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今夜も、君と千鳥足。〜シーズン2  作者: 花曇り


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第15話:島根・出雲から松江へ『神々の集う社で溺れる古事記と、宍道湖の畔に響く不屈の七難八苦組織論』

 安芸の宮島で瀬戸内の歴史ロマンを堪能した二人は、山陰の険しい山並みを越え、ついに神話の故郷――島根・出雲へと降り立った。 旧暦十月には日本中の八百万の神々が集うという壮大な聖地。厳かな空気が満ちる出雲大社の参道には、出雲高層神殿の記憶を伝えるかのように、太古の風が吹き抜けていた。

「……着いたぞ、亮! ここが天照大御神からこの国を譲られた大国主大神が鎮座する、日本最古にして最強の聖域・出雲大社や!」  

 湯達 直は、どこまでも広がる神域の空気を胸いっぱいに吸い込み、完璧な営業エースとしての凛とした声を響かせた。彼の鋭敏な脳内では、古代の出雲国譲り神話から、中世の尼子氏、毛利氏による山陰の覇権争いの勢力図が、緻密な経営戦略のフレームワークのように展開されている。

「……見ろ、この本殿の圧倒的な造形美。太古の昔には高さ約48メートルもの空中神殿が存在したという説があるが、それほど破天荒なプロジェクトを立ち上げ、成功させた大国主大神のリーダーシップと人心掌握術、これぞ現代のスタートアップに必要な『グランドデザイン力』の極致や! 俺たちも今日は、神話スケールの情熱で山陰を呑み尽くすぞ!」

 直が未来のビジネス構想に目を輝かせながら歩き出そうとしたその時、ふと隣の気配が消失していることに気づいた。 驚いて視線を巡らせると、相棒の安木 亮は、参拝ルートである美しい松並木の参道から完全に見当違いの方向へ。境内の端、神職の通用口とおぼしき古い石垣の隙間に掘られた、深い排水溝の暗がりへと、スマートフォンの画面を食い入るように見つめながらフラフラと吸い寄せられていた。

「……あぁ、いとをかし……」

 亮は、丸メガネの奥の細い目をさらに細め、画面をそっとスワイプしながら、深い溜息とともに呟いた。

「……直君、聞いてください。私が大学の生徒たちと開発を続けている『おさんぽ・文学マップアプリ』ですが、ついに『古事記・日本書紀モード』の実装に成功しました。……神域の強力な磁場を検知した瞬間、画面上で因幡の白兎が飛び跳ね、大国主の和歌がポップアップするのです。……おや、この目の前にある苔むした側溝の底、光も届かぬ暗黒の深淵に、黄泉の国への隠し通路の座標が重なっているような……」

 ズルッ。

 亮の足が、神域の湿気を含んでヌルヌルに滑る石造りの側溝の縁を捉え、見事に均衡を失って傾いた。

「亮、そっちは北や。北極に行くつもりか!? というか神域のドブに突っ込んで、皮を剥がれる前の白兎にでもなるつもりかァァッ!?」

 直が超人的な瞬発力で泥濘へと飛び込み、側溝へ頭からダイブする寸前だった亮の首根っこをガシッと鷲掴みにして、力任せに安全な砂利道へと引き戻した。

「お前はアプリで黄泉の国を探す前に、自分が現実のドブに落ちて歴史の闇に葬り去られようとするな! 側溝ドボンどころか、神域の排水システムを破壊する不届き者として強制退去処分やぞ! マジで今日こそ、お前のスマホの画面に俺の顔がデカデカと映る『直専用・接近警告アラート』を強制インストールしてやるからな!!」

「……直君。……助かりました。……しかし、スサノオの命もまた、根の国へと旅立ち……」

「お前が行こうとしとるのはただの整備された側溝や! ええから俺の半径30センチメートル以内を絶対に死守しろ!」


 直の執念深いマンマークによって無事に出雲を巡った二人は、さらに東へ進み、城下町の風情が色濃く残る松江へと移動した。 国宝・松江城の堀川沿いに広がる古い武家屋敷街『塩見縄手』。小泉八雲が愛した怪談の街でもあるその石畳を歩きながら、直の営業的な視線が光る。

「……亮、この松江の街並みを見ろ。松平不昧公が広めた茶の湯の文化が、今も街全体の高い美意識として根付いとる。俺は少し、この伝統的な和菓子文化と現代の観光動線のシナジー効果をフィールドワークしてくる。絶対に一歩も動くなよ」

 直が老舗の暖簾の配置を鋭い目で見つめ、手帳にメモを走らせてから振り返ると。

 亮は、小泉八雲旧居の裏手にある静かな路地裏で、出雲そばを打っている地元のおばあちゃんや、堀川めぐりの遊覧船を操る船頭のおじいちゃんたちに、完全に包囲されていた。

「お兄さん、えらい涼しげで品のある顔立ちをしとんしゃるねぇ。こげん細くて、宍道湖の強風で飛ばされんかったね? 打ちたての出雲そば、一番ええやつを茹でてあげたけん、遠慮せんで食べんさい」

「ほら、これも持っていきんさい! 宍道湖で今朝獲れたばかりの巨大な『大和しじみ』と、縁起物の『めのうの勾玉』たい!」

 亮の細い両腕の中には、まだほんのり温かい「出雲そば」の包みと、黒く鈍い光を放つ見事な「大和しじみ」がぎっしり詰まったネット、そして緑色に妖しく輝く伝統工芸品「めのうの勾玉」の根付けが、まるで博物館の重要文化財のように大切に抱えられていた。

「……かたじけない。……山陰の優しき神々が、私に現世の滋味と、魂を浄化する緑の結晶を授けてくださいました。……直君、見てください。この勾玉の完璧な曲線。これぞ、『万葉集』で詠まれる、玉響の瞬間の美を永遠に固定した造形……」

「……お前、路地裏に2分放置しただけでなんで特産品と古代の神器のフルコンボ決めてくんねん!!」

  直は頭を抱えて天を仰いだ。この男の「愛され人たらし」スキルは、もはや国生み神話レベルの奇跡だ。ただ迷子のように佇んでいるだけで、周囲の人間が勝手に引き寄せられ、次々と至宝を貢いでいく。

「……そのしじみと勾玉は俺が責任持ってホテルの冷蔵庫に入れる! さあ、松江の夜の街に繰り出すぞ。今夜は、宍道湖の恵みと極上の地酒が俺たちを待っとるんや!」


 夜。宍道湖の美しい夕景が闇に溶け、街灯が川面を優しく照らす松江の歓楽街。 二人が入ったのは、地元の伝統的な『宍道湖七珍』を味わえる、風情ある老舗の居酒屋。 テーブルの上には、山陰のプライドがこれでもかと並んだ。醤油の香ばしい香りが漂う「スズキの奉書焼き」、サクサクの歯ごたえがたまらない「モロゲエビの唐揚げ」、そして濃厚な味噌のコクが凝縮された「しじみ汁」。

「……亮、見ろ。この完璧な地産地消のラインナップ。これぞ山陰の歴史が育てた究極のブランド戦略や!」

直は、島根が全国に誇る伝説の銘醸蔵・東出雲の銘酒『王祿』の無濾過生原酒を注文。 亮の前には、文豪の名を冠した松江の至高の地酒『李白』が、小さなお猪口にトトト……と注がれた。

 乾杯!

 カチャン!

 亮が、お猪口の縁に唇を触れさせ、ほんの数滴を喉に滑り込ませた瞬間。 まるで神在月の出雲大社に一斉に灯籠が灯ったかのように、真っ白だった亮の顔面から耳の裏、首筋に至るまでが、瞬時に鮮やかな緋色に染め上げられた。

「……直君。……このお酒。……李白が愛した月光のように、私の脳髄を静かに、かつ深く侵食していきます……」

 亮はトロンとした至福の目で、モロゲエビの唐揚げを一口で運んだ。そして、二口目の日本酒をコクリと飲み込む。

「……あぁ、直君。……このスズキの奉書焼きの、和紙に包まれて蒸し焼きにされた、繊細にして奥ゆかしい旨味。……これはまさに、『源氏物語』における、幾重もの御簾の奥に隠された姫君の、垣間見の美学そのものです……。……装着された和紙を破る瞬間の、この罪深き高揚感。……これぞ、藤原実方が求めた、風流の極致……。……あぁ、私の胃袋の中で今、平安の宮廷サロンと小泉八雲の怪談が、妖しくも美しい輪舞曲を踊っています……。……いと、あはれ……」

「お前、たった二口でスズキの奉書焼きを源氏物語の覗き見に昇華するな! 飯を食うだけで文学の不条理を編纂すな!」

 直は完璧な営業スマイルをかなぐり捨て、豪快に笑いながら『王祿』のグラスを次々と空にしていった。普段は論理と数字を武器に戦う営業エースの直だが、限界を超えたアルコールは彼の中の「歴史マニアの野生」を完全に解放する。

「……大将! 次は出雲の『十旭日』を熱燗で、なみなみと持ってきてくれ! ……うまい! この五臓六腑にしみ渡る力強い米の力、これぞ山陰の地で毛利の巨大勢力に立ち向かった、不屈の武将たちの血湧き肉躍る味わいや!」


 trenchesそして、直が四杯目の熱燗を激しくテーブルに叩きつけ、しじみ汁の濃厚な出汁の香りを吸い込んだ頃。 ついに、彼の理性を司る防壁が完全に崩壊し、尼子家再興に命を捧げた山陰の麒麟児・山中鹿介の魂が直に憑依した。

「……大将ォ!! このしじみ汁の、泥の中から這い上がってきたような圧倒的な凝縮された旨味! これぞまさに、俺が三日月に祈り、我が身に求めた『七難八苦』の精神、そのものの味わいやなァ!! 逆境であればあるほど、しじみも組織も、より深く濃厚な出汁を出すんやァ!!」 直が突然、戦国の世を不屈の闘志で駆け抜けた悲劇の知将のような、威厳と凄みに満ちた大声で叫び始めた。

「……ええか亮! 山中鹿介はな、尼子家が滅びようとも、何度でも立ち上がって『尼子十勇士』を結成し、巨大な毛利にゲリラ戦を挑んだんや! 必要なのは安定した基盤やない、どんな逆境でも空中分解しない、強固な『志』で結ばれた無敵のチーム編成や! ……俺も今、老舗菓子メーカーの営業エースという生ぬるい地位にしがみついてる場合やない!! 時代は令和のベンチャー戦国期や!!」 その眼光は完全に「山陰の月夜を睨む孤高の狼」の輝きを放っている。狭い店内の他の客たちも、その圧倒的な覇気としじみ汁を絡めた熱弁に息を呑んでいる。

「……俺はやるぞ! 資本金100万円! たった100万円の元手から、現代の『尼子十勇士』を組織する最強の人事・採用コンサルティングファームを起業する! 企業が倒産の危機という『七難八苦』に直面しようとも、それを最高の適材適所で引っ繰り返す、無敵の経営陣形を構築してみせる! その時は亮! お前、俺の城の初代・特命組織ナレッジ統括官に就任せよォ!! ええか! 秀吉公の茶会はもっとこうファンキーやってん! 店長、もう一升持ってまいれ!!」

 直が熱く、そして寸分の隙もない不屈の組織論と意味不明な秀吉イじりをミックスして吼え続けている、その真横の亮は。

 三口目のお酒をきれいに飲み干した亮は、すでにこの世の重力から解き放たれ、手にもらっためのうの勾玉を愛おしそうに胸に抱きしめながら、出雲の阿国かというような、慈愛に満ちた究極の微笑みを浮かべていた。

「……むにゃ……直君の……新しい会社の……エントランスには、……このめのうの……勾玉を……飾ってくださいね……。……『出雲路や…… 神の集える…… 酒の席……』。……あぁ、いと、をかし……」

 スウゥゥゥ……。

 亮は、カウンターの端で、茹でたての出雲そばの甘い残香に包まれながら、スヤスヤと極上の眠りへと落ちていった。

「……って、ここで天下の『七難八苦組織論』を聴かずに寝る奴があるかァァイ!! 俺の100万円鹿介ピッチを最後まで一言一句漏らさず聴けェ!!」


 深夜。 すっかり心地よく酔い潰れて深い眠りにある長身の亮(右腕には出雲そば、左手にはめのうの勾玉がしっかりとホールドされている)を、直ががっしりと肩を貸して支え、フラフラと千鳥足で松江の古い武家屋敷街を歩いていた。

「……ったく、お前は本当にどこに行ってもフリーダムやな。貴重な勾玉を抱きしめたまま居酒屋で爆睡する司書が世界にどこにおんねん」

 直は、宍道湖から吹き抜ける冷涼な夜風を浴び、激しい憑依状態から少しずつシラフの理性を取り戻しつつあった。 ふと見上げれば、雲の隙間から、かつて山中鹿介が不屈を誓った三日月が、静かに松江城の天守閣を照らしている。

「……むにゃ……直君。……あちらの堀川の……底の暗がりに、……耳なし芳一の……隠れ家が……」

 寝ぼけた亮が、フラフラと足元を狂わせ、武家屋敷の脇を流れる深い堀川の隙間にある排水溝の方へ吸い寄せられていく。

「アホ! そっちに行ったら芳一になる前にただの土左衛門や! 怪談の世界に自ら突っ込んでいくな!!」

 直は慌てて亮の身体を強引に引き剥がし、力強く安全な石畳の中央へと引き戻した。

「……でもな、亮」

 直は、自分の肩で幸せそうに小さな寝息を立てている相棒の横顔を盗み見ながら、ふと口元を緩めた。

「……お前みたいに、損得勘定やビジネスの競争から完全に超越して、古典の世界に命を燃やせる奴が隣におらんかったら、俺の『100万円で起業して理想の組織を作る』なんて野望も、日々の営業数字に追われる中でとっくに摩耗して消えてたかもしれんな。お前のその底なしの『天然』と『純粋さ』が、俺のガチガチの『現実主義』を、宍道湖のしじみ汁みたいに優しく包み込んで深く浸透させてくれるんや」

「……むにゃ……直君、……それは、……いと、をかし……な、現代の……百万一心……ですね……」

「……寝言でめちゃくちゃ上手い表現使うな。ほら、ちゃんと足動かせ。出雲そばをドブに落とすなよ」

 シラフの時は、完璧な論理的思考を持つ営業エースと、地図を読めない絶望的迷子の司書。 酔った時は、天下を狙う戦国武将の起業家と、3杯の酒で宇宙と調和して眠るポエマー。 どこまでも非対称で、どこまでも正反対の二人が織りなす凸凹な歩みは、山陰の夜風に吹かれながら、奇跡的なまでの調和を保って進んでいく。

 神々と武将たちの魂が宿るその千鳥足は、終わることなく、山陰の道をどこまでも続いていく。


(シーズン2・第15話 島根・出雲・松江編 了)

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