王女に捧ぐ春の約束(完結)
王女は宮廷魔術師の報告を待ちわびていた。
宮廷魔術師は、彼に会えたこと、喜んでいたこと、感謝していたことなどあらゆる言葉で王女を元気付けようとした。
王女は身を乗り出して熱心に話を聞いていた。
やがて日々の政務に追われていると、魔王城の正確な座標が判明したという話が伝わってきた。
王女の命で情報の裏付けを急ぐ。もちろん国として交戦の意思はない。
「間違いないようです。各地の冒険者たちが集まり、一斉に潜入を開始するという話もあります」
「彼は参加するのでしょうか」
「帝国の冒険者達に聞きましたが、まだ帝国内に居られるようです」
王女は少しほっとした。おそらくまだ生きている。
(援軍も送れず、武器も渡せず。私は城で祈るばかり)
四年目の春が過ぎてゆく。
手紙は届かない。
王の代理として政務を行うことも増えて来た。
復興は順調だ。交易も盛んである。人々は力を取り戻しつつある。
一息つきたくなった。
空は薄曇り、風はまだ冷たい。
庭園の花はいつものように美しい。
あの荒廃の朝が嘘のようだ。
侍女達と共に丹精込めて育み、庭を整えた。
花びらが石畳を柔らかに撫でていく。
ふたつ分かっている。
ひとつ。冒険者たちが突入してから二か月が過ぎた。
ふたつ。彼の姿が帝国領から消えた。
「姫様、羽織るものをお持ちしました」
彼の旅立ちの夜に羽織った外套だった。
床に臥せる王に代わって政務にいそしむ姫に、侍女は気遣いをかかさない。
「ありがとう」
よく庭先に出るのは、恐るべき知らせに備えようとしているのかもしれない。
つねに構えねば暗い感情に押しつぶされてしまう気もする。
こんな弱気ではいけないとも思う。
その点、帝国の皇女は勇ましかった。
どの国でも上に立つ者はこのような不安定な心持ちで過ごしているのだろうか。
その時、漆黒の鳥が中庭に舞い降りた。
羽に艶はなく、闇を溶かしたような黒。目だけが異様に光っている。
魔物だ。
侍女が悲鳴を上げると、それを聞いた巡回中の衛兵が駆け付ける。
くちばしから赤く光るものが落ちた。
それを見た王女は息を呑んだ。
彼に渡したブレスレットだ。
引き寄せられるように近づく。
「殿下、危のうございます!」
衛兵の大声に、黒鳥は王女に危害を加えず飛び去った。
次の瞬間、赤い宝石は漆黒に変わり、周囲が闇につつまれた。
衛兵が声を上げて剣を抜く。
立ち上がる影は魔王の姿をとった。
魔王は言う。
「先に誤解をといておく。戦いに来たのではない。そもそも王城の結界内に実体として顕現できる力などまだ無い。この魔法具に力を込めた幻影よ」
あの日の声と印象が違う。
王女は自分でも驚くほど落ち着いて尋ねた。
「彼はどうなりましたか」
魔王が手をかざすと、鏡のように光がまとまり、脳内に映像が流れ込んできた。
魔王城は、まだ城の形をとったばかりで定まらない。
漆黒の壁は呼吸をするように脈打ち、尖塔は雲を貫くような高さまで螺旋を描き、内部の回廊は不可思議なつながりを見せている。
破綻している、という表現が近い構造物だ。
各国の冒険者たちは十分な食料や魔法具を集め、準備をして一斉に突入をはじめた。
何日もの長い時を費やし少しずつ進む。最深部、魔王の玉座へと辿り着いた者は十人にも満たなかった。
魔王の玉座は繭に包まれている。
予想通り、先の戦で相当なダメージを負ったようだ。
冒険者達を迎え撃つのは剣の魔将軍とその配下だ。
冒険者達はこの日のために準備と訓練をしてきた。作戦通り、次々と配下を倒していく。
足止めをされている剣の魔将軍は冷静だ。
魔王様を護る。この命に代えても。
彼の執念が冒険者たちを一人、また一人と打ち砕いていく。
やがて戦いは決した。
残ったのは戦力にならない少女と、彼女を見下ろす剣の魔将軍だった。
魔将軍は玉座をちらりと見た。
少女は蛇の巻き付いた特徴的な造形の杖を握りしめて震えていた。
だが魔将軍は動かない。彼女は意を決して、倒れた仲間に駆け寄り、回復魔法をかけはじめた。
少女に目もくれず、剣の魔将軍は広間の入り口を凝視している。
「先に王城に乗り込んだのは我らだが、意趣返しということか。人間の王もなかなか面白い」
現れたのは片手剣の剣士。
間違いない。あの近衛兵長だ。
彼は広間をざっと見渡した。激闘の跡が残る。
「私の意思でここに来た。王に命じられて来たのではない」
剣の魔将軍はにやりと笑った。
あのやっかいな盾は無い。
だが、この男、強い。
「楽しませてくれそうだ。その復讐心、存分にぶつけて来い」
「たしかに、私の人生はお前が村を滅ぼした時からはじまった。全てを費やして……」
ふと王女の笑顔が思い浮かび、言葉を選んだ。
「武に生きた証としてお前に挑み、ここに武を置きにきた」
「死に場所を求めてわしに会いに来たのか」
「お前を斃さば魔王に用は無い」
魔王の繭がぴくりと動いた。
魔将軍は嗤い出した。
「ははは!魔王様を殺しに来たのではない?嘘をつくな。ははは!」
「……」
魔将軍はもう一度彼を凝視した。間違いなく左腕は砕いた。だがこの立ちのぼる達人の気配。
60年前に剣を合わせた帝国の剣士を思い起こさせる。
どうやら本気で勝つつもりらしい。
「狂っておるのう。わしを斃しても魔王様に手を出さぬというのか。面白くない。お前の願いも言え」
彼は倒れている冒険者達を見た。まだ幾人かは息があるようだ。少女がせわしなく回復魔法をかけてまわっている。
彼らが魔王城への道を切り開いたのだ。恩義しかない。
「ここに倒れた皆を無事に返してやってくれ。俺の骸は打ち捨てて構わない」
「……よかろう」
もはや言葉はいらない。
積み重ねた研鑽をここに示す。
魔将軍の大剣はただ速く重いだけではない。
流れるような剣筋に、軌道を予測させない緩急がある。
近衛兵長はいなし、踏み込み、研ぎ澄まされた感覚で間合いを保ちつつ、ひたすら機を待つ。
引きすぎず、踏み込みすぎない。
魔将軍に一撃が入った。続いて二撃。三撃目は大剣で弾かれた。
(この手ごたえ、頑強さ。人と戦っている意識では)
形こそ人だが、耐久性も体の可動域も違うだろう。
ここで魔将軍は大剣を投げつけた。冷静に躱すと間合いを詰める。
大剣では遅いとみた魔将軍は両手に魔剣を持ち直した。
その隙に一撃を入れる。巨体が大きく揺らいだ。
効いているのかいないのか、全く予想がつかない。
二人の剣はさらに激しく交わり、火花が吹雪のように散った。
打ち込むたびに心の中で願う。
(もっと速く、迅く、疾く、捷く、敏く、快く、飆く……)
雷のような剣戟音。
やがてその時が訪れた。
広間に甲高い破断音が響いた。
近衛兵長の片手剣が折れたのだ。
落ちた刀身が石床を滑る。
魔将軍は無言で剣を振り上げた。
(全てを費やしても届かなかったか)
この旅は終わる。
そう思った刹那。
「戻って来て」
王女の言葉が胸に響いた。
それは悪あがきにすぎない。
動かぬ左手でその刃を弾こうとした。あの日の盾のように。
(戻らねば!)
その一念に応じるように左手のブレスレットが赤く光った。
赤き石は初代の召喚士より受け継がれた縁を結ぶ石。
その赤は眩さを増し、機能を失った左手を光の剣に変えた。
石のように重い左腕が羽毛のように軽くなる。
魔将軍の渾身の一撃よりもわずかに速く、彼はその光を振り上げた。
渦巻く奔流のように連なった閃光が広間の天井まで貫いた。
貫かれた魔将軍は目を見開いている。
その目の奥に宿るのは怒りでも怯えでもない。
運命を受け入れた者の目だ。
巨体が揺らぎ、膝をつき、床へと崩れ落ちる。
それを見つめる彼は肩で息をしていたが、やがて意識が遠のくと倒れ込んだ。
柱の陰から見ていた魔族たちは恐る恐る、倒れた彼に向かい歩き出した。
回復魔法をとめた少女は杖を構えて立ちふさがる。
「皆、動くな」
広間の空気が凍ったようだった。
ばりばりと音を立てて、王座の繭を破り、魔王がゆっくり立ち上がる。
倒れた近衛兵長の前まで歩む。
魔王は彼の腕に残るブレスレットを興味深そうに見つめた。
「こんな所にあったのか。あの時はペンダントだったが」
そして体を強張らせた少女に目を向けた。
「娘よ。こやつの約束通り、ここに倒れた者どもを人間の住処に戻してやろう。その代わり、この男を……」
魔力による映像はここで途切れた。
王女は魔王を見据えている。
城門の方角から歓声が上がった。
「あの男を殺せば、人間たちは黙っておるまい。特にお前が。今見たとおり剣の魔将軍は討たれた。王に伝えよ。休戦とな」
「人のことが分かるのですね」
「学んだのよ。同じ轍を踏まぬためにな」
そういい残すと魔王の幻影は黒い霧と共に消えた。
王女は外套を脱ぎ捨て走り出した。
花の咲き誇る中庭を抜け、城門へ。
ドレスの裾が大きく揺れる。
人々は王女の姿をみとめると、歓声を上げて左右に道を開けた。
冒険者達は、真っ先に王城へ彼を連れて来たのだ。
一番の功労者が肩を借りながら歩いて来る。
彼だ。
微笑んでいる。
ヒゲは剃ってある。
「お約束どおり」
いつもの美しい所作で彼は跪いた。
「戻ってまいりました王女殿下」
「よくぞ戻りました。褒美を与えます」
彼は少し考えてから言った。
「では美味しいパンを一切れ」
王女は少女のような笑顔を見せた。
ならば下賜しよう。作ったことのないパンを手作りで。
城門の向こう、王都の空は明るく光る。
柔らかな風が城門を吹き抜けた。
それは遅い春の便りとなった。
(完)
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最後まで読んで頂きありがとうございました!この二人の物語はこれで完結です。
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