草原(作:二階堂 玲)
(部長の一ノ瀬が、四方田の奔放な解釈に頭を抱え、崩れ落ちている)
一ノ瀬「擬人化……恋愛ポエム……。デッサンとは、一体……」
四方田「えへへ、でも、エモかったでしょ?」
一ノ瀬「そういう問題ではないわ!」
二階堂「まあ、落ち着きなさい、部長。四方田さんのは、いつものことよ。……では、次は私の番ね」
(二階堂、静かにノートパソコンを開く。その冷静な仕草に、部室の混沌とした空気が、少しだけ、引き締まった)
一ノ瀬「玲……。あなただけが、頼りよ。この、間違った方向に暴走する文芸の流れを、あなたの、その、完璧な論理で、正しい道へと引き戻してちょうだい……!」
二階堂「ふふ。当たり前よ。感傷や、妄想を排し、ただ、そこにある事実だけを、客観的に、そして、正確に描写する。それこそが、真の『デッサン』でしょう。あなたたちに見せてあげるわ。論理の目で見た、この風景の、唯一の『真実』を」
(二階堂は、その冷たい瞳で、目の前の空間を一度、すっと検分するように見渡すと、淡々と、テキストを読み始めた)
***
草原
作:二階堂 玲
空は、単一の青色で構成されていた。
天頂から地平に至るまで、色彩の濃淡、及び、色相の変化は、観測されない。大気中に含まれる塵や水蒸気による、光の散乱効果が、極端に低いことを示唆している。その青は、いかなる感情的なニュアンスも排除した、純粋な色情報としての青であった。
その空間に、いくつかの浮遊物が、静止状態で確認された。材質は、水蒸気の凝固体、すなわち雲と推定される。形状は、大きく二種類に分類可能。一つは、繊維状に引き伸ばされた、巻雲系のもの。もう一つは、不規則な塊状の、積雲系のもの。いずれも、気流による移動や、形状の変化は見られず、固定された座標に、配置されているかのような、不自然な静止状態を保っていた。
地面は、単一の緑色の植生によって、その全面が覆われている。
土壌の露出、及び、岩石の存在は、確認できない。植生は、短い葉を持つ、イネ科の植物と推定される。特筆すべきは、その、異常なまでの均一性である。葉の長さ、密度、色合い、その全てにおいて、個体差が認められない。雑草や、他の種の植物の混入も、皆皆無であった。これは、極めて高度な、人為的管理下にあることを、強く示唆している。
地形は、なだらかな丘陵形状を呈している。その稜線は、風雨による浸食で形成された自然な曲線とは考えにくい、幾何学的な、極めて滑らかなカーブを描いていた。
光源は、確認できない。
しかし、対象空間は、十分な光量で満たされている。影の長さと方向から、光源は、右手、上方に位置するものと推測される。だが、空には、太陽に該当する天体は存在しない。
丘の左半分は、明確な影によって覆われている。光が当たる部分と、影の部分の境界線は、極めてシャープであり、光の回折現象が、ほとんど見られない。これもまた、自然光下では、考えにくい現象である。
総括。
この風景は、一見、自然の草原に見える。しかし、細部の観察を行えば、その構成要素の、ことごとくが、物理法則を無視した、異常な状態にあることが判明する。
生物の痕跡は、皆無。風は、吹いていない。音は、存在しない。
結論として、これは、自然の風景ではない。
何者かによって、極めて精巧に、そして、意図的に創り上げられた、「舞台装置」であると、断定せざるを得ない。
その目的は、不明。
ただ、この、完璧すぎる静寂と、不自然なまでの美しさは、これから、この場所で起こるであろう、何らかの「事件」を、静かに、待ち構えているかのように、思われた。
***
(二階堂、読み終え、ぱたん、と、静かにノートパソコンを閉じた。部室は、先ほどまでとは違う種類の、冷ややかな沈黙に満たされている)
一ノ瀬「…………玲」
(呆然としていた一ノ瀬が、ようやく、か細い声で、口を開いた)
一ノ瀬「……あなたの、その、描写の、正確さは、認めるわ。確かに、デッサンとしては、完璧かもしれない。でも……でも、これは……! 美しさも、詩情も、ひとかけらも、感じられないじゃない! ただの、鑑識官が書いた、現場検証の報告書よ! あまりにも、冷たくて、無機質すぎるわ!」
四方田「ひぃぃ……! 副部長の『草原』、なんか、怖いです! 綺麗だけど、血が通ってない感じ……。愛が、1ミリも、ありません! こんな場所に、一秒だっていたくないです!」
三田村「……興味深い」
(今までで、初めて、三田村の口から、明確な肯定の言葉が漏れた。一ノ瀬と四方田が、驚いて彼女の方を見る)
三田村「……部長の作品は、対象を、主観で美化しすぎている。四方田さんの作品は、対象を、擬人化しすぎている。いずれも、観測者としての、致命的なエラーです。……しかし、二階堂さんの作品は、それらとは違う」
二階堂「ふふ。当然でしょう? 私は、客観的な事実だけを、述べたのだから」
三田村「いいえ。あなたは、三人の中で、最も、主観的に、この風景を歪めて観測している」
二階堂「なっ……!?」
(普段、感情を見せない二階堂の眉が、ぴくりと動いた)
三田村「あなたは、この風景を、風景として見ていない。初めから、『事件現場』という、フィルターを通して、観測している。あなたの描写する『不自然さ』や『異常性』は、全て、あなたのその、歪んだ認知バイアスが、生み出したもの。……客観を装いながら、これほどまでに、強い『物語』を、この風景に押し付けている。……なるほど。人間の『論理』とは、かくも、非論理的なものですか。非常に、面白いサンプルでした」




