天山摩耶の物語 その5
家まで送ると申し出たが、太一くんは「いいです」とそれを拒否して車を降り、歩いてその場を去っていった。ずいぶんと思いつめたような顔をしていたが大丈夫だろうか。不安だけど、どうにもならないよね。後は野となれ山となれだ。
とりあえずその日は家に帰り、霜降り明星のユーチューブを眺めながらビールを飲み、「明日からまた江連宅の前で張り込みだぁ」なんて考えていると、三谷永さんから電話が入った。破裂しそうになる心臓を抑えながら電話を取ったら、開口一番『どういうことなの?』なんて問い詰めるような口調で言われたからもう電話を切りたくなった。
「ど、どういうことって、逆にどういうこと?」
『太一の件。あいつ、また燃え上がっちゃってんだけど? 部屋の片づけを邪魔したんじゃなかったの?』
「したよ。それで、外に連れ出して……」
『連れ出して?』
「……取材の協力してって名目で、江連朝顔に会わせた」
『なんでそんなことするの?! 邪魔するだけでよかったのに!』
嫌な予感はしていたけど、案の定なことが起きてしまった。わたしの目論見が外れたのは悪かったと思うけど、こっちの話くらい聞いてくれてもいいのに。
「だ、だって、邪魔するのにも理由が必要でしょ? 太一くんと一度しか面識のないわたしが彼を外に連れ出すなんて、こんな方法しかないって」
『だからって、わざわざあの人に会わせないでもよかったんじゃない? いったい何の企みがあってあんなことやったわけ?』
「三谷永さんのおじさん――石田荘慈さんは、いわゆる半グレが設立した会社に勤めてたの。太一くんにそれを教えれば、石田さんへの尊敬が薄れて彼を追わなくなると思ってた。でも、その情報を伝えるためにはあくまでさりげなくじゃなきゃいけないじゃない。だから、わざわざ協力してもらったんだよ」
わたしの話を聞いていくらか熱が冷めたのだろう。三谷永さんは『そう』と苛立ち混じりの息を吐く。
『天山の言い分はわかった。悪意があってやったわけじゃないこともね。でも、逆効果だったってことだけは間違いないんだからね』
「わ、わかってるって。ごめん」
『とりあえず、またあいつがなんかやらかしそうな時は連絡するから。その時はまた手ぇ貸してよね』
三谷永さんはそう言うとわたしの返事を待たずに電話を切った。昔から変わらず押しが強い人だ。ひょっとしたら、わたしなんかよりずっとジャーナリストとしての素質があるかもね。
〇
翌日の夜。江連宅前で張り込みを続けていたわたしは、コンビニおにぎりとスムージ―を夕食に食べながら、彼女がどこかへ出かけないかと首を長くして待っていた。
あの葬式の日以来、江連朝顔が外出しているところを見かけたことがない。少しくらい太陽の光を浴びたいとは思わないのだろうか。それとも、家から地下道が繋がっていて、それでこっそり外に出ているとか?
いくらなんでも漫画的すぎる発想に自分で笑ったその時、外から運転席の窓をコンコンと叩かれた。外にいるのは制服を着た警察官のふたり組。長時間の駐車を怪しまれたかな。
こんなところでトラブルになるのもつまらない。おとなしく運転席の扉の鍵を開け、愛想笑いを浮かべながら「どうもー」と挨拶した――その瞬間、警官がポケットからナイフを取り出し、喉元へと突き付けてきた。
「声を上げるな。席を移れ」
言われるがまま助手席の方へと逃れると、警官のうちひとりが運転席に、もうひとりが後部座席に座る。
「なんですか、あなたたちは」
「答える必要があるか?」
後部座席に座る男は、わたしにナイフを突きつけたまま「出せ」と運転席の男に指示する。ミニクーパーは持ち主の意思に反してエンジンを吹かし、夜道を走り出した。
ジャーナリストとして「マズイ」状況になったことは幾度とあった。日本刀の切先をヘソの辺りに突きつけられたこともあるし、怪しいクスリを飲まされかけたこともある。こういったことは何度経験しても慣れるものじゃないが、命の危機を前にすると却って思考が明瞭になるネジの壊れたわたしがいるのも事実だ。
自分でも驚くほど冷静になったわたしは、バックミラーに映る後部座席の男の顔を見た。冷たい瞳に不愛想な口元、狼めいた気配を漂わせる細面の男。只者じゃない。
「あなた達、江連朝顔の依頼でこんなことをしてるわけ?」
「依頼人のことは知らねえ。目的もな」
「あ、そう。じゃあ、お金のためにこんなことしてるんだ」
「だったらどうする?」
「別に。ただ、わたしはこれからどうなるのかなって」
「ただ死ぬだけだ。一瞬で殺してやるから安心しな」
「それ聞いて安心できると思う?」
「さあな」
その時、スマホが震える音が車内に響いた。細面の男はスマホをポケットから取り出すと、「もしもし」と応じる。
「ああ、どうした。――ふざけろ。仕事はまだ途中だぞ。――クソ。貰うモンは貰うからな」
何やら電話の相手と揉めたらしい。細面の男は運転している男に「停めろ」と荒っぽく命令する。
「ど、どうしたんですか、急に――」
「中止だよ、中止。早く停めろって言ってんだよ。黙って言うこと聞いてろ」
ドスの利いた低い声に息を吞んだ運転席の男はブレーキを踏み込んで車を急停止させる。タイヤの悲鳴が止むと同時に車を出た細面の男は、その苛立ちをぶつけるよう扉を蹴りつけると、肩で風を切って夜道を歩いていった。運転席の男が慌ててその後を追っていく姿は、まさしく上司と部下――もとい、親分と子分だ。
ともあれ、助かった。命拾いしたで一気に気が抜けて、わたしは「どへぇ」と息を吐きながら座席に深く腰を預けた。
あいつらって、どう考えても江連朝顔の命令でこんなことしたんだよね。しつこい記者が相手とはいえこんな真似をするなんて、いよいよもって怪しくなってきたぞ、あの人。