山月記(作:一ノ瀬 詩織)
日付:20XX年某月某日
場所:文芸部部室
議題:『山月記・リライトチャレンジ』発表会
出席者:一ノ瀬詩織(部長)、二階堂玲(副部長)、三田村宙、四方田萌
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一ノ瀬「さあ、約束の一週間後、発表会を始めるわよ! トップバッターは、言い出しっぺであるこの私、一ノ瀬詩織が務めます!」
(一ノ瀬、丁寧に和綴じにした原稿を手に、自信に満ちた表情で立ち上がる)
四方田「待ってました! 部長の正統派『山月記』! 楽しみです!」
二階堂「『合理的な理由』、ね。どう古典の枠組みの中で着地させたのか、お手並み拝見といきましょう」
三田村「……仮説の提示を待つ」
一ノ瀬「ふふふ、期待してくれていいわ。中島敦先生の格調高い文体、そして物語が持つ『詩』の心を尊重しつつ、誰もが納得せざるを得ない『理』を加えてみたつもりよ。それでは、朗読します!」
***
山月記
作:一ノ瀬 詩織
「その声は、我が友、李徴氏ではないか?」
袁傪が驚きと懐かしさに満ちた声でそう問いかけると、草むらの中の主は、しばし沈黙した。やがて、深い、深い嘆息が漏れ聞こえ、言葉が続いた。その声は、紛れもなく、かつて共に詩文を語り合った友、李徴のものであった。
「……いかにも、隴西の李徴である」
袁傪は、しばし言葉を失った。友は生きている。だが、なぜ姿を見せぬのか。この獣じみた気配は何なのか。戸惑う袁傪に、草中の声は自嘲するように続けた。
「ああ、袁傪。恥ずかしいところを見られてしまった。いや、この声を聞かれてしまったことこそ、我が身の最大の恥辱。私は、もはやおぬしの前に姿を現すことのできぬ、醜悪な存在と成り果てたのだ」
「李徴、一体何があったのだ。数年前、おぬしが発狂して姿を消したと聞き、私はどれほど心を痛めたか知れぬ。何があったのか、話してはくれまいか」
草中の主は、またしても長い沈黙の後、絞り出すように語り始めた。
「……発狂、か。世間ではそう伝わっているのだな。あながち間違いではない。だが、正確には違うのだ、袁傪。我が身に起きたことは、狂気という言葉だけで片付けられるような、生やさしいものではない。それは、我が血に刻まれた、逃れられぬ宿命……呪いなのだ」
「呪い、だと?」
袁傪が訝しむ声に、李徴は静かに、しかし力強く語り続けた。
「そうだ。我が李家は、漢の時代、飛将軍と謳われた李広を祖とする。だが、その血筋のある一代の者が、己が才を恃み、山神の領域を侵し、その逆鱗に触れたのだという。その時、我が祖は神より呪詛を受けた。『汝の子々孫々、その身に虎の如き驕りを宿す者は、必ずやその身も真の虎と成り果てるであろう』と。それは、我が一族にのみ語り継がれてきた、忌まわしき言い伝えだ」
袁傪は息を呑んだ。荒唐無稽な話。だが、目の前の茂みから聞こえる友の声は、あまりに真に迫っていた。
「私は、その言い伝えを迷信と笑っていた。だが、違ったのだ。あれは、我が血に組み込まれた、抗いようのない理法だった。袁傪よ、おぬしは覚えているか。私が『臆病な自尊心』と『尊大な羞恥心』をいかに持て余していたかを。あれこそが、我が血に眠る『虎』そのものだったのだ」
李徴の声は、次第に熱を帯びていった。
「役人の地位を捨て、詩人として名を成さんと焦り、だが己の才能の限界を認められず、俗物と交わることを潔しとしなかった。あの、焦燥と屈辱に満ちた日々……。我が心中の『虎』は、日増しにその牙を鋭くし、私自身の意識を喰らい始めた。そして、ある月の夜。ついに私は、完全に心を喰い破られたのだ」
彼は、その時の様子を、まるで他人の身に起きたことのように、淡々と描写し始めた。
「最初は、指先の感覚が失われた。いや、むしろ、過剰に鋭敏になったのだ。土の匂い、風の音、月の光。全てが、人間の五感では捉えきれぬほどの情報量をもって、私に流れ込んできた。次に、骨がきしむ音が聞こえた。背骨が弓のようにしなり、肩甲骨が裂けるような激痛と共に、新たな骨格へと再構築されていく。ああ、あの痛みと快感の入り混じった感覚を、どうしておぬしに伝えられようか……」
「やめろ、李徴! もうよい!」
袁傪は、悲痛な叫びを上げた。
「……いいや、聞け、袁傪。これが、我が身に起きたことの全てだ。皮膚は破れ、そこから金色の毛皮が吹き出し、喉からは、もはや人間の言葉ではない、ただの咆哮しか生まれなくなった。意識が完全に途絶える寸前、最後に水面に映った己の姿は……紛れもない、一頭の猛虎であった。狂気ではない。我が血の宿命が、臆病な自尊心という鍵によって、ついにその扉を開いたに過ぎぬのだ」
草むらの中は、完全に沈黙した。もはや、そこにいるのは、袁傪の知る李徴ではないのだ、という事実が、重くのしかかる。
「……頼みがある、袁傪」
しばらくして、李徴の声は、幾分か落ち着きを取り戻していた。
「私は、もはや人間としての心を長くは保てぬだろう。完全に獣と化す前に、我が人間の証……私が生涯をかけて紡いだ詩を、書き取ってはくれまいか。それだけが、この呪われた血筋に生まれた、私の唯一の抵抗なのだ」
袁傪は、涙をこらえ、力強く頷いた。
「……わかった、李徴。お前の詩は、私が必ずや後世に伝えてみせる」
それから、草中の声は、朗々と詩を詠み始めた。かつて、二人が共に論じ合った、あの頃と少しも変わらぬ、気高く、美しい声で。袁傪は、部下に命じて、それを一字一句違わずに書き取らせた。
やがて、詩が途切れ、夜のしじまが戻ってきた。
「……もう行かねばならぬ。夜が明ければ、私は完全に虎としての本能に支配されるだろう。ありがとう、友よ。おぬしのおかげで、私は、ほんの少しだけ、人間に戻ることができた」
それが、最後の言葉だった。草むらの中から、一頭の巨大な虎が躍り出たかと思うと、月光を背に、近くの山丘へと駆け上っていく。そして、一度だけ振り返り、何かを訴えるように一声咆哮すると、そのまま姿を消した。
後には、ただ、友の詩と、尽きせぬ悲しみだけが残された。
***
(一ノ瀬、朗読を終え、やりきったという表情で、静かに原稿を閉じた)
一ノ瀬「……どうかしら? 超常現象を、一族に伝わる『呪い』という、抗いがたい理法として再定義してみたわ。これなら、原作の持つ悲劇性を損なわず、変身の理由にも『合理性』が生まれると思うのだけど」
(しかし、他の部員たちの反応は、どこか歯切れの悪いものだった)
四方田「うーん……なるほど、呪いですか。それはそれで、すごく悲劇的でドラマチックだとは思うんですけど……。でも、それって『合理的』なんですかね? ファンタジーの設定としてはアリですけど、結局『なんで呪われたら虎になるの?』ってなっちゃうような……」
三田村「……仮説は『超自然的な血統由来の強制変異』。これは、前回の私のSF仮説と論理構造が同じです。すなわち、観測不能な『呪い』というブラックボックスを、新たな公理として設定しているに過ぎない。一つのブラックボックスを、別のブラックボックスで置き換えただけ。合理的説明とは言えません」
二階堂「その通りね。ミステリーで言えば、『犯人は誰だ?』という問いに、『悪魔の仕業です』と答えているようなものよ。あなたが提示したのは、物語的な『納得』であって、論理的な『合理性』ではない。設定した課題、『虎に変身した合理的な理由を説明する』という点においては、残念ながら、落第と言わざるを得ないわね」
一ノ瀬「そ、そんな……! 私の、この美しくも悲しい、伝奇ロマンに満ちた解釈が……! ブラックボックスで、落第ですってぇぇぇぇ!?」
(がっくりと肩を落とす一ノ瀬。そんな彼女に、二階堂はノートパソコンを静かに開いてみせた)
二階堂「次は、私の番よ。感傷や伝承に頼らない、本当の意味での『合理的』な真相とは何か……。物証と状況証拠だけで、この事件を再構築してみせるわ」




