路に飛び出す前に放ったであろう自分の鞄を拾う。
「ここは、どこですか?」
アルテは自分の服装が変わっていることにまず気付く。文月とホテルで会うために、ドレスを着ていた筈だ。だが今は、以前まで着ていた修道服だった。
「なに言ってんの。恐怖で記憶無くなっちゃった?」
「多分、そうです」
「はぁ? あのね、私のことは?」
「佐々原きさらぎお姉ちゃん。22歳のシングルマザーで、娘の名前は神奈ちゃん」
「…………」
自分の知る、きさらぎの情報を言う。するときさらぎは、一瞬固まり、呆れたように頭を掻いた。
「私に娘なんか居ないけど」
「……そうですか」
「私に居るのは妹ひとりだけ。あんただけよアルテ」
「…………!」
「だから、死なないで。久々の外だからってフラフラ歩いて、行き遅れの私をひとりにしないでよね」
きさらぎとの直接の血縁関係は、無い筈だ。文月からしたら再従姉だということは知っているが、自分との血縁は無い。
だが『ここ』では。
「……はい。お姉ちゃん」
「ん」
もう一度、きさらぎに抱き締めて貰いに行った。
「……『今度』も、セレネが居ない」
「ん? なんか言った?」
「いえ……。ちょっと疲れました」
「えーっ。まだ30分も歩いてないのに。全く、昔っから魔法研究に夢中で引き籠り体質なんだから」
「…………」
「仕方ない。一緒に観たい映画があったんだけど。帰ろっか」
徐々に。薄々。
アルテは勘づいて来ていた。




