藪の中(作:一ノ瀬 詩織)
日付:20XX年某月某日
場所:文芸部部室
議題:『藪の中・最後の告白チャレンジ』発表会
出席者:一ノ瀬詩織(部長)、二階堂玲(副部長)、三田村宙、四方田萌
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一ノ瀬「さあ、皆の者! 約束の一週間後、発表会を始めるわよ! それぞれが、芥川龍之介が遺した、日本文学史最大の謎に、どのような『答え』を導き出したのか。言い出しっぺであるこの私、一ノ瀬詩織が、まずはトップバッターを務めさせてもらうわ!」
(一ノ瀬、丁寧に和綴じにした原稿を手に、自信と緊張が入り混じった表情で立ち上がる)
四方田「待ってました! 部長の『真相』! 絶対、めちゃくちゃ悲しいやつですよね! ハンカチの準備はできてます!」
二階堂「お手並み拝見と行きましょうか。この、アンフェア極まりないミステリーに、どれだけ説得力のある解決を提示できたのか、見させてもらうわ」
三田村「……仮説の提示を待機。論理的整合性と、心理的蓋然性の両側面から、その妥当性を評価します」
一ノ瀬「ふふふ、ハードルを上げてくれるわね。私が描いたのは、奇抜なトリックや、突飛な解釈ではないわ。ごく平凡な、どこにでもいる一人の人間が、いかにして、取り返しのつかない罪に手を染めてしまうのか。その、心の闇の軌跡よ。芥川が描こうとした、人間のエゴイズムの、その本質に迫ってみたつもり。……それでは、朗読します」
(一ノ瀬、一つ、深く息を吸い、静かに、しかし、心の籠もった声で、物語を紡ぎ始めた)
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藪の中
作:一ノ瀬 詩織
妻に詫びる木樵りの告白
「お前、このごろ、どうしたんだい。夜中に、うなされているじゃないか」
囲炉裏の火をいじりながら、お前が、心配そうにそう言った。俺は、黙って、手の中の湯呑みを見つめていた。その中で、安物の番茶が、ゆらゆらと揺れている。俺の心のようだと、そう思った。
言えるものか。言えるはずがない。あの日、俺が、あの藪の中で、何を見たのか。そして、何をしたのか。この、俺の、汚れた秘密を。お前のような、陽の光の下で生きてきた人間に、話せるはずがないのだ。
だが、お前の、その真っ直ぐな目に見つめられると、俺の固く閉ざしたはずの心の扉が、ぎしり、と軋む音がする。もう、限界なのかもしれない。この、重い石を腹に抱えたまま、生きていくのは。
……ああ、分かったよ。話す。話してやる。だが、聞いても、決して、俺を軽蔑したり、恐れたりしないでくれ。いや、きっとお前は、俺を恐れるだろう。当たり前だ。俺自身が、今の俺を、恐ろしいのだから。
あれは、三日前のことだった。
いつものように、俺は、斧を一本担いで、山へ入った。お前も知っている通り、うちは貧乏だ。その日、木を切って、町で売らなければ、明日の米さえ、買うことができない。だから、俺は、毎日、山へ行く。それが、俺の、変えようのない暮らしだった。
その日は、妙に、蒸し暑い日でな。空は、どんよりと曇って、風も、ぴたりと止んでいた。山の中は、不気味なくらい、静かだった。鳥の声も、虫の音も聞こえない。ただ、俺が、落ち葉を踏みしめる音だけが、やけに大きく響いていた。
昼過ぎまで、がむしゃらに木を切り、汗だくになって、少し開けた場所に腰を下ろした。お前が持たせてくれた、麦飯の握り飯を食おうとした、その時だった。
山の奥、普段は誰も足を踏み入れない、あの、深い藪の中から、女のすすり泣くような声が聞こえてきたんだ。
最初は、聞き間違いかと思った。だが、耳を澄ますと、確かに女の声だ。俺は、気味が悪くなって、すぐさまその場を立ち去ろうとした。関わり合いになるのは、ごめんだ。面倒は、何よりも嫌いだった。
だが、その時、俺の目に、ちらり、と何かが映った。
藪の入り口、苔むした岩の陰に、女物の立派な笠が一つ、落ちていたんだ。絹張りの、上等なやつだ。俺は、ごくり、と喉を鳴らした。俺の汚れた指が、無意識にその笠へと伸びていた。
そうだ。この時から、俺の心に、魔が棲みつき始めたんだ。
俺は、藪の中へと、吸い寄せられるように、足を踏み入れた。
藪の中は、昼間だというのに薄暗かった。湿った土の匂いと、腐った葉の匂いが、むっと、鼻をつく。少し進むと、光景は一変した。
杉の木に、男が一人、縛り付けられていた。年は、三十くらいか。身なりの良い侍だった。口には猿ぐつわを噛まされ、ぐったりと意識を失っているようだった。そして、その少し離れた場所に、若い女が一人、地面に突っ伏して泣いていた。着物は乱れ、その顔は絶望に歪んでいた。
ああ、多襄丸だ、とすぐに分かった。都で噂の神出鬼没の大泥棒。こいつの仕業に違いない。
俺は、息を殺し、その場にうずくまった。女は、やがてよろよろと立ち上がると、懐から小さなきらりと光るものを取り出した。小刀だ。女はその小刀を、憎々しげに男の方へと向けた。
だが、女は、男を刺すことができなかった。女は、わっと声を上げて泣き崩れると、小刀をその場に投げ捨て、どこかへ走り去ってしまった。
後に残されたのは、縛られた侍と、そして、地面に落ちた、一振りの小刀だけ。
静寂が戻ってきた。
俺はしばらく動けなかった。だが、やがて、むくりと俺の心の中で、黒い獣のようなものが、頭をもたげた。
侍の腰には、立派な太刀がまだ残っている。地面には、螺鈿の飾りがついた上等な小刀が落ちている。
……これを、売れば。
……これを、売れば、俺とお前は、一年は、楽に暮らせる。
俺の頭の中で声がした。だめだ、ともう一人の俺が叫ぶ。そいつは死人の持ち物だ。そんなことをすれば、人でなくなるぞ、と。
だが、欲望の声は、かき消してくれなかった。腹が、ぐう、と鳴った。明日の米のこと、お前の痩せた横顔が目に浮かんだ。
俺は、ゆっくりと、侍に近づいた。
侍は、まだ、生きていた。
俺が近づいた気配に気づいて、うっすらと、目を開けたんだ。
その目と、俺の目が合った。
その瞬間を、俺は生涯、忘れることはないだろう。
侍の目には、何の光もなかった。ただ、深い、深い、軽蔑の色だけが浮かんでいた。それは、虫けらを見るような、汚物を見るような、冷たい、冷たい、視線だった。その視線が俺にこう言っているようだった。
――卑しい奴め。貴様のようなものが、俺に近づくな。
俺の腹の底から何かがこみ上げてきた。それは怒りだったのか、それとも羞恥だったのか。今となってはもう分からない。
ただ、俺は思ったんだ。こいつをこのまま生かしておいてはならない、と。
俺は地面に落ちていた小刀を拾い上げた。ひやりと冷たい感触。その柄は俺の汚れた節くれだった手には、あまりにも不釣り合いだった。
俺は、侍の胸に、それを突き立てた。
何の抵抗もなかった。ずぶりと、まるで熟れた瓜にでも突き立てるように、刃が吸い込まれていった。
侍の目が大きく見開かれた。そして、その目から光が、すうっと消えていった。
温かい血が、俺の手に、どっと流れかかった。
俺は、震える手で小刀を引き抜いた。そして、侍の腰から太刀を奪い取ると、夢中でその場から逃げ出した。
背後で、侍の死体が、ことりと、首を傾げる音がしたような気がした。
それからのことは、あまり覚えていない。
どうやって家に帰り着いたのか。どうやってお前と顔を合わせたのか。
俺はその夜、熱を出した。太刀と小刀は裏の森に、深く、深く埋めた。
二日後、俺は何食わぬ顔で、お上にこう言った。「山で、侍の死体を見つけました。恐ろしくて、すぐに役所まで走ってまいりました」と。
俺の震える声と青ざめた顔を見て、役人は誰一人、俺を疑わなかった。俺は、ただの善良で臆病な、第一発見者になった。
ああ、俺はなんて、うまくやったんだろう。
俺はなんて、卑怯で、醜い、獣なんだろう。
……なあ、お前。
これが、俺の三日間の全てだ。
俺は、あの藪の中で人を殺した。そして、自分の魂を殺した。
もう、俺は以前の俺じゃない。お前の知っている、ただの貧乏な木樵りじゃないんだ。
だから、もう夜中に、俺のうなされる声を聞いても、心配なんかしなくていい。
それは、獣の遠吠えのようなものだから。
なあ、お前。俺は、あの藪の中で、人間じゃなくなったんだよ。
***
(一ノ瀬、朗読を終え、静かに原稿を閉じた。その目には、自らが描いた悲劇の主人公への、憐れみとも、共感ともつかない、複雑な色の涙が、光っていた)
一ノ瀬「……これが、私の、見つけた『真相』よ」
四方田「……ううっ……しんどい……! しんどすぎます、部長……! 最後の一文が、あまりにも、救いがなさすぎて……。ただの貧乏な木樵りのおじさんが、魔が差しちゃっただけで、こんなことになるなんて……。悲劇すぎて、尊い、です……」
三田村「……観測完了。平凡な人間個体が、極度の経済的困窮と、突発的な機会によって、倫理的制約を逸脱し、最終的に自己のアイデンティティを喪失するプロセス。その心理描写は、極めて詳細な、文学的価値のあるサンプルでした。……ですが、これは、あくまで、ありふれた、人間という種の、行動パターンの一つに過ぎません。よりマクロな視点が、欠如しています」
二階堂「……なるほどね。確かに、心理描写の巧みさは、認めるわ。人間の、どうしようもない弱さと、醜さを描く。文学としては、一つの、正しいアプローチなのでしょう。……でも、ミステリーとして見れば、これは、ただの『犯人の自白』よ。物的証拠も、裏付けもない。この木樵りが、本当に真実を語っているという保証は、どこにもない。もしかしたら、彼は、別の何かを隠すために、この『告白』という、新たな嘘をついているのかもしれないじゃない? ……あなたの物語は、美しいけれど、まだ、本当の『謎』を、解き明かしてはいないわ」
一ノ瀬「なっ……! 玲、あなた、ひどいわ! 文学とは、証明できない人の心の真実にこそ、光を当てるものじゃない! それを、ただの『謎』だなんて……! 私の、この、魂の告白を、あなたは……!」
(目に涙を溜め、わなわなと震える一ノ瀬。それを見て、四方田が慌てて間に入る)
四方田「ま、まあまあ、部長、副部長! どっちの言いたいことも、すっごく分かりますから! 部長の木樵りさん、めっちゃ人間臭くてしんどくて最高でしたし、副部長の言う『まだ謎がある』ってのも、ミステリーっぽくてワクワクしますし!」
二階堂「ふふ。まあ、見ていなさい、一ノ瀬。本当の『真相』というものが、どれだけ、あなたの感傷的な悲劇よりも、冷徹で、美しいものなのか……。次の私の番で、証明してあげるわ」




