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第11話 北関東の御家人、プライド高すぎ問題


ある日の昼下がり、平岡家に客が来た。

近隣の御家人だという。名は椎尾五郎と聞いた。家忠よりも少し年上の、三十手前くらいの男。平岡家の所領の北隣に小さな所領を持っているらしい。


葵は御方様の計らいで、また被衣を被って家忠の後ろに控えることになった。借上のときと同じ、「御法に詳しい客人」という立場で。


椎尾五郎は、表の間に通されると、まず家忠を、じろりと値踏みするように見た。


(うわ、感じ悪い)


葵は、被衣の下で思った。

椎尾の直垂も、平岡家と同じく、地味でつぎはぎがあった。同じくらい貧しいのだ。なのに、態度だけはやたらと大きかった。胸を張って、顎を上げて、まるで自分の方が格上だ、と言わんばかりだった。


「平岡殿。久方ぶりじゃのう」


椎尾の声は、尊大だった。


「椎尾殿。ようこそ、おいでくだされた」


家忠は、礼儀正しく応じた。

葵は、二人のやり取りを観察した。用件は、所領の境のことだった。平岡家と椎尾家の所領の境に、小さな谷があって、その谷の利用を巡って、昔から細かい揉め事があるらしい。今日は、その確認に来た、ということだった。


話はなかなか進まなかった。

椎尾はやたらと自分の家の由緒を語りたがった。

「わが椎尾は、そもそも頼朝公の御代よりこの地に根を張る家じゃ。承久の折にも、わが先祖は宇治川にて武功を立てておる。鎌倉殿より賜った所領じゃぞ」


(出た、家自慢)


葵は、被衣の下で内心げんなりした。

椎尾は続けた。

「平岡殿の家も古い家じゃが、わが椎尾には及ぶまい。何しろわが先祖は──」

そして、また延々と先祖の武功を語り始めた。家忠は辛抱強く聞いていた。

葵はその間、椎尾を観察していた。


(この人、プライド高すぎ)


葵は思った。


(貧乏なのに、家の由緒だけはやたらと誇ってる)

(自分の家が、どれだけ古くて、どれだけ偉いか、それしか言わない)


葵は椎尾の態度に、最初はただ呆れていた。でも、観察しているうちに、ふと、何かが引っかかった。


(あれ、この感じ──どっかで、聞いたような)


葵の頭の中で戦国の知識がぼんやりと蘇り始めた。



(北関東の、国衆)


葵は思い出した。

葵は三成推しの戦国オタクだった。三成贔屓ということは、必然的に秀吉贔屓でもあった。そして、秀吉の天下統一の最後の総仕上げが小田原征伐。北条氏を攻め滅ぼした、あの戦い。三成も、忍城攻めで石田堤を築いた(結果は微妙だったけど)。

その小田原征伐の前後、北関東の国衆たちがどう動いたか。葵は最近にわかにその辺りの本を読んでいた。国衆ブーム、というやつで、書店に戦国国衆の本がたくさん並んでいたのだ。


(北関東の国衆、めっちゃめんどくさかったよな)


葵は、秀吉贔屓の視点で思い出した。


(北条につくか、秀吉につくか、ふらふらして。結城とか、宇都宮とか、那須とか、佐竹とか。それぞれ勝手に動いて。秀吉、絶対まとめるの苦労したよな)

(プライドだけは、やたら高くて。「うちは古い家だ」「うちは独立した領主だ」って、誰の言うことも聞かない)


葵は、戦国期の北関東国衆の面倒くささを思い出していた。中央(秀吉)から見れば、北関東の国衆は、小さいくせにプライドが高くてなかなか従わない、厄介な連中だった。


(そう、まさに、こんな感じ)


葵は目の前の、椎尾五郎を見た。

貧乏なのに、家の由緒を誇る。小さいのに、態度は大きい。誰にも頭を下げない。


(あ──)


葵の中で、点と点が、繋がった。


(この人たちが、国衆の、祖先なんだ)


葵は被衣の下で軽く息を呑んだ。

(目の前にいる、椎尾五郎みたいな、貧乏で、プライドの高い、北関東の御家人)

(この人たちの子孫が、三百年後、戦国の北関東国衆になるんだ)

(秀吉がまとめるのにあんなに苦労した、あの国衆たちの祖先)

葵は急に、椎尾五郎が違って見えてきた。

さっきまでは、ただの感じの悪い家自慢のおじさんだった。でも、いまは違った。この、貧乏でプライドの高い御家人は、三百年続く「家」の、一つの世代なのだ。頼朝の代からこの地に根を張り、承久の乱を生き延び、これから元寇後の混乱を、徳政令を、南北朝の動乱を、生き延びて──そして、戦国まで家を繋いでいく(かもしれない)、その長い長い連鎖の一点。


(プライドが高いの、当たり前か)


葵は思い直した。


(だってこの人たちは、自分の家の由緒と独立だけがよりどころなんだ)


(中央(鎌倉)からは遠い。儲からない。庇護してくれる大きな権力もない。あるのは先祖代々の所領と、家の名前だけ)

(それを誇らなかったら、何をよりどころにすればいいの)


葵は、椎尾五郎の尊大な態度の奥にあるものが、少し見えた気がした。


(秀吉から見たら、めんどくさい連中だった)

(でも、このめんどくさいプライドが、三百年家を続けさせる力なのかもしれない)


椎尾五郎が帰った後、葵は家忠に聞いてみた。

「あの、平岡殿。椎尾殿はいつもああいう感じなのですか」

家忠は苦笑した。

「椎尾殿か。あの家は昔から誇り高い。何かと家の由緒を口にされる」

「平岡殿は、腹が立たないのですか。あんなに上から来られて」

家忠は、少し、考えた。

「腹は、立たぬ。──椎尾殿も、必死なのじゃ」

葵は、家忠の顔を、見た。

「あの家も、わが家と同じくらい貧しい。後ろ盾も、ない。あるのは先祖代々の所領と家の名だけ。それを誇ることで辛うじて家を保っておる。──わが家も同じじゃ」

家忠は、遠くの、筑波山を、見た。

「われら、北関東の御家人は、皆そうじゃ。中央からは遠く、儲からず、後ろ盾もない。それでも、家の名を、誇り、所領を守り、次の代へ繋ぐ。それしかできぬ」

葵は、家忠の言葉に、深く、頷いていた。


(あ、家忠様も、自分たちが、めんどくさいプライドの塊だってこと、わかってる)

(そのプライドが、家を続けさせる唯一の力だってことも)



葵は、ふと地元のことを、思い出していた。

(この辺、戦国だとたしか小田氏の領域だよな)

葵は、つくばの出身だった。地元の戦国史なんて、ろくに知らなかったけど、小田氏のことは聞いたことがあった。筑波山の南、小田城を本拠にした常陸の名族。鎌倉以来の由緒ある家。

(小田氏、たしか名族なのに、戦国では苦労したんだよな)

葵は、うろ覚えの知識を辿った。

(佐竹とか上杉とかに押されて、何度も城を追われて。それでもしぶとく生き延びて。でも最後は、小田原征伐の後、大名としては没落した……はず)

(名族なのに、最後は……)

葵は、少し、しんみりした。

(続けることって、難しいんだな)

葵の頭の中で、いつか、家忠の横顔に見た、あの言葉の萌芽が、また形になりかけた。


続けることは、勝つことよりも、難しい──。


葵は、奥の小部屋に戻って、考え込んだ。

(私、戦国の北関東はある程度知ってる)

(結城、宇都宮、佐竹、小田、那須──戦国まで生き残った大名の名前は知ってる)

(でも──)

葵は、はたと、気づいた。

(「平岡」って、名前、戦国の北関東で聞いたことないな)

葵の中で、小さなひやりとしたものが走った。

(結城も、宇都宮も、佐竹も、小田も、戦国まで家の名を残した。だから私は知ってる)

(でも、平岡家の名は、私の知る戦国の北関東に、ない)

(ってことは──平岡家は戦国まで続かなかったってこと?)

葵は、その考えに胸がぎゅっとなった。

(どこかで消えた、ってこと?)

(南北朝の動乱とか、その後の争乱で、所領を失って、家が絶えたとか)

葵は、目の前の家忠や、御方様の顔を思い浮かべた。あの、必死に貧しい所領を守っている人たち。続けることだけをよすがにしている人たち。

(その家が続かないかもしれないなんて)

葵は、その考えを、振り払いたかった。

でも、すぐに、葵は、思い直した。

(いや──待って)

(私が平岡家の名を知らないだけかもしれない)

葵は、自分に、言い聞かせた。

(私の戦国の知識なんてせいぜい有名な大名と、国衆の名前くらい。北関東の小さな家とか家臣まで全部知ってるわけじゃない)

(「平岡」が私の知識にないからって消えたとは限らない)

(名前を変えて、続いてるかもしれない。婚姻で別の家に吸収されたかもしれない。私が、ただ、知らないだけ、かもしれない)

葵は、深く、息を吐いた。

(結局私は平岡家の未来だけは知らないんだ)


葵は思った。

葵は、鎌倉幕府が滅びることを、知っている。徳政令が来ることを、知っている。戦国の世が来ることも、織田信長も、豊臣秀吉も、関ヶ原も、知っている。

でも、平岡家がどうなるかは知らない。

歴史に名を残す、大きな出来事は、知っている。でも、平岡家のような名もなき小さな家が、その大きな歴史の流れの中で、どうなっていくかは誰も教えてくれない。教科書にも本にも書いていない。

(平岡家の未来は、平岡家が決めるしかない)

葵は、思った。

(私は未来を知ってるけど──平岡家の未来だけは、私にもわからない)

(だからこれは、家忠様が、御方様が、自分たちで切り拓いていくしか、ない)

葵はなぜか、その事実に少し救われる気持ちがした。

未来を知っている、ということは、ずっと葵を孤独にしてきた。誰にも言えない秘密を、一人で抱えていた。でも、平岡家の未来だけは、葵にもわからない。それは、つまり、葵が平岡家の人々と同じ地平に立てる、ということだった。


(私も、家忠様も、御方様も、平岡家がどうなるかは、知らない)

(だったら──一緒に、考えればいい)


葵は、本を、膝の前に、引き寄せた。

ハードカバー、A5判、分厚い、重い。


(続けることは、勝つことより、難しい)


葵は、まだ、その言葉を、誰からも、聞いていなかった。でも、椎尾五郎の尊大なプライドに、家忠の静かな決意に、小田氏の名族の落日に、そして自分の知識に「平岡」の名がないことに──その言葉の、輪郭を、感じ始めていた。


(平岡家が、続きますように)


葵は、らしくもなく、そんなことを願った。

(私の知らない未来で。私の知らない形で。──どうか続きますように)


葵は、本を、抱きしめた。

その重さは、相変わらず、葵の手の中に、あった。



(第11話 了)

次から第二部です。

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