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江連朝顔の物語 その5

 ――身体中の細胞が音もなく崩れて死んでいく。太陽の光は空の遥か彼方。ようやくわたしは死ねるわけだ。長いようで短い人生だったな。


 わたしという物語の終わりの始まりが、ウルトラフォースが自殺をした瞬間だったのだとすれば、わたしという物語の始まりはきっと、本物の超人スーパーヒーローである彼にはじめて出会った時だっただろう。あの出会いがなければわたしは、ある種盲目的にスーパーヒーローという概念を護ろうとはしていなかったに違いない。


 ウルトラフォースはすべてを救えない。誰もが視界に入れないようにしている黒い常識だ。いくら彼でも同じ日、同じ時に被害に遭った人を救うことなんて出来ないし、そもそも力だけでどうにかできる問題なんて高が知れているんだから。


 忘れもしない8年前。当時、18歳のわたしも〝救われない側〟の人間だった。父親は病気で死に、母親は若い男を外に作って蒸発。頼れる親戚も大人も存在せず、無知な高校生だったわたしは男に身体を売って生活していた。


 死にたいとは思わないが、だからといってなんの目的も目標もない。ただ茫然と生きているだけの無味な人生。そんな中で彼と出会った。


 ある冬の夜。その日のわたしの客は、金払いがいい反面、乱暴なことを好む男だった。薄肌が凍りつくほどの寒空の下、夜の公園にわたしを呼びつけたその男は、挨拶代わりに固めた拳で頰を殴りつけてきた。


 力なく倒れるわたしのワイシャツを、男は無言で引き裂いた。寒いのが嫌で抵抗したら、今度は腹を殴られた。込み上げる嗚咽と痛みの中でわたしは考えた。


 ああ、もしかしたらわたしはここで死ぬかもしれない。でも、それでいいのかも。長く生きていたところで意味はない。


 そこへ現れたのが、スーパーでもヒーローでもない、ただの中学生くらいの男の子だった。制服を着て自転車に乗っていたから、きっと学校帰りだったのだろう。


「その人から離れろっ!」


 震える声で啖呵を切った彼は自転車から降りると、わたしたちの元に歩み寄ってきて、へなへなのファイティングポーズを取った。遠目から見てもわかるくらいに脚が震えていて、怯えていることは一目でわかった。


 そんな彼を鼻で笑った男は、彼の右頬を殴りつけた。鈍い音が響き、上体がぐらりとぐらついた。でも、彼は倒れなかった。それを見た男は左の頬を殴ったが、やはり彼は倒れなかった。


 何度も、何度も殴られたところで、彼は一歩も引かなかった。それどころか彼の瞳は、殴られるたびにある意味では狂気的とも呼べる輝きを増していく。圧倒的に優位に立っているはずの男はいつの間にか追い詰められていた。


「な、なんだよお前……死ぬぞ! 死にてえのかよ!」

「死にたくはないよ。でも、その人を見捨てるなら死ぬ方がマシだ」


 弱い人間は自分以外の力を頼ろうとする。男も例外じゃなかった。奴は足元に落ちていた石を拾い上げると、それで彼の額を殴りつけた。嫌な音がした。終わったと思った。


 ……それでも両足を地に着けて立ち続ける彼を見て、男はとうとう逃げ出した。男の小さな背中が闇夜に消えたのを確認した後でも、彼は腰を下ろそうとすらしなかった。


 その場に情けなく座っていたわたしに、彼は自分の着ていた上着をかけながら「あの」と声をかけてきた。彼の額からは赤黒い液体が流れていた。


「大丈夫ですか? 怪我とかありませんか?」


 なにを言ってるんだろう。大丈夫かと聞きたいのはわたしの方だ。そんな傷だらけになって。当時のわたしはそんなことを考えるばかりでなにも言葉を発することができず、代わりに彼の額の傷を指した。


「ああ、大丈夫ですよ、これくらい。心配しないでください。ただ軽く切っただけですから」


 彼は血に塗れた顔でにっと笑う。あれで軽く切っただけなわけがない。何も言えずにただ震えていると、彼は「そうだ」とポケットから何かを取り出してわたしに握らせた。


「ほら。これ、俺のお守りです。たぶん俺、このおかげで頑張れたんです。俺もスーパーヒーローになるんだ、あの人を助けるんだって……。持っててください。勇気が湧いてきますから」


 それは、200円もしないようなウルトラフォースを模したキーホルダーだった。スーパーヒーローなんてただ存在する〝だけ〟だと思っていたわたしに、彼はその玩具をお守りだと称して差し出したのだ。


 馬鹿言わないでよ。あんなのよりずっと、ずっとあなたの方がーー。


 笑いと涙が堪えきれず、ぐちゃぐちゃに混線した感情をわたしは同時に吐き出した。彼は少し困ったような顔をしながらわたしの傍により寄ってくれた。


 間もなくして、公園に救急車がやってきた。それは彼がわたしのために呼んだものだったが、軽く殴られただけのわたしに比べて遥かに傷だらけだった彼が、そのまま病院に連れていかれることになった。


 担架に乗せられた彼はぼぅっとした視線を空に向けている。ようやく感情の波が穏やかになってきたわたしは、勇気を出して声を振り絞った。


「あ、あの。あ、ありがとう、ございました……」

「いいんです。ただ、放っておけなかっただけなんで」

「で、でも、そんな……傷だらけで……」

「大丈夫です。傷なんていつかは治りますから」


 彼の乗った担架が救急隊員に担がれて運ばれていく。ああ、もうお別れだ。


 せめて、せめて――空も飛べなければ、岩を素手で割ることもできなければ、弾丸を身体に受ければ呆気なく死んでしまうか弱い人間にも関わらず、決して己の意思を曲げないあなたの――。


「あなたの、名前を……」


 彼は弱々しく手を振りながらはにかんだ。


「三谷永太一です。じゃあ、もしまた会う機会があれば」

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