変身(作:二階堂 玲)
一ノ瀬「はぁ……。もう、何が来ても驚かないと思っていたけれど……。まさか、カフカが特撮ヒーローの原点だったなんて……」
四方田「でしょでしょ! 私の解釈、最高だったでしょ!」
一ノ瀬「……さて。騒ぐのはそれくらいにして。ついに、大トリね。玲、あなたの『変身』、聞かせてもらうわ」
二階堂「…………」
(今まで、他人の作品を冷静に、そして鋭く批評してきた二階堂が、珍しく、すっと視線を逸らした。その表情は、どこか言いにくそうで、落ち着かない様子だ)
四方田「副部長? どうしたんですか?」
二階堂「……いや。何でもないわ。……では、始めるわね。私が導き出した、グレゴール・ザムザの、論理的結末を」
(二階堂、ノートパソコンを開き、意を決したように、しかし、どこか投げやりな口調で、テキストを読み始めた)
***
変身
作:二階堂 玲
ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大なしろふわまるちゃんに変ってしまっているのに気づいた。
***
一ノ瀬「待ちなさい、玲ッ!!」
(一ノ瀬の、今までで最も鋭いツッコミが、部室に響き渡った)
一ノ瀬「今、何と言ったの!? 巨大な、何ですって……?」
二階堂「……しろふわまるちゃん、よ」
一ノ瀬「しろふわまるちゃん……とは、一体、何なの!? 何かの隠語!? それとも、古代神話に登場する、恐ろしい神獣の名前かしら!?」
(混乱の極みにある一ノ瀬を見て、四方田が、ぱっと顔を輝かせて解説を始めた)
四方田「ええーっ! 部長、知らないんですか!? しろふわまるちゃんは、今、女子中高生の間で、絶大な人気を誇る癒やし系キャラクターですよ! 『白くて、ふわふわで、まんまるだから、しろふわまるちゃん』っていう、ただ、それだけの存在なんです! その、圧倒的なまでの『可愛さ』で、全てを解決する、最強のキャラクターなんですよ!」
一ノ瀬「白くて……ふわふわで……まんまる……?」
三田村「……定義が、概念そのもの。興味深い」
二階堂「……はぁ。説明は、それでいいかしら。……続けるわよ」
(二階堂、やけくそになったように、再びテキストの朗読を開始した)
***
変身
作:二階堂 玲
ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大なしろふわまるちゃんに変ってしまっているのに気づいた。
彼の身体は、純白で、きめ細やかな、羽毛のような体毛で覆われていた。手足は、丸くて、短くて、肉球はほんのりピンク色。大きなつぶらな瞳は、黒曜石のように潤んでいる。彼が、少し身じろぎするたびに、身体から、ふわりと、綿菓子のような甘い匂いがした。
「……きゅ?」
グレゴールが、何かを言おうとして発した声は、信じられないほど愛らしい、小さな鳴き声となった。彼は、自分の身に何が起こったのか、全く理解できなかった。
階下から、支配人の怒鳴り声が聞こえてくる。グレゴールは、慌ててベッドから降りようとした。だが、その丸い身体では、うまく動くことができない。ごろり、と、彼はベッドから転がり落ちた。ぽふっ、と、信じられないほど、静かで、柔らかい音がしただけだった。
やがて、痺れを切らした父親が、ドアを斧で破壊し、部屋へと押し入ってきた。
「この、怠け者が! いったい、いつまで……」
父親の言葉は、途中で止まった。彼の目の前には、巨大で、白くて、ふわふわで、まんまるな何かが、つぶらな瞳で、小首を傾げて、こちらを見上げていたからだ。
「……きゅ?」
父親は、手に持っていた斧を、カラン、と床に落とした。
母親と、妹のグレーテも、部屋の入り口から、恐る恐る中を覗き込んだ。そして、絶句した。
「まあ……」
「……かわいい」
グレーテが、無意識に、そう呟いた。
その一言が、全ての始まりだった。
グレゴールの変身は、ザムザ家に、悲劇ではなく、かつてないほどの幸福をもたらした。
彼は、セールスマンとして働くことはできなくなった。だが、そんなことは、もはや、誰も気にしなかった。
父親は、仕事のストレスで疲れて帰ってくると、グレゴールの、その広くて、ふかふかの背中に顔をうずめて、その極上の手触りを堪能するのが、何よりの癒やしとなった。
母親は、グレゴールの純白の体毛に、リボンや、手作りの花の冠を飾ることに、新たな生き甲斐を見出した。
そして、グレーテは、「我が家のしろふわまるちゃん日記」というブログを始め、兄の、あまりにも愛らしい日々の様子を、写真付きで公開した。そのブログは、瞬く間に、世界的な人気を博した。
「今日のまるちゃんは、日向ぼっこをしています」
「今日のまるちゃんは、お昼寝をしています」
「今日のまるちゃんは、毛繕いをしています」
ただ、それだけの、何の変哲もない日常の記録が、なぜか、人々の荒んだ心を、強く、強く癒やしたのだ。
ザムザ家には、世界中から、ファンレターと、高級なペットフード、そして、多額の寄付金が、ひっきりなしに届くようになった。彼らは、もう、働く必要がなくなった。
グレゴールは、ただ、そこにいるだけで、家族を、そして世界を、幸せにしていた。
そんなある日、ザムザ家に、黒塗りの高級車が、三台、乗り付けた。車から降りてきたのは、完璧なスーツに身を包んだ、三人の紳士だった。
彼らは、家に上がると、グレゴールの姿を一目見るなり、その場に深々と、頭を下げた。
「おお……! まさしく、我らが、そして全世界が求めていた、究極の『しろふわまるちゃん』そのものであられる……!」
彼らは、「株式会社しろふわカンパニー」の、取締役員だった。
彼らが言うには、しろふわまるちゃんとは、元々、太古の昔から、人々の心を癒やすために、時折、この世に現れる、伝説の聖獣だったのだという。そして、グレゴールは、数百年に一度の、選ばれし個体だったのだ。
「ザムザ様。どうか、あなた様を、我が社の、いえ、全世界の『公式・いやし親善大使』として、お迎えしたく、参上いたしました」
紳士たちは、ザムザ一家に、驚くべき契約内容を提示した。世界中に、彼の愛らしさと、癒やしの力を届けるための、ワールドツアー。そのための、最高級の住環境と、生涯にわたる、手厚いサポート。
それは、もはや、契約というよりは、聖獣を祀り上げるための、儀式に近かった。
こうして、グレゴール・ザムザは、家族と共に、世界へと旅立った。
彼の行く先々で、人々は、その圧倒的なまでの『可愛さ』の前に、全ての争いをやめ、憎しみを忘れ、ただ、そのふわふわの毛皮に触れることだけを、願った。
彼は、言葉を話すことはなかった。ただ、「きゅ?」と、小さく鳴くだけだった。
だが、その一鳴きが、どんな偉大な指導者の演説よりも、人々の心を動かした。
ある朝、一人の青年が、不条理な運命によって、一匹の聖獣へと姿を変えた。
しかし、それは、彼が、世界で最も、多くの人々を幸せにした、ヒーローの誕生の物語でもあった。
***
(二階堂、読み終え、ぱたん、と、魂が抜けたような音を立てて、ノートパソコンを閉じた。部室は、完全な、そして、絶対零度の沈黙に支配されていた)
(最初に、その沈黙を破ったのは、四方田だった。その瞳は、潤み、恍惚とした光をたたえていた)
四方田「……副部長……? これ……副部長が、書いたんですよね……?」
二階堂「…………」
四方田「……最高、です……! 私が、思い描いていた、どんなハッピーエンドよりも、もっと、ずっと、幸せで、優しくて、温かい……。世界が、愛と、ふわふわで満たされていく……。これこそが、物語の、最終到達点じゃないですか……! まさか、副部長から、こんな、宇宙規模の『萌え』と『尊み』が供給されるなんて……! 私、今日、この部室で、世界の真理を見ました……!」
一ノ瀬「玲……? あなた、本当に、どうしてしまったの……? あの、全てを斬り捨てるような、冷徹なロジックは、どこへ……? 不条理も、悲劇も、社会風刺も、全てが……その、巨大な、綿菓子の中に、吸い込まれてしまったわ……。でも……悔しいけれど……なんだか、すごく、幸せな気持ちに、なってしまった……」
三田村「……理解不能。観測された物語は、因果律が『可愛い』という、定義不能な単一のパラメータによって、完全に支配されている。全ての事象が、肯定的な結果に、強制的に収束するよう、世界法則そのものが書き換えられている。これは、論理ではなく、祈り。あるいは、一種の、現実改変能力です。……ですが、この情報には、極めて強力な、精神治癒効果があると、判断します」
(三者三様の、しかし、どこか賞賛に近い、呆然とした視線が、二階堂に突き刺さる)
二階堂「……少し、寝不足だったのよ」
(二階堂、こめかみを押さえ、ぼそりと、呟いた)
二階堂「頭が、回っていなくて……気づいたら、こんな、支離滅裂なプロットになっていた。……それだけよ。他意は、ないわ」
一ノ瀬「そ、そうだったのね! なあんだ、それなら仕方ないわ! 疲れているのね、玲!」
四方田「そうですよ! 寝不足であんな神作品が書けるなんて、副部長、やっぱり天才です!」
(三人が、優しく、そして生暖かい目で見守る中、二階堂は、ただ、早くこの時間が過ぎてほしいと願うように、窓の外を見つめるだけだった)
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議事録担当・書記代行(二階堂)追記:
危なかった……。まさか、あそこまで、純粋な目で見られるとは。寝不足? 違う。原因は、明確だ。先週から始まった「しろふわまるちゃん」のコラボカフェに毎日通い、昨日、発売と同時にサーバーがダウンした、オンライン限定の等身大ぬいぐるみの争奪戦に、徹夜で勝利したせいだ。気づけば、締め切りは目前。私の頭の中は、ふわふわのことで、完全に飽和状態だった。もはや、論理的な思考など、できるはずもなかった。……だが、結果的に、誰も私の秘密には気づいていない。よし。このことは、私の胸の内だけに、厳重に、封印しておかなければ。完璧な隠蔽工作こそ、最高のミステリーなのだから。




