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今夜も、君と千鳥足。〜シーズン2  作者: 花曇り


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8/8

別府『湯煙のインフェルノと、地獄蒸しに消えた軍師の計略』

 臼杵から日豊本線でわずか。列車が別府駅に滑り込んだ瞬間、窓の外は真っ白な「霧」に包まれた。いや、それは霧ではない。街の至る所から噴き出す、地球の呼吸――「湯煙」だ。

「……亮。ついに来たぞ。東洋一の湧出量を誇る、源泉の都・別府や!」  

 湯達 直は、別府観光の父・油屋熊八の銅像と同じポーズをとりながら、力強く宣言した。

「……見ろ、この湯煙の量。これは単なる温泉街やない。地熱をエネルギー源とした、巨大な天然の軍需工場みたいなもんや。熊八さんの先見の明、まさに地域ブランディングの極致……。俺も転職後は、これくらいのインパクトのある事業を立ち上げたいんや!」

 一方、安木 亮は、駅前広場に設置された「手湯」に両手を浸しながら、虚空を見つめていた。

「……直君。……いと、をかし。……私は今、源信の『往生要集』の世界に迷い込んだ罪人のような心地です。……あぁ、この立ち上る煙は、極楽への導きか、あるいは……地獄への招待状か。……よし、私はあちらの真っ白な煙の中に、失われた中世の写本を探しに行こうと思います」

「亮! そっちはただのクリーニング屋の排気ダクトや! お前が行ったら文字通り『蒸発』してまうぞ」  

 直は亮のバックパックを掴み、正確な観光ルートへと軌道修正させる。亮は大学図書館の司書として、普段は情報の海を整理しているが、一歩街に出ると自分の座標すら「未分類」になる。直は、そんな相棒を引率するスリルを、どこかで楽しんでいた。


 二人は、別府観光の定番「地獄巡り」へと繰り出した。  

 最初に向かったのは、真っ青なコバルトブルーが美しい「海地獄」。

「……あぁ、美しい」  

 亮は、熱湯の池のほとりで感極まったように呟いた。

「……直君。……ダンテの『神曲』における地獄は九層に分かれていますが、この青さは、裏切り者が沈められる氷地獄『コキュートス』を熱湯で裏返したようなパラドックスを感じます。……如来様、私はこの青い地獄で、目録の整理を一生続けたい……」

「……お前、地獄でも仕事するんか。ブラック企業すぎんぞ」  

 直は、次に「血の池地獄」の真っ赤な泥を指差した。

「……亮、見ろ。この赤。これこそ、戦国軍師・黒田官兵衛が九州平定の際に抱いた野望の色や。……石垣原の戦いで大友義統を破った、あの圧倒的な熱量。……俺も今、この赤い泥をインクにして、新しい人生の契約書を書きたい気分や!」

 その時、血の池名物の「軟膏」を売っていた地元の売店スタッフが、亮に近づいてきた。

「お兄さん、色が白いねぇ。地獄の火に焼かれんように、これ食べな」  

 渡されたのは、地獄の熱で蒸された「温泉卵」。

「……かたじけない。……地獄の番人が、私に糧を与えてくれました。……直君、この卵の硫黄の香り。……私の脳内にある『和漢朗詠集』の響きが、さらに深みを増していくようです……。……あぁ、私の胃袋が、今度は地獄の百科事典になりました」


 夕暮れ時。二人は、石畳の坂道に湯煙が立ち込める情緒あふれる鉄輪温泉へ。  

 今夜の夕食は、自分たちで食材を地獄の釜に放り込む「地獄蒸し」だ。

「……亮、ええか。これはプロジェクトマネジメントや。……エビは5分、野菜は10分、卵は……。このタイムチャートを完璧にこなすのが、食べる者の責任や!」  

 直は、ストップウォッチを片手に、蒸し器の蓋を指揮官のように開け閉めする。

 亮は、蒸気で真っ白になった丸メガネを外し、目を細めていた。

「……直君。……蒸気の中に、……歴史の幻影が見えます。……かつて一遍上人が、この荒れ狂う地獄を鎮めるために念仏を唱えた……。……あぁ、私の蒸されたキャベツが、……念仏を唱えている……。……いと、あはれ……」

「……キャベツは喋らんわ! ほら、できたぞ。食え!」

 塩を振っただけの素材の味。温泉のミネラルをたっぷり含んだ甘みが、口いっぱいに広がる。

「……美味いッ!!」  

 直が叫ぶ。

「……このサツマイモの甘み! まさに、厳しい戦の後に味わう恩賞の味や! ……店長、この釜、そのまま俺の自宅に配送できんか!? 毎朝、社員のやる気を蒸し上げたいんや!」


 夜。二人は別府市内のレトロな居酒屋へ。  

 今夜の主役は、大分県民のソウルフード「とり天」と、別府発祥とも言われる「別府冷麺」だ。

「……亮、これや。唐揚げとは違う、この衣の『しなやかさ』。これが大分の懐の深さや」  

 直は、大分が誇る麦焼酎『いいちこ』を、温泉水で割った「温泉割り」を注ぐ。

 カチャン!

「……ッ!!」  

 直が一口飲んで、テーブルを叩く。

「……キタァーッ!! 麦の香りが、湯煙に乗って脳天を直撃したわ! ……まさに、大友宗麟が南蛮貿易で手に入れた大砲『国崩し』の衝撃や! ……店長! とり天を追加で十皿! 俺は今夜、別府を統一する軍師になる!!」

 亮は、お猪口一杯の酒で既にポエマーの頂に立っていた。

「……直君。……この別府冷麺。……麺のコシ。……これは、平安朝の恋愛の『もつれ』のように、強く、そして切ない。……そこに、キムチの辛みが加わる……。……あぁ、私の喉が、地獄の最下層から天国へと続く、一本の階段になりました……」

「……お前、麺一本で天国行くな! ほら、この『琉球』(大分の郷土料理・魚の漬け)も食え! 酒が止まらんぞ!」


 三杯目。直の「キャリア志向・リーダーシップ」が最高潮に達し、居酒屋のカウンターで隣の客にプレゼンを始めた。

「……ええか、お父さん! これからの地方創生は『地熱』と『物語』の融合や! 熊八さんがやったことを、俺はDXでアップデートするんや! 名付けて『スマート・ヘル・プロジェクト』! ……亮、お前はチーフ・ナレッジ・オフィサー(CKO)や! 全人類の知識を、別府の湯煙にクラウド保存するんや!!」

「……直君、……声が、……鶴見岳の頂上まで届いています……」  

 亮は既に幸せそうに寝息を立て始め、割り箸の袋に「地獄十界目録」を書き殴っていた。

「……むにゃ……如来様……。……温泉の温度は、……42度で……お願いします……。……『湯煙に…… 消ゆる記憶の…… 美しき…… 酔えば地獄も…… 花の山かな……』。……いと、をかし……」

「……何が花の山や! お前は明日から、別府の源泉を全部アルファベット順に並べ替えるつもりか! ……店長! 麦焼酎を、樽ごと俺の胃袋という名のカルデラに放り込め!!」


 深夜。二人は、石畳から湯煙が立ち上る幻想的な夜道を、千鳥足で歩く。亮は、おぼつかない手つきでスマートフォンを取り出した。

「……直君。……見てください。……おさんぽアプリの……歩数が、……100万歩を超えました。……これは、……地球の回転数でしょうか、……それとも……私の妄想でしょうか……」

「……それはお前がスマホを振り回して踊っとるからや! 逆や、宿はあっちの『モクモク』の向こうやぞ!」  

 直は亮の肩を抱き、真っ白な闇の中へ突き進む。

「……でもな、亮。別府の熱に当てられて、俺の迷いも蒸発したわ。……地獄を巡って、ようやく自分の『天国やりたいこと』が見えてきた気がする」

「……直君、……それは、……実存主義的な……自己発見、……ですね?」

「……難しいこと言うな! ほら、そのまま煙に巻かれるなよ、明日はもっと熱い場所に行くぞ!」

 翌朝。  

 二人は、湯煙たなびく別府を後にし、九州の背骨、世界最大級のカルデラを誇る阿蘇へと向かう「あそぼーい!」の車中にいた。

「……亮。次は、阿蘇。火の国・熊本や。……今度は、本物の『火の地獄』が待っとるぞ」

「……火の国。……燃える山。……いいですね。……私は阿蘇の火口で、……古い経典を焼いて……、……灰の中に新しい詩を……見つけようと思います……」

「……焼くな! 貴重な資料やろ! 行こうぜ、地球の心臓まで!!」

二人の千鳥足は、別府の熱湯で鍛えられ、赤く燃える阿蘇の「火の国」へと、さらなる加速を続けていく。


(シーズン2・第8話 別府編 了)

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